【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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第三章

名乗らぬ客人

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 入ってきたのは小柄な、老境に差し掛かった婦人だった。黒いドレスに黒いショールを羽織り、黒いボンネットを被っている。――今時珍しいバッスル・スカートというか、はっきり言えば時代遅れの服装だ。でも祖母もそうだったように、ある程度以上の年代の人の中には、頑として流行の服装を拒否する人がいる。黒いボンネットの内側、綺麗に化粧した顔の周囲を飾る髪は、若い頃は豪奢な金髪だったと思われるけれど、今は色が抜けて銀というよりは白かった。
 
 皺の刻まれた表情は厳しく、青い瞳には軽蔑の色がありありと現れて、わたしをまっすぐに射抜く。

「どちら様でしょうか?」

 問いかける自分の声が震えていないことに、わたしは少しだけホッとする。別に怖がる必要はない。わたしは何も悪いことはしていない。

「アルバートが身分の賤しい女を連れ込んでいるのは、本当だったのね。汚らわしいこと」

 わたしは居間に入ってきた人々を見回して、もう一度尋ねる。

「どちら様ですか?」

 黒いボンネットの老婦人の隣には、三十半ばと思われる上品な夫人。やはり黒いショールに黒いドレスだが、背後のバッスルもなく、現代的なシルエット。金茶色の髪を結って、黒いヴェールのついたトーク帽を被っている。それぞれお付きと思われる、中年女性が背後についている。彼女たちもみな、喪服姿だった。

 わたしはその日、ジョージ殿下の葬儀が終わったことを受けて、喪服は脱いでいた。飾りの少ない白いブラウスの上に、チャコールグレーのカーディガン。スカートは濃いグレー地のチェック。室内のことで、髪はコテで巻いてウェーブを整えただけで、結っていない。

 わたしが三十半ばの女性をまっすぐに見れば、彼女は困ったように、ボンネットの女性に目を遣る。その女性が名乗らない以上、自分は名乗れないとでも言うように。

「お前のような無礼で下賤な女に、名乗る名などないわ」

 ボンネットの女性の、侮蔑感たっぷりな時代がかったセリフに、わたしはつい、吹き出しそうになる。突然やってきて暴言を吐いている方が、よっぽど無礼だと思ってしまったから。

 わたしの態度が気に入らないのか、ボンネットの女性の背後の、お付きの人が喰ってかかる。

「無礼な! このお方をどなたと心得る!」
「お名前をお尋ねしましたのに、名乗るのを拒否なさったのはそちらです。わたしは千里眼の才能はありませんもの、どなたかわかるわけないわ?……あなたのご主人様が名乗るつもりはないと仰ったのよ? お付きの人のあなたが勝手に名乗ってよろしいの?」

 もうわたしには、この前世紀の遺物のような人々を、からかう余裕まで生まれていた。だって、セリフからして滑稽だもの。
 何をしに来たのか知らないが、老齢の方を立たせたままにしておくのも気が引けたので、わたしはソファーを勧めてみる。

「お座りになります? 立ったままではお疲れになりますでしょ。……ってわたしの家じゃありませんけど」

 お付きの二人と、やや若い夫人が、老婦人を気遣うように見る。

「お年を召した方を立たせたままにしてはいけないと、祖母からも言われておりますの。どうぞ、お座りになってください」

 わたしが改めて言えば、三十半ばほどの上品な夫人が、老婦人に恐る恐る言う。

「お、お義母かあさま、お言葉に甘えては……」
「そなたの指図は受けぬ!」
「じゃあ、立ったままでどうぞ。好きになさって」

 からかわれているのに気づいたのだろう、老婦人がギロリと、ボンネットの下から睨みつけるけれど、わたしは笑って受け流した。

「他の方々はどうぞ、お座りになって。……護衛の方たちはもう少し下っていただけるかしら。邪魔だわ」

 邪魔、と言われた護衛の男がギっとわたしを睨むが、鼻で笑ってやった。

「だってそんなテーブルの近くにいられたら、お茶も淹れられませんわ。それとも、あなたが淹れてくださるの?」

 ちょうどタイミングよく、ヴァルタ―さんがお茶のお盆を運んできたので、男は渋々背後に下がる。
 テーブルにお盆を置きながら、ヴァルタ―さんが心配そうにわたしを見るが、わたしは口角を少し上げて微笑んだ。

