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17、致命的な過ち
当時の事情
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メイローズが女王の居間に戻った時には、アリナもアンジェリカも、そしてリリアも、主夫婦の間に何か異常事態が起きたことには気づいていて、しかし寝室を覗くこともできず、やきもきしているところだった。メイローズが口々に何か言おうとする女たちを制して控えの間に行くと、すぐにシャオトーズが立って歩み寄ってきた。
「今、入れそうか?」
「今は静かになっています。――声をかけられるなら、今では」
宦官にとって、主人夫婦の閨の機微を読むのは大切なことだ。女たちは到底、こんな時の寝室を覗くことなどできないけれど、メイローズは宦官特有の厚かましさで、軽くノックをしてから、扉を薄く開けた。
「メイローズか。……そこで待て。今、私がそちらに行く」
すぐに主の声がかかり、メイローズが指示の通りにその場で待っていると、裸足の足音がして絹の夜着を羽織って衣紋を掻き合わせながら、主が出てきた。帯を結ぼうとするのをメイローズが背後に回って手伝い、控えの間の一人掛けのソファに腰を下ろす。
「シャオトーズに命じて、葡萄酒を運ばせてくれ」
メイローズは承知して、それから不意に思い出して尋ねる。
「夕食はどうされますか?」
「――そうだな、後でこちらに頼む」
「承知いたしました」
メイローズに命じてから、シウリンは軽く口笛を吹いてエールライヒを呼ぶ。すぐに、黒い鷹は主人の元に馳せ参じて、甘えたようにピューと鳴いた。エールライヒの動きで主が起きたことを察知したのだろう、ガリガリと扉を引っ掻く音がして、メイローズが扉を開けるとジブリールが飛び込んできた。
「ああ、二匹とも、すまなかったな。……メイローズ、こいつらの餌も用意してもらえるか」
メイローズは頷いて、それの手配に行く。入れ替わりにシャオトーズがデキャンタの葡萄酒とゴブレットを運んできて、それを置いて下がり、シウリンが葡萄酒を一人で呷っていると、メイローズが戻ってきた。
ゴブレットを置き、エールライヒとジブリールに餌を与える。
「あの女、どうしている」
「ひとまず、月神殿に預かっていただくことにしました」
ミカエラら主従は現在、ガルシア伯家の縁の者の家にいるらしいが、迂闊に市井に置いておくのも不安心である。
「龍種を孕んだ場合、安定期以降に胎児の魔力が強くなってからの方が、流産の危険が増えます。神殿であれば、治癒術師も近くにおりますので……」
メイローズは説明してから、主の方をじっと見た。
「ミカエラ嬢の胎内にいる赤子にはすでに〈王気〉が視えます。つまり、龍種です。妊娠の時期から言っても、わが主がガルシア城にいた頃と合致します。……わが主におかれましては、身に覚えは……」
シウリンが気まずく視線を逸らせ、足元に座るジブリールの頭を撫でながら、言った。
「忌々しいことだが……ある」
「詳しくお伺いしても」
シウリンはがっくりと肩を落として、溜息をついた。
「へパルトスからガルシア伯領に向かった私は、砂漠の砦でフェルディナンドの彊死を浄化したんだ。そして、彼らの遺品をガルシア城に届けた。……十二歳のころの私ときたら、本当に純真でいい子だったからな」
シウリンはジブリールの顎の下を撫でてやりながら、いかにもうんざりした風に言う。
「あの家は今、ミカエラしか後継者がおらず、また辺境過ぎて婿の来てがないのだと。奴らの前で魔物を退治したら、ミカエラの婿になって城にとどまれと言われた。もちろん、断ったが――」
「向こうは諦めなかった」
シウリンが渋い表情で頷く。
「すでに妻がいると言っても、あちらは引こうとしない。私はアデライード以外の妻なんて必要ないし、一刻も早くソリスティアに帰りたかった。だからミカエラのことはすっぱり断って城を出るつもりで……だがあのシュテファンと彼の配下が、命を助けてもらったお礼の宴をすると言うから、断るのも悪いと思ってついて行ったら、強い酒に薬も入っていたらしく、私はぶっ倒れて……目が覚めたら隣に全裸のミカエラがいるという――」
「絵に描いたような美人局ですね」
メイローズの言葉にシウリンが項垂れる。
