汽車旅つれづれはなし

深町珠

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- Railway Roman vol.1 -

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-----[railway & music ]------



[music] <今週の一枚>   - Railway Roman vol.1 -

[ A whiter shade of pale / Malta ] Victor /VICJ-60072





いつのまにか、僕は眠ってしまっていたようだ。

大きく湾曲したガラス窓が、屋根に回り込んでいる。
オハネ25-1001、B寝台個室“ソロ”。
大分から、体を預けてもう6時間にもなるか。

僕は、何故か別世界の出来事のように、夕方の出来事を思い出していた。
...........

雨の中、50系客車は、ゆっくりと。
ペイントの煤けた赤いボディは、ごとごとと車軸が揺れた。

「間に合うだろうか...。」
由布院から、大分へ。
特急“富士”への連絡では、最終のこの列車。
いまや貴重な客車列車に乗りたくて、この列車を選んだのだが、
豪雨のためか、遅れ気味になっていた。

僕は、腕時計を見、鞄の紐を握り締めていた。
DE10のエンジン音が低く、唸る。
大分駅に着いたときには、“富士”の発車時刻2分前だった。

僕は、カメラバッグを掴み、鞄を背負うようにして、濡れたホームを駆け出した。
日豊本線の上りホームは、地下道に降りなければ渡れない。

階段を一足で駆け下り、海側に向かって走った。
平日の夕方だというのに、人影はまばらだ。

上りホームへの階段を登ろうとしたとき、対面にいた
うつむきかげんのショート・ボブに気づいた。

「!靖子..?」

黒い瞳とショートボブは、こちらを凝視している。
淡いクリーム色の服が、地味な顔立ちに似合っていた。

僕も、陶然としていた。

言葉が出なかった。

会わなくなってもう5年程が過ぎようとしていた。
平凡な、どこにでもある出来事。

僕が、会社を辞めてしばらくして、彼女は田舎に帰った、と
人づてに聞いたのが最後だった。

フェイド・アウトする様に、“出来事”は消え去ろうとしていた。

視線を落とし、彼女は地下道を進もうとした。

「靖子!」

彼女は振り向いた。

濡れた髪が、白い頬に幾筋か絡む。

大きく瞳を見開き、僕を見た。

「..」

何か話そうとしたその時、発車を告げるチャイムが響いた。

僕は、胸ポケットの携帯電話を彼女に投げた。

「後で、電話する!」

振り向きながら、階段を昇る。

彼女は呆然としていた。

stainless steel の星のマークが見える。
濃紺のボディは、雨に濡れて艶やかだ。


ステップを登ると、車掌の笛が鳴り、ドアは閉じた。
17:04。定刻だ。

ゴトリ、と車両が動き出す。
EF81の強大なトルクを感じる。

ふと、ホームを見ると、階段の上がり際から
クリーム色とショート・ボブが不思議な表情で僕を見ていた。

EF81-411のホイッスルが寂しげに響く。









...................





雨は止んでいるようだ。
星が幾つか、雲の間を見え隠れしている。

さっきから、夜空を見ては回想している。
なぜか、落ち着かない。

EF66-54は、快いレール・ジョイントを響かせている。
5200psにとっては、この程度の仕事は気楽なものだろう。

個室寝台のドアを開け、通路に出てみる。
ロール・カーテンを少し開け、海を眺めてみようとする。
が、闇の中に、ぼんやりと島影が見えるだけだった。
おそらく、瀬戸内海だろう。

僕は、また自分の携帯へ電話を掛けた。
ロビーカーのカード電話から。
090-0886-3456。
忘れるはずはない、間違える筈はない。

だが....。

回線はつながらない。










列車の速度が急に落ちた。
発電ブレーキを掛けたのだろう。

110km/hで走っていたはずの“富士”は、ゆっくりとした速度になっていった。

ポイントを通過する。せわしいジョイント音。
タムのフィル・インのようにも聞こえる。

僕は、自室へ戻ると、時刻を確かめた。
11:45。

列車はゆっくりと、ホームに滑り込んだ。

旧い町並みが、ぼんやりと月明かりで見える。
なんとなく、モリコーネが聞きたくなる。
BGMのスイッチを入れる。
この個室寝台は、BGMとエア・コンが制御できるようになっている。
その辺りも、この列車を選んだ理由の一つだ。

列車が停止する。
少し、後ろに戻ったように錯覚する。

薄ぼんやりとした明かりの中に [おのみち]と駅名票が見えた。
無意識に、人影を探す。

雨で汚れたガラス窓。
木造の駅舎。
狭い駅前の路地。
何もかも、変っていないように見える。
あの頃と。


靖子にはじめて会ったのは、暑い夏の日のことだった。
この尾道の、丘の上だった。
今でもはっきりと覚えている。
白い夏服と、麦藁帽子。
遠く霞む、瀬戸内の海。
山彦のような、列車の音。
........

