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【三】
7*
「綾斗さん」
オレを呼ぶ低めのハスキーボイス。いつもヘッドフォンの音量をあげて聞いていた甘い音色。それが、喉仏を動かし甘く甘く囁いてくる。そこが動くたび、男の片鱗がオレの勘違いを粉々にする。
「なんて言われたい? 複数のリスナーじゃなくて綾斗さんだけに言うよ? 自分の手じゃなくて、人の手のほうがいいんじゃない? ううん、慰めるんじゃなくて、本物をしてみたくない? 綾斗さんの願いは全部全部僕が叶えてあげる」
ヘッドフォンを通さない理久の声。今までにないリアリティを持ってオレの欲を引きずり出そうとする。
オレの腹の奥に火がついた。まだ紅茶を飲んでいないのに、体がどんどん熱を持ってくる。理久が来る前にしたときの熱い疼きが下半身に広がっていく。
「一回だけ二人が玄関先でキスしてるのを見たことあるよ。だけど、そういうことはしないんだ? だったら僕としよっか」
「……で、でも、オレはハル君と付き合ってて」
必死に声を絞り出す。だが、突然理久の大きな手に突き飛ばされる。軽くバウンドした体でベッドが軋んだ。理久がベッドに膝をつき、こちらに跨がって見下ろしてくる。
理久が陰ならハル君は陽。夜空の雲が晴れる。オレを見下ろす理久は太陽ではなく闇夜の月。
「なんでハルなの? 小さい頃から僕のほうが一緒にいたのに」
突然声のトーンが低くなり、理久は無表情になった。
「なんで、って、理久は、弟、みたいだし」
言い訳して体を起こそうとする。だが、再び肩を押され、スプリングがぎしと音を立てる。シーツが冷たい。
「僕のほうが先に好きだったのに」
理久の喉仏を見る。理久は男だ。ずっと弟みたいな存在だと思って、見過ごしていた事実。喉がごくりと唾を飲み込んで、体が震えだす。
「綾斗さん、こっちを見てよ」
ハル君、こっちを見てよ。
ハル君の写真を見つめたとき、視線を返してくれたのは理久の写真。理久の眼差しが優しくこちらを捉え、彼氏の眩しさから目を逸らした。
迫ってくる顔と脈打つピアスに涙がこぼれて目を瞑る。あの写真を撮ったときも、ずっとずっと理久の目はオレを見てくれていた。ハル君のことはこちらが追いかけていただけ。
ハル君のキスが風に飛ばされ、どこかへ消えた。
押しつけられたくちびるは肉厚で熱い。オレの頬に落ちてきた理久の髪先は雨のにおいを帯びている。雨で洗濯が干せないなと残念に思うときのにおいと同じ。理久が湿り気を帯びた前髪を掻き上げると、美形のまき散らす色気に罪悪感が吹き飛ばされた。
「僕は知ってるんだ」
熱い。理久の息が熱い。顔にかかる息が熱を孕んで理久の手がこちらの頬に伸びてきて、心臓が早鐘を打つ。
「僕は知ってる。きれいな写真を撮れる綾斗さんには才能があるって。僕の声もきれいだって言ってくれた。綾斗さんは平凡なんかじゃない。きれいなものを見つけられるきれいな心を持ってるんだ」
そう囁いてくる理久の手がシャツの中に入ってくる。疼きを慰めるように心臓の上を指先がくるりとなぞる。涙を拭うように瞼の上へキスの明かり。
理久は膝立ちになって着たばかりのシャツの裾をまくり上げた。ずぼっと頭を抜いたときに髪が跳ね、ぴっと小さな水滴がオレの頬に飛ぶ。心臓の上に黒い蝶を従えた理久が屈み込んできて、またゆっくりと優しいキスをくれた。
オレには、ちゃんと彼氏がいて。
そう口を開こうとする。だが、「シーッ」とくちびるに指を置かれた。マニキュアの爪が煽動的だ。理久がその人差し指を左右に振った。
理久のハスキーボイスがオレを嵐のように濡らしていく。いつもの夕立より荒い雨。足元の泥水がものすごい勢いで広がり、足をとられて動けない。
ザアザアと窓を叩きつける風と雨が二人だけの空間に閉じ込め、外の世界からトリミングされる。
「誰にも言わない。ハルにも言わない。綾斗さんのことを咎める人はいない。好きだよ、綾斗さん。彼氏がいる綾斗さんでも好き。僕は全部受け止める。綾斗さんは僕になにしてほしい?」
全部受け止める。その言葉にまた涙が浮かぶ。理久なら写真を否定しない。理久ならオレを見てくれる。電話もしてくれるし、一緒にご飯を食べてくれる。ずっとずっと望んでいたものは理久がくれる。
ザアザア。窓を叩く雨の音がダメだと言っている。家にぶつかる風がよく考えろと言っている。ちらちらっと蛍光灯が瞬いて、いつもより薄暗い部屋が一層暗く嵐に沈んだ。伸びてきた蔦がオレをベッドに縛り付ける。
ここを超えたら戻れない。分かっていたのに、頬を伝う雨に言ってしまった。
