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第20話 皇女の誓いと、神を睨む少年
しおりを挟む夜襲騒動と、その後の条約締結から一夜が明けた。
バーンズ領の迎賓館前には、ガレリア帝国の黒塗り馬車列が整然と並んでいた。
帰国の日である。
到着した時の、戦車のような威圧感は鳴りを潜め、護衛の騎士たちの表情もどこか穏やかだった。
バーンズ領の「食」と「湯」、そして「寝床」の快適さに、すっかり毒気を抜かれてしまったようだ。
玄関ホール。
マイルズは、父ロッシュ、エリーゼ、シンシアと共に見送りに立っていた。
「世話になったな、マイルズ卿」
皇女ヒルデガルドが、マントを翻して現れた。
「昨夜の条約、忘れるなよ。帝国市場は開放する。その代わり、缶詰と石鹸の供給を絶やすな」
「ええ、もちろんです殿下。……そちらこそ、副使節の件、穏便に処理していただき感謝します」
マイルズが微笑むと、ヒルデガルドはバツが悪そうに視線を逸らした。
「……部下の不始末は指揮官の責任だ。借りは返しただけだ」
彼女は、馬車のステップに足をかけようとして、ふと動きを止めた。
そして、意を決したように振り返り、マイルズの方へと大股で戻ってきた。
「……おい。一つ言い忘れていた」
「はい? 何でしょう」
ヒルデガルドは、周囲の視線を気にするようにキョロキョロとした後、マイルズの胸倉を掴んで、強引に顔を近づけた。
耳元で、熱い吐息交じりの声が囁かれる。
「……貴様は、私を負かした男だ。その首と、その技術は、いずれ私が貰い受ける」
「は?」
マイルズが目を丸くする。
ヒルデガルドの顔が、茹でたカニのように赤くなっている。
「私が女帝として即位した暁には……貴様を、私の『配偶者』として迎えてやる! ……だから、それまで誰のものにもなるな! いいな!」
「……へ?」
マイルズが反応する間もなく、彼女は弾かれたように身を離した。
「い、以上だ! 出発! さっさと馬を出せ!」
彼女は逃げるように馬車に飛び乗った。
「御者! 急げ!」
鞭の音が響き、馬車列が砂煙を上げて走り去っていく。
窓から顔を出したヒルデガルドは、顔を両手で覆いながら、それでも隙間からマイルズを見ていた。
「……凄まじい告白でしたわね」
隣でエリーゼが、扇子をバキリと音を立ててへし折りながら、冷ややかな声を出した。
「配偶者予約……。商売敵どころか、恋敵まで増やしてどうしますの?」
「計算外の変数です。……帝国皇室との婚姻によるメリットと、ハーレム形成における序列リスクを再計算します」
シンシアも無表情だが、メモを持つ手が小刻みに震えている。
父ロッシュだけが、「やるな、息子よ」とニヤニヤしていた。
マイルズは遠ざかる馬車を見送りながら、苦笑するしかなかった。
「やれやれ。……重い『予約』が入ってしまったな」
だが、最強の軍事国家が、将来的な「身内」になったことは、バーンズ領にとって最大の安全保障となるだろう。
◇
帝国の使節団が去り、バーンズ領には再び日常が戻ってきた。
だが、それは以前の日常とは違う、活気に満ちたものだった。
条約に基づき、帝国との交易が正式に開始されたのだ。
街道には商人の馬車が行き交い、赤錆山で作られた農具や缶詰が、飛ぶように売れていく。
逆に、帝国からは質の良い羊毛や、希少な鉱物資源が入ってくるようになった。
「順調ですね、マイルズ様」
執務室で、シンシアが月次報告書を提出する。
「今月の税収は過去最高を更新。……帝国の関税撤廃が効いています」
「ああ。これでまた、次の投資ができる」
マイルズは窓の外を眺めた。
煙突から煙を上げる工場。黄金色の小麦が揺れる農地。そして、学校に通う子供たちの声。
この一年で、バーンズ領は劇的に変わった。
季節は巡り、初夏。
マイルズは先日11歳を迎えた。
父ロッシュを支える「次期領主」としての風格も板につき、領民からの信頼は絶大なものとなっていた。
「だが、油断はできない」
マイルズは気を引き締めた。
「光が強くなれば、影も濃くなる。……我々の繁栄を、快く思わない連中はまだいる」