BGMが鳴り始めた。

ハモンドB-3に似せた音色のsynth。
グリッサンドで始まる。

懐かしいメロディが、心を満たしてくれる。
これは、「青い影」だったかな。

vocalの変わりに、saxが歌い出す。
ウィルトン・フェルダーに似ているが、微妙に“ノリ”が異なる。
暖かなコード進行に乗せ、よく歌っている。

そう言えば、この曲はバッハを下敷きにしていたんだっけ。
山下達郎にも、似たような曲があったっけ。「Christmas Eve」とか。
イヴの晩に待ちぼうけの男の歌。
「待ちぼうけ、か....。」

靖子はずっと待っていたのかもしれない。なんて、自惚れかな。
でも....。
今日は、僕が待ちぼうけだな。

もう一度、電話してみよう。
シリンダー・キーを掴み、個室から通路へ出る。
ロビーカーは、6号車だ。
揺れる車両を歩く。
開放寝台は、既に寝息の人が多い。
アルミニウムのドア、薄暗い照明。
瀬戸物の洗面台。
昔と何も変らない、安堵感。


ロビーカーにたどり着く。
高速で走る列車の中を移動するのはかなり疲れるものだ。
スライド・ドアのガラスの向こうに、観葉植物と赤いソファが見える。

緑色のカード電話は、ドリンクの自動販売機の向かい。
どちらも町中のものと同じ物だけに、列車内で見ると、不釣り合いに見える。

受話器を外し、番号を打つ。

「.....」

やはり、だめだ。

諦めと、安堵のまじったような奇妙な感覚が、僕に生まれた。
これで、よかったのかもしれない。

外に向けて据え付けられているソファに深く腰掛ける。

列車は、最高速で驀進している。
ロビーカーの車輪にフラット・スポットがあるのか、震動を感じる。
自重が軽いから、スポットができやすいのだろう。


漆黒の闇。

街灯。
どこかの家の灯り。
看板。
信号機。
プラネタリウムの流星みたいに、流れては消える。



EF66-54は、ホイッスルを吹いた。
物悲しく聞こえるのは、何故だろう。
「旅の哀愁」を演出しているのか?
今日の僕には、Em9みたいに聞こえる。

これがC62だったら、力強く感じるのだけど。


列車は抑速した。

山陽新幹線の高架が見える。
もうすぐ福山だろう。

僕は、カメラバッグから、Nikon -FE と、50mm f1.8 を取り出した。

スプールには、使い掛けの Neopan SS。
まだ何枚か、残っているはずだ。
「旅の想い出に、駅名票でも取ろう。」
絞りを開放し、シャッターを 1/30にする。

流しで、行こう。

停まる直前の駅名票を、流し撮りでワン・ショット。
アンダー気味の露出がいいだろう。

そんな計算をしつつ、列車の速度が落ちるの待っていた。

列車はポイントを通過する。
小刻みに左右に揺れる。
微速に落ちる。
滑らかに、ホームに滑り込む。
空気ブレーキが、リリースされる。


フィルムを巻き上げる。
ハーフラッチで、止める。
左手を短い鏡筒に当て、人差し指をヘリコイドに添える。
ゆっくりと、親指でピント送りをする。
右手に伝わる金属の感触。

ファインダーに映る、駅名票。
ゆっくりと左にスイングしながら、ピントを送り、シャッターを切る。
コパルが、風を切る。
ミラーアクションの反動。
ばねの弾ける感触。
この、機械っぽさがいい。
最近の電気シャッター機では、味わえない感覚。


ファインダーの隅に、何かがかすめたような気がした。

その方向に、カメラを振り、ピントを送る。

マイクロプリズムの中心に、ショート・ボブが映っていた....。

カメラを下ろし、唖然とする僕に、悪戯っぽく微笑む靖子。

思わず僕は斜め構図で、そのままシャッターを切った。

ロビーカーのウィンドウが、フォギー・フィルターのような効果を醸した。







[ Vol.2]


[Fly by night / George Benson] GRP MVCJ-24017






僕は、カメラバッグのストラップを掴んで、ロビーカーのデッキへと走った。
7号車のステップを降り、福山駅のホームに降り立つ。
「靖子!」
さっきより、和やかな表情で、彼女は微笑む。
途端、車掌の笛の音が響く。
福山は、一分停車なのだ。
白い制服の専務車掌が、ホームで、指差喚呼をしている。
深夜というのに、几帳面だ。

