覇道の流儀~没落確定の辺境伯令息は、血と謀略で冷酷なる公爵令嬢たちを支配(愛)する~

namisan

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第2章

第27話:『血を流さぬ凶刃と、飢餓を操る悪魔の算盤』


 ツー、と。
 純白の大理石テーブルに広げられた、神聖ルクセンディア王国の巨大な羊皮紙の地図。その表面を滑っていたアルベルトの青白い人差し指が、大陸最大の河川と街道が交わる『物流の心臓部』を示す小さなインクの染みの上で、ピタリと停止した。
 その細い指先が羊皮紙を押し込む、微かな摩擦音。
 白亜の密室を支配していたのは、暖炉の薪が爆ぜる音すら遠く感じるほどの、極限まで圧縮された沈黙だった。
 アルベルトの放った『黒字倒産』という、この世界には存在しない異端の言語。
 その言葉の意味する真の恐ろしさを、大広間に残された二人の怪物は、それぞれの持つ極限の知性と経験によって、ゆっくりと、しかし確実に咀嚼し始めていた。
「……兵糧攻め、か」
 重い沈黙の底を割って、父ヘルマンの地鳴りのような声が低く響いた。
 老将の猛禽類の瞳が、アルベルトの指先が押さえている地図の一点を、鋭く睨み据えている。
「城を落とす時、最も確実で残酷なのは、城壁を叩くことではない。補給線を断ち、水源に毒を撒き、内側から飢えさせることだ。……飢餓に狂った兵士は、いずれ主君の肉すら喰らい始める。お前はそれを、政治という盤上で、剣も火も使わずにやるというのか」
 ヘルマンの分厚い手は、無意識のうちに腰の剣の柄を強く握りしめていた。
 歴戦の武将である彼にとって、戦争とは血と鉄の匂いがする物理的な破壊だ。しかし、目の前の息子が提案しているのは、一滴の血も流さず、一つの村も焼かずに、国家の半数を支配する巨大な派閥を『餓死』させるという、あまりにも非現実的で、だからこそ背筋が凍るほどに恐ろしい兵法だった。
「その通りです、父上」
 アルベルトは地図から視線を上げず、冷徹な肯定を返した。
「宰相ヴィルヘルムは、強固な城壁(権力)を持っていますが、その城壁を維持するための莫大な『維持費』を毎日消費し続けている。貴族たちへの賄賂、私兵団への給金、そして彼ら自身の豪奢な生活費。……それらはすべて、彼が王国の経済という名の河川から、不正に吸い上げている『金(血液)』によって賄われているのです」
 アルベルトの漆黒の瞳が、羊皮紙の上に描かれた王都の紋章を、まるで腐敗した臓器を観察する解剖医のような冷たさで見下ろした。
「もし、私たちが剣を抜いて暗殺者を放ち、宰相の首を物理的に撥ねたとしても。彼らは『悲劇の殉教者』を掲げて結束を強め、新たな頭をすげ替えて再び私たちに牙を剥くだけです。……だが、彼らの金庫(血液)への供給源を、合法的な経済操作で完全に断ち切ってしまえばどうなるか」
 アルベルトは、突き立てていた人差し指を、トントン、と冷たく羊皮紙に叩きつけた。
「金が途絶えた瞬間、彼らが誇る忠誠心という名のメッキは剥がれ落ちる。給金の払われない私兵は暴動を起こし、賄賂の途絶えた貴族たちは、沈みゆく泥船から逃げ出そうと互いの足を引っ張り合い、内部告発を始める。……宰相を殺すのは、私たちの刃ではありません。彼がこれまで金で飼い慣らしてきた、身内のハイエナたち自身の手によって、彼はその身を引き裂かれるのです」
 血を流さぬ凶刃。
 それは、ま暴力よりも遥かに残酷で、法よりも遥かに逃れようのない『数字という名の死刑台』であった。
 アルベルトの語るその冷酷無比なロジックを至近距離で聞いていたエレオノーラは、大理石のテーブルに両手をついたまま、微動だに停止していた。
