百年戦争を終わらせた英雄、異世界でも正義を貫かんとす。

末代公

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27話 決着

「怪物が来たぞー!!」

 轟くは、我が軍の兵とソエグレス人の戦士たちの怒号。その怒涛の鯨波の向こうから、小さな城のような「吼え猛る野獣」がこちらに向かってのしのしと進んでくる。
 我々の後ろには、主の祝福を受け、アルビオネスの島の民草の心の拠り所になっている聖剣が、石の台座に突き刺さって鎮座している。この聖なる御物だけは、何としてでも怪物の手から守り通さなければならない。
 巌のような「吼え猛る野獣」に向かって、弓兵たちが次々と矢を射かける。彼らは決して弱兵などではない。普通の人間であれば、彼らの矢を受ければたちまちのうちに命を落としていただろう。しかし、「吼え猛る野獣」は、そんな矢の雨すら意に介した様子はなく、聖剣に向かって一直線に歩みを進める。

「我々の勝利はもう少しだ!」

 怪物の後ろを騎馬で進む蛮族王アエレ――その正体はベッドフォード公ジョンであるが――は、剣を振って自身の兵を督戦する。その隣には我が妹のモルガナが、乗用馬に跨って自分たちの勝利を確信したような自信たっぷりな顔で、私の方を見ている。

 お兄様は、間もなく私のものになるのよ――。

 モルガナの口が動き、そう言ったかのように見えた。
 だが、私は彼女と結ばれるつもりはない。彼女と夫婦になるくらいなら、この場で雄々しく戦って討ち死にする。
 勝利が間近とあっては、ソエグレス人の戦士たちは恐れを忘れて益々猛る。彼らの振るう白刃は、容赦なく、呵責なく、我が軍の兵たちを次々と大地に沈めていく。
聖剣の同盟軍の残存兵力は、もう三千人を切っている。概算して、私はそう考えた。普通の戦なら、撤退を考える損害だ。だが、我々には撤退という選択肢はない。此度の戦は愛したアルビオネスの島の民の運命が懸かった決戦なのだ。
 我々の勝利以外、未来を繋ぐ術はない。一人でも多く敵兵を地獄に送らなければならない。そう念じながら、次々と迫りくる蛮族の戦士たちを、私はその刃にかけていった。

「御大将」

 私をその名で呼ぶ者といえば。

「ラ・イールか」

 蛮族の兵の群れの間から、赤髪の妙齢の女が現れる。その者は赤いチュニックとくすんだ白のズボンを身に着け、その上に鱗綴じ鎧を着ている。女に不釣り合いな戦士たる男の服装であるが、彼女は何故か武張った服装が似合っていた。

「貴様、何のつもりだ。お前のせいで、乙女が怪物に食われた。どの面下げて私の前に出てきたのだ?」

「だよな。そうだよな。俺だって、許してくれ、だなんて言うつもりはない。俺は裏切り者だからな」

「そうだ。裏切り者は、地獄でルシフェルに齧られる永劫の罰を受けるがいい!」

 私は、ラ・イールに斬りかかるべく、一歩踏み込む。遮二無二に、がむしゃらに、奴を斬り捨てんと私は剣を振る。だが、その白刃は、殺意は、憤怒の傭兵隊長には届かない。素早い足捌きで、それらを全て回避しおおせる。

「ああ、罰は受けよう。最後の審判の際には、必ずや俺は地獄に落ちるだろう。だが、何故俺が裏切ったか、お前に聞かせたいと思ってな」

「はぁ……はぁ……良いだろう、聞いてやる」

「助かるよ。実は、騎士学校にあの怪物が侵入した時、俺の可愛い坊やがあの女に攫われてな」

 ラ・イールはモルガナの方を見やる。

「脅されたのさ。聖剣の乙女を怪物の贄にすることに協力しなければ、坊やを殺す、とな。俺は悩んださ。坊やは大事だ。でも、聖剣の乙女は裏切れない。で――」

「で、坊やを取ったという訳か?」

「――で、俺は思い出したんだ。俺は欲深で泣く子も黙る傭兵隊長だってな!」

 野郎ども! とエティエンヌ・ド・ヴィニョールは剣を掲げる。彼の掛け声に、配下の傭兵たちが応える。

「アイ、アイ、姐御!」

「当初の予定通り、今からソエグレス人どもを裏切る! あのバケモノに向かって、総員吶喊!」

「了解!!」

 突如として、エティエンヌ・ド・ヴィニョール配下の傭兵たちが、その矛先を反転させる。向かった先は、間もなく聖剣の前に到達しようかという「吼え猛る野獣」――!

