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10、皇帝親征
夫婦の夜
事務方との打ち合わせや引き継ぎを終えて、シウリンが夫婦の部屋に戻ってきた時には、まだ宵の口だったが、アデライードはもう、寝台に入っていた。
このところ、アデライードは悪阻にも悩まされ、さらに眠くて眠くてたまらないと言って、寝室に籠りがちだ。自分の子を孕んだせいで不調を訴えるアデライードに、シウリンは申し訳ない気分になる。シャオトーズを給仕に一人で食事をしながら、シウリンは考える。
カンダハルには明日にも、ナキア侵攻の命令を出す手筈になっている。
――まずは、月神殿を確保せよ。
冬至の夜までに結界を張り直さなければ、おそらくは東の帝国に異常が発生する。
あくまでアデライードの予測に過ぎないし、自身が即位したことで、皇帝不在という状況は回避された。だが、起きうる危険は潰していくしかない。
結界を張り直すのにどの程度の魔力が必要なのか。大きな魔力の使用は、胎児に悪影響を与える恐れがあると、メイローズは言っていた。食事を終え、蒸留酒を嗜みながらふと思う。
今、アデライードの胎にいる子は、おそらく辺境の果ての、へパルトスの泉神殿で契った時にできた命だ。
ふいにアデライードの姿を見たくなる。残った酒を飲み干して立ち上がり、寝室に入る。用意してある夜着に着替えて寝台に上がると、実は起きていたらしい、アデライードが寝返りをうって彼を見た。
「起きていたのか」
「ええ……さっき目が覚めて……どうかなさったの?」
「いや、……あの、辺境の神殿のことを考えていた。その腹の子は、そこでできたのかな、と」
隣に横たわり、大きな手で優しく腹を撫でれば、アデライードが喉の奥でくすりと笑った。
「あの時は、あなたの中身は十二歳で、素直で可愛いかったのに」
「ああ。二度目の童貞喪失だったからな」
そう、シウリンも笑い、そっと妻を抱きしめる。
「ずっと、夢だったんだ。初めてが、あなたならよかったのに……と。本当の私はすっかり薄汚れて、女なんて何人抱いたか、もう憶えていないくらいだからな」
滑らかな頬に唇を滑らせながら、シウリンが呟く。
「わたしはそんなことは気にしないと、申し上げているのに」
「私が嫌だったんだ。あなたに再会できるとわかっていたら、命懸けで童貞を守ったのに、諦めが早すぎた上に、自暴自棄になっていたから」
「でも、あの日誓ってくださった。……わたしだけだと……」
ぎゅっとアデライードに抱き着かれて、だがシウリンはう、っと言葉に詰まる。普段は意識の外に追い出してはいるが、実は一度、アデライードを裏切っている。十二歳のバカなシウリンはあっさり罠にかかり、バラの香油に騙されて、アデライードと間違えてミカエラを抱いているのだ。
それを思い出すと胸がチリチリと灼けるように痛い。
あの誓いの後は、本当にアデライード一筋でいたかったのに。それで彼の過去がキレイになるわけじゃないが、それでも裏切るなんてことはしたくなかった。
「……アデライード。愛してる。本当にあなただけだ」
「シウリン……」
言いたくない真実を糊塗するように、シウリンはアデライードの唇を塞ぐ。しばらくその甘い唇を堪能して、シウリンが唇を解放すると、アデライードがほっとしたような微かな吐息をつく。アデライードの髪の、甘いバラの香りがシウリンの官能を刺激するけれど、アデライードの体調がよくない。
――わかっていて、ゲルフィンを威嚇するために庭で無体に及んだが、メイローズが知ったら激怒するだろう。いや、もしかしたら、全部気づいているのかもしれないが。
(しかし、あの堅物男が、ああまでアデライードにのぼせ上っていたなんて。人間、恋をすると変わるものだな)
ゾラのような遊び人と違い、ゲルフィンのようなマニアは質が悪い。恋心というものは時に本人の理性を奪って暴走する。ゲルフィンは官僚としては優秀な男だし、帝国の未来のためにも、こんな不毛な過ちで失うわけにはいかなかった。――あいつは、私を恨んでいるかもしれないが。
アデライードはシウリンに腕枕されて髪を撫でられているうちに、再びうとうとし始める。
(今夜はお預けか……)
名も過去も偽っていた時の彼は、偽っていることの疚しさから、ただひたすらアデライードの身体を求め、快楽に堕として身体から支配しようとしていた。真実を明かした今は、身体だけでない絆を大切にしたい。
腕の中の温もりを意識して、シウリンは目を閉じる。
天と陰陽よ。この愛しき人をどうか、お守りください。二千年の陰陽の龍種によって支えられた平和を、再び取り戻す戦いに、加護をお与えください。どうか――。
私たちが、正しき永遠へ帰り着くことができるよう、お力をお貸しください――。