その予感は、的中することになる。
◇
その日の夜。
領主館の大浴場。
マイルズは一人、湯船に浸かりながら、自らの体を見下ろしていた。
「……成長期、だな」
湯気の中で確認するその体は、もはや十歳の頃の華奢なものではなかった。
日々の剣術訓練と、現場での作業。
そして何より、常時発動しているスキル『生命(ヴィータ)』による細胞の活性化。
それらが、彼の肉体を急速に作り変えていた。
胸板は厚くなり、腹筋は美しく割れている。
腕の筋肉もしなやかで、鋼のような強靭さを秘めていた。
だが、最も顕著な変化は、やはり「そこ」だった。
マイルズは、股間のモノを改めて確認する。
(……でかいな)
前世の記憶にある、平均的な成人男性のサイズを既に超えている。
まだ11歳だというのに、平常時でこの重量感。
もし昂ったならば、凶器になりかねないサイズだ。
「神様も、随分と極端なギフトをくれたものだ」
マイルズは苦笑した。
『生命』のスキルは、生殖機能にも強く作用しているらしい。
精力絶倫、子孫繁栄。
人の上に立つ者としてはありがたい資質だが、これを受け止める相手は大変だろう。
「……エリーゼやシンシア、それにあの皇女様か」
彼女たちの顔を思い浮かべ、マイルズは首を振った。
「ま、今は内政だ。女遊びは、もう少し大人になってからだな」
彼は湯から上がり、鏡の前で水滴を拭った。
そこに映るのは、完璧な美貌と、魔性の色気を纏い始めた少年の姿。
マイルズ・バーンズは、名実ともに「男」としての武器を磨き上げつつあった。
◇
一方その頃。
バーンズ領から遥か西。
宗教国家「聖教国」の首都、聖都(ホーリー・キャピタル)。
大陸最大の宗教組織「ルミナス教」の総本山である大聖堂の奥深くで、数人の老人たちが円卓を囲んでいた。
彼らは皆、深紅の法衣を纏った高位聖職者――枢機卿たちだ。
「……報告は聞いているか」
一人の枢機卿が、重々しく口を開いた。
「東のニース王国。辺境のバーンズ領にて、『神の理』を冒涜する動きあり、とな」
「ああ。聞いているとも」
別の男が、嫌悪感を露わに吐き捨てる。
「目に見えぬ虫が病を起こすだと? 穢れを水で流せば清まるだと? ……荒唐無稽な妄言だ。病は神の試練であり、祈りによってのみ癒やされるものだ」
「だが、その妄言によって、実際に疫病が収まり、王都の水が浄化されたという事実もある」
「それが問題なのだ! 科学などという異教の技で奇跡を起こされては、教会の威信に関わる!」
ドン、と机が叩かれた。
「それに、あの『蒸気機関』とかいう鉄の塊。……あれは世界を汚す。神が与えたもうた魔石(マナタイト)を使わず、黒い煙を吐いて走るとは、悪魔の所業だ」
彼らにとって、マイルズの行う改革は全て「異端」だった。
医学は、祈りの力を否定する。
蒸気機関は、神の恵み(魔石)を否定する。
民衆が教会よりも科学を信じるようになれば、彼らの支配基盤が崩れる。
「放置できん」
上座に座る、最も地位の高そうな老人が言った。
異端審問官総長、ベルナルド。
痩せこけた頬に、狂信的な光を宿した目をしている。
「その少年……マイルズ・バーンズと言ったな。神の恩寵を騙る悪魔憑きか、あるいは古の禁忌に触れた愚か者か」
ベルナルドは、机の上の地図――バーンズ領の位置に、短剣を突き立てた。
「異端審問官を派遣せよ。……その技術が神の教えに背くものか、見極める必要がある」
「もし、背いていると判断されれば?」
ベルナルドは、歪んだ笑みを浮かべた。
「決まっておろう。……浄化だ。魔女裁判にかけて、その身を聖なる炎で焼き尽くしてくれる」
ロウソクの火が揺れる。
バーンズ領の繁栄を妬む者は、世俗の権力者だけではなかった。
人の心と信仰を支配する、最強の権力。
神の代弁者たちが、マイルズに向けて動き出そうとしていた。
鉄と蒸気の次は、血と十字架。
マイルズの内政は、ついに「宗教」という、科学にとって最大の天敵と対峙することになる。
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