「野郎ども! 一世一代の晴れ舞台だ! 思う存分暴れてやれ!!」

 彼らは、恐れを知らぬ勇士らしく、巨大なる怪物に向かって突撃する。アルビオネスの島に伝わる賛美歌を歌いながら、主への信仰に燃える十字軍士のように喜びの内に剣を振るう。その様は、まさに神の戦士。ラ・ピュセルがその先頭に立っているかのようだ。

「――という訳だ。俺はラ・ピュセルも、坊やも、諦められなかったってことだよ!」

「エティエンヌ……」

 エティエンヌ・ド・ヴィニョール率いる傭兵たちは、「吼え猛る野獣」を取り囲むと、その丸太のように太く、茨のように筋肉が絡み合った六本の脚に、激しく槍や剣を扱き、その鋭き切っ先を突き刺す。彼らの放つ黒鉄の一閃は、決して怪物にとって致命傷とはなり得ない。それでも彼らは諦めることなく刃を突き立て、「吼え猛る野獣」に不快そうに顔をしかめさせる。
「吼え猛る野獣」は、鬱陶しそうに一番前の足を横薙ぐ。すると、傭兵たちは棒切れのように吹き飛ばされ、地面や木々に叩きつけられる。それでも諦めず、残りの傭兵たちは怪物に立ち向かい続ける。

 英雄たる者の資格があるのだとすれば、エティエンヌ・ド・ヴィニョールの傭兵隊のように皆の為に喜んで死地に赴くことが出来、そしてどんなに強い敵が相手でも諦めず戦い続ける者が、英雄と呼ぶに相応しいと私は言うだろう。

「おお、神よ! 怪物に立ち向かう神の戦士たる彼らを守り給え!」

 だが、彼らの勇姿にも終わりが来た。

「何やってるの! 我が息子よ、そんな雑魚に苦戦するなんてらしくない!」

 モルガナが、怪物を叱咤する。

「さっさとそいつらを殺しなさい!」

 再び「吼え猛る野獣」は顔をしかめる。
 そうして、一番後ろの足だけで立つと、前四本の腕を高々と振り上げ、傭兵たちの頭上に振り下ろした。
 稲妻の如き轟音。血肉が、骨が砕け散り、粉々になった人体が辺り一面に飛び散る。
 恐るべきことであった。怪物のたった一撃で、エティエンヌ・ド・ヴィニョールの傭兵隊が壊滅してしまったのだ。
 そんな飛び散った肉片の一つ――上半身だけになったエティエンヌ・ド・ヴィニョールが、私の足元に転がってきた。

「へへ……裏切り者に相応しい末路ってやつだな……」

「エティエンヌ……」

「ああ……許してくれ、なんて言わねえよ。俺は許されないことをした」

「いいや、許す」

「なっ……!?」

「主がどうお裁きを下すかは、人の身には計り知れぬこと。しかし、私は許す。お前の裏切りを、私は許す。主の裁きを受けるお前への、私からの餞だ」

「御大将……」

 と、つつー、とエティエンヌ・ド・ヴィニョールの頬を一筋の涙が流れ落ちた。

「御大将が俺を許したのは、これが初めてだな……」

 そして、エティエンヌ・ド・ヴィニョールの瞼が閉じられた。彼の腕から力が向け、だらりと地面に落ちた。
 こうして、憤怒の綽名を持つ傭兵隊長エティエンヌ・ド・ヴィニョールは、異世界における二度目の生を終えたのであった。主よ、彼に相応しきお裁きを、どうかお与えになりますように。