「そうそれに……ミカエラはその夜に限って、いつもと違う、薔薇の香りの香油を髪につけていた。――アデライードと同じ香りで……私はアデライードの夢を見て、それで……」
メイローズの紺碧の瞳が見開かれる。
「そういう、ことですか!」
シウリンはひじ掛けに肘をついて額に手をあてて、しばらく俯いていた。
「今、入れそうか?」
「今は静かになっています。――声をかけられるなら、今では」
宦官にとって、主人夫婦の閨の機微を読むのは大切なことだ。女たちは到底、こんな時の寝室を覗くことなどできないけれど、メイローズは宦官特有の厚かましさで、軽くノックをしてから、扉を薄く開けた。
「メイローズか。……そこで待て。今、私がそちらに行く」
すぐに主の声がかかり、メイローズが指示の通りにその場で待っていると、裸足の足音がして絹の夜着を羽織って衣紋を掻き合わせながら、主が出てきた。帯を結ぼうとするのをメイローズが背後に回って手伝い、控えの間の一人掛けのソファに腰を下ろす。
「シャオトーズに命じて、葡萄酒を運ばせてくれ」
メイローズは承知して、それから不意に思い出して尋ねる。
「夕食はどうされますか?」
「――そうだな、後でこちらに頼む」
「承知いたしました」
メイローズに命じてから、シウリンは軽く口笛を吹いてエールライヒを呼ぶ。すぐに、黒い鷹は主人の元に馳せ参じて、甘えたようにピューと鳴いた。エールライヒの動きで主が起きたことを察知したのだろう、ガリガリと扉を引っ掻く音がして、メイローズが扉を開けるとジブリールが飛び込んできた。
「ああ、二匹とも、すまなかったな。……メイローズ、こいつらの餌も用意してもらえるか」
メイローズは頷いて、それの手配に行く。入れ替わりにシャオトーズがデキャンタの葡萄酒とゴブレットを運んできて、それを置いて下がり、シウリンが葡萄酒を一人で呷っていると、メイローズが戻ってきた。
ゴブレットを置き、エールライヒとジブリールに餌を与える。
「あの女、どうしている」
「ひとまず、月神殿に預かっていただくことにしました」
ミカエラら主従は現在、ガルシア伯家の縁の者の家にいるらしいが、迂闊に市井に置いておくのも不安心である。
「龍種を孕んだ場合、安定期以降に胎児の魔力が強くなってからの方が、流産の危険が増えます。神殿であれば、治癒術師も近くにおりますので……」
メイローズは説明してから、主の方をじっと見た。
「ミカエラ嬢の胎内にいる赤子にはすでに〈王気〉が視えます。つまり、龍種です。妊娠の時期から言っても、わが主がガルシア城にいた頃と合致します。……わが主におかれましては、身に覚えは……」
シウリンが気まずく視線を逸らせ、足元に座るジブリールの頭を撫でながら、言った。
「忌々しいことだが……ある」
「詳しくお伺いしても」
シウリンはがっくりと肩を落として、溜息をついた。
「へパルトスからガルシア伯領に向かった私は、砂漠の砦でフェルディナンドの彊死を浄化したんだ。そして、彼らの遺品をガルシア城に届けた。……十二歳のころの私ときたら、本当に純真でいい子だったからな」
シウリンはジブリールの顎の下を撫でてやりながら、いかにもうんざりした風に言う。
「あの家は今、ミカエラしか後継者がおらず、また辺境過ぎて婿の来てがないのだと。奴らの前で魔物を退治したら、ミカエラの婿になって城にとどまれと言われた。もちろん、断ったが――」
「向こうは諦めなかった」
シウリンが渋い表情で頷く。
「すでに妻がいると言っても、あちらは引こうとしない。私はアデライード以外の妻なんて必要ないし、一刻も早くソリスティアに帰りたかった。だからミカエラのことはすっぱり断って城を出るつもりで……だがあのシュテファンと彼の配下が、命を助けてもらったお礼の宴をすると言うから、断るのも悪いと思ってついて行ったら、強い酒に薬も入っていたらしく、私はぶっ倒れて……目が覚めたら隣に全裸のミカエラがいるという――」
「絵に描いたような美人局ですね」
メイローズの言葉にシウリンが項垂れる。
「そうそれに……ミカエラはその夜に限って、いつもと違う、薔薇の香りの香油を髪につけていた。――アデライードと同じ香りで……私はアデライードの夢を見て、それで……」
メイローズの紺碧の瞳が見開かれる。
「そういう、ことですか!」
シウリンはひじ掛けに肘をついて額に手をあてて、しばらく俯いていた。
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