僕は、咄嗟に靖子の手をつかむ。
戸惑いの表情が、彼女に浮かぶ。
そのまま、7号車のステップを登る。

オート・ドアが、ワンテンポ遅れて閉じる。
エア・バージのサウンド。

静かに、EF66の機関士は、Master controller を 1ノッチ進めたようだ。
ゆっくりと、列車は動き始めた。

デッキの狭い通路。
視線が交錯する。
レール・ジョイントの軽やかなsound。

不意に、感じる体温。
差異を感じるいくつかの分子。
それは、二人の距離を飛び越え、
原初より不変であるかのようなプログラムを、呼び覚ます存在であった...。
僕は、左手を、強くひきよせた.......

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個室寝台の下段。

ふたり、並んで座っていた。
あれから、どれほどの時が流れていったのだろう。
不思議と、時間感覚を失ってしまったかのようだ。

静寂に溶け込むように、音楽が流れている。
オクターブ・ユニゾンのギターソロ。
粘りつくような、ハム・バッキングピックアップの音。
これは、George Bensonだろうか。
Wes Montgomeryのトリビュートを出した、Lee Ritenour ?

「....」

彼女は、囁いた。

その、かすれた声に、過ぎたばかりの記憶は想起された。

記憶の時間、記憶の空間。
それはふつう、物理的な時空とは無関係なものだ。

僕の中の靖子は、ずっとそのままだった。
ような、気がする。

「どうして....」

「?」

会話が続かない。


忘れ去れていたはずなのに、と、彼女は言いたいのだろうか?

「でも..」

僕は、語り掛けるように、

「また、はじまってしまった...」

その言葉を受けて、靖子は、静かに僕を見つめた。

Mysterious な微笑み。

思えば、この笑みに、ずっと、僕は...。


* * * * * * * * * * * * *

専務車掌室へ行き、不乗の寝台券を求める。
さっき、福山駅での出来事を見ていた車掌は、
すんなりと個室の下段を車内発券してくれた。
すでに午前1時。
この先で乗車する事はまず無いだろう、との判断だ。

50代後半と思しき専務は、風格のある表情で微笑んだ。
「但し、個室はひとり使用が原則ですからne。」

長年の乗務経験が刻まれたかのような表情。
その、皺の一つ一つが、彼にとっての“日常”である、
鉄道員としての生活のディテイルだ。
寝台特別急行列車“富士” 列車番号1。
(これは、上り列車なので、「2レ」だ。
通常、上り列車は対番号の偶数。)
東海道本線の列車番号1は、かつては全国の列車の
頂点であった筈である。
その列車に「専務」として乗務することは、鉄道員としては
日本一の栄光であった。
だが、それも過去のお話だ。
長い歴史を経て、現在の凋落に至る寝台列車。
Blue Train などと、愛称がつけられ、ブームになった頃もある。
そうした、長い時を、彼は見続けてきたのであろう。
しかし、現在でも、
彼は、誇り高い“1レのカレチ”なのだろう。
全身が、そう主張しているように思えた。
揺るぎなき安定。落ち着き払った。
まるで、蒸気機関車のようだ。

何もかも、お見通しといった風情で彼は、
「それでは、良い旅を。」
といって視線で会釈をした。

車掌室のすりガラスの向こうに隠れた彼のシルエットを、
僕は、いつしか亡き祖父にover lap させていた。

祖父。
東北生まれの、頑固一徹な。
一生を鉄道に捧げたかのような。
定年を迎えると、役目を務めたかのように、逝ってしまった。
誇り高かった祖父。
東北本線の列車番号1、”はつかり”の専務車掌を勤めていた。
アルバムに残る、色あせたモノクロオムの写真。
キハ80系の先頭車両の前で、誇らしげに笑う姿が写っている...。
回想。





[ Vol.3]

 [Night Train / The Oscar Peterson Trio]   (POCJ-1808)





時が来れば、想い出も消え去る。
雲のように、風のように....。

父が祖父の後継をしなかったので、父の弟が、青森車掌区に配属された。
信じられない事だが、当時の国鉄には、そんな風習が残っていたのだった。
そして、叔父は、やはり特急の車掌となった。
20系“ゆうづる”、583系“はつかり”などとの写真が残っている。
僕が写真を始めたのも、この叔父の影響だった。
ヤシカのカメラに、ツアイスレンズをつけてあちこちを飛び回ったものだ。
今、考えると、ずいぶん贅沢をしたものだと思う。

