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第2話 医師の目、あるいは見えざる敵との対峙
「呪いではない。病だ」
大聖堂の張り詰めた空気の中で、マイルズの放った言葉は、石造りの壁に反響し、人々の鼓膜を揺さぶった。
一瞬の静寂。
それを破ったのは、父ロッシュの低い、しかし切迫した声だった。
「病だと……? マイルズ、お前は今、何を言っているのか分かっているのか」
ロッシュは玉座から降り、マイルズの目の前まで歩み寄った。その威圧感は凄まじい。歴戦の武人でもある父の気迫に、普通の子供なら萎縮していただろう。
だが、マイルズは一歩も引かなかった。
彼の中にあるのは、三十年以上の医師としての経験と、目の前の危機に対する職業倫理だけだった。
「分かっております、父上。衛兵の報告にあった高熱、発疹。そして感染の拡大速度。これは呪いなどという不確かなものではなく、明確な感染源を持つ伝染病の特徴です」
「だが、侍医たちですら匙を投げたのだぞ。お前ごときに何が分かる」
「侍医たちが知らないだけです。あるいは、見るべき場所を間違えているか」
マイルズは淀みなく答える。
「父上。私に、この事態の収拾を任せていただけませんか」
「……お前に?」
「はい。先ほど、神より賜った『生命』のスキル。これがあれば、人体の内部を詳細に観察し、病の原因を特定することが可能です。……試す価値はあるはずです」
ロッシュは息子の瞳を覗き込んだ。
そこにあるのは、功名心や子供じみた冒険心ではない。
確固たる自信と、理知的な輝き。
そして何より、先ほど起きた奇跡――測定不能の魔力と、『生命』『創造』という伝説級のスキル発現。
ロッシュは決断の早い男だった。
「……よかろう。ただし、私も同行する。衛兵、マイルズを護衛せよ! 司教殿、儀式は中断だ。直ちに貧民区へ向かう!」
ニース王国の春の日差しは柔らかいが、領都の西側、通称「貧民区」に近づくにつれて、空気は重く、澱んでいくように感じられた。
馬車は舗装された大通りを外れ、ぬかるんだ土の道へと入っていく。
マイルズは馬車の中で、頭の中でシミュレーションを繰り返していた。
(高熱と発疹。可能性が高いのは麻疹、天然痘、あるいは発疹チフス。衛生環境の悪い貧民区発祥という点を鑑みれば、媒介生物がいる可能性が高い)
現場に到着する直前、マイルズは馬車の中で「実験」を行った。
(『創造』。イメージするのは、高密度の不織布。そしてニトリルゴムの手袋)
マイルズが小さく手をかざすと、掌に淡い光が集束する。
一瞬の後、そこにはこの世界には存在しないはずの、真っ白なN95規格相当のマスクと、青色の医療用手袋が生成されていた。
魔力消費は微々たるものだ。イメージさえ具体的であれば、物質構造を理解していれば、『創造』は容易い。
「な、なんだそれは……」
同乗していたロッシュが目を見開く。
「感染予防のための防具です。父上、これを着けてください。私も着けます」
マイルズは余分に生成したマスクと手袋を父に渡した。
「病は、呼吸や接触で移ります。魔物と戦う時に鎧を着るのと同じです」
ロッシュは怪訝な顔をしながらも、息子の真剣な様子に、黙ってその奇妙な布を口元に当てた。
馬車が止まった。
貧民区の入り口だ。
扉を開けた瞬間、鼻をつく強烈な悪臭がマスク越しにも漂ってきた。
腐敗臭。排泄物の臭い。そして、死の予感のする独特の甘ったるい臭気。
(……酷いな)
マイルズは眉をひそめた。
道の真ん中を汚水が流れ、その脇に建て付けの悪い木造のバラックが密集している。
栄養失調で腹の膨れた子供たちが、虚ろな目で一行を見ている。
そして、奥の長屋から、苦しげな咳と呻き声が聞こえてきた。
「ここです、伯爵様」
先行していた衛兵が、布で口を覆いながら案内する。
「この長屋の住人が、最初に発症しました」
薄暗い小屋の中に入る。
床には藁が敷き詰められ、そこに数人の男女が横たわっていた。
熱気で空気が歪んでいる。
マイルズは躊躇なく患者の一人、七つくらいの少年の元へ歩み寄った。
「マイルズ様、危険です!」
駆けつけていた侍医長――老齢の男、ガレンが声を上げる。彼は恐怖で顔を青ざめさせていた。
「離れてください! これは『赤斑の呪い』です! 触れれば呪いが移ります!」
「下がっていろ、ガレン。邪魔だ」
マイルズは冷たく言い放つと、少年の傍らに膝をついた。
少年は意識が混濁しており、呼吸は浅く速い。
肌は乾燥し、高熱を発していることが触れずとも分かる。
そして、全身に広がる赤い斑点。
マイルズはゴム手袋をした手で、少年の瞼を押し上げ、眼球を確認する。結膜の充血。
次に、首筋のリンパ節を触診する。腫れている。
(脈拍は百二十を超えている。不整脈あり。脱水症状も顕著だ)
「『生命(ヴィータ)』・走査(スキャン)」
マイルズが小さく詠唱する。
これは彼が独自に編み出した魔法の行使法だ。スキルの概念を、前世のMRIやCTスキャンのイメージに当てはめる。
淡い緑色の光が、少年の体を包み込む。
マイルズの脳内に、少年の体内の映像が、驚くほど鮮明に投影された。
