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第7話 教室の黒板と、月下の侵入者
バーンズ領の朝は早い。
だが、この日の朝は、いつもとは少し違う活気に満ちていた。
領主館の敷地内にある、かつては物置として使われていた別棟。
そこが綺麗に掃除され、マイルズ肝入りの「バーンズ私塾」として生まれ変わっていた。
「えー、それでは授業を始める」
マイルズは、自ら『創造』した黒板(深緑色の塗料を塗った板)の前に立ち、チョーク(石膏を固めたもの)を手に取った。
目の前に並ぶのは、十数人の子供たち。
年齢は八歳から十二歳までと様々だ。
その中には、工場の在庫管理係に抜擢された灰色の髪の少女、シンシアの姿もあった。
その他にも、ボリスの息子や、農夫ハンスの孫、さらにはマイルズの噂を聞きつけて無理やり参加してきた下級騎士の三男坊などもいる。
「今日教えるのは『文字』と『計算』だ。……だが、その前に」
マイルズは子供たちの顔を見渡した。
彼らは緊張し、どこかおどおどしている。平民が貴族の、それも次期領主から直接教えを乞うなど、前代未聞だからだ。
「一つ、約束してほしい。ここでは身分は関係ない。間違えることを恥じるな。知らないことは罪ではない。知ろうとしないことこそが罪だ」
マイルズの言葉に、子供たちが顔を上げた。
「分かったら、返事!」
「は、はいっ!」
授業が始まった。
マイルズの教え方は独特だった。
ただ文字を暗記させるのではない。
「『水』という文字は、川の流れの形だ。『火』は燃え上がる炎だ」と、視覚的なイメージと結びつけて教える。
計算も同様だ。
「りんごが三個ある。二個食べたら残りは? ……そう、一個だ。だが、商売では『一個』ではなく『一個分の利益』と考える」
子供たちの目が、次第に輝き始めた。
「学ぶ」ということが、これほど面白いものだとは知らなかったのだ。
中でも、シンシアの吸収力は異常だった。
彼女は教えられた端から全てを記憶し、応用し始めた。
「マイルズ様。この計算式を使えば、石鹸の箱詰め効率がさらに一割上がります」
授業の合間に、彼女はノート(これもマイルズの手作り)を見せに来た。
「……正解だ。すごいな、シンシア」
「いえ。……楽しいです。世界が、数字で見えてくるみたいで」
シンシアは初めて、薄い唇に微かな笑みを浮かべた。
その笑顔を見て、マイルズは確信した。
(やはり、教育は裏切らない。彼らが育てば、この領地はもっと強くなる)
しかし、光が強くなれば、影もまた濃くなる。
◇
その日の深夜。
領都の北外れ、肥料センター。
昼間の喧騒が嘘のように、静まり返っていた。
巨大なサイロが月光を浴びて、不気味な影を落としている。
その闇の中を、三つの人影が音もなく動いていた。
全身を黒い服で包み、顔を隠した男たち。
隣領のドルトン子爵が雇った、裏社会の専門家(スパイ)たちだ。
「……警備は?」
「正面に二人。裏に一人。ザルだな」
男の一人が小声で囁く。
「よし。狙いは『発酵の種』だ。あのカビの塊を盗み出せば、子爵様から金貨五十枚だ」
「へっ。ちょろい仕事だぜ。ガキが道楽で作った工場なんざ、俺たちの敵じゃねえ」
彼らは音もなくフェンスを乗り越え、最も巨大な第一サイロへと忍び寄った。
警備兵たちはあくびをしており、全く気づいていない。
(馬鹿め。田舎の兵士なんぞ、案山子と同じだ)
リーダー格の男が、サイロの点検口に手をかけた。
鍵がかかっているが、こんなものは針金一本あれば……。
カチャリ。
開錠の音が響く。
「開いたぞ。行くぞ」
男たちが点検口から中へ入ろうとした、その瞬間だった。
『――侵入者検知(イントルーダー・アラート)。種別、ヒト。三名』
無機質な声が、彼らの「頭の中」に直接響いた。
「なっ!?」
男たちが飛び退く。
「だ、誰だ!」
周囲を見渡すが、誰もいない。
「ここだよ」
声は、頭上から降ってきた。
男たちが一斉に見上げると、サイロの上に、小さな影が立っていた。
逆光で顔は見えないが、風になびく銀髪が月光に煌めいている。