そして、叔父の後継を、という話が僕のところに来る頃には、国鉄は既に合理化を
始めていて、僕は、結局鉄道員にはなれなかった。

子供の頃から、特急の機関士になる事が、夢だった。
でも、現実は直視することが困難だった。
そして、僕は逃避的になっていった。
将来の目標を失い、ただ、浮遊するしか仕方が無かったのだ。

そんな想い出が、僕を鉄道写真に惹きつけたのかもしれない。

ぼんやりと、そんな事を取り止めも無く考えながら、僕はデッキに立ち、
外の夜景を眺めていた。
規則正しいレール・ジョイント音。
時々、踏切警報機の音が、オブリガードのように。

どのくらいそうしていたのだろう。
人の気配に我に返った。


連結幌の向こう側から、靖子が近づいてきた。
深夜にこうして見ると、その嫋やかさも、独特の神秘性を帯びている。
黒目がちな瞳、どことなくMiddle-eastを彷彿とさせる顔立ちなども、
それを彩る。
さっきまでのぎこちなさも消え、とても自然な表情。
Relax しているようだ。

「買えたよ」
僕は言う。

「そう..ありがとう。なんだか...」
相変わらずはっきりと話さないが、気兼ねしている様子だ。

「気にしなくて、いいんだよ。僕のせいなんだから。」

「でも...。」

視線を、ゆらゆらとしている連結幌に泳がせている。

「さあ。」

僕は、ロビーカーに向かうよう促した。

それにしても、いったいどういうつもりなのだろう。という
疑問は残ったが。

でも、それは出会った頃からの事なので、今更驚きもしなかったが。
彼女の行動には、いつも理由が存在しない。
その外見から想像できない衝動が、時折発生するようなのだ。
しかも、行動するまでには、葛藤が有るらしく、閾値に至るまでは
落ち着いているかのように見えるところに周囲を慌てさせるものがある。

こうして、慣れてしまえば、どうということはないが。

性格が似ている、と共通の友人から言われた事がある。

そうかな。

外から見れば、似ているのかもしれないな。

僕は、不決断性の塊のような性質。追いつめられると仕方なく動く。

その、急変する様が、似ていると言われる理由かもしれない。

揺れる車内を歩きながら、そんなことを考えていたりした。
これも、「旅」のせいで、少し sensitive になっていたせいかもしれない。


ロビーカーは深夜のためか、無人だ。
車輪のフラット・スポットが奏でる規則的なSound が、
16Beatのドラムスのように響く。



蘇鉄のような観葉植物をコーナーに囲んで、長椅子が置かれている。
そこの角に、僕は座る。
微妙な間隔を空けて、靖子が隣に座る。

他人の目を、意識しての事だろう。

勿論、深夜だから、誰かが見ている筈も無いが。


そして、しばらく、深夜の車窓を楽しんだ。

僕は、[Night Train / The Oscar Peterson Trio ]
を単純にも思い浮かべていた。

彼女は、何を考えているのだろう。

「今、何考えてた?」僕は尋ねる。

「...なんでもないわ...」

「寝台って、初めてなの」

「そう....。」

言葉少なに、会話を交わした。

今、どのあたりを列車は走っているのだろう。

やがては、何処かにたどり着いたら終わり、というあたりは
何処と無くMinor な気持ちにさせる理由かもしれない。

子供の頃の、日曜日に見た夕焼けのような。

何かを話したい、聞きたいことはたくさんあった筈なのに..。

言葉が見つからない。

できることなら、この一瞬が永遠であることを祈った。
列車がいつまでも走りつづけるように夢想した。

それも、“旅”がくれた a little roman ? かな。




そして....

そんな事があったことも、忘れ。
僕はいつものように、白いセダンを走らせていた。
冬を感じさせる、澄み切った空。
踏切で、警報機が鳴り出す。
静かにパーキングブレーキを引き、メイプル・ウッドのシフト・ノブを中立に。

ナルディを、手のひらで撫で、滑らかな感触を楽しみながら、
列車が行くのを待っている。

旋風とともに、EF66-54が頭を見せる。
次いで、24系のブルー。
ステンレス・スチールの星のマーク。

忘れかけていた、微かな痛みを想いだす。

ほんの、少し前のことなのに、とても遠く思えるのは何故だろう。



オハネ25-1005の窓に、過去の残像が見えた。

軽快な音を残し、ロビーカーが行きすぎる。

流線型のテール。「富士」。
赤いテールサインを見送り、遮断機が上がる。



踏切の向こうに、ショート・ボブの女が立っていた。
列車風に巻かれた髪が、ラグ・ドールのようだった....。



-----[あとがき]------------------------------
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