賢者への軌跡~ゼロの騎士とはもう呼ばせない~

ぶらっくまる。

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第一章 始動【旅立ち編】

第22話 断腸の思い

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 よかった。ここはまだ知られていないようだ。
 黒猫亭の前で兵士が待ち伏せしてることもなく、チルちゃんも変わりなく僕たちを出迎えてくれた。

「コウヘイ様、エルサ様、お帰りなさい」
「ただいまチルちゃん」
「チルさん、ただいま帰りました。お弁当を包んでいただくことはできますか?」

 エルサは戻るなり、これから帝都を出立することを考慮してそんな確認をする。
 相も変わらずエルサは、食べ物のこととなると抜かりがない。

 チルちゃんが、「どんなお弁当がいいですか?」とエルサに尋ね、何かを思い出したように僕を見た。

「あ、そうでした。コウヘイ様」
「ん、どうしたのチルちゃん」
「他の勇者様が一時間ほど前にお見えになりましたよ」
「え!」

 チルちゃんの発言に、僕だけではなくエルサも食い入るようにチルちゃんに注目した。

「ど、どうしたのですか……」

 僕たち二人があまりにも食いついたものだから、チルちゃんが微かに頬を引きつらせる。

「あ、いや、それで要件は? 何か言っていたかな?」
「それが、冒険者ギルドに向かったので戻りは遅いと思いますよと伝えたのですが、部屋で待つと仰られて二階の部屋におります」
「なんだって! いま、いるのっ」

 僕がつい大きな声を出してしまい、チルちゃんが驚いたように目を見開いて猫耳をペタリと頭にはりつけた。
 怒られたとでも勘違いしたのか、いまにも泣き出してしまいそうだ。

「驚かせてごめんなさいね、チルさん。それで、その勇者は、どのような風貌でしたか?」

 すかさずエルサがフォローしてくれる。
 この場所を知っているのは一人しかいない。ここぞとばかりに僕も尋ねた。

「そうそう、まさか前髪がこれくらい長くて、目尻がこんな風に吊り上がった人じゃないよね? それか、角刈りでオーガみたな強面の人とか、前髪が長くてバカみたいな話し方の人?」

 内村主将、高宮副主将と山木先輩の特徴を伝え、僕を訪ねてきたのが誰なのか確認しようとしたら、階段から人が下りてくる気配と供に僕の名前が呼ばれた。

「康平くん、なの?」

 名を呼ばれた僕は、その声の主が期待通りの人物であることに気付いてホッとして振り向く。

「葵先輩! やっぱり先輩だったんですね」

 その人は柔道部のマネージャー。いまは勇者パーティーの治癒魔法士をしている葵先輩だった。

「よかった、戻って来ると思っていたの。悪いけど、部屋で話をしましょう」

 葵先輩は、安堵の表情と共にそれだけ言って身を翻す。腰まで伸びたよく手入れされた黒髪をなびかせて降りてきた階段を戻って行った。

「チルちゃん、さっきはごめんね。教えてくれてありがとう」

 チルちゃんに先程怒鳴ってしまったことを謝ってから、僕は慌てて葵先輩のあとを追った。

「葵先輩、どうしてここに?」

 以前、何度か一緒に黒猫亭で食事をしたことがある。だから、どうやってとは聞かない。
 まあ、冒険者ギルドでのことと同じだろう。

「そうね。でも、先ずは私に謝らせてほしいの……あのとき、康平くんを庇いきれなくてごめんなさい」

 姿勢を正し、葵先輩が深く頭を下げる。
 昨日のことではなく、追放されたときのことを言っているのだろう。

「ちょ、ちょっとやめて下さいよ。力不足なのは理解していたし、僕は気にしていないですから」

 僕は強がった。
 本当は、葵先輩のことも酷く憎んだ。
 ただ、時間が経つに連れ、それも仕方なかったのだと思うようになった。

 勇者の紋章のせいかわからないけど、葵先輩はどこか変わってしまっていた。
 僕に対する優しさは変わらなかったけど、基準がどうしても魔族や魔獣討伐に置かれていた気がする。

