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第五章 宿命【英雄への道編】

第17話 期待と覚悟

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 耳元で風が唸るような音をさせ、髪が乱れる。

 ダンジョン警邏隊の要請を受けた僕は、アドに騎乗してテレサへの空路をかっ飛ばしているのだ。空からの景色を楽しんでいる余裕なんてない。振り落とされないように前傾姿勢で耐えていると、頭の中にアドの苦しそうな声が響いた。

『コウヘイ、もう少し緩めて』
「へぇ?」

 情けない声が出る。

「いや、それはこっちの台詞だよ」
『違う。苦しくて飛び辛い。コウスケはもっと優しかった』

 落下しないようにアドの首にしがみつくのが精一杯の中、言葉の意味を咀嚼する。ふと目を開くと、僕の腕がアドの首にくびれを作るほどに食い込んでいる。どうやら、強く締めすぎていたようだ。

「あ、ごめん」

 咄嗟に腕の力を弱めると、想像と真逆の結果に僕が顔を上げる。ふわっと、風の抵抗が弱まったように感じたのだ。

『これでどうかな? コウスケがいつもやっていた』
「あ、魔法障壁か。へぇー、魔法だけかと思ってたけど、風も防いでくれるんだ」

 気のせいではなかった。どうやら、アドが魔法障壁を展開してくれたおかげのようだ。風圧に反応してか、不可視の障壁がノイズがかったように薄っすらとオレンジ色に色付き、鮮やかな幕が視界を覆っている。

『風防? それがもたらす結果を信じればいいらしい』
「結果?」
『よくわからない。でも、コウスケが言ってた。魔法は結果を信じた先に事を成すと』
「そ、それは……」

 時折コウスケと比較されるけど、無視していた。だって、それはいまの僕ではない。でも、今回ばかりは無視できずに意味を探る。

 魔法はイメージ力次第。

 はじめて魔法の訓練をエルサと行った日。簡単な身体強化魔法――アクセラレータ――を失敗したことで、ファンタズムで常識とされている魔法の三大原則の矛盾に気付いた。
 そして、僕なりに魔法の本質を理解したつもりでいた。けれども、僕が出した答えとコウスケが言った言葉は、似ているようでまったく異なるような気がしてならなかったのである。

 が、思考の世界に浸る暇はなかった。

『コウヘイ、アレを見て』

 頭に響くアドの声が、僕を現実世界に引きずり戻す。

 辺りに暗雲が立ち込め、その雲が渦を巻くようにして一カ所に集まっていく。空が動いている。僕は、そう感じた。

 テレサの町がある辺りだろうか。空に浮かぶ不気味な島のような積乱雲が、あっと言う間に出来上がる。暫くして雲の動きが止まったと思ったら、放電するように数多の光の筋が撃ち放たれ、大気を割るような雷鳴が轟いた。

 途端、嘘のように澄み切った青が空を支配していた。あたかも、最初からそんなものはなかったというように、僕たちが進む先には蒼空が広がっているのだ。

「い、いまのは……」

 いまのは魔法なの? と言おうとしたけど、僕の想像を絶する現象に恐怖を感じて言葉にならない。遂に魔人が現れたのだろう。僕のスキルでアレを吸収できるのだろうか。いや、なんとしてでも吸収しないと。
 僕がそんな風に恐怖を押しやり、魔人との戦闘をイメージしていると、今度は花火のような空中ショーが始まった。蒼天魔法騎士団や翼竜騎士団が反撃しているのかもしれない。

 一先ず、テレサ防衛陣が雷の魔法でやられなかったことに安堵しつつ、様々な属性の魔法が飛び交う様を不謹慎にも綺麗だなと見惚れてしまう。

『魔人への集中攻撃みたい。でも、効いてない。あの程度では、無理……』

 アドは、状況を理解しているように補足してくれる。僕が状況を把握するために視覚強化魔法を行使したけど、そこまでの詳しい様子はわからない。アドは無理だと言うけど、「これはもしや」と僕は期待してしまう。

 暫くして空中ショーが止み、衝撃で生まれた靄が次第に晴れていく。その中から空中に浮かんでいる人らしき姿を認め、僕は息を呑んだ。

「――やっぱり、そんなに甘くはないよね。まあ、僕のスキルがあればなんとかなるよ。うん、なんとかなる、と思う……」

 無理やり自分を元気付けて後ろを振り向く。この一か月、片時も離れずに一緒に過ごしてきたエルサが近くにいないだけで、急に不安が込み上げてきたのだ。エルサたちは、今頃ダンさんが連れてきた馬でこちらに向かっているだろう。

 突然――

「いやぁ――っ!」

 女性の叫び声が耳に届き再び前方を向く。

 悲鳴? と思ったのもつかの間、魔人らしき人物を目掛けてアドがいままでにも増して加速する。そして、視界が真っ赤に染まった。

 魔法障壁が耐えられないほどのスピードだとでもいうのだろうか。

 うわぁー、割れる! と目を瞑ろうとした瞬間、何かにぶち当たったような音がした直後に、視界がクリアになる。

「と、止まった……」

 そんな呟きが口を衝いて出た。肩で息をしながら僕が呼吸を整える。

「い、いまのは魔人に体当たりしたってことだよね?」

 翼竜騎士へ腕を向けていた人影が見当たらないことから間違いないと思う。心配になった僕が念のためアドに確認したものの、アドは目を細めてゴロゴロと喉を鳴らすのみ。

 アドの反応を肯定と受け取った僕が苦笑いを浮かべると、女性が声を張った。

「あ、あなたは!」
 
 おそらく、先ほど悲鳴を上げていた騎士だと思う。滑降するようにワイバーンを操り、アドに並ぶように近付いて来る。

「あ、僕はコウヘイって言います。こんななりですけど冒険者ですよ?」

 何故か疑問形になってしまった。ミスリルのプレートアーマー姿で白銀のドラゴンに騎乗している僕は、昨日よりも明らかに竜騎士に見えることだろう。

 つまり、一四階層での出来事を反省し、そこまで説明したのだ。けれども、彼女の返答は僕の気遣いを無駄にする内容だった。

「ああ、コウヘイ様! よかった……モーラです。いまは翼竜騎士団の第三中隊長を仰せつかっています」

 僕は、思わず瞬きを数度繰り返す。

 いまは? もしかしたら、女性騎士ことモーラさんは、僕を知っているかもしれない。それにしても、帝都の騎士なのに、まだ僕を様付で呼んでくれるのか。若そうだから、僕が追放されたのを知らないのかな。

