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【三】
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慌てて立ち上がる。だが、理久の手がそれを引っ張り出す。
「これなに?」
理久の手にあるピンク色の蓋のローションボトル。さーっと血の気が引いて体が凍る。オレの前で理久が商品説明を読み、それを見つめる横顔が氷のように冷たくなった。
「へえ、ハルとそういうことしてるんだ? ハルが帰ってきたときのために練習してたの?」
理久の言葉の意味が分からない。次の瞬間理解して仰天する。ハル君にそんなイメージを持たれては困る。
「ち、違う。ハル君とそんなことをしたことなんかない! ハル君はそんな汚いことしない。そんな用途で使おうとしたわけじゃ」
「じゃ、どんな用途で?」
「それ、は」
口ごもると、理久が「ああ、そういうこと」と納得した声を出す。顔から火が出るような思いに俯く。
だが、理久が「もしかして」と急に優しい声色になった。そっと目を上げる。理久の熱い二つの目に心臓を貫かれる。重く、ねっとりとした棘がこちらを向く。
「……パソコンがベッドのところに置いてあるのって、そういう映像を見てたのかな? でも、僕の予想は違う。僕の動画が途中まで再生されてる。ゲーム画面を見ながらしてたわけじゃないだろうから、僕の声を聞いてたのかな」
ずばり当てられて喉がひゅっと音を立てた。指先が震え始める。激しい雨音が屋根を叩いている。理久の声が嵐に負けない大きさになる。
「綾斗さんって昔から僕の声が好きだったよね。僕が今の仕事ができてるのも、綾斗さんの後押しのおかげ。でも、その僕の声を使って、ねえ?」
違う。彼氏を裏切ったわけじゃない。幼馴染みの声でそんなことをしたかったわけじゃない。
否定したいのに喉が絞めあげられる。言葉がつっかえて出てこない。理久の目を見られない。さらりとした乾いた白いシャツに薄ら透けているタトゥーが色を濃くしている。
「綾斗さん、声だけでできるの? 視覚だって大事だよね? 僕は顔出しはしてないんだけど」
立ち上がった理久がずいっとオレの前に立ちはだかる。背の高さと圧に思わずじりっと後ろに下がる。だが、理久ががっとこちらの手首を掴む。力強さは痛くて、理久から伸びてきた蔦が心臓を絡めとる。
理久の「ああそっか」という声がやけに大きく響いた。
「綾斗さんにはカメラがあるもんね。写真を見てたんだ? ハルのじゃなくて、僕の写真」
理久の毛先から落ちた水滴がぽたっとオレの腕に落ちる。冷たい感触に腕からぞわっとなにかが走り抜ける。そろっと理久を見上げる。すると、理久がふふと仄暗く口端をあげた。――こんな理久の顔、知らない。
いつもオレを優しく濡らす夕立が色を変える。黒い泥水から蔦が足元を這い上がり、喉元まで縛り付けられる。こちらの湿った髪を黒いマニキュアの指が梳く。理久が屈んで「ねえ」と耳元に囁いてくる。紅茶の湯気ももう見えない。
「綾斗さん、動画で声を聞かなくても、写真を見なくても、今目の前に本物がいるよ?」
自分の腕を掴む骨張った手にぐっと力が入り、手の甲の骨が浮き上がる。思った以上に力が強い。これは、弟の手ではない。理久を弟扱いしていたオレが間違っていた。
「これなに?」
理久の手にあるピンク色の蓋のローションボトル。さーっと血の気が引いて体が凍る。オレの前で理久が商品説明を読み、それを見つめる横顔が氷のように冷たくなった。
「へえ、ハルとそういうことしてるんだ? ハルが帰ってきたときのために練習してたの?」
理久の言葉の意味が分からない。次の瞬間理解して仰天する。ハル君にそんなイメージを持たれては困る。
「ち、違う。ハル君とそんなことをしたことなんかない! ハル君はそんな汚いことしない。そんな用途で使おうとしたわけじゃ」
「じゃ、どんな用途で?」
「それ、は」
口ごもると、理久が「ああ、そういうこと」と納得した声を出す。顔から火が出るような思いに俯く。
だが、理久が「もしかして」と急に優しい声色になった。そっと目を上げる。理久の熱い二つの目に心臓を貫かれる。重く、ねっとりとした棘がこちらを向く。
「……パソコンがベッドのところに置いてあるのって、そういう映像を見てたのかな? でも、僕の予想は違う。僕の動画が途中まで再生されてる。ゲーム画面を見ながらしてたわけじゃないだろうから、僕の声を聞いてたのかな」
ずばり当てられて喉がひゅっと音を立てた。指先が震え始める。激しい雨音が屋根を叩いている。理久の声が嵐に負けない大きさになる。
「綾斗さんって昔から僕の声が好きだったよね。僕が今の仕事ができてるのも、綾斗さんの後押しのおかげ。でも、その僕の声を使って、ねえ?」
違う。彼氏を裏切ったわけじゃない。幼馴染みの声でそんなことをしたかったわけじゃない。
否定したいのに喉が絞めあげられる。言葉がつっかえて出てこない。理久の目を見られない。さらりとした乾いた白いシャツに薄ら透けているタトゥーが色を濃くしている。
「綾斗さん、声だけでできるの? 視覚だって大事だよね? 僕は顔出しはしてないんだけど」
立ち上がった理久がずいっとオレの前に立ちはだかる。背の高さと圧に思わずじりっと後ろに下がる。だが、理久ががっとこちらの手首を掴む。力強さは痛くて、理久から伸びてきた蔦が心臓を絡めとる。
理久の「ああそっか」という声がやけに大きく響いた。
「綾斗さんにはカメラがあるもんね。写真を見てたんだ? ハルのじゃなくて、僕の写真」
理久の毛先から落ちた水滴がぽたっとオレの腕に落ちる。冷たい感触に腕からぞわっとなにかが走り抜ける。そろっと理久を見上げる。すると、理久がふふと仄暗く口端をあげた。――こんな理久の顔、知らない。
いつもオレを優しく濡らす夕立が色を変える。黒い泥水から蔦が足元を這い上がり、喉元まで縛り付けられる。こちらの湿った髪を黒いマニキュアの指が梳く。理久が屈んで「ねえ」と耳元に囁いてくる。紅茶の湯気ももう見えない。
「綾斗さん、動画で声を聞かなくても、写真を見なくても、今目の前に本物がいるよ?」
自分の腕を掴む骨張った手にぐっと力が入り、手の甲の骨が浮き上がる。思った以上に力が強い。これは、弟の手ではない。理久を弟扱いしていたオレが間違っていた。
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