翌日、征西大将軍廉郡王グイン皇子に対し、ナキア侵攻を命じる皇帝の詔勅を携えたゲルフィンが、シルルッサの港を船出した。
このところ、アデライードは悪阻にも悩まされ、さらに眠くて眠くてたまらないと言って、寝室に籠りがちだ。自分の子を孕んだせいで不調を訴えるアデライードに、シウリンは申し訳ない気分になる。シャオトーズを給仕に一人で食事をしながら、シウリンは考える。
カンダハルには明日にも、ナキア侵攻の命令を出す手筈になっている。
――まずは、月神殿を確保せよ。
冬至の夜までに結界を張り直さなければ、おそらくは東の帝国に異常が発生する。
あくまでアデライードの予測に過ぎないし、自身が即位したことで、皇帝不在という状況は回避された。だが、起きうる危険は潰していくしかない。
結界を張り直すのにどの程度の魔力が必要なのか。大きな魔力の使用は、胎児に悪影響を与える恐れがあると、メイローズは言っていた。食事を終え、蒸留酒を嗜みながらふと思う。
今、アデライードの胎にいる子は、おそらく辺境の果ての、へパルトスの泉神殿で契った時にできた命だ。
ふいにアデライードの姿を見たくなる。残った酒を飲み干して立ち上がり、寝室に入る。用意してある夜着に着替えて寝台に上がると、実は起きていたらしい、アデライードが寝返りをうって彼を見た。
「起きていたのか」
「ええ……さっき目が覚めて……どうかなさったの?」
「いや、……あの、辺境の神殿のことを考えていた。その腹の子は、そこでできたのかな、と」
隣に横たわり、大きな手で優しく腹を撫でれば、アデライードが喉の奥でくすりと笑った。
「あの時は、あなたの中身は十二歳で、素直で可愛いかったのに」
「ああ。二度目の童貞喪失だったからな」
そう、シウリンも笑い、そっと妻を抱きしめる。
「ずっと、夢だったんだ。初めてが、あなたならよかったのに……と。本当の私はすっかり薄汚れて、女なんて何人抱いたか、もう憶えていないくらいだからな」
滑らかな頬に唇を滑らせながら、シウリンが呟く。
「わたしはそんなことは気にしないと、申し上げているのに」
「私が嫌だったんだ。あなたに再会できるとわかっていたら、命懸けで童貞を守ったのに、諦めが早すぎた上に、自暴自棄になっていたから」
「でも、あの日誓ってくださった。……わたしだけだと……」
ぎゅっとアデライードに抱き着かれて、だがシウリンはう、っと言葉に詰まる。普段は意識の外に追い出してはいるが、実は一度、アデライードを裏切っている。十二歳のバカなシウリンはあっさり罠にかかり、バラの香油に騙されて、アデライードと間違えてミカエラを抱いているのだ。
それを思い出すと胸がチリチリと灼けるように痛い。
あの誓いの後は、本当にアデライード一筋でいたかったのに。それで彼の過去がキレイになるわけじゃないが、それでも裏切るなんてことはしたくなかった。
「……アデライード。愛してる。本当にあなただけだ」
「シウリン……」
言いたくない真実を糊塗するように、シウリンはアデライードの唇を塞ぐ。しばらくその甘い唇を堪能して、シウリンが唇を解放すると、アデライードがほっとしたような微かな吐息をつく。アデライードの髪の、甘いバラの香りがシウリンの官能を刺激するけれど、アデライードの体調がよくない。
――わかっていて、ゲルフィンを威嚇するために庭で無体に及んだが、メイローズが知ったら激怒するだろう。いや、もしかしたら、全部気づいているのかもしれないが。
(しかし、あの堅物男が、ああまでアデライードにのぼせ上っていたなんて。人間、恋をすると変わるものだな)
ゾラのような遊び人と違い、ゲルフィンのようなマニアは質が悪い。恋心というものは時に本人の理性を奪って暴走する。ゲルフィンは官僚としては優秀な男だし、帝国の未来のためにも、こんな不毛な過ちで失うわけにはいかなかった。――あいつは、私を恨んでいるかもしれないが。
アデライードはシウリンに腕枕されて髪を撫でられているうちに、再びうとうとし始める。
(今夜はお預けか……)
名も過去も偽っていた時の彼は、偽っていることの疚しさから、ただひたすらアデライードの身体を求め、快楽に堕として身体から支配しようとしていた。真実を明かした今は、身体だけでない絆を大切にしたい。
腕の中の温もりを意識して、シウリンは目を閉じる。
天と陰陽よ。この愛しき人をどうか、お守りください。二千年の陰陽の龍種によって支えられた平和を、再び取り戻す戦いに、加護をお与えください。どうか――。
私たちが、正しき永遠へ帰り着くことができるよう、お力をお貸しください――。
翌日、征西大将軍廉郡王グイン皇子に対し、ナキア侵攻を命じる皇帝の詔勅を携えたゲルフィンが、シルルッサの港を船出した。
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