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終章
闇の中の迷子
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「……フゥ~ン……フゥ~ン……」
リディアが、リビングで後悔と自責の念に囚われているのと同じ時間。
アレックスは脱衣所の床にうずくまり、自らが作り出した暗闇の中にいた。
光も、音も、熱も、全てを吸い込んで凍てつかせてしまう、冷たくて深いの闇の中だ。
「……フゥ~ン……フゥ~ン……」
その闇の中に、情けなく鼻を鳴らす自分の声だけが木霊している。
悲しい。
寂しい。
苦しい。
────そして、痛い。
生まれてこのかた『痛み』というものを実感したことがなかったアレックスは、初めて自分の内に芽生えた『心の痛み』に打ちのめされていた。
ずっと、一緒にいられると思っていた。
自分なら守れると思っていた。
それなのに、あまりにもあっさりと、彼女の光は奪われてしまった。
今はもう、彼の残り香すら薄れ始めている。
「……フゥ~ン…………」
街中を駆け回っても、見つけられなかった。
どれだけ彼の匂いを追っても、そこにあるのは無惨に引き裂かれた衣服の切れ端だけだった。
逢いたいのに。
逢って、その柔らかなお腹に頭をこすりつけたいのに。
胸いっぱいに彼の匂いを吸い込みながら、小さな手で頭を撫でてもらいたいのに。
それだけで、アレックスは世界で一番幸せになれるのに。
彼は、いない。
どこにも、いない。
「…………フ…………ゥゥ……ゥゥゥゥ…………ッ」
ポロポロと、とめどなく涙がこぼれ落ちた。
どうしていいのか分からなかった。
ただ悲しくて、苦しくて。
寂しくて、痛くて。
残された彼のパジャマに顔を埋め、アレックスは泣き続けることしかできなかった。
それ以外、何もする気が起きなかった。
リディアに声をかけられた気がする。
ミゼルに諭された気がする。
マリアベルに毛布を被せられた気がする。
ルナに、怒られた気がする。
本当は、自分も仲間たちのように彼を探さなければならないことは分かっていた。
でも、脚が動かなかった。
彼を見つけたと思ったのに、それが布の切れ端だった時の恐怖が忘れられないのだ。
心臓を串刺しにされたのではないかと思うほど、痛かった。
血が全て凍りついたのではないかと思うほど、寒かった。
世界中の空気がなくなってしまったのではないかと思うほど、苦しかった。
それを、何度も、何度も繰り返した。
今度こそ彼だ。
次こそ彼だ。
そう信じて走り、たどり着いた先で打ちのめされた。
何度も、何度も。
何度も、何度も。
回数を重ねるごとに痛みは増し、恐怖で脚は重くなり、悲しみは心を埋め尽くした。
そして、全ての切れ端を集め終えたところで、足が止まった。
震える手で切れ端を握り締めながら、自分を支えていた何かが折れたのを感じた。
その後、家までどうやって帰ってきたのかは、あまり覚えていない。
帰ってきてから何をやっていたのかも、あまり覚えていない。
フラフラと、ただ彼を求めて彷徨っていたような気はする。
洗濯カゴの中に入っていた彼のパジャマを見つけてからは、それにしがみついて泣いた。
今も、泣いている。
泣き続けている。
自分の弱さを、思い知らされた。
最強など、幻想に過ぎなかった。
現にアレックスは、一番大事なときに、何の役にも立てないでいる。
敵がいなければ、戦えない。
そんな強さに、一体何の意味があるのだろうか。
少なくとも今、抗いようのない悲しみの前に、彼女は全くの無力だった。
「────あの方を攫った犯人が誰か、分かりましたっ!」
そんなマリアベルの叫びが、聞こえてくるまでは。
「…………」
少年のパジャマに顔を伏せたまま、アレックスの耳がピンと立ち上がった。
次にゆっくりと顔が上がり、泣きはらした目がリビングの方向へと向けられた。
少しだけ、体に力が戻るのを感じた。
それを確かめるように床に手を付き、上体を起こす。
足に力を込め、四つん這いになる。
だんだん、意識もハッキリしてきた。
マリアベルの叫んでいた言葉が、頭の中に染み込んでくる。
『────攫った犯人が、分かりましたっ!』
「…………っ」
全身の毛が逆立つ。
体に力が漲っていく。
震えが止まり、呼吸が楽になる。
闘志が、恐怖を追いやっていく。
「ウゥゥ……ッ」
鼻からではなく、喉の奥から低い唸りを上げ、アレックスは立ち上がった。
────『敵』がいるのなら、戦える。
彼のためなら、彼を取り戻すためなら、どんな相手とだって戦える。
アレックスはしっかりとした足取り歩き、脱衣所の扉に手をかけた。
ドゴンッ!
