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9、記憶の森
懺悔
記憶を取り戻したシウリンは、何はさておいてもアデライードに言い訳しなければならなかった。
ずっと、嘘をついていた。自分はシウリンではない、シウリンは死んだと言い張り続けた。シウリンだった本当の過去は封印してしまうつもりだった。なのに――。
あの繭の中で、十二歳以降の記憶を失った彼は、自分は太陽宮の見習い僧侶シウリンだと名乗ってしまった。墓場まで持っていくつもりだった秘密を、あっさり暴露してしまった。嘘をついていた理由も何もかも、すべて忘れて――。
夕暮れの近づく時間、シウリンは噴水のある中庭を臨む長椅子に、アデライードと並んで腰を下ろす。噴水が心地よい水音を立て、南国の夜の微かな冷気を運んでくる。
「寒くないか?」
記憶を失っていた時よりも、心持ち声が低くなった気がする。――喋り方を少し変えているせいだろう。
アデライードが首を振る。
「そうか。……寒くなったらすぐに言うんだぞ?」
それだけ言って、シウリンも黙り込んで、じっと膝の上で組んだ両手を見下ろした。こんなに、気まずいのは久しぶりのことだ。何か言わなければと、シウリンが息を吸った時、アデライードが言った。
「お見せしたいものがあるんです」
「私に?」
アデライードが頷いて、傍らに丸めて置いていた筒状のものを取り出す。
「フエルが聖地に行くと聞いて、彼に頼んだんです。シウリンの、お墓を探して欲しいって」
その話は、旅の間にフエルから聞いていた、――森の中に、炭焼き小屋のゴルが作った、彼の墓があると。
「その、お墓の絵だと、フエルが、わたしに――」
アデライードが白い、繊細な指で丸めた筒を開いていく。淡い水彩で描かれた、森の中の墓――。
フエルは、聖地でルチアに会ったと言っていた。この十年、ルチアのことなど、想い出しもしなかったが、もちろん、忘れたわけではない。ただ、彼の立場と押し付けられた名前とが、聖地のことなど考える暇も、余裕も与えてくれなかったのだ。
「ゴル爺の打つ蕎麦が、すごく好きだったんだ。ゴル爺は無口だったけれど、蕎麦を打つ時だけは饒舌になって、いろんな話をしてくれた。魔物狩りの話や、いろいろ――」
叢の羽虫の羽音、草いきれの匂い、炭焼き窯の煙の臭い。あまりに遠すぎて、懐かしすぎて、想い出すだけで胸を締め付けるかつての日々。清貧と言えば聞こえはいいが、空腹と労働に追われた毎日には、だが間違いなく、〈シウリン〉として生きた彼の尊厳があった。
「……たぶん、私が望んだことだったんだな」
絵を覗き込みながら、ぽつりとつぶやく声に、アデライードがはっと、彼を見上げる。
「私はずっと、聖地に暮らしたころの自分に戻りたいと願っていた。だから、きっと十二歳に戻ってしまったのは、私の願望をあなたの魔法が読み取ってしまったせいだろう。……あなたの、せいじゃない」
「どうして、幾度お尋ねしても、シウリンは死んだと答えつづけたのですか」
アデライードの問いに、シウリンは気まずそうに溜息をつく。
「十年前、聖地の森であなたに会ったその足で、私は帝都に連れて行かれた。指輪を返せなかったことをずっと気にしていたけれど、それを言い出すこともできなくて――」
恭親王は黒く長い睫毛を伏せる。
「私はあの時、すでに生涯不犯の誓いを立てていた。年が明けたら、正式に得度する予定だったから。だから、無理に還俗させられたことに納得していなくて――それでも、後宮というところは、皇子に否応なく女を宛てがう場所なんだ」
シウリンが自分の手から視線を動かし、夕暮れの光を弾く噴水の飛沫を見つめる。
「始めて、純潔を失った夜に絶望して――もう、二度とあなたに会えないと、あなたに相応しくないと……それからは坂道を転がり落ちる石のようだった」
ぽつり、ぽつりと、シウリンは語る。
「まあ、大概の悪いと言われることはやった。女遊びもしたし、人殺しも、たくさん――」
「それは、戦争に行かれたからでしょう?」
「それだけじゃなくて――私の、精が平民の女には毒なのは知っているだろう?中に出してしまってね。ものすごい苦しみようで――そのまま、私の腕の中で死んだ。私が殺したのに、私には何の咎めもなくて。償いすら許されないことが、耐えられず、誰かに罰して欲しいと思っていた」