「お茶はわたしが淹れます。ヴァルタ―さんはそちらに控えていて」
「は」

 喪服の女性たちがわたしの手元に注目するのを感じながら、ことさらゆったりとお茶を淹れる。

「……で、ご用件は? アルバート殿下でしたら、今はお留守ですけど」
「わたくしはお前に用があるの。……エルスペス・アシュバートン?」

 わたしは少しだけ手を止めて、ボンネットの女性をまっすぐに見た。

「ええ。わたしの名はご存知なのですね? で、ご用件をお伺いいたしましょう」
「お前のような女を、王族の妃になど認めない。アルバートの妃はステファニーよ。爵位もない平民のクセに、王族を誑かして。汚らわしい。とっとと田舎にお帰り!」
「そんなこと、誰かわからない方に言われても、返答のしようもございませんわ」
「しらばっくれないで!」

 わたしは彼女の顔をまじまじと見た。――国王夫妻の肖像画は見たことはあるが、それはもう、何十年も昔に描かれたものだ。王妃陛下は写真が嫌いだとか言って、写真もなかったはず。あったとしても、それは若くお美しい時代のものだけで、老境にさしかかった現在の姿とは、似てもにつかない。事前にハンナが耳打ちしてくれなければ、わたしは本当に、この老婦人が王妃陛下だと気づかなかっただろう。

 そのくらい、昔の肖像画と違い、彼女は老い窶れていた。――二十年以上に及ぶ息子の病との戦いが、彼女の心と美しさまでをも蝕んだに違いない。
 
「全く、わかりませんわ。……以前にお会いしたこと、ありませんわよね?」
「……あの、厚顔無恥な女にソックリだこと!」
「誰ですって?」
「ローズよ! ……ローゼリンデ・ベルクマン! あの、忌々しい女!」

 わなわなと震えるボンネットの老婦人を横目に見ながら、わたしはポットにお湯を入れて蒸らし、さりげなく周囲を観察する。
 老婦人の嫁と思しき女性――王太子妃殿下だろうが、彼女も地味に身をやつしているので、気づかない人もいるのではないか。
 
「ローズ?……祖母の親戚にあたる方かしら。会ったこともないので、似てるかどうかわかりません」
「……拾い上げてやった恩も忘れて、お前のような下賤な平民女を……!」
「何のお話か、わかりかねますわ」
「……愛人になるなんて、血は争えないわね。下賤な女はだから嫌なのよ」

 わたしはカップにお茶を注ぎ分け、ソーサ―に銀のスプーンを添えて女性たちに配り、砂糖壺とミルクを勧め、銀の盆を両手に持ち、立ち上がる。

「いきなり名乗りもせずに、王子殿下のお邸に乱入して、人のことを下賤だのなんだの……それが上流の作法だと仰るなら、わたしは下賤で結構ですわ。そういう上品さは真似できそうもありませんので。……ご用件はそれだけですの? お茶をお飲みになったらお帰りくださいませね?」
「なんですって、このアシュバートンの小娘が!」

 わたしの言葉に、ボンネットの老婦人は突如激昂して、熱い紅茶のカップを投げつける。でもわたしは半ば読んでいたので、銀の盆を盾にして自分の身を守った。

 ガシャーン!

