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218・姉貴分
しおりを挟む「アンタ馬鹿なんじゃないの!?」
寸時、唖然とした表情を浮かべたシェリーであったが、直ぐに鬼面の如く目を吊り上げ、声を落としたままに罵詈雑言捲し立て始める。
「なんでっ、なんでアタシらが必死になってる時にのほほんとそんな所から現れてんだよ! そもそも第一声が筋肉の話っておかしいだろっ! もっと聞かなきゃならない事あるよな! ああっ?」
歯をギュッと食い縛り、低く、唸る様に怒りを吐き出すシェリーに思わず顔がこわばる……これはマジで怒ってる時のやつだ。
「ーーじ、冗談、そう冗談だよ! え~っと、ガウルは見つかったのか? ヘイズは下? ーーってか、シェリーは何でそんな所で揺れてんの?」
咄嗟に取り繕う様な言葉を並べるてみるがキツい視線は変わらない。まぁ確かに今は筋トレ話なんてしている場合じゃなかった。それにしても小声で怒られるのって怒鳴られるよりちょっと怖いな。
「…………ガウルは大怪我してるけど無事っ! 兄貴と川を下って街に向かった! アタシはアンタが任された筈の魔獣人に追われてるところっ!」
「えっ、魔獣人此処に居るの?」
目を凝らす様にして崖下を覗き込むと、ゴツゴツと剥き出した岩や大きく白泡を立てる滝壺が見える。
随分とスリリングな場所なのは分かったが、崖が大きく迫り出している為に全貌が見えず、此処からは良く分からない。
「何処にいるんだ? こっからは全然見えないけど……まさか梯子登ってきてる訳じゃないよね?」
あの形で梯子登るのは想像出来ないが、熊は梯子登れるって聞くからな、可能性はゼロじゃない。
「山羊みたいに奥の岩壁を登ってきてる……多分、魔法を使って跳んでるんだ」
成る程なーー確かに言われてみれば、崖下から吹き上がる風の中にあの強烈な臭いが混ざってる。
「そうか、こんな所に居たのか」
もし魔獣人が、ヘイズ達に悪さしてたらーーと、少し心配だったが、ヘイズ達は無事街に向かったらしいし、シェリーもこの通りだ。(ブラブラしてるけど)
あの時、闇雲に森の中を探すよりも巣のある川を目指したのが正解だったな。
それにしても、ガウルが居たって事はこの滝が魔獣人の「巣」なのか。
(何でこんな険しい場所に巣を……いや、あながち間違ってはいないのか)
ジャングルや無人島で一夜を過ごす事になる場合、動画配信で有名なサバイバーが木に登って枝に跨り、幹に身体を縛り付けながら寝ていたのを思い出す。
それと同じく、危険な獣が生息する森の中で安眠を得る為には多少不便な場所の方が適していると言う事なんだろう。
「グオウゥゥ!!」
太い唸り声が直ぐ崖の下から響いてくる。それと共に吹き抜ける突風がシェリーの掴まる梯子をギシギシと大きく揺らし始めた。
「ーーッ!! き、来た……もう、すぐ目の前に居る!」
「お、落ち着けシェリー。今引っ張り上げてやるからそのまましっかり掴まってろ!」
俺はその場に立ち上がり相撲を取るようにドッシリと腰を据えると、徐にぶら下がる梯子の踏ざんを掴み、畑のカブでも引き抜くようにして梯子を手繰り寄せる。
そう、俺は梯子ごとシェリーを吊り上げようと考えたのだ。船びき網を引く漁師の如く、グイグイと梯子を引き上げ……梯子を引き? お、おぉ??
「ぬぅーーーーーんっ、重い!! 駄目だ、重過ぎる!」
「は、はぁ!? そ、そんなに重くねーし! 失礼かよっ!」
ーーおかしいな? ウンともスンとも動かないぞ。
転移前でもデッドリフトで180kgは引けた俺の筋肉は、この異世界でも更なる鍛錬を重ね続けてきたのだ。バーベルが無いから分からないが、今の俺なら200、いや220kgくらいは確実に引ける筈! それなのに女の子一人持ち上げられないなんて……。
どうしたんだい、俺の筋肉! やっぱり肉を食ってないからパワーが落ちちゃったのかい?
「いや待てよ? あー、そうか、梯子か!」
この梯子、崖下まで伸びているなら、30mくらいの長さになるのか。しかも鉄製だ、総重量は軽く見積もっても300kgはありそうだ……そりゃあ俺の筋肉でも引ける訳が無いわ。
「ーーどうすっかな。シェリー、自分で登って……は、これなさそうだな」
魔獣人が近付いた事で乱気流に巻き込まれた様にグルグルと回り揺れ出した梯子、シェリーは振り落とされない様に必死で梯子に抱き付いている。
(ーーあれはちょっとヤバいな)
冷たい霧の中、長い梯子を登って来たシェリーの体力ではあの揺れに耐えられない。握力が尽きて落下するか、もしくは遠心力に弾き飛ばされるかだ。
(どうする?……シェリーの所まで一旦下りて、背負って戻るーーいや、流石にこの揺れの中じゃ無理か)
激しく揺れる梯子を上り下りするだけでも危険なのに、その中で人を背負うのは難易度が高過ぎるーー何処かの国の雑技団レベルだ。それに梯子自体が300kg近いのだ、果たして二人分の体重を支えられるだろうか?
「ーー自分の事は自分で何とかするっ! だからアンタは早く逃げなっ!」
しかし、そんなシェリーから発せられたのは、助けを乞う言葉でも、此方の不甲斐なさを責める言葉でも無かった。
「大丈夫、魔獣人が飛び掛かってきたら、抱き付いてでも一緒に落ちてやるさ!」
「ーー何言ってんだシェリー!」
「組織に入っちゃいないけどさ、一応アタシはアンタの姉貴分だと思ってるさね。上の者は下の者の為に命を張るんだーーって、ヘイズの兄貴が良く言ってたんだ。だからアタシも! なぁアンタ、…………他の子達を頼んだよ!」
シェリーは引き攣った笑顔で俺を見上げる。少し潤んだ琥珀色の大きな目に覚悟の色が見えた。
決死の表情を浮かべ、死地に赴く特攻隊みたいなシェリーに向かい、俺は大きく首を傾げた。
「逃げろって…………何で?」
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