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こころとエンジン

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走ろうよ、と言ったNaomiは
れーみぃを促し、RZ250のシートに
座らせた。


柔らかいサスペンションは、軽いれーみぃが
跨いでも
じんわりと沈む。

リバウンドストロークの大きいそれは
公道でスポーツするのに必要な特性で


低い速度で走る事の多い峠道で
楽しいコーナーリングができ、安全に
走るための設計である。



2010年代のスポーツバイクが
高性能でありながら販売が伸びないのは

その、あまりにも高性能にすぎるエンジンが
高い加速度を齎す故であり

その時に破綻しないサスペンションは
つまり、低い速度では楽しめないものに
なってしまう故



普段乗っても疲れるだけの、レース専用の
ようなオートバイになってしまっているから、と

言う事が原因であったりもする。


ライダーも夢と現実がわかっておらず
4ストロークのレーシングマシンを道路で乗る事の困難さに
実感してから、手放す。


そういう事の繰り返しで、オートバイは
ライダーの夢では無くなって行ったが
誰のせいでもない。


ライダーそのものが、オートバイを
漫画やインターネットコンテンツのような
ものと混同している傾向のせいなのだが


生まれつき、本やゲーム、漫画で育って来た
故の
適応で

危険、と言うものへの感受性が
鈍くなってしまっているのは


安全な環境で育ったから、なので
致し方ない事でもある。



例えば、テロリスト集団の国に
好んで出掛けて行って殺されるような

そういう人々が増えてしまったのは
つまり、増え過ぎた人類が

淘汰を求めている現れであるのかもしれない。





1978年は、まだオートバイの作り手にも
乗り手にも程の良さがあったので

RZ250のようなオートバイが企画できたし
人気を得たと言う事であり


それが、コンピュータに毒される以前の
人間の作った愛すべき機械である事は
疑いようのない事実であり


だからこそ、古いオートバイに
人々は惹かれるのであろう。






「乗り心地いいー」と、れーみぃは喜び

シートの上でサスペンションを沈ませる。


ふわふわ、と揺すれるくらいに柔らかい。


 「ちょっと走ってみる?」と言って
ぱらぱら、とアイドリングしているRZ250に
跨いで喜んでいるれーみぃを笑顔で見ながら

Naomi自身は、ガレージの奥で
シルバーのカバーを被っていた
小柄なオートバイを引き出した。

サイドスタンドしかない、丸っこいそれは
白と赤に塗り分けられ、紺色の
ストライプが彩る

角のヘッドライト、セパレートハンドル。


キーを捻ると、緑のランプが光り

サーボモーターの音がした。


銀色のサイドスタンドを跳ね上げると、
パネの反発で硬質な音を立てるが
ラバーストッパーもない、アルミニウムのフレームにジュラルミンんのステップ。


サイドカバーもなく、低いカウリングには
RZV500R、とだけ記されている。


キックペダルを引き出し、円周状に
リアに回して。


左手は、プラスチックのチョークノブを立てる。


かなり高い位置のキックはあまり軽いとは言えないが

それは、2軸ギア連結のV型配列4シリンダ

という特異なエンジンのせいでもある。



トランスミッションを高い位置に置き、
ドライサンプとする構造は、2010年あたりのレーシングエンジンと同じだが
30年前に既にその構造は確立している事を
そのオートバイはキッククランクの重さで
ライダーに伝える。



