コガネムシの詩

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コガネムシの詩

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 私は、今生まれ育った東京の白金におり、豪奢なデザイナーズ・マンション「シャトー・ド・シロガネーゼ」の前に蕭然と佇んでいる。脳裏に懐かしくも思い出されるのは、ここが建てられる前に存在していた木造「白金荘」での出来事だ。
 私は現在還暦を目前にしているので、それはもう四十年以上も前の話、1960年代の出来事なのである。バンタム級のボクサーが単身、ヘビー級の大男三人に喧嘩を売ったのはいいが、結局散々に殴られた挙句に意識を失ったのが1945年、気がついたら何もかも失っていたのが1952年だったから、我が家も貧しかったが、周りにも負けず劣らず貧しい人達がいたものだ。
  「白金荘」は、木造製のボロアパートで築二十年は経っていたかと思われたものだったから、逆算すると終戦間もない頃に建てられたものに違いなかった。私の同級生の金くんは、このボロアパートの細くて急な階段を上った二階の四畳半に母親と二人でひっそりと隠れるように住んでいた。
  一階の蜘蛛の巣でも張っていようかという郵便受けには、「金」というマジック書きの横に「金田」という苗字も見える。(なんで金くんの家だけ苗字が二つ有るのか?)と子供心に思ったものだった。
 おまけに周囲の大人に「キムくん」と発音する輩がいて、「キン君が正しいのになぁ」と子供心に訝ったものだったが、それが「在日」だとか「朝鮮系」だとか理解するのは、ずっと後年の中学に上ってからであった。
 それにしても金くんは見るからに栄養状態のいい少年で私よりも縦横が一回り大きかった。私には両親が居るが、金くんにはお母さんしか居ない。だのになんであんなに屈託なく大きく成長して居るのか、子供心に疑問が湧いた。
  蝉時雨がいい加減に鳴き疲れた夏の終わり、お盆を過ぎた頃に金
くんから家に来ないかと誘いが有った。断る理由などなかった私は、夏休みという事も手伝ってお邪魔する事にした。他の事はいざ知らず、「お邪魔します」という観念だけは心得ていたのは人生初年の処世といってもよかった。
  「タカシから聞いているわよ。お利口さんなんですってね」、以前から私が関心があった金くんのお母さんは、なんというか自分の母親とは違う雰囲気を持った人であった。
  厚手の唇に真赤な紅を引き、当時では珍しい丈の短いスカートから肉感的な太腿を露出させた胸の谷間が眩しい女性であった。彼女は、予め用意していたのだろう、ショートケーキとコーヒーを出してくれた。
  此れには正直驚愕した。ケーキなぞ誕生日以外は口にする事は滅多にないものだったからだ。
 それが片親の金くんの家で出されている。美味しく屈託なく食べればいいものを(なぜこんなお金がああるのか?)と勘ぐってしまう誠にひねこびた少年が誰あろう私であった。
  「カズコ」という金くんのお母さんは、日本名の他に「美姫」という別名も持っているらしく、葉書刺しにその名が認められた。カズコさんは、私と金くんの会話に巧みに入ってきて、その容姿と合わせてまるで歩く向日葵のようだった。
  しかし、ひねこびた私はそれが妙に人工的な一種の「演技」である事が敏感に感じとれ、表面上の円滑な会話のやり取りとは裏腹に居心地の悪さが下からせり上がってきた。
 「夜はスキヤキなんだけど、君も一緒にどうだい?」、金くんが悪気もなくいってくるのだが、(何故母子家庭がスキヤキ?今日のおれの家はキャベツの油炒めなのに????)、私は居た堪れなくなり「お邪魔しました」といかにも少年らしい演技で退散した。
 家路の途中、近所の雑木林でコガネムシを見つけた。それは夏の西日を浴びて、その背中から妖しい光を放っていた。
