【R18】渾沌の七竅

無憂

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五竅

39、譲歩

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 ヤスミンが叔父夫婦の居間で、今日のリーフ家のお茶会で聞き込んできた話をすると、ゲルは思わずというふうに頭を抱えた。

「もう、そんなに噂が広まっているのか……」
「ご存知でしたの、あなた」

 ゲルの妻、ミラが驚いて咎める。知っていたならなぜ諌めないのかと。

「諌めていないわけがなかろう。わざと噂を立てようとやっておられるのだから、聞いてくださる訳がない」
「わざと?」
「どうして?」

 ゲルの言葉に、ミラとヤスミンが驚いて声をあげる。
 ゲルが普段は穏やかな顔に、苦々しい表情を浮かべて言った。

「ご縁談を壊したいと思っておられるのだ。だから、女癖が悪いと言う悪評をたてて、あちらから婚約を撤回させようという目論みだ」
「ご婚約を……」
 
 ヤスミンがあっけにとられているのを、ミラが言う。

「マナシル家のご令嬢……だとおっしゃっていましたね」
「ああ。皇上の思し召しでな。先帝の末の公主を母に持つ、皇后にも立てるような正嫡のお血筋だ。その姫を敢えて殿下にめあわせ、皇帝のお心をお示しになりたいと」
「その姫がお気に召されぬのですか?」

 ヤスミンが眉を顰める。誰か、他に好きな相手でもいるのか。――ユルゲンのように。

「そうではなく、結婚自体が嫌だと駄々をこねられてな。死んでも嫌だ、絶対に嫌だと」
「どうして……」

 ゲルがほとほと困ったというように首を振る。

「普段は大人しくて我儘を言ったりなさらないだけに、一旦言い出すと頑固で……。正室が気に入らなければ、好きな女を側室として何人でもお側におけばよい、と皇后陛下も賢親王殿下も口を酸っぱくして説得なさるが、頑として首を縦にお振りにならない。……その姫を絶対に愛することはないから、形ばかりの結婚をするのは気の毒だの一点張りでな。その……」

 そこでゲルが言いにくそうにヤスミンを見た。

「ユルゲンと同じことはしたくない、と」
 
 ヤスミンはどきりとした。恭親王はヤスミンに同情し、側室にばかり傾倒して正室のヤスミンを顧みなかったユルゲンを、非難してくれたのだ。

「どなたか、他にお好きな方がいらっしゃるのでしょうか」

 ミラが尋ねるのに、ゲルは首を傾げる。

「離宮行幸にただ一人、お伴いになった槐花エンジュという秀女が……実は、ユルゲンの側室ルーナの妹なのだがな、その秀女を側室に上げるため手続きに入ったのだが、婚約が成るまでは、と皇上よりのストップがかかったのだ。どうやらマナシル家側の圧力があったらしい」
「ルーナの妹が……」

 それはヤスミンには初耳であった。

「もともと、槐花は肅郡王殿下の宮にいて、肅郡王殿下が遺書に槐花のことを殿下に託されたらしいのだ。だから、純粋に色恋、というのは違うのかもしれぬ」
「そうだったのですか……」

 ルーナの妹が仕えていた皇子が、辺境で異民族に囚われ、命を落としたことはヤスミンも聞き知っていた。

「しかし、これはそろそろ、皇后陛下からの詰問も覚悟せねばならんな……」

 ゲルが憂鬱そうに溜息をついた。




 クリスタと別れて以来、恭親王ははっきりとその母皇后との間に隔意を示すようになった。理由をつけて日課のご機嫌伺いもサボり、廉郡王と二人でダヤンの邸に入り浸って外泊三昧。毎日のように、廉郡王やダヤンと連れ立っては火遊びの会に繰り出し、人妻との逢瀬アヴァンチュールに耽溺する。そんな噂が皇后の耳にも届く。

 当然ながら皇后は息子の不行跡を詰り、ゲルやメイローズを呼び出しては叱責するが、側仕えの者がいくら諌めても恭親王は母親に歩み寄ろうとはしなかった。

「反抗期でしょうな。むしろ、これまでの聞き分けが良すぎだったのです」

 皇后に相談された賢親王が精悍な眉を困ったように片方だけ下げる。思春期の一時期、親の存在を疎ましく思うのは誰もが通る道だ。
 とはいえ、マナシル家の令嬢との婚約が内々に決まった今、その不行跡を見て見ぬふりすることはできない。賢親王がメイローズに尋ねる。

「あれは今日も出かけているのか?」
「はい……廉郡王殿下とダヤン皇子を誘って川遊びの後、その後、郡王府へお回りになると伺っております」

 メイローズが片膝をついて答える。どうやらその川遊びとやらが、一夜の恋を求める輩の催しで、おそらくはそこで出会った女を詒郡王府に連れ込む予定なのであろう。
 話を聞いていた皇后が不快げに口を挟む。

「そのような集まりになぜ行かせるのか。不行跡な人妻や貴族たちが一夜の出会いを求める会だと申すではないか。ゲルがもっと厳しく咎めて……」
「もちろん、幾度もご意見は申し上げておりますが、はっきり『向こうが婚約を破棄して来るまで、やめるつもりはない』とおっしゃられました。噂もわざと広がるようになさっているのでしょう。悪いことだと分かっていて、わざとやっているのですから、どうしても止めようとすれば、監禁でもする以外にはございません」