 一瞬、そんなどうでもいい感想が頭をよぎったけど、アドに質問した答えを知るために思考をいまへと戻し、モーラさんに尋ねた。

「さっきのは、魔族でいいんですよね?」
「そ、そうです! あれが神託の魔族なんです。ただ、自分では魔人って言っていましたけど」
「ああ、それは気にしなくていいと思います。それよりも、よく耐えてくれました。どうせ、勇者はまだ到着していないんですよね?」

 僕に対するダンさんの期待感が半端なかったから間違いないと思うけど、先輩たちの所在を確認する。

「ええ、残念ながら期待できません……」

 期待できない? モーラさんの返し方に違和感を覚えた僕は、思わず眉根を寄せる。それにしても先輩たちは、いったい何処で何をしているのだろうか。地上を見渡しても先輩たちらしき人物は、やはり見当たらなかった。

 代わりに、馬上から大きく腕を振って叫んでいるラルフさんに気が付いた。

「待っていましたぞおー!」

 待っていました、か。

 ラルフさんの言葉になぜがじーんと胸に来るものを感じる。期待されるのも悪くないと、自嘲的な笑みを浮かべた。

 ただ、そんな感傷に浸る時間はない。ものすごい勢いでアドが体当たりをしたとはいえ、その程度で中級魔人を仕留められたとは考えず、対策を練るべく僕はモーラさんに尋ねた。

「ところで、攻撃はやっぱり魔法が主体ですか?」
「ええ、おそらく、一度しか見ていませんから確証はないのですが、武器になるようなものを持っていないのは確かです」

 モーラさんの話を聞いた僕は、なるほどと一つ頷く。

 あの大魔法の一回きりなのか。死の砂漠谷で戦ったドーファンとは違い、今回の魔人は遊ぶようなことをしない性格なのかもしれない。いや、それもどうだろうか。地上の様子を見る限りだと、そこまで被害を受けたようには見えない。

 問題は魔人の魔力残量だろう。あれだけの魔法を放ったのだから、大して残っていないことを期待したい。

「でも、それを聞いてどうなさるのですか?」
「だって戦うためには、戦法を聞いておいた方が良いと思って、変です?」

 当たり前の返答をしたつもりなのに、変な間が生まれる。本当にどうしたのだろうか。モーラさんは、口を半開きの状態で固まっている。

「あ、あのー、モーラさん?」

 僕が声を掛けると、ハッとしたようにモーラさんが肩をビクリとさせた。

「……ばっ、バカ言わないでください! あなた一人で何ができるのですか! 騎士団総出で攻撃しても全然ダメだったのですよ! 師匠が凄い凄いって言うから少し期待したのに……あの魔人と一緒で、バカなんですか!」
「え、えー……」

 酷い言われように、今度は僕が言葉を失ってしまう。

 僕だってバカなことを言っているのは百も承知だ。エルサが居ないだけで不安になるくらい怖い。それでも、僕が頑張るしかないのだ。

「やはり、コウヘイ様は、コウヘイ様なんですね」
「え?」
「あの魔人がコウヘイ様を探しているようだったし、考えていた以上に凄い人なのかも、って……」

 僕を責めるような内容から一転、毛色が変わった。

「……あなたが来てくれてほっとした私がいて……これで助かるのかもって思ったのに……それなのに、なんなのよ……」

 声を震わせ、絞り出すような声音。

 沈黙。

 モーラさんの碧眼には、涙が浮かんでいた。

「もう、やだっ」

 モーラさんが悲嘆に暮れたような声音で吐き出し、ついには俯いてしまう。そんなモーラさんを見て思ったことがある。

「そうだったんですね」
「な、何がよぉ?」

 モーラさんは鼻をすすりながら僕を窺うような視線を向けてくる。

 激しい戦闘だったのだろう。モーラさんの金髪はぼさぼさで白い肌は返り血で汚れており、涙を湛えた碧眼は恐怖で陰っていた。

「大丈夫ですよ」
「だから、何が大丈夫なんですかぁ!」
「僕が来たんです」

 落ち着いてもらうために満面の笑みで言い切る。

「えっ?」

 モーラさんはキョトンとして、僕の言葉の意味を探るように瞳を忙しなく動かしている。

「僕が来たんですよ。デビルスレイヤーズのコウヘイがね。その師匠が誰か知らないですし、その人が何と言っていたのかは知りません。でも、あとは僕に任せてください」

 パーティー名をわざわざ言葉に出して宣言した。

 僕自身、大言壮語も甚だしいと感じて自嘲気味に笑う。けれども、大げさに言うくらいが丁度いい。
 
「し、信じていいのですか?」
「はい、信じてください!」

 僕の言葉を信じてくれたのか、さらなる叱責を受けずに済んだ。心配そうな表情をしていたモーラさんは、涙を腕で拭ってニコリと微笑む。なんだか、そんなモーラさんの様子にエルサの面影を感じ、僕も微笑み返すのだった。
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