ガソリンコックを右に回し、燃料をキャブレターに落下させる。



静かに、液体が落下する音を聞いて
コックを垂直に戻す。

万一、フロートに異物が噛んでいると
ガソリンが溢れてしまうからだ。


幸い、この時は問題なく。




キックを下ろすと、エンジンは素直に始動する。



RZ250が2台いるような、不思議な排気音は
ギアノイズを伴って回転するエンジンより伝わる。



重いスロットルを開くと、意外に軽快に
エンジンは回転を上げる。


細かい振動がフレームに伝わるのは
RZ250と違い、エンジンが直接
フレームに搭載されているため、でもあるし
2軸エンジンとバランサーのため、でもある。


しかし、88psを示す排気音は
明らかに豪快で、聴くものを官能に誘う。




「行こう」と、Naomiは
意外に低く、小さなRZV500Rのシートに座り

れーみぃの乗った、RZ250の隣に

ギアを1速に入れ、スロットルをやや開きながら
半クラッチで進める。


ギアレシオが高く、普通のバイクの2速くらいの回転なので

発進加速は苦手だけれども、それは
レーシングマシンと同じだ。


レースなら、発進は1回しかないから。



「なんでYAMAHAばっかりなの?」れーみぃは
ちょっと傾げて言うけれど

長い黒髪は真っすぐ、唇は赤く、愛らしい。


丸い頬が幼い面影を残す。


「おじいちゃんの趣味なんだけどね。Yamahaってなんとなく筋が通ってて好きなんだって」と
Naomiは言う。


2ストロークエンジンの面白さを
解ってもらいたいとRZ250を作るところ、とか



商品として考えるなら、流行の
4サイクル4シリンダで大柄なバイクを
作っていればそれでいい。



儲かるかどうかわからない2サイクルの小さなオートバイを作るあたりに


Yamahaの気持ちが見える。


オートバイを好き、と言う気持ちだ。



恋愛のような、と言ってしまうと
少し違うかもしれないけれど


少なくとも、真っすぐな気持ちはある。



そういう気持ちが、Naomiのおじいちゃんの
ような
オートバイ好きの気持ちを動かす。



世界中でRZ250は人気になった。



心のある人々が共鳴するのだ。




「じゃあ、行こう?」Naomiは
アクセルを開くと、クラッチをつなぐ。


エンジンの回転は3000rpm。


そのくらいでも、なんとか走るくらい。

2サイクルなので、不等間隔爆発をするエンジンが


ばらばらばら、と音を立てるけれど


焼玉エンジンのような、のどかな響きが
Naomiは好きだ。




本当はとても高性能なエンジンなのに
普段はのどかな感じなのは


どことなく、優しげな勇者のようだとも
Naomiは感じる。


本当に強い人々は、強がったりしない。



Naomiは、おじいちゃんの背中から
それを学んだ。








「走るね」れーみぃは


RZ250の軽いクラッチを握り

左足のシフトペダルを踏む。


普通にゴムのついたステップは、足に優しい。


振動も伝わらず、乗り心地のよいRZ250である。


回転を少し上げると、するすると走り出す。



ガレージから出て、庭をゆっくりと走る
Naomiの背中を追って、RZのスロットルを開いた。



れーみぃが、アクセルを軽く開くと

2ストローク250ccの、長い歴史のある
Yamahaエンジンは、滑らかに回る。

ガソリンタンクの下にある、後輪のサスペンションユニットに
力は伝わる。


加速しようとする、ライダーの重さと
バイクの重さを、エンジンは後輪の回転で
前に進める。

後輪を支えているのは、サスペンションユニットと
スイングアーム。



スイングアームを前に押し、後輪はバイクを進める。


当然だが、その時バネで吊られている
サスペンションユニットにも力が伝わる。



後輪は、シャフトでスイングアームに
止められているから

後輪が前に回転しようとするとき、後輪を止めているシャフトは
逆向きの力に捩られる。

例えば、ねじ回しで木ねじを締める時
右にねじ回しを回すが

掌には、重みを感じる。
それは、計ってみれば左向きの力であるけれど
それと同じである。



バイクの後輪は、バネで吊られているから
そのバネに、この、後ろむきの力が伝わると
サスペンションユニットを伸ばそうとする。



バイク自体は、慣性で後ろむきの力が
掛かっているので


RZ250のように、ガソリンタンクの下に
横向きにサスペンションユニットがついていると

オートバイの重み+ライダーの重みが
サスペンションユニットを支える事になるので
加速の時にサスペンションユニットを伸ばそうとする力と対抗して、打ち消し合う事になる。

優れた設計のRZ250である。


それで、ゆったりと安定した加速が得られるので

RZ250は、乗りやすい。



れーみぃが、いきなり乗っても
不安なく加速が出来る。


(減速は別だが)。





ふわふわと、安穏な乗り心地に
れーみぃは、楽しいと思う。




楽しいと思う事なら、お金を出しても
誰もそんなに損だとは思わない。




恋愛だって同じで、好きな事だったら
苦労とも思わない。



ひとは、気持ちで動くのだろう。




1978年の日本、YAMAHAがあった国は

まだ、オートバイ会社にオートバイが好きで
入ってきた人が、ずっとその会社にいられる国だったから

RZのように、あまり儲かる見込みはないけれど
気持ちを込めたオートバイが作れる時代だった。



返品のマフラーが会社に山積みになっても


会社は、資金調達に困る事もなかった。



企業を、銀行が支援したし
国は、銀行を支援したからだ。



それを、日本と言う国が壊したのは
1989年あたりからで


オートバイ好きの人々が、オートバイ会社に
一生勤められない環境になった。


だから、RZ250のように
オートバイ好きのため、の
企画はそもそも出てこなくなった時代が
長く続いたし


損をすると会社が資金調達に困るので
無難な事しかしなくなったりする傾向が続いて

オートバイそのものが売れなくなった。


当然だが、楽しみのために乗るものが
無難なもの、であるばかりではないだろう。



そういう環境で育った若者たちは


無難な事、安全な事。


それが溢れた街に育ったので


楽しい、と言う気持ちを忘れて育った。



喜怒哀楽、のうち
喜楽が少なく育つから


勢い、恋愛と言っても
愛したい対象が見当たらない。



喜びも、楽しみもよくわからないからだ。

異性接触は、起こる。
けれど愛も恋もなく、接触だけだ。


それは、ストレスのたまったれーみぃが

エッチな事を言うようなもので(笑)


本当は、楽しい、嬉しい事をしたいのだけれども。


できない時の、心の痛みである。






そんな時、古いオートバイRZ250は

愛を思い出させてくれる。



オートバイを愛した人々がいた事を
思い出し


そのオートバイに乗る事で、嬉しい気持ちが
蘇る。


そんな時のオートバイは、愛が宿っている
神のような存在だろう。



機械を超えて、商品を超えて。



年月をも超えたら、殆ど時空間を超えた愛である。
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