 追放されたあの日だってそうだ。厄介払いのように金貨を渡してきた。
 本当は、魔法袋を取り上げられた僕を可愛そうに思ったからなのだと気付いたけど、あの日以来、葵先輩が黒猫亭を訪ねてくることはなかった。

「本当に? 私のこと許してくれるの?」
「はい、むしろ良かったと思っています。いまは新しい仲間も出来て元気にやっていますよ。ほら、冒険者として、もうアイアンランクにまで上がったんですから!」

 再び、僕は強がった。
 追放されたことなどまったく堪えていないとでもいうように――

 かざした鉄色の冒険者カードは、僕の心を映したかのように鈍い輝きだった。

「そうなの? それなら良いんだけど。新しい仲間……ねえ」

 謝ってきたのは葵先輩の方なのに反応はまったく興味がなさそうだ。ただ、その細めた眼は、エルサのことを品定めするように鋭い。

 すると、葵先輩のことを知ってるくせに、エルサが安っぽい挑発をした。

「ねえ、コウヘイ。このアオイっていう女は誰なの?」

 エルサは葵先輩のことを挑発するように睨み返している。そして、僕の腕に抱き付いてくる。

「ふーん、ずいぶんと仲が良さそうね。康平くんは、そういう子が好みなんだ」

 その瞬間、二人の間に火花が散った気がするけど、気のせいであってほしい。

「好みって……何を言っているんですか! エルサといって魔法が凄いんですよ、あはははは」

 何だろう、変な汗が噴き出してきた。

「エルサも睨みつけないでよ。彼女は大崎葵先輩。僕と違って本物の勇者だよ。昨日説明したじゃないか」
「うん、聞いたよ。でも、わたしにとってはコウヘイが本物の勇者だもん!」

 エルサは、なぜか挑発するような態度をやめてくれない。何に対抗意識を燃やしているんだ?

「そ、それより、ここに来た理由を教えてくださいよ」

 険悪なムードなのを感じ取り、僕は強引に話を元に戻す。

「そうだったね。聞いて康平くん。いま、あなたにはが掛けられているの」

 葵先輩は備え付けの椅子に腰かけながらそう話を切り出す。
 僕たちにも座るように、という仕草をしたので、僕たちはベッドに腰を下ろした。

「それって、他の冒険者を襲って魔獣の素材を強奪しているっていうやつです? あと、魔族の手引きをしているとかなんとか」
「あら、知っていたのね。それなら話が早い……って、まさかとは思うけどやっていないよね?」

 僕のことを疑うような発言をしてきたけど、その目はちっとも疑っていない様子だった。

「と、当然ですよ。葵先輩なら僕にそんな大それたことをする勇気が無いことくらい、わかりますよね?」

 僕の性格を知っている人なら、僕がそんなことをするとは考えない。

「まあね。でも、内村主将が人とは変わるものだとか言って、全然取り合ってくれないのよ」

 葵先輩は、ため息交じりにそう言って呆れ顔だった。

 さらに詳しい話を聞いてみると、葵先輩曰く、僕が冒険者として活躍しているという噂が事の発端らしい。
 ゼロの騎士として有名な僕は、自分で考えていたよりも周りから見られていたようだ。

 僕が勇者パーティーから追放された噂が広まったのはあっという間で、ダークエルフの美少女を連れて歩いていることも有名らしい。

「え? 美少女! ねえ、コウヘイ、わたし美少女だって」
「ああ、うん。そうだね」

 僕の名前を呼んでおきながら、エルサは、なぜ葵先輩を見ているんだ?
 普段、そういう見た目のことを気にすることがないのに、今日のエルサは少し変だった。

「ちょっと、いちゃつくなら私のいないところでやってくれないかな」
「いや、いちゃついてなんかいないじゃないですか」
「そうなの? 凄く嬉しそうだけど」

 葵先輩だって説明の途中で茶々が入れば面白いハズがない。仕方なく僕は、引っ付いてくるエルサを脇に押しのけながら葵先輩を促した。

「それより、説明の続きをお願いします」
「そうよね。ごめんなさい。実は、一日で五〇を超える魔獣の素材を納品して荒稼ぎしている冒険者がいるという噂を聞いたのよ。それくらいならダンジョン探索している上級冒険者なら当たり前らしいんだけど、その冒険者が康平くんだっていうじゃない?」