 ゲルの言葉に、賢親王は頭を抱えたくなった。
 素直で勤勉で、真面目で、非の打ちどころのない異母弟が。
 その鋼のような精神力と、優れた軍事的資質を余すところなく発揮した異母弟が。
 結婚を白紙に戻すために、夜な夜な行きずりの相手と虚しい夜を重ねているのだ。

「何故、そこまで結婚を厭うのか、その方らにも心当たりはないのか?」

 ゲルもメイローズも首を振る。

「とにかく、誰とも結婚するつもりはないと、その一点張りで。理由については何もおっしゃいません」
「他に深い関係にある女などは……」

 賢親王の問いに、メイローズが言う。

「秀女の槐花エンジュも大層なご寵愛ではございますが、最初から側室にという話で、槐花を正室に据えるようなつもりは、もとよりお持ちにならないように思います。その……何と申しますか、とにかく正室がいらない、結婚したくない、という感じで……」

 ゲルも付け加えるように言う。

「愛することもないのに、名ばかりの正室として迎えるのはその姫にも不幸であると、申されました。槐花は肅郡王殿下のご遺言もございますので、一生の責任を持つと仰せになられました。単純な色恋ではないのだと思われます」

 賢親王は腕を組んで不可解だというふうに首を振った。

「わからんな。……だが、この結婚はやめるわけにはいかぬ。皇上は是が非でもマナシル家の娘を娶らせるおつもりだからな。多少の悪評くらいでこの結婚がやめになることはないと、はっきりと説明しておけ」

 賢親王は綺麗に髭を剃った顎を撫で、卓の上のお茶を取り上げる。

「しかし……多少のやんちゃは黙認するつもりではあったが、不特定の者と一夜限りの関係を持つのはよろしくない。いつからそんなことをはじめたのだ」
「その……ソアレス家の未亡人と切れてからでございます。あのあたりから、娘娘にゃんにゃんにも反抗的な態度をお取りになるように……」

 メイローズの言葉を聞き、賢親王は思わず舌打ちした。だから、口を出すなと言ったのに。
 
 賢親王も異母弟とデュクトの未亡人の話を聞いたときは、正直吃驚した。だが、未亡人と秘密の関係と持つくらいの方が、外で派手に遊ばれるよりはよっぽどいいのだ。その関係に皇后が口を出し、何らかの介入を行って、未亡人は領地へ帰った。これに、異母弟の忍耐の糸も切れたのだろう。

 唯一の救いは、皇太子の次男廉郡王も一緒に遊び回っていることだ。皇太子が恭親王の素行の悪さを言い立てても、返す刀が自分の息子にも突き刺さってしまう。おかげで皇太子もあからさまのことは言えずにいる。

「たしかに、正室が気に入らねば側室を何人でも、と言うそばから、側室にすると言い出した秀女をいつまでも宙づりにしておくのは、約束の不履行だな」

 異母弟が、そういうこちらの不誠実さを見抜き、嫌っていることを賢親王は知っている。マナシル家も皇帝も、本音を言えば秀女上がりの側室などなかったことにしたいと思っているに違いない。

「せめて、こちら側の誠意を見せ、譲歩せねばあれは動かぬであろう。……ゲル、秀女の件は、わしが責任を持って皇上とマナシル家側と話をつけると、あれに申せ。その上で、正室の件はどうにもならぬと言え。この話が流れても、いつかは他の女を押し付けられる。意に染まぬ結婚であるのは、あちらとて同じだと」

 ゲルは眉を顰めている。
 あの主が、その程度の譲歩で夜遊びをやめてくれるとは、とても思えなかった。

 皇后が、恭親王によく似た薄い唇を少し尖らせる。

「たしかに、側室を何人でもと申したが、しかし、辺境の子爵の娘風情では、あれの子は孕めまい。せめてもう少し身分の高い……いや、この際、ゲルの姪でもよい。そちらの方が」

 男女の魔力差が大きいと、子供ができにくい。龍種と子爵の娘では、魔力差があり過ぎて妊娠しにくいと言われている。だが、姪を名指しされてゲルが慌てて首を振った。

「姪と殿下は本当に何もないのです。ただ、ソルバン家との離婚を成立させるために、殿下がたとの噂を利用しただけで……」

 賢親王がふうっと息を吐いて、皇后に言った。

「優先順位を違えてはなりません。一番の目的は、ユエリンにマナシル家の娘との結婚を承諾させることです。その代わり、ユエリンが望む女を側室にする。それをも否定して、ゲルの姪を宛がえば、ユエリンでなくとも怒りましょう。あれはまだ若い。子供のことはそれほど慌てる必要はない」

 皇后はそれでも不満そうに、溜息をついた。

「ほんに、前はもっと素直であったのに。巡検から帰ってから、わらわに逆ろうてばかりじゃ」
「大変な経験をしてきたのです。三人の皇子のうち、生きているのはあれ一人です。まったくきずのない、以前のユエリンと同じとはいきますまい。そこは、こちらが汲んでやらねばなりません」

 皇后がはっとして賢親王を見る。

「あれは強靭です。ですが、どれほど硬い鋼でも、力のかけようによっては折れてしまう。我々こそ、あれの強靭さに甘えていることを、忘れてはなりません」
 
 賢親王がしみじみと言った。硬く、強ければ強いほど、打たれ、鍛えられ、さらに過酷な場に追いやられるのだ。
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