淡々と続けるシウリンを、アデライードは何も言わずに見つめる。
「男と、寝たこともある。――まあ、最初は自分で望んだことじゃなくて、無理やりだったけど」
アデライードはちょっと理解できないという風に、首を傾げた。その様子を見て、シウリンは微笑む。
「世の中には男好きの男もいるんだ。もっとひどいこともした。――とてもあなたには言えないような」
「ひどいこと?」
「暇と金と、精力を持て余したドラ息子が徒党を組んですることと言ったら、楽しい楽しいリンカン学校と相場が決まっているだろう」
「……リンカンって何?」
「輪姦、って言葉すら知らないあなたに、詳しく説明する勇気は、さすがにない」
シウリンはふっと息を吐く。
「今さら、嫌われるのが怖いとか、そういうのは思わないが、そんな悪事がこの世に存在すると、あなたの耳に入れたくはないな」
アデライードは理解できず、まだ首を傾げている。
「……でも、今は反省なさっている」
「もちろん、反省はしている。でも反省したら赦されるようなことじゃない。――そうだな、あなたの母君がギュスターブにされたこと、と言ったら、私が赦せるか?」
アデライードの翡翠色の瞳が一瞬、見開かれる。母に何が起きたのか、かつては理解していなかったが、シウリンと結婚して、薄々わかってきた。アデライードはシウリンを愛しているが、母はギュスターブなんて愛していなかった。それでも、同じ行為はあったはずだ。――愛してもいない男に抱かれると想像するだけで、アデライードは嫌悪感に身を震わせる。
「そんな、ひどいことを――ひどいことだとわかっていて、それでも?」
「もちろん、わかってやったよ。……それも、面白半分でね?悪いことがやりたくてやりたくて、やらないと死にそうだったんだ」
わからない、とただ首を振るアデライードに、シウリンは言う。
「――どんどんと薄汚れていく自分に堪えられなくなって、いっそ、何処が汚れているかわからないくらい、真っ黒になったら楽になるんじゃないかって」
「でも、楽にはならなかった――」
ずっと、嘘をついていた。自分はシウリンではない、シウリンは死んだと言い張り続けた。シウリンだった本当の過去は封印してしまうつもりだった。なのに――。
あの繭の中で、十二歳以降の記憶を失った彼は、自分は太陽宮の見習い僧侶シウリンだと名乗ってしまった。墓場まで持っていくつもりだった秘密を、あっさり暴露してしまった。嘘をついていた理由も何もかも、すべて忘れて――。
夕暮れの近づく時間、シウリンは噴水のある中庭を臨む長椅子に、アデライードと並んで腰を下ろす。噴水が心地よい水音を立て、南国の夜の微かな冷気を運んでくる。
「寒くないか?」
記憶を失っていた時よりも、心持ち声が低くなった気がする。――喋り方を少し変えているせいだろう。
アデライードが首を振る。
「そうか。……寒くなったらすぐに言うんだぞ?」
それだけ言って、シウリンも黙り込んで、じっと膝の上で組んだ両手を見下ろした。こんなに、気まずいのは久しぶりのことだ。何か言わなければと、シウリンが息を吸った時、アデライードが言った。
「お見せしたいものがあるんです」
「私に?」
アデライードが頷いて、傍らに丸めて置いていた筒状のものを取り出す。
「フエルが聖地に行くと聞いて、彼に頼んだんです。シウリンの、お墓を探して欲しいって」
その話は、旅の間にフエルから聞いていた、――森の中に、炭焼き小屋のゴルが作った、彼の墓があると。
「その、お墓の絵だと、フエルが、わたしに――」
アデライードが白い、繊細な指で丸めた筒を開いていく。淡い水彩で描かれた、森の中の墓――。
フエルは、聖地でルチアに会ったと言っていた。この十年、ルチアのことなど、想い出しもしなかったが、もちろん、忘れたわけではない。ただ、彼の立場と押し付けられた名前とが、聖地のことなど考える暇も、余裕も与えてくれなかったのだ。
「ゴル爺の打つ蕎麦が、すごく好きだったんだ。ゴル爺は無口だったけれど、蕎麦を打つ時だけは饒舌になって、いろんな話をしてくれた。魔物狩りの話や、いろいろ――」