「……キスしてほしい」
オレを呼ぶ低めのハスキーボイス。いつもヘッドフォンの音量をあげて聞いていた甘い音色。それが、喉仏を動かし甘く甘く囁いてくる。そこが動くたび、男の片鱗がオレの勘違いを粉々にする。
「なんて言われたい? 複数のリスナーじゃなくて綾斗さんだけに言うよ? 自分の手じゃなくて、人の手のほうがいいんじゃない? ううん、慰めるんじゃなくて、本物をしてみたくない? 綾斗さんの願いは全部全部僕が叶えてあげる」
ヘッドフォンを通さない理久の声。今までにないリアリティを持ってオレの欲を引きずり出そうとする。
オレの腹の奥に火がついた。まだ紅茶を飲んでいないのに、体がどんどん熱を持ってくる。理久が来る前にしたときの熱い疼きが下半身に広がっていく。
「一回だけ二人が玄関先でキスしてるのを見たことあるよ。だけど、そういうことはしないんだ? だったら僕としよっか」
「……で、でも、オレはハル君と付き合ってて」
必死に声を絞り出す。だが、突然理久の大きな手に突き飛ばされる。軽くバウンドした体でベッドが軋んだ。理久がベッドに膝をつき、こちらに跨がって見下ろしてくる。
理久が陰ならハル君は陽。夜空の雲が晴れる。オレを見下ろす理久は太陽ではなく闇夜の月。
「なんでハルなの? 小さい頃から僕のほうが一緒にいたのに」
突然声のトーンが低くなり、理久は無表情になった。
「なんで、って、理久は、弟、みたいだし」
言い訳して体を起こそうとする。だが、再び肩を押され、スプリングがぎしと音を立てる。シーツが冷たい。
「僕のほうが先に好きだったのに」
理久の喉仏を見る。理久は男だ。ずっと弟みたいな存在だと思って、見過ごしていた事実。喉がごくりと唾を飲み込んで、体が震えだす。
「綾斗さん、こっちを見てよ」
ハル君、こっちを見てよ。
ハル君の写真を見つめたとき、視線を返してくれたのは理久の写真。理久の眼差しが優しくこちらを捉え、彼氏の眩しさから目を逸らした。
迫ってくる顔と脈打つピアスに涙がこぼれて目を瞑る。あの写真を撮ったときも、ずっとずっと理久の目はオレを見てくれていた。ハル君のことはこちらが追いかけていただけ。
ハル君のキスが風に飛ばされ、どこかへ消えた。
押しつけられたくちびるは肉厚で熱い。オレの頬に落ちてきた理久の髪先は雨のにおいを帯びている。雨で洗濯が干せないなと残念に思うときのにおいと同じ。理久が湿り気を帯びた前髪を掻き上げると、美形のまき散らす色気に罪悪感が吹き飛ばされた。
「僕は知ってるんだ」
熱い。理久の息が熱い。顔にかかる息が熱を孕んで理久の手がこちらの頬に伸びてきて、心臓が早鐘を打つ。
「僕は知ってる。きれいな写真を撮れる綾斗さんには才能があるって。僕の声もきれいだって言ってくれた。綾斗さんは平凡なんかじゃない。きれいなものを見つけられるきれいな心を持ってるんだ」
そう囁いてくる理久の手がシャツの中に入ってくる。疼きを慰めるように心臓の上を指先がくるりとなぞる。涙を拭うように瞼の上へキスの明かり。
理久は膝立ちになって着たばかりのシャツの裾をまくり上げた。ずぼっと頭を抜いたときに髪が跳ね、ぴっと小さな水滴がオレの頬に飛ぶ。心臓の上に黒い蝶を従えた理久が屈み込んできて、またゆっくりと優しいキスをくれた。
オレには、ちゃんと彼氏がいて。
そう口を開こうとする。だが、「シーッ」とくちびるに指を置かれた。マニキュアの爪が煽動的だ。理久がその人差し指を左右に振った。
理久のハスキーボイスがオレを嵐のように濡らしていく。いつもの夕立より荒い雨。足元の泥水がものすごい勢いで広がり、足をとられて動けない。
ザアザアと窓を叩きつける風と雨が二人だけの空間に閉じ込め、外の世界からトリミングされる。
「誰にも言わない。ハルにも言わない。綾斗さんのことを咎める人はいない。好きだよ、綾斗さん。彼氏がいる綾斗さんでも好き。僕は全部受け止める。綾斗さんは僕になにしてほしい?」
全部受け止める。その言葉にまた涙が浮かぶ。理久なら写真を否定しない。理久ならオレを見てくれる。電話もしてくれるし、一緒にご飯を食べてくれる。ずっとずっと望んでいたものは理久がくれる。
ザアザア。窓を叩く雨の音がダメだと言っている。家にぶつかる風がよく考えろと言っている。ちらちらっと蛍光灯が瞬いて、いつもより薄暗い部屋が一層暗く嵐に沈んだ。伸びてきた蔦がオレをベッドに縛り付ける。
ここを超えたら戻れない。分かっていたのに、頬を伝う雨に言ってしまった。
「……キスしてほしい」
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