野党の党首は、女総理を失脚(おと)したい。~政敵同士の不純な密約~

namisan

文字の大きさ
2 / 5

第2話 密室の取引

しおりを挟む

 午後二十一時五十分。
 都心の夜景を一望できる五つ星ホテル「グラン・ミラージュ」。その最上階にあるスイートルームの前に、私は立っていた。
 SPは巻いた。秘書には「偏頭痛が酷いので官邸の私邸で休む。誰の取り次ぎもするな」と厳命してある。
 深めに被った帽子のつばと、大きなマスク。地味なパンツスーツ。鏡に映った自分の姿は、一国の総理大臣には到底見えなかっただろう。ただの、後ろめたい秘密を抱えた女だ。
 カードキーを差し込む手が震える。
 ガチャリ、と電子ロックが解除される乾いた音が、断頭台の音のように響いた。
「……遅いじゃないか」
 重厚な扉を開けると、リビングのソファに加賀美瑛士が座っていた。
 国会で見せるきっちりとしたスーツ姿ではない。シャワーを浴びた直後なのだろうか、白いシャツのボタンを胸元まで開け、濡れた前髪が無造作に額にかかっている。片手にはウィスキーのグラス。
 そのリラックスした姿が、逆に私を萎縮させた。ここは彼のテリトリーなのだ。
 私は帽子とマスクを外し、努めて冷静な声を作る。
「約束の時間前よ。……それで、話って何? スキャンダルのネタって」
 瑛士はグラスをテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がった。
 長身の彼が近づいてくると、室内の空気が一気に薄くなるような圧迫感を覚える。彼は私の前で立ち止まると、面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「相変わらずだな、凛。十年ぶりに二人きりになった元恋人に対して、挨拶もなしか」
「感傷に浸るつもりはないわ。私は総理として、危機管理のために来ただけ」
「総理として、か」
 瑛士の手が伸び、私の顎を強引に上向かせた。
 抵抗しようとしたが、その指の力は強く、逃げられない。
「十年前、俺を捨てて選んだ権力の味はどうだ? 孤独で、寒くて、誰にも頼れない場所だろう?」
「……離して」
「お前の党の幹事長、裏で動いてるぞ。次の選挙で凛を引きずり下ろして、自分が椅子に座るつもりだ。その証拠音声、俺の手元にある」
 息を呑んだ。
 党内の不穏な動きは察知していたが、まさかそこまで具体的になっていたとは。もしそれが野党党首である瑛士から暴露されれば、内閣不信任案の可決は免れない。
「……いくら欲しいの?」
「金?」
 瑛士は呆れたように笑い、ふいに私の腰に腕を回して引き寄せた。
 ドン、と胸板に顔が押し付けられる。彼の体温と、微かなムスクの香りが脳を痺れさせる。
「俺の実家が資産家なのを知ってるだろう。金なんて腐るほどある」
「じゃあ、ポスト? 連立政権でも組みたいの?」
「そんな面倒なものはいらない。俺が欲しいのは……」
 彼の顔が近づき、唇が触れそうな距離で止まる。
 熱っぽい瞳。獲物を完全に追い詰めた猛獣の目。
「お前だ、凛」
「……っ!」
「俺の女に戻れ。総理大臣としての権限も、プライドも、身体も。全部俺に預けろ」
 あまりに不遜な要求に、頭が真っ白になる。
「馬鹿なこと言わないで! 私は一国の……」
「なら、帰っていいぞ。明日の朝刊が一面トップで報じるだけだ。『女性総理、党内に見捨てられ退陣へ』とな」
 彼は拘束を緩めた。
 逃げようと思えば逃げられる。けれど、足が動かない。
 今、ここで帰れば、私は全てを失う。長年の夢も、積み上げてきた政策も、何もかも。
 それを分かっていて、彼は私を試しているのだ。
「……卑怯よ、瑛士」
「知ってるさ。お前に捨てられたあの日から、俺は聖人君子であることをやめたんだ」
 瑛士の手が、私のジャケットのボタンに掛かる。
 拒絶しなければならない。けれど、身体の奥底が熱く疼くのを止められない。
 十年前、愛し合った記憶。彼だけが私を「ただの凛」として見てくれた、あの日々。
 孤独な頂点に立ち続けてきた私の心は、敵であるはずの彼の腕の中で、皮肉にも安らぎを求めていた。
「いい子だ」
 抵抗しない私を見て、瑛士は満足げに囁く。
 そして、私の唇を塞いだ。
 国会論戦のような駆け引きのない、一方的で、深く、所有欲に満ちたキス。
 私の思考はそこでプツリと途切れ、泥沼のような背徳の夜へと堕ちていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

初体験の話

東雲
恋愛
筋金入りの年上好きな私の 誰にも言えない17歳の初体験の話。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

処理中です...