つい力が入りすぎたのか、扉が吹き飛んでいって向かいの壁に激突したが、そんなことに構っている暇はない。
戦いが、待っているのだ。
彼が、待っているのだ。
少年のパジャマを握り締めたまま、アレックスはリビングへ向かって駆けて行った。
リディアが、リビングで後悔と自責の念に囚われているのと同じ時間。
アレックスは脱衣所の床にうずくまり、自らが作り出した暗闇の中にいた。
光も、音も、熱も、全てを吸い込んで凍てつかせてしまう、冷たくて深いの闇の中だ。
「……フゥ~ン……フゥ~ン……」
その闇の中に、情けなく鼻を鳴らす自分の声だけが木霊している。
悲しい。
寂しい。
苦しい。
────そして、痛い。
生まれてこのかた『痛み』というものを実感したことがなかったアレックスは、初めて自分の内に芽生えた『心の痛み』に打ちのめされていた。
ずっと、一緒にいられると思っていた。
自分なら守れると思っていた。
それなのに、あまりにもあっさりと、彼女の光は奪われてしまった。
今はもう、彼の残り香すら薄れ始めている。
「……フゥ~ン…………」
街中を駆け回っても、見つけられなかった。
どれだけ彼の匂いを追っても、そこにあるのは無惨に引き裂かれた衣服の切れ端だけだった。
逢いたいのに。
逢って、その柔らかなお腹に頭をこすりつけたいのに。
胸いっぱいに彼の匂いを吸い込みながら、小さな手で頭を撫でてもらいたいのに。
それだけで、アレックスは世界で一番幸せになれるのに。
彼は、いない。
どこにも、いない。
「…………フ…………ゥゥ……ゥゥゥゥ…………ッ」
ポロポロと、とめどなく涙がこぼれ落ちた。
どうしていいのか分からなかった。
ただ悲しくて、苦しくて。
寂しくて、痛くて。
残された彼のパジャマに顔を埋め、アレックスは泣き続けることしかできなかった。
それ以外、何もする気が起きなかった。
リディアに声をかけられた気がする。
ミゼルに諭された気がする。
マリアベルに毛布を被せられた気がする。
ルナに、怒られた気がする。
本当は、自分も仲間たちのように彼を探さなければならないことは分かっていた。
でも、脚が動かなかった。
彼を見つけたと思ったのに、それが布の切れ端だった時の恐怖が忘れられないのだ。
心臓を串刺しにされたのではないかと思うほど、痛かった。
血が全て凍りついたのではないかと思うほど、寒かった。
世界中の空気がなくなってしまったのではないかと思うほど、苦しかった。
それを、何度も、何度も繰り返した。
今度こそ彼だ。
次こそ彼だ。
そう信じて走り、たどり着いた先で打ちのめされた。
何度も、何度も。
何度も、何度も。
回数を重ねるごとに痛みは増し、恐怖で脚は重くなり、悲しみは心を埋め尽くした。
そして、全ての切れ端を集め終えたところで、足が止まった。
震える手で切れ端を握り締めながら、自分を支えていた何かが折れたのを感じた。
その後、家までどうやって帰ってきたのかは、あまり覚えていない。
帰ってきてから何をやっていたのかも、あまり覚えていない。
フラフラと、ただ彼を求めて彷徨っていたような気はする。
洗濯カゴの中に入っていた彼のパジャマを見つけてからは、それにしがみついて泣いた。
今も、泣いている。
泣き続けている。
自分の弱さを、思い知らされた。
最強など、幻想に過ぎなかった。
現にアレックスは、一番大事なときに、何の役にも立てないでいる。
敵がいなければ、戦えない。
そんな強さに、一体何の意味があるのだろうか。
少なくとも今、抗いようのない悲しみの前に、彼女は全くの無力だった。
「────あの方を攫った犯人が誰か、分かりましたっ!」
そんなマリアベルの叫びが、聞こえてくるまでは。
「…………」
少年のパジャマに顔を伏せたまま、アレックスの耳がピンと立ち上がった。
次にゆっくりと顔が上がり、泣きはらした目がリビングの方向へと向けられた。
少しだけ、体に力が戻るのを感じた。
それを確かめるように床に手を付き、上体を起こす。
足に力を込め、四つん這いになる。
だんだん、意識もハッキリしてきた。
マリアベルの叫んでいた言葉が、頭の中に染み込んでくる。
『────攫った犯人が、分かりましたっ!』
「…………っ」
全身の毛が逆立つ。
体に力が漲っていく。
震えが止まり、呼吸が楽になる。
闘志が、恐怖を追いやっていく。
「ウゥゥ……ッ」
鼻からではなく、喉の奥から低い唸りを上げ、アレックスは立ち上がった。
────『敵』がいるのなら、戦える。
彼のためなら、彼を取り戻すためなら、どんな相手とだって戦える。
アレックスはしっかりとした足取り歩き、脱衣所の扉に手をかけた。
ドゴンッ!
つい力が入りすぎたのか、扉が吹き飛んでいって向かいの壁に激突したが、そんなことに構っている暇はない。
戦いが、待っているのだ。
彼が、待っているのだ。
少年のパジャマを握り締めたまま、アレックスはリビングへ向かって駆けて行った。
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