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原点
しおりを挟む素材観察所の建設が進む中、トーヤはふたたび旅支度を整えていた。
目的地は、かつて謎の光を見かけた「北の霧の渓谷」――誰も深入りしない、未踏の領域だった。
「一人で行くの?」
ユーリが腕を組みながら言った。
「危ないよ。誰かつけたほうがいい」
「……大丈夫。あの場所は、“ひとり”で向き合いたい。たぶん、俺の採取の“はじまり”を思い出す場所になると思うから」
「……そっか。じゃあ、帰ってきたらちゃんと報告してよ。村の“観察主任”として」
冗談めかしたその言葉に、トーヤは微笑んだ。
⸻
北の渓谷は、濃い霧と低い岩肌に囲まれた奇妙な土地だった。
風は止まり、音が吸い込まれるような静寂。
足元のコケはわずかに発光し、動物の気配も薄い。
だが――そこには、確かに“何か”があった。
岩の裂け目から顔を出す、淡く光る植物。
触れれば震えるように葉が開く。
茎は透明に近く、中を流れる液体がまるで血管のように脈打っている。
名前も記録もない。完全な未知。
トーヤは、呼吸を整え、静かに膝をついた。
「……君、どこから来たんだろうな」
観察ノートを開き、静かに筆を走らせていく。
そのとき、彼の耳に、かすかな声が聞こえた。
⸻
――“みてくれて、ありがとう。”
「……え?」
振り返っても誰もいない。ただ、霧と岩、そしてその素材だけ。
けれど確かに“何か”が伝わってきた。
トーヤは目を細めて、その未知の素材を見つめた。
(これは……“始まりの素材”だ)
意味も文脈もないのに、なぜかそう思えた。
彼がこの世界に来て、最初に興味を持った“知らない何か”。
すべての始まりは、「ただ、観たい」「知りたい」という気持ちだった。
⸻
ノートにこう記す。
記録:始まりの素材。種別不明、意志のような反応あり。
観察者として、原初の驚きを忘れてはいけない。
トーヤは立ち上がり、最後にもう一度、その植物に語りかけた。
「ありがとう。また、見に来る」
そう告げて、霧の渓谷を後にする。
⸻
村に戻ったとき、素材観察所の外観はすでに完成していた。
看板には、リエラの筆でこう刻まれていた。
《素材観察室:トーヤ・ヒグチ監修》
その下に、小さく一言――
「観ることから、世界が始まる」
⸻
「おかえり、主任」
ユーリの声が、どこか誇らしげだった。
「ただいま。……さて、観察の続きをしようか」
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