 彼女のアイスブルーの瞳は、限界まで見開かれ、アルベルトの指先と王都の紋章を激しく往復している。
 彼女の脳内で、これまで自分が描いてきた『政治闘争』という名の常識が、音を立てて崩壊し、全く新しい、凶悪な概念へと書き換えられていくのが分かった。
 法案の否決、議会での糾弾、貴族同士の婚姻による派閥の切り崩し。
 そんなものは、巨大企業(国家)を解体するためのおままごとに過ぎなかったのだ。相手の首を絞めるのではなく、相手が呼吸している『空気そのもの(経済)』を奪い取る。
「……黒字、倒産」
 エレオノーラの、蜂蜜のように艶やかな唇から、初めてその異端の単語が、呪文のように紡ぎ出された。
「帳簿の上では利益が出ているように見せかけながら、手元の資金(現金)を枯渇させ、支払いを不能に陥らせて破滅させる。……そういう意味ね、アルベルト?」
「ご名答です。さすがは、次期女王と謳われるお方だ。理解が早い」
 アルベルトは、前世の専門用語を即座に本質まで噛み砕いた天才令嬢に向かって、薄く、しかし本物の賞賛を込めた笑みを向けた。
「宰相の派閥は大きすぎます。彼らは自分たちが絶対に破滅しないという傲慢さゆえに、莫大な資金を『信用』という目に見えない鎖で回している。……その信用の鎖の『たった一つの環』を、私たちが少しだけ歪めて、切断してやれば。巨大な派閥の資金繰りは、ドミノ倒しのように連鎖的に崩壊していく」
 エレオノーラは、ハッと息を吐き出し、自らの美しい顔を片手で覆った。
 彼女の白い肩が、小刻みに震えている。
 恐怖ではない。それは、自らが手に入れた『共犯者』が、自分の想像を遥かに超える、国家という概念すら解体しうる本物の怪物であったという、震えるほどの歓喜と興奮だった。
「あはは……! 素晴らしいわ、アルベルト。あなたのその頭蓋骨の中には、一体どれほど恐ろしい悪魔が棲み着いているの? ……剣も魔法も使わず、ただ数字と帳簿を操作するだけで、王国の半分を支配する老狐を、飢えた野犬の群れに引きずり下ろさせるなんて」
 エレオノーラは、覆っていた手をどけ、熱を帯びたアイスブルーの瞳でアルベルトを至近距離から見つめ返した。
 彼女の透き通るような肌は、極度の知的な興奮によって微かに紅潮し、その美貌はより一層、致死量の猛毒のような妖艶さを増していた。
「私たちが玉座に至るための、最初の血祭り。……ええ、最高の舞台だわ。でも、アルベルト。宰相の資金源は、王都の地下水脈のように複雑に絡み合っている。一体どこから、その『信用の鎖』を引きちぎるつもりなの?」
「心臓の血管を斬る前に、まずは手足の末端から腐らせるのが定石です」
 アルベルトは、大理石のテーブルからゆっくりと身体を起こした。
 その漆黒の瞳には、すでにこれから行われる冷酷な経済的殺戮の、完璧な貸借対照表が組み上がっていた。
「宰相派の莫大な裏金は、王都の貴族の館に眠っているわけではありません。……それを実際に動かし、洗浄し、利益を生み出しているのは、彼らと癒着している『商人たち』です。まずは、宰相の最も太い資金パイプとなっている、あの物流の拠点に巣食う『巨大な寄生虫』を標的にします」
 アルベルトの視線が、再び羊皮紙の地図の、あの一点へと落とされる。
「彼らに、この世で最も甘く、そして絶対に逃れることのできない『絶望の投資話』を持ちかけて差し上げましょう。……我がローゼンベルク家が、分家から奪い返した『金貨一万数千枚の現物』という、圧倒的な資本(ルアー)を餌にして」
 白亜の密室。大理石のテーブルの上。
 剣の時代を終わらせ、数字と欲望で国家を喰い破るための、血も涙もない悪魔の算盤が、今、静かに弾かれ始めたのであった。
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