 エティエンヌ・ド・ヴィニョールの傭兵隊は脱落した。しかし、目下の敵の最大戦力「吼え猛る野獣」は今も健在である。のしのしと歩みを進め、聖剣が刺さっている石の台座のすぐそばまで達している。
 私よ、考えろ。このバケモノを討ち果たす妙案を。だが、考えれども考えれども、百戦錬磨の武人たる私の頭脳ですら、斯様に強大な敵を打破する良い策など思い付けなかった。所詮、私は人を相手にしていた武人に過ぎなかった。このような異形の人外など相手にしたことがなかったのだ。それに、曲がりなりにもこのバケモノは私の子供だ。子供を殺す父親などあってはならない。

 諦める――。

 その単語が脳裏をよぎる。そうだ、あのような人智を越えたバケモノなど、聖人でないと退治出来ようがない。私は聖人でもなければ、民話に語られる勇者でもない。私は、勇者や聖人を引き立てるために死ぬ、名も無き武人の一人に過ぎなかったという訳だ。

「吼え猛る野獣」は、聖剣をその腕の届く範囲にまで近づく。そうして、腕を振り上げて、聖剣を叩き壊そうとする。はは、命運、ここに尽きたり。
 と、そんな風に生きる縁を手放そうとしてしまった時であった。

「大元帥様、何しとんがけ! 子供が誤った方向に行こうとしていたら、その過ちを叱って糺すのも、父親の役目やちゃ!」

 ラ・ピュセルの声が聞こえてきた。「吼え猛る野獣」の胸の中から。

「聖剣は、この世で最も勇敢で、寛大なものにしか抜けないがよ!」

「吼え猛る野獣」の腕が、聖剣に向かって振り下ろされる。戦槌のような鋭い爪が、アルビオネスの島の民の心の拠り所を打ち砕かんとす。

 ああ――それは何て勿体ないことなのだろう。

 剣を守ろう。私は聖剣に向かって跳びついた。すると、あろうことか、聖剣はするりと石の台座から抜け出た。最初に抜こうとしたときは、まるで大地から直接生えているかのようにびくともしなかったというのに。

 そこから、私は無心で動いた。「吼え猛る野獣」は、聖剣の破壊に失敗し、石の台座だけをその爪で打ち砕く。目論見に失敗して呻き声を上げる怪物。

「うおおおおっ!!!」

 その隙を逃さず、聖剣を構えたまま吶喊する私。そうして、聖剣の刃はラ・ピュセルが取り込まれた辺りの真上に、一文字の斬撃を加えたのであった。

 五千頭の猟犬が吼えるかのような、苦悶の声。その唸り声とともに、「吼え猛る野獣」は二歩、三歩と後退し、地震のような地響きを立てて、その場に崩れ落ちた。
 最初に巨大化した時のように、怪物の体表はぶくぶくと泡立ち、縮小し、やがて二人の人間を残して消え去ってしまった。
 一人はラ・ピュセル。ねばねばした粘液に包まれて、怪訝そうな顔をしている。もう一人は、一歳くらいの男の子。私によく似た馬面をして、あーんあーんと泣いている。

「『吼え猛る野獣』を……『吼え猛る野獣』を討ち果たしたぞ!」

 その知らせは、聖剣の同盟軍の生き残り、そして、蛮族軍の全てに速やかに広まった。蛮族の戦士たちは抵抗を止め、大人しく捕虜となった。我が軍の戦士たちは、勝利の凱歌を上げ、「ハレルヤ!」の勝鬨を唱和した。

「う、嘘でしょ……。私の息子が負けるなんて」

 と、愕然とするモルガナ。

「これは何かの間違いよ。私の計画は完璧であった」

「もう止さんか。我々は負けた。『吼え猛る野獣』という我らの切り札を打ち破った者に、これ以上の手向かいは無意味」

 と、蛮族王アエレことベッドフォード公ジョンはモルガナの肩に手を置く。それに気づいたモルガナは、曖昧な表情でベッドフォード公の顔を見上げる。

「我々の軍門に降る、ということで宜しいかな? 義兄殿? そして我が妹よ?」

 と、私は二人に尋ねた。

「そういうことだ。我々はお前に降伏する」

「降伏します」

「結構です。賢明な判断に感謝する」

「戦いが終わったのなら、そんなに良いことはないちゃ!」

 ラ・ピュセルは笑った。
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