血管の中を流れる血液。肺の炎症。肥大した肝臓と脾臓。
そして、血管内皮細胞に巣食う、微細な病原体の姿。
(……見つけた)
それは細菌よりも小さく、ウイルスよりは大きい。
リケッチアだ。
血管の中で増殖し、炎症を引き起こし、全身の臓器不全を招く。
(やはり、発疹チフスに近い。いや、この世界の固有種か。だが構造は似ている)
マイルズはスキャンを続けながら、少年の体表、特に髪の毛や衣服の縫い目を詳細に観察した。
そして、一匹の小さな虫を見つけ出した。
シラミだ。コロモジラミ。
不衛生な環境で爆発的に増殖し、病原体を媒介する運び屋(ベクター)。
「……父上。それから、そこにいる医師」
マイルズは立ち上がり、手袋をした手で、その小さな虫を摘まみ上げた。
「原因は、呪いでも悪霊でもありません」
マイルズはその虫を彼らの前に突き出した。
「こいつです」
「……虫?」
ロッシュが眉を寄せる。
「シラミです。この虫が、病の毒を腹の中に持っている。こいつが人の血を吸う時、あるいは潰された死骸や糞が傷口から入ることで、人は病に侵されるのです」
「馬鹿な! たかが虫ごときが、人を殺せるものか!」
侍医長のガレンが叫んだ。「病とは体液の不調和、あるいは悪い気(ミアズマ)によって起こるものだ! そのような小さな虫に……」
「黙れ」
マイルズの声には、絶対的な説得力があった。
「私の『生命』のスキルは、お前たちの想像を遥かに超える精度で生命を見通す。この少年の血液の中に、この虫が持つのと同じ毒が回っているのを、私は確かに見た」
マイルズは周囲を見渡した。
狭い部屋。密集する人々。せんべい布団代わりの藁。
「見てください。ここはシラミの楽園だ。不衛生な寝具、過密な住環境、そして栄養不足による抵抗力の低下。これらが、感染爆発(パンデミック)の下地を作ったのです」
マイルズは次々と指示を出し始めた。その口調は、もはや十歳の子供のものではなく、災害医療の指揮官のそれだった。
「父上、直ちにこの区画を封鎖してください。人の出入りを完全に禁じます」
「ふ、封鎖だと? しかし……」
「外に出せば、シラミと共に病が領都中に広がります。そうなれば、バーンズ領は全滅です」
「……分かった。衛兵隊長! この区画の周囲を固めろ! 一匹の鼠も逃がすな!」
ロッシュの決断は早かった。
「次に、水です」
マイルズは部屋の隅にある水瓶を指差した。
「飲み水は全て煮沸させてください。生水は厳禁です。そして、患者の衣類、寝具は全て焼却処分にします」
「焼却!? 彼らの財産を燃やせと言うのですか!」
ガレンが反論する。
「代わりの衣服と寝具は、我が家から支給します。命と古着、どちらが大事か子供でも分かります」
マイルズは冷たく切り捨てた。
「そして、患者たちを隔離します。症状の重い者、軽い者、まだ発症していない者を分け、接触を断ちます」
マイルズは再び患者の少年に向き直った。
原因が分かれば、治療の方針も立つ。
この世界には抗生物質はない。だが、マイルズには『生命』のスキルがある。
(病原体の構造は把握した。ならば、それを選択的に排除する魔力を流せばいい)
マイルズは少年の胸に手を当てた。
『生命』・浄化(ピュリファイ)。
イメージするのは、テトラサイクリン系抗生物質の作用機序。リケッチアのタンパク合成を阻害し、増殖を止める。同時に、患者自身の免疫力を活性化させる。
黄金色の魔力が、マイルズの手から少年の体内へと流れ込む。
ドクン、と少年の心臓が強く脈打った。
苦しげだった呼吸が、徐々に穏やかになっていく。
赤黒く変色していた発疹が、見る見るうちに薄れていく。
「お、おお……」
周囲から感嘆の声が漏れる。
それはまさに、奇跡の光景だった。
「熱が……下がっている」
母親らしき女性が、泣き崩れながら少年の手を握りしめた。
マイルズは額の汗を拭い、立ち上がった。
魔力消費はそれなりに大きい。だが、手応えはある。
「……この子はもう大丈夫です。あとは水分と栄養を摂れば回復します」
マイルズは父と、呆然とする侍医長に向き直った。
「証明しましたよ。これは病であり、治療可能であると」
「……ああ。見事だ、マイルズ」
ロッシュの声は震えていた。息子への畏敬の念すら滲んでいる。
「だが、患者は多い。私一人で全員に魔法をかけて回るわけにはいきません。私の魔力にも限界がある」
マイルズの目は、現実を見据えていた。
「根本的な解決が必要です。媒介虫(ベクター)の駆除、衛生環境の改善、そして栄養状態の向上。……ここからが、本当の戦いです」
マイルズは小屋の外に出た。
新鮮な空気を吸おうとしたが、そこにあるのは相変わらずの悪臭だった。
彼はその臭いを肺一杯に吸い込み、覚悟を決めた。
この悪臭こそが、自分が戦うべき敵なのだ。
「父上。私は領主代行としての権限をいただきたい。この貧民区を拠点に、領都全体の公衆衛生改革(サニテーション)を行います」
十歳の少年の背中は、ニース王国のどの医師よりも、頼もしく見えた。
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