 その話を聞いた僕は、少し納得できた。ロックランクの冒険者がというより、魔法を使えないとされている僕がそんな活躍をしていることが問題だったのだろう。

 さらに話を聞いてみる。

 葵先輩は僕に対する負い目があったらしく、僕が元気にやっていることを知って嬉しかったみたい。だけど、他の三人の先輩は面白くなかったらしい。

 その話を聞いた僕は、少しだけど気分がスカッとした。僕のことなど忘れているのかと思いきや、主将たちが一々僕の動向を気にしている辺りがまるで小物みたいだ。
 日本に居たとき、なぜそんな先輩たちにおびえていたのだろうかと、いまさらながらに自分の気の弱さにウンザリする。

 これまた笑っちゃう話があった。なんと、僕が泣いて謝って勇者パーティーに戻してくれとすがってくると、内村主将たちは考えていたらしく、そこまで賭けをしていたのだとか。
 それなのに、冒険者として上手くやっている話が聞こえてくれば、当然おもしろいハズがない。

 その話を聞いたエルサは、我慢できなかったのか先輩たちを罵った。

「勇者がそんな低能だとは思わなかったよ」
「こ、こらっ、何言ってるんだよ、エルサ」

 僕は、葵先輩の反応を窺いながらエルサをたしなめる。

「いいのよ、康平くん。私も同感だから」

 葵先輩は、部屋の天井を見つめながら冷たい目をしていた。

「正直、主将たち先輩は調子乗ってるのよ。山木くんも酷いもんよ。私としてはこっちが頭を下げて康平くんに戻って来てほしいくらいなのに……」

 ん? どういうことだろう。

 僕が抜けてから勇者パーティーの活動がどうやら上手くいっていないようだ。
 僕の代わりに三人の冒険者を入れて火力が増したはずなのに前衛が魔獣を捌ききれず、山木先輩が魔法の詠唱に集中できないらしい。
 腐っても勇者であるため死ぬほど危険な状態にはならないらしいけど、生傷が絶えず葵先輩がヒールを掛ける頻度が倍増しているのだとか。
 どうやら、魔法が使えなかった僕でもタンクとしての役割を果たせていたらしい。

「それで、私が康平くんを戻すようにお願いしていたの。魔力切れになることは無かったけど、これから先のことを考えると、やはり不安が残るじゃない?」

 水晶の輝きによって葵先輩の魔力量がとてつもなく多いことは証明されている。

 しかし、数値化された訳ではない。目安としてとてつもない量だとわかっているだけなため、戦闘が激しくなるに連れて魔法を使用する頻度が増えれば心配するのも当然だろう。

 実際、僕もどの魔法がどれだけ魔力を消費するのか手探り状態だ。

 エルサのように魔法眼のスキルがあれば魔力切れに陥る心配はないだろう。そもそも魔法眼のスキルはかなり特殊なスキルでイルマが羨むほどである。
 誰も彼も僕たちと同じことは出来ない。

「それなのに主将たちは、帝国の兵士を動員してまで康平くんを罪人として捕らえるつもりなのよ。前置きが長くなったけど、本題はそれよ」

 葵先輩は、僕に戻ってきてほしいと言いながらも、主将たちを抑えきれなかったのだろう。
 葵先輩だけで僕の下を訪ねて来たということは、僕の味方をしてくれているに違いない。でもやはり、僕は気になる。

「葵先輩は、どうなんですか?」
「どうって?」
「いや、やっぱり疑っているんですか?」
「……わ、私はそんなことしてないって信じてる。でも、誰も康平くんをダンジョンで見かけたことがないというのよ。それに、帝都から出た記録だって残ってないし」

