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第4話 裏切り者への鎮魂歌(レクイエム)
しおりを挟む「やあ、総理。顔色が優れないようだが、大丈夫かね?」
執務室に入ってきた鮫島幹事長は、相好を崩して私に歩み寄ってきた。
白髪の上品な老紳士。父の盟友であり、私の後見人。この笑顔に、私は今までどれほど救われてきたことだろう。
――全部、嘘だったというのに。
「少し寝不足なだけです。ご心配には及びません」
「それはよくない。君は国の顔だ。美容のためにも睡眠はとらないと。……ああ、そういえば例の補正予算案だがね、党内の調整が少し難航していてな」
鮫島はソファに深く腰掛け、わざとらしく眉を下げてみせた。
「長老連中が首を縦に振らんのだよ。君の『改革』は急進的すぎるとね。ここは一度、廃案にして仕切り直してはどうだ?」
来た。
私の看板政策を潰し、支持率を下げ、私に責任を取らせて辞任に追い込むシナリオ。瑛士の言っていた通りだ。
「幹事長。その『長老連中』というのは、具体的にどなたですか?」
「ん? まあ、それは……いろいろだよ」
「それとも、あなたご自身のご意見ですか?」
私が冷徹な声で切り込むと、鮫島の目が怪訝そうに細められた。
私は手元の引き出しから、あのICレコーダーを取り出し、デスクの上に置いた。
「面白いものを拾いましてね。聞いていただけますか」
再生ボタンを押す。
静まり返った執務室に、鮫島のしわがれた嘲笑が響き渡った。
『……九条の小娘はもう用済みだ』
『女に神輿は重すぎたんだよ』
鮫島の表情が凍りついた。
余裕の笑みは消え失せ、顔面が土気色に変わっていく。唇がわなわなと震え、何かを言いかけようとして、言葉にならない空気を吐き出す。
「こ、これは……誰が……捏造だ!」
「音声解析にかけましょうか? それとも、このままマスコミに流して、国民の判断を仰ぎますか? 『与党の重鎮、女性総理を侮蔑発言』。週刊誌が大喜びしそうな見出しですね」
私はレコーダーを止め、冷たい瞳で彼を見下ろした。
不思議と、心は凪(な)いでいた。怒りも悲しみも通り越し、ただ目の前の害虫を排除する事務作業のような感覚。
「鮫島先生。長年のご功労に敬意を表して、選択肢を差し上げます」
「……」
「今すぐ『体調不良』を理由に幹事長を辞任し、政界引退を表明してください。そうすれば、この音声は私の墓場まで持っていきます。……ですが、もし拒否されるなら」
私はニッコリと、能面の笑みを浮かべた。
「あなたの一族が経営する関連企業の『不正受給疑惑』も含めて、徹底的に膿(うみ)を出させていただきます」
鮫島が息を呑んだ。
不正受給の件はハッタリだ。だが、後ろ暗いところのある人間ほど、不確定な脅しに弱い。
数十秒の沈黙の後、鮫島はがっくりと項垂(うなだ)れた。一気に十年分老け込んだように見えた。
「……分かった。……辞めよう」
捨て台詞もなく、逃げるように執務室を出ていく老人。その背中はあまりに小さかった。
ドアが閉まり、静寂が戻る。
私は大きく息を吐き出し、革張りの椅子に背中を預けた。
終わった。
党内の最大勢力を切り捨てたのだ。これからの政権運営はさらに厳しくなるだろう。だが、私の手綱を握ろうとする者はもういない。
ブーッ、ブーッ。
デスクの上に置いていた私用のスマートフォンが震えた。
画面に表示された名前を見て、心臓が跳ねる。
『加賀美 瑛士』。
「……はい」
『早かったな。五分もかかってないじゃないか』
電話の向こうから、くつくつと楽しげな笑い声が聞こえる。
背筋がゾクリとした。
「……どこで見ているの?」
『さあな。だが、想像はつくよ。あの狸親父、青い顔をして尻尾を巻いて逃げ出したんだろう?』
彼はまるで、この部屋の隅で事の顛末を眺めていたかのように言い当てる。
この男には、何も隠せない。
『よくやった、凛。それでこそ俺が抱いた女だ』
「……貴方に褒められても嬉しくないわ」
『強がるなよ。声が震えてるぞ』
図星だった。
緊張が解けた反動で、受話器を持つ手が微かに震えている。
『鮫島がいなくなれば、党内のパワーバランスは崩れる。お前の求心力も落ちるだろう』
「分かってる。だからこそ、次の手が必要よ」
『ああ。だから俺がいる』
瑛士の声が、甘く、低く響く。
『今夜の会合はキャンセルしろ。迎えに行く』
「なっ、連日なんて無理よ! 昨日の今日で……」
『言っただろ? お前の操縦席に座るのは俺だと。――ご褒美をやるよ、総理』
通話が切れた。
ツー、ツー、という電子音が耳に残る。
「ご褒美」という言葉の響きに、身体が熱く反応してしまう自分が憎らしい。
私は熱くなった頬を両手で包み、窓の外に広がる国会議事堂を見つめた。
私はもう、戻れない。
この甘美で危険な共犯関係という泥沼から。
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