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第3話 凍土の脈動と黒い土
アインハルト領の空は、今日も重苦しい鉛色に覆われていた。
屋敷を出て一時間。ガタガタと悲鳴を上げる旧式の馬車に揺られながら、アレクは車窓の外に広がる荒野を眺めていた。
「……酷いな。想像以上だ」
視界に映るのは、収穫を終えたばかりの農地ではない。ただ枯れ草がへばりつき、霜柱が立ち並ぶだけの凍てついた大地だ。
向かいに座るシルヴィアが、手元の手帳に目を落としたまま答える。
「ええ。今年は特に冷え込みが厳しく、冬小麦の生育も絶望的です。領民たちは備蓄の芋と、森で採れる木の実でなんとか食いつないでいますが、それも時間の問題でしょう」
「餓死者が出る寸前、か」
「はい。例年通りであれば、冬越しの間に一割の領民が命を落とします」
淡々と語られる「一割」という数字の重みに、アレクは奥歯を噛み締めた。
経営において、数字は指標だ。だが、ここでは数字の一つ一つが人の命に直結している。
「馬車を止めてくれ。少し歩く」
「旦那様? ここはまだ農村の手前ですが」
「ここが良いんだ。土の状態を見たい」
アレクの指示で御者が手綱を引き、馬車が停止した。
馬車を降りると、凍てつくような寒風が頬を叩いた。
アレクはあぜ道にしゃがみ込み、足元の土に触れた。硬い。まるで石のように凍結している。指先に力を込めても、表面の砂利がわずかに動くだけで、作物を育てる土の柔らかさは微塵もない。
「……解析(アナライズ)」
アレクは小さく呟き、魔力を瞳に集中させた。
視界が色彩を変える。
荒涼とした風景の上に、無数の「情報」の線が重なった。
土壌の成分構成、水分量、温度分布、そして――地下深くを流れる「地脈」の輝き。
(なるほど、原因はこれか)
アレクの目には、大地の血管とも言うべきマナの流れがはっきりと見えていた。
本来であれば、地脈からの温かなマナが地表まで染み出し、土壌を活性化させているはずだ。しかし、この土地の地下五十メートル付近に、分厚い「遮断層」が存在している。
過去の地殻変動か、あるいは何らかの魔法的な影響か。硬質な岩盤が蓋となり、地熱とマナの上昇を完全に堰き止めていたのだ。
そのせいで地表は冷え切り、栄養分も循環せず、作物が育たない死に体となっている。
「旦那様、いかがなさいましたか?」
シルヴィアが背後から不安げに声をかけた。
アレクは立ち上がり、手についた泥を払う。
「シルヴィア、このあたりの土は『呪われている』とか『死んだ土地』とか言われていないか?」
「……はい。古くからの伝承で、地母神に見放された土地だと。どれだけ肥料を入れても作物が育たないと、農夫たちは嘆いております」
「神の祟りじゃない。単なる『配管詰まり』だ」
「配管、ですか?」
「ああ。栄養と熱を運ぶパイプが詰まっているだけだ。詰まりを取れば、また流れる」
アレクは再び地面に片膝をつき、今度は両手を大地に押し当てた。
屋敷の窓枠を直した時とは比べ物にならない、膨大な質量への干渉。
だが、今の彼には、短剣の修復で得た自信と感覚がある。
(イメージしろ。地下の岩盤に亀裂を入れ、通路を作る。堰き止められたダムを決壊させるように)
体内の魔力を練り上げ、両手から地下深くへと流し込む。
――物質再構築(クラフト)。
対象は地下五十メートルの岩盤層。
指定範囲、半径百メートル。
形状変更――『破砕』および『多孔質化』。
「……通れッ!!」
アレクが気合と共に魔力を叩きつけた瞬間、
ズズズ……ッ。
腹の底に響くような、低い地鳴りが起きた。
シルヴィアがバランスを崩しそうになり、慌ててアレクの肩を掴む。馬車の馬がいななき、御者が必死になだめる。
「じ、地震!?」
「いや、違う!」
地鳴りは数秒で収まった。
直後、足元の地面から「シューッ」という音が漏れ始めた。
アレクの目の前の亀裂から、白い蒸気が立ち上る。
それは温泉の湯気のような、温かく湿った空気だった。地下で滞留していたマナと地熱が、開いた穴を通って一気に噴き出してきたのだ。
それだけではない。
カチカチに凍っていた土が、蒸気に触れてみるみるうちに解凍されていく。灰色だった土の色が、水分を含んだ濃い黒色へと変わり、ふわりとした質感を取り戻していく。
「こ、これは……」
シルヴィアが目を見開き、口元を押さえた。
彼女の足元、革靴の底を通して、確かな「温かさ」が伝わってきているはずだ。
ほんの数分前まで氷点下の凍土だった場所が、今は春先の陽だまりのような温度を保っている。
「地下の岩盤に穴を開けて、地脈のエネルギーを地表まで誘導した。これなら肥料も効くし、冬でも根が凍ることはない」
アレクは額の汗を拭いながら立ち上がった。さすがに規模が大きかったため、軽い立ちくらみを覚える。
「これが……旦那様の魔法……」
シルヴィアは震える手で、黒くなった土を掬(すく)い上げた。
その土は温かく、生命力に満ちていた。農作を知る者ならば、誰もが喉から手が出るほど欲しがる「生きた土」だ。
「信じられません。数百年、誰も解決できなかったこの土地の病を、たった一度の魔法で……」
「まだ試作段階だ。領地全体に行うには骨が折れるが、不可能じゃない」
アレクは呆然とするシルヴィアに手を差し伸べた。
「さあ、行こうか。村の連中を集めてくれ。この土を見せて、希望を語るんだ。来年の春には、この領地を黄金の小麦畑に変えてみせるとな」
シルヴィアはアレクの手を見つめ、そして強く握り返した。
その瞳には、もはや疑念の色は微塵もない。あるのは、主君への強烈な信奉の炎だった。
「……はい! 直ちに手配いたします!」
凍てついた大地の下で、領地の運命が大きく脈打ち始めていた。
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