叢の羽虫の羽音、草いきれの匂い、炭焼き窯の煙の臭い。あまりに遠すぎて、懐かしすぎて、想い出すだけで胸を締め付けるかつての日々。清貧と言えば聞こえはいいが、空腹と労働に追われた毎日には、だが間違いなく、〈シウリン〉として生きた彼の尊厳があった。
「……たぶん、私が望んだことだったんだな」
絵を覗き込みながら、ぽつりとつぶやく声に、アデライードがはっと、彼を見上げる。
「私はずっと、聖地に暮らしたころの自分に戻りたいと願っていた。だから、きっと十二歳に戻ってしまったのは、私の願望をあなたの魔法が読み取ってしまったせいだろう。……あなたの、せいじゃない」
「どうして、幾度お尋ねしても、シウリンは死んだと答えつづけたのですか」
アデライードの問いに、シウリンは気まずそうに溜息をつく。
「十年前、聖地の森であなたに会ったその足で、私は帝都に連れて行かれた。指輪を返せなかったことをずっと気にしていたけれど、それを言い出すこともできなくて――」
恭親王は黒く長い睫毛を伏せる。
「私はあの時、すでに生涯不犯の誓いを立てていた。年が明けたら、正式に得度する予定だったから。だから、無理に還俗させられたことに納得していなくて――それでも、後宮というところは、皇子に否応なく女を宛てがう場所なんだ」
シウリンが自分の手から視線を動かし、夕暮れの光を弾く噴水の飛沫を見つめる。
「始めて、純潔を失った夜に絶望して――もう、二度とあなたに会えないと、あなたに相応しくないと……それからは坂道を転がり落ちる石のようだった」
ぽつり、ぽつりと、シウリンは語る。
「まあ、大概の悪いと言われることはやった。女遊びもしたし、人殺しも、たくさん――」
「それは、戦争に行かれたからでしょう?」
「それだけじゃなくて――私の、精が平民の女には毒なのは知っているだろう?中に出してしまってね。ものすごい苦しみようで――そのまま、私の腕の中で死んだ。私が殺したのに、私には何の咎めもなくて。償いすら許されないことが、耐えられず、誰かに罰して欲しいと思っていた」
淡々と続けるシウリンを、アデライードは何も言わずに見つめる。
「男と、寝たこともある。――まあ、最初は自分で望んだことじゃなくて、無理やりだったけど」
アデライードはちょっと理解できないという風に、首を傾げた。その様子を見て、シウリンは微笑む。
「世の中には男好きの男もいるんだ。もっとひどいこともした。――とてもあなたには言えないような」
「ひどいこと?」
「暇と金と、精力を持て余したドラ息子が徒党を組んですることと言ったら、楽しい楽しいリンカン学校と相場が決まっているだろう」
「……リンカンって何?」
「輪姦、って言葉すら知らないあなたに、詳しく説明する勇気は、さすがにない」
シウリンはふっと息を吐く。
「今さら、嫌われるのが怖いとか、そういうのは思わないが、そんな悪事がこの世に存在すると、あなたの耳に入れたくはないな」
アデライードは理解できず、まだ首を傾げている。
「……でも、今は反省なさっている」
「もちろん、反省はしている。でも反省したら赦されるようなことじゃない。――そうだな、あなたの母君がギュスターブにされたこと、と言ったら、私が赦せるか?」
アデライードの翡翠色の瞳が一瞬、見開かれる。母に何が起きたのか、かつては理解していなかったが、シウリンと結婚して、薄々わかってきた。アデライードはシウリンを愛しているが、母はギュスターブなんて愛していなかった。それでも、同じ行為はあったはずだ。――愛してもいない男に抱かれると想像するだけで、アデライードは嫌悪感に身を震わせる。
「そんな、ひどいことを――ひどいことだとわかっていて、それでも?」
「もちろん、わかってやったよ。……それも、面白半分でね?悪いことがやりたくてやりたくて、やらないと死にそうだったんだ」
わからない、とただ首を振るアデライードに、シウリンは言う。
「――どんどんと薄汚れていく自分に堪えられなくなって、いっそ、何処が汚れているかわからないくらい、真っ黒になったら楽になるんじゃないかって」
「でも、楽にはならなかった――」
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