マイルズ・バーンズ。
十歳の少年が、冷たい目で見下ろしていた。
「……ガキか。領主の息子だな」
リーダーの男がナイフを抜いた。
「見られたからには生かしておけねえ。運が悪かったな、坊ちゃん」
「運が悪い? ……誰が?」
マイルズは、ふわりと地面に降り立った。
着地音すらしない。
「私の大切な『菌床』に、土足で踏み込もうとしたんだ。……消毒が必要だな」
「殺れ!」
男たちが一斉に襲いかかった。
手練れだ。無駄のない動きで、マイルズの首、心臓、腹を同時に狙う。
だが。
「『生命(ヴィータ)』・神経遮断(ニューロ・ブロック)」
マイルズが指をパチンと鳴らした瞬間。
男たちの動きが、ピタリと止まった。
まるで糸が切れた操り人形のように、三人が同時に地面に崩れ落ちる。
「が……っ、あ……!?」
意識はある。だが、体が動かない。指一本動かせない。
「な、何をしやがった……毒か……!?」
「毒じゃない。君たちの運動神経に、微弱な魔力干渉を行っただけだ」
マイルズは倒れた男たちの間を、ゆっくりと歩いた。
「脳からの『動け』という信号を遮断した。……医学的に言えば、一時的な麻痺だ」
マイルズはリーダーの男の顔を覗き込んだ。
その瞳には、昼間の子供たちに向けた慈愛など欠片もない。
あるのは、害虫を観察する医師の、冷徹な目だけだ。
「ドルトン子爵の差し金か?」
「……知るか、よ」
「ふうん。強情だな」
マイルズは男の腕に触れた。
「『生命』・痛覚増幅(ペイン・アンプ)」
「ぎゃあああああああ!!!」
男が絶叫した。
何もしていない。ただ触れただけだ。
だが、男の脳内では、触れられた部分が灼熱の炎で焼かれるような激痛が再現されていた。
「人間の神経は、電気信号で痛みを伝える。その信号を、百倍に増幅させてもらった」
マイルズは淡々と言った。
「骨を折る必要も、血を流す必要もない。ただ、君の脳が『痛い』と誤認すれば、君は地獄を味わえる」
「や、やめ……! 言う! 言うからぁ!!」
男は涙と鼻水を流して懇願した。
「ドルトンだ! ドルトン子爵に頼まれた! 石鹸の製法と、肥料の種を盗めって!」
「……やはりな」
マイルズは手を離した。
男は激痛から解放され、荒い息をついて泥の上に突っ伏した。
「若様!」
騒ぎを聞きつけた衛兵たちが、ようやく駆けつけてきた。
「こ、これは……!?」
倒れている黒ずくめの男たちを見て、衛兵隊長が絶句する。
「侵入者だ。生け捕りにした」
マイルズは懐からハンカチを取り出し、男に触れた手を丁寧に拭いた。
「全員、地下牢へ。明日、父上と正式に尋問する。……決して殺すなよ。彼らは貴重な『証人』だ」
「は、はいっ!」
衛兵たちが男たちを引き立てていく。
男たちは、もはや抵抗する気力もなく、恐怖に震えながらマイルズを見つめていた。
マイルズは一人、その場に残った。
月を見上げる。
(……人を傷つけるのは、気分のいいものじゃないな)
前世は人を救う医者だった。
だが、今世は領主だ。
守るべきもののために、時にはメスではなく、剣を持たねばならない。
あるいは、その知識を「武器」に変えねばならない。
「……ドルトン子爵」
マイルズは呟いた。
「喧嘩を売った相手を間違えたな。……高くつくぞ」
その夜、マイルズの心に、新たな覚悟が刻まれた。
外敵に対しては、容赦しない。
内政とは、守ること。そして、守るために戦うことだ。
翌朝。
マイルズはいつものように、笑顔で「バーンズ私塾」の教室に現れた。
「おはよう、みんな。昨日はよく眠れたかな?」
シンシアが、じっとマイルズを見ていた。
彼女の鋭い観察眼は、マイルズの纏う空気が、昨日よりもわずかに鋭くなっていることに気づいていたかもしれない。
だが、彼女は何も言わず、ただ深く頭を下げた。
「おはようございます、先生」
黒板にチョークの音が響く。
日常が戻ってきた。
だが、その裏で、バーンズ領による「反撃」の狼煙(のろし)が、静かに上がりつつあった。
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