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第20話 油まみれの招待状と、蒸留された薔薇(スチーム・パフューム)
蒸気トラクターが唸りを上げ、開墾されたばかりの農地を耕していく。
港では、海軍カレーで活力を取り戻した水兵たちが、元気に荷下ろしを手伝っている。
遠くからは、削岩機が山を切り拓く重低音が響く。
ベルナ領は今、かつてない活気に満ちていた。
領主代行である私も、ここ数日は工廠(こうしょう)に泊まり込み、油と煤(すす)にまみれて機械の調整に明け暮れていた。
「……ふぅ。これでボイラーの圧力は安定したな」
私が顔の汗を拭っていると、執務室の方からエレナが早足でやってきた。
彼女の手には、金箔で縁取られた豪奢な封筒が握られている。
そして、その顔は「また面倒事が起きた」と雄弁に語っていた。
「アレン様。……王都から『召喚状』です」
「軍部か? それとも技術局?」
「いいえ。もっと手強い相手ですわ」
エレナが差し出した封筒の蝋封には、『黄金の天秤』の紋章。
メディシス侯爵令嬢、リリアーナからだ。
『親愛なるアレン様。
ベルナ領の発展、心よりお慶び申し上げます。
さて、来週、王都にて我がメディシス家主催の夜会が開かれます。
当然、いらっしゃいますわよね?
……追伸。泥だらけの作業着で来たら、門前払いですわよ?』
行間から、「逃がさない」という強烈な圧を感じる。
私は天を仰いだ。
「夜会、か……。正直、機械いじりの方が百倍楽しいんだが」
「お断りできませんよ。メディシス家は今や当家の最大スポンサーです。それに……」
エレナが眼鏡の位置を直しながら、鋭い指摘をした。
「ベルナ領の商品は、確かに売れています。ですが、王都の貴族たちはまだ、貴方を『成り上がりの田舎者』としか見ていません。今後、さらに大規模な商売をするなら、社交界での『格』が必要です」
「……顔を売ってこい、ということか」
分かっている。
技術だけでは国は動かない。政治と人脈が必要だ。
私は覚悟を決めた。
「分かった。行くよ。……ところでガルシア、私のタキシードはどこだ?」
控えていた家令のガルシアが、気まずそうに目を逸らした。
「えー……アレン様が最後に袖を通したのは三年前、王都の学院へ行く前でして……。成長された今の体格では、おそらく……」
「……入らないか」
服がない。
致命的だ。今から仕立てても間に合わない。
「あるもので何とかするしかないな。……それに、ただ顔を出すだけじゃ面白くない」
私はニヤリと笑った。
「リリアーナ嬢は『商売の天才』だ。私が手ぶらで行けば失望するだろう。……彼女の度肝を抜く、最高の『手土産』を持っていく」
◇
私はすぐに工廠へ戻り、レイノルズ博士を叩き起こした。
今度は動力機関ではない。
もっと繊細で、しかし女性にとっては蒸気機関以上に価値のある装置を作る。
「博士。ボイラーの蒸気を『冷却管』に通すラインを作ってください」
「ん? 復水器か? 真水を作るのか?」
「似たようなものです。ですが、今回は水ではなく『花』を使います」
私が用意させたのは、領内の山野に自生している野生の薔薇(ワイルドローズ)と、ラベンダーだ。
これをタンクに詰め込み、下から蒸気を通す。
高温の蒸気が花の細胞を壊し、香り成分(精油)を含んで気化する。
それを冷却管で急激に冷やせば――
「……出たぞ! なんだこの液体は!?」
冷却管の出口から、一滴、また一滴と、透き通った液体が滴り落ちる。
その瞬間、むせ返るような芳醇な香りが工場内に充満した。
「『水蒸気蒸留法』です。水と油の比重差を利用して、表面に浮いた『精油(エッセンシャルオイル)』と、下の『フローラルウォーター』を分離します」
私はスポイトで、上澄みのオイルを慎重に吸い取った。
黄金色に輝く、純度100%の薔薇の精油。
この世界にある従来の香水は、花を油に漬け込んだだけの「浸出油」が主流で、香りが弱く、すぐに酸化して臭くなる。
だが、これは違う。
一滴で部屋中を薔薇園に変えるほどの、凝縮された「香りの宝石」だ。
「これを、私が精製した高純度アルコールで希釈すれば……『オードトワレ』の完成だ」
さらに、私はもう一つの仕掛けを用意した。
蒸気機関の熱を利用して、蚕(カイコ)の繭(まゆ)を煮る。
従来の釜茹で法よりも高温高圧で処理することで、セリシン(不純物)を完璧に除去し、絹糸に驚異的な光沢と柔らかさを与える。
『スチーム・シルク』だ。
「これなら、王都の貴婦人たちも目の色を変えるはずだ」
◇
出発の朝。
私は、古いタキシードをエレナとシオンに修繕してもらい、なんとか袖を通していた。
少し丈が短いが、逆にモダンに見えなくもない。
襟元には、スチーム・シルクで作った真紅のポケットチーフ。
そして懐には、薔薇の香水を詰めたクリスタルの小瓶。
「……いかがですか、若様」
見送りに来たガルシアが、涙ぐみながらお辞儀をした。
「立派になられましたな。……まるで、亡き大旦那様(祖父)のようです」
「お世辞はいいよ。……留守は頼んだぞ、みんな」
私は銀鱗商会の特別仕様馬車――もちろん、最新のサスペンション付き――に乗り込んだ。
御者はメリッサだ。
「へっ、若旦那。今日はいつになく男前じゃないか」
「からかうな。……全速力で頼む。リリアーナ嬢を待たせると怖いからな」
「合点承知!」
鞭が鳴る。
馬車は滑るように加速し、ベルナ領を後にした。
目指すは王都。
そこには、泥臭い開発現場とは違う、華やかで、嘘と欲望が渦巻く「夜の戦場」が待っている。
(待っていろ、王都。……田舎者の技術屋が、どんな香り(サプライズ)を持ってくるか、教えてやる)
私はポケットの小瓶を握りしめた。
ベルナ子爵家、社交界への殴り込みである。
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