 そりゃあそうだ。身隠しのローブで人目につかないようにしていたのだから。それにしても、それが裏目に出るとは思わなかった。

「つまり?」
「主将たちだけではなく、騎士団もあなたのことを疑っているの。本来は、冒険者ギルドが調査するんだけど、魔族との関係性を疑われたらそれからは軍の領分なのよ。だから……できるだけ早く帝都を離れなさい」

 いつも優しく温かい微笑みを向けてくれていた葵先輩の表情は、いつになく真剣だった。

 こんな厳しい顔もするんだな、と僕は知らない一面を見て葵先輩とは思えなかったほどだ。

 変わったのは僕だけじゃない。

 僕は成長して強くなった実感があるけど、葵先輩は疲れ果て、辛そうな表情をしていた。

 そう思った僕は、思わず提案した。

「葵先輩、辛かったら僕たちと一緒に行きませんか? 僕が葵先輩を守ってみせますよ」
「康平くん……」

 一瞬、キョトンとした表情を浮かべ、葵先輩は沈黙してしまう。

「ど、どうです? 冒険者でも魔王を倒すことはできますよ。確かに帝国からの給金がなくなっちゃいますけど、魔獣の素材を売れば意外とこれが稼げるんですよ。治癒魔法が得意な葵先輩が一緒なら心強いですし、凄い発見だってしたんですよ。なんとですね――」

 葵先輩の沈黙を悩んでいるのだと勘違いし、僕が機関銃のように話を続けていたら――

 ふん、と鼻で笑われてしまった。

「え?」

 葵先輩から射抜くような眼差しを向けられた僕は、思わず間の抜けた声を漏らす。

「内村主将の言った通りだったのね。あの内気な康平くんが私を守る、なんて言う日がくるなって思わなかったよ……」

 葵先輩は、優しくも悲しそうな声音で静かにそう言ったあと、

「あなたごときが魔王を討伐するですってぇ! 調子に乗るのもいい加減にしなさい!」
「えっ……」

 いきなり立ち上がった葵先輩が僕を叱責したのだ。あまりの事態に僕は、またもや間の抜けた声を出してしまう。

 それは、あまりにも唐突で、本気の叱責だった。
 何の身構えも出来ていなかった僕は、何が起こったのかまったく理解できず、むしろ夢の中にいるように思考がまとまらない。

「いいこと。すぐに帝都を離れなさい! ここ数日出入の記録が無いのに毎日魔獣の素材を持ち帰ってこられるなら、バレずに脱出する方法があるんでしょ? もし……まだ、明日の朝になってもここにいたら、私があなたを捕縛するから!」

 葵先輩はそう一息に言って、そのまま振り返ることもなく部屋から出て行こうとする。僕は、その後ろ姿を呆然と眺めることしかできない。エルサが何やら葵先輩に叫んだようだけど、それすら葵先輩は相手をせずにあっさりと出て行ってしまった。

 それからは、何が何だかわからなくなり、座っていたベッドに背中から倒れた。

 どれくらいの間そうしていたのだろうか。

 数分? あるいは数時間経ってしまったかもしれないほど、時間の感覚すら曖昧になっていた。

「コウヘイ、大丈夫?」

 エルサが何か言ってきたけど反応できない。

「大丈夫だよ。わたしが一緒にいるから泣かないでよぉ」

 泣かないで?

 エルサの震える声にようやく反応することができた。

 泣いているのはエルサじゃないか、と青がかった銀色の瞳に涙を湛えたエルサを見つめた。

「エルサ、何を言っているんだよ。僕が泣く訳ないじゃ、ないか……」

 そのエルサの涙を拭ってあげようと起き上がり、エルサの目元に手を伸ばす。
 すると、エルサが僕を強く抱きしめて背中を摩ってくれた。

「ううん、コウヘイ泣いてる」

 エルサの背中越しに僕が目元に手を持っていくと、確かにその中指が濡れるのがわかった。

 その事実を受け止め僕は、ゼンマイが切れたブリキのおもちゃのように動くことはない。その間もエルサが僕のことを慰めるように優しく包み込んでくれる。

 けれども、僕はどうすることもできずに葵先輩の言葉を頭の中で何度も何度も反復するのであった。
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