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204・罪悪感
しおりを挟む「やっぱり……そうなんだ……」
気付いてはいた、あれが弟なんじゃないかと……。
酒に酔ったヘイズから、自分の弟がまだ山で生きているかもしれないと聞いた時、シェリーの中で弟を探しに行く事が一つの目標となった。
小さく貧弱で、いつも孤独と飢えに震えながら誰かの助けを待っているーーシェリーが思い描いた弟はそんな弱々しい存在だ。
この頃のシェリーには、多少外見が違ったり、獣の様に乱暴だと言う事が、殺されるまでの理由になるなんて到底理解出来なかったし、自分ならそんな弟を助けられると本気で信じていた。
何せ、血を分けた本当の姉弟なのだからーーと。
薄暗い寝床に響く兄弟達の寝息を聞きながら、山を彷徨う孤独な弟を思い眠れぬ日が続いた。会った時にやろうと、キラキラ光る石を集めたりもした。
しかし貧民街の孤児であるシェリーは、まだ見ぬ弟を常に気にかける様な余裕の有る毎日を過ごしていた訳ではない。
雨露防ぐ屋根と、日に一食の具の無い薄いスープ、孤児院には辛うじて飢え死にや凍死を凌ぐ事が出来る程度の保証はあるが、それだけだ。
足りない物は自分達で何とかしなくてはならない。
ゴミ箱を漁り、時には店先から野菜の切れ端や魚のアラなどをくすねながら、何とかその日その日を乗り越える毎日。
時が経ち、幼い妹弟が増えるとその慌ただしさは一層激しくなった。
幼年組の食糧の調達、縄張り争いに喧嘩の仲裁、この頃からシェリーは組織のツテを使って子供でも出来る仕事を仲間内に斡旋する様な事も始める。少しずつだがスープにも具が入り、寝床には毛布が増えた。
そうこうしている間に周りからは姉貴と慕われ、孤児の中では一目置かれる存在となったーー忙しく必死に生きる毎日に、いつしかシェリーは弟への思いが徐々に薄れていくのを感じていた。
そんなシェリーの思いを再燃させたのが今回の討伐依頼だ。
森の奥深くへ入り魔物を討伐するーー毛皮や肉が欲しいと言った言葉に嘘は無いが、それ以上に惹かれたのが魔獣人が出るという噂である。
シェリーも目撃された魔獣人が自分の弟だと思った訳ではない。あれから何年も経っている、それに多少なりとも世間を知った今、魔獣人がどんなものかも知った。
ーー異形で、異質で、凶暴で、獰猛、とても共存出来る存在では無いと。
それでも同行を切望したのは、何というかシェリーにとってのケジメみたいな物だった。
「弟を探し森へ入ったがやはり居なかった、会うことは叶わなかった」
ーーやれる事はやった。
そんな心の隅に残る罪悪感を消す免罪符が欲しかったのかもしれない。
だから、自分と同じ虎模様の魔獣人《マレフィクス》を目の前にした時、シェリーは大いに動揺した。
◇
「そうだ、アイツは確かにお前の弟だ、俺の鼻もそう言ってる。だがなーー」
ヘイズの声が頭の奥でぼんやりと響いている。今シェリーの心を埋め尽くすのは、ひたすらに後ろめたい罪悪感だ。
「きっとアタシを恨んでる……」
不安と孤独、そして命の危険に怯えながらも森の奥で数十年、たった一人で過ごしてきた弟。それはシェリーが思う以上に辛く、過酷な生活だったに違いない。
一方、姉である自分はどうだ?
沢山の仲間達に慕われ、死なない程度には暮らしが保証された毎日。足りない物はまだまだ多いが、昔より仕事も増えてきた。最近じゃあコレも悪くない生活だと思い始めている。
恵まれた環境にいながら、気付けば自分と周りの事ばかり。何故もっと弟の事を考えてやれなかったのか、考えるどころか、つい最近までその存在自体を忘却の彼方へと押しやっていたではないか。
「何故、助けに来てくれなかった」
「何故、気にかけてくれなかった」
「何故、お前だけが不自由なく生きている」
ーー何故、何故、何故、何故
そんな想いが先程の攻撃に込められている気がして、シェリーは思わず自分の唇を強く噛んだ。
「ーー恨む? アイツにそんな感情は残ってねえよ。そもそもシェリ坊を恨むのは筋違いってもんだろ」
理性の無い魔獣人に言葉は通じない。知性も感情も無く、ただ本能のままに人に害を為す魔獣でしかない。
先程シェリーの匂いを執拗に嗅いでいたのも、どこか自分の匂いと近いと感じたからだろう。決して何らかの感情があっての事では無い筈だ。
(まぁ、アイツには多少の知恵が残ってるみてぇだがな)
風を使う防御と方向転換、それだけでなく枯葉を集め自分に得意な場所を作り出したりと、凡そ本能のままにーーと言うには無理のある戦い方だった。
ーー明らかに知性を感じる。
しかしその事には言及せずに、ヘイズは「気にする事は無い」と俯くシェリーの頭にそっと手を乗せた。
「…………分かっ…てる」
皆に姉貴と慕われる程に周りに弱音を見せぬ様気丈に振る舞ってきた。そんなシェリーが今、ぐちゃぐちゃな感情をどう処理して良いか分からなくて溢れ出る涙を止める事が出来ないでいる。
シェリーの性格を理解しているヘイズは、その姿から目を逸らす様にくるりと背を向け、静かに諭すよう言った。
「心配すんな、アイツはきっと何も知らねぇ兄弟が森へ還してくれる。だが兄弟を恨むんじゃねぇぞ? 今やらなくても、いずれギルドが、街が、王国が、討伐隊を組んでアイツを殺す事になるんだしな」
あれ程に育った魔獣人はそう居ない。例えヘイズが報告しなくとも必ず発見されるーー恐らく、他の誰かの犠牲を伴って。
ヘイズの言葉を聞きながら、鼻を啜り、俯き肩を震わせていたシェリーだったが、何を思ったのか突然森へと向かって大声で吠えた。
「うわぁああッ!!」
ハァハァと肩で息をする程に肺の中の空気を全て吐き出したシェリーは、グイと袖で涙を拭い、大きな深呼吸をすると、いつもと変わらぬ調子でヘイズに言った。
「血が繋がった弟だって言うからさ、どんなもんかと思ってたけど……実はアタシ、アイツに懐かしさも何も感じなかったんだ」
「シェリ坊…………」
「薄情かな……」と、自嘲気味にシェリーが笑う。
「会った事の無かった弟よりも、一緒に暮らしてる弟分のがアタシには大事みたい。アタシはもう大丈夫! ガウルを探しに行こう、兄貴!」
大きな石を飛び跳ねる様に上流へと駆け出したシェリー。吹っ切れた様振る舞ってはいるが、尻尾がダラリと悄気た様に垂れ下がっている。
「そうか…………ああ、そうだな」
ヘイズは少し憐れむ様に森を振り返ると、再びガウルの捜索へと気持ちを切り替えた。
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