  夏の終わり、あれは八月の晦日ぐらいのことだった。私はまだ夏休みの宿題を大盛りに残していて、罪悪感を抱きつつ金君の家を抜き打ち訪問しようとしていた。金君が頭脳明晰で早々と八月の頭には宿題を全てやり終えていたのを知っていたからだ。
 私は、昼下がりの三時過ぎ、くだんの若干カビ臭い細い階段をギシギシと音を立てながら登っていった。そして木戸の前に立ったのだが、何やら荒い息使いは聴こえる。それも一人ではなく二人のようだった。
 何の頓着もない少年だった私は、それをガラリと勢いよく開け放っった。すると金君のお母さんが尻を此方に向けて、見知らぬ男性に身を任せているではないか。二人とも素ッ裸で汗まみれになりながら男はウッと呻いて咆哮すると男性のシンボルをそこから引き抜いた。
  そこからが一種の精神的な地獄であった。私は両手にやり残した宿題を持ちつつ、眼をカッと見開き弁慶の立往生のようにしてフリーズしていた。
 男は無言のまま、自分の下腹部を一拭きするとズボンをソソクサと穿いて上着を羽織ると入り口の私を突き飛ばすようにして出て行った。
  金君のお母さんは、まるで自分の女としての聖域に土足で入ってこられたという風な怨みがましい目つきで私を睨み付け、「いいかい、この事は絶対誰にも言ってはいけないからね!」、と少年の私に強く釘を刺した。これで私は益々金縛りにあった様に動けなくなった。
  金君のお母さんがその黒々とした陰毛から滴る半透明な白い液体をハンドタオルで拭き取っている間、私は卓袱台の上に無造作に置いてある数枚の高額紙幣を見て心臓が高鳴った。
  私がこの地獄の様な金縛り状態から解放されたのは、金君のお母さんがくだんの服装に戻り、お金を何食わぬ顔でタンスにしまってからだ。
  金君のお母さんが人工的な微笑みを浮かべながら、「ごめんなさいね。驚いたでしょう。でもタカシとはこれまで通り友達でいて頂戴ね」、と言ったのが合図、私は踵を返し脱兎の如く細い階段を駆け下りていた。
  私は階段を駆け下りる途中、その丁度中腹辺りでコガネムシが一匹死んでいるのを見つけた。それは西陽を浴びながらも夏の終わりに疲れ果て精も根も尽き果てたかのように惨めにひっそりと死んでいた。
  アパートを出ると家路の途中で、金君に会った。彼は安手の木製バットにグローブを通し草野球から帰って来るところだった。彼は屈託無く挨拶してきたのだが、私は到底そんな気分ではなかった。
  家に帰った私が大層元気が無いのを訝って母が根掘り葉掘り聞いてきた。私が目撃してきた一部始終をザックリと話すと、「あーあの人まだ女盛りだからね。一人じゃ身がもたないよ」、といかにも少年には難解な回答をし、あとは重苦しい沈黙をしていた。
  それにしても金君のお母さんが夢中になって汗まみれになっていたあの行為は何を意味していたのだろう。当時十歳にも満たなかった私には性教育の知識など無く一種の神秘体験であった。
  その解答は意外な処でもたらされた。秋も深まったその歳の十月中旬、聖心女子学院のグラウンドで草野球をやっていると。オスのカマキリがメスのカマキリの上に乗ってソックリの行為をしていたのである。こうした行為の後、メスカマキリは腹が膨らみ草原の茎のあちこちに大量の卵を産み付け、その数日後にはそのガマの穂状から小型のカマキリが生じて居たものだ。
 私は行為の形が似ているところから、くだんの金君のお母さんが人間を殖やして居たのではと朧げながら直感した。そして暫くして金君親子は忽然とその木造ボロアパートから姿を消した。
 「あの人ね、お腹が大きくなったんだって。旦那が居ないのに何処か他所で産むつもりなのかね。これだからオンナの独り身は駄目なんだよ」、母はまた少年の脳髄を悩ませる謎の言葉を呪文の様に唱えて居たが、その端々にはオンナ社会特有の悪意ある棘が含まれて居た。
(終わり)
 
 
 

 
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