 銀の盆に当たったカップが砕け、熱い紅茶と陶器の破片が飛び散る。

「キャー!」

 王太子妃殿下と思しき夫人が悲鳴を上げ、付き添いの女性たちが顔を覆う。

「危ない!エルスペス嬢!」
「ああ、小癪な! お前なんて死んでおしまい!」

 老婦人は手当たり次第、陶器やスプーンやらを投げつけてくるが、わたしがすべて銀の盆で防ぐ。悲鳴と怒号が響く中、バンと乱暴に扉が開き、いつも塀の周辺をうろついている記者たちが数人、居間に踏み込んできて、バシャッ、バシャッとフラッシュがいくつも光る。

「イヤッホー! 特ダネいただき! 王子の愛人に乱暴狼藉する貴婦人たち!」
「すげえ、写真もっと撮れ!」

 ――実は、ハンナに命じて、新聞記者たちを中に入れさせていたのだ。わたしと王妃や王太子妃、写真が表に出て、困るのは確実に彼らだから。銀のお盆で身を守ろうとしているわたしと、暴れてものを投げつける老婦人、飛び散る破片。どちらが加害者で被害者か、証拠もばっちりだ。

「な、なんだお前たち勝手に!」

 老婦人についてきた護衛たちが焦って、彼らの排除にかかるが、新聞記者たちの逃げ足の速さはすでに確認済み。護衛たちをすり抜けて逃げていく新聞記者たちを、ハンナから事情を聴いていたであろうジュリアンが、一瞬、躊躇いながら敢えて逃がし、わたしをチラリと見て、微妙な表情をした。
 ――新聞記者を呼び込むなんて非常識だと思ったかもしれないが、相手は王妃だ。こちらに非がなくとも、白を黒と言いくるめられては、たまらない。

 でも。こんなのは序の口よ?

「お、お義母かあさま、まずいですわ、戻りましょう……」 

 投げるものがなくなり、立ち尽くして肩で荒い息を吐いている老婦人に、王太子妃と思しき貴婦人が、オロオロと声をかける。

「お、お義母さま……」
「おのれ……こざかしいこと! 許さない!」

 ボンネットの老婦人は完全に我を忘れ、割れた陶器の破片と掴むと、わたしに襲いかかってきた。咄嗟に避けようとしたけれど、椅子に足を取られてわたしは転んでしまう。そこへ、悪鬼のような表情で、老女が覆いかぶさってくる。

「この――この――この顔がっ! この顔が陛下を誑かしたのっ!」
「エルスペス嬢!」

 陶器の破片でわたしの顔を傷つけようと、老女はすごい力で圧し掛かり――カーティス大尉とジュリアンが引きはがそうとするが、護衛たちもまた、老婦人を守ろうと揉み合いになる。

 その時、「きゃん、きゃん」と甲高い鳴き声とともに、ころころした毛玉が突進してきて、老女の腕に噛みつく。

「ぎゃああ! お離し、お離しったら!」
「ユール!」

 皆がユールに気を取られた隙に、護衛を振り切ったカーティス大尉が、「失礼!」と一声かけて老婦人の腕を掴んでグイっとひねる。陶器の欠片がカタンと落ち、老女をとり押えた。ジュリアンがユールを抱き取り、わたしを助け起こす。

「離しなさい、無礼者! わたくしを誰だと――」
「どこの誰だろうが関係ないわ! ヴァルタ―さん! 警察! 警察呼んで!」

 警察と言われて、護衛もカーティス大尉も、そしてヴァルタ―さんもギョッとする。

「警察だと、しかし――」
「エルスペス嬢、この方は!」
「ハンナには警察に駆け込ませているわ! きっともうすぐ来る! 身分が高かろうが、暴力行為を働いてお咎めなしだなんて、そんなの近代国家で許されるとでも?! ランデル国の一市民として、断固、この方たちを警察に突き出すわ!」

 わたしの言葉が終わらないうちに、ハンナの声が響く。

「こっちです! 知らない女が突然やってきて! お嬢様を助けて!」

 次の瞬間には乱暴な足音とともに、紺色の制服を着た警察官が数人、踏み込んでくる。わたしはすかさず叫んだ。

「助けて! お巡りさん! 強盗です! 王宮からの使者を装って、わたしに乱暴を!」
「きゃーお嬢様! なんてことー! 早く捕まえて、頭のおかしい老婆なんですー!」
「きゃん! きゃん! きゃん!」

 ハンナがわたしに同調して悲鳴を上げる。甲高い若い女性の悲鳴と、犬のけたたましい鳴き声に、正義感の強い警察官は即座に、黒服の女性たちを拘束にかかった。

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