【R18】渾沌の七竅

無憂

文字の大きさ
250 / 255
七竅

44、死の報せ

しおりを挟む
 恭親王がその事実を知らされたのは、皇帝との対面が済み、母皇后の住む鴛鴦宮へ伺候した時であった。

 彼の本心としては、皇后への挨拶など後回しにして邸に帰りたかった。
 帰還の日取りが決まり、レイナにも手紙で知らせた。にもかかわらず、レイナからの返信が何もない。明らかに異常なことが起きている。なぜ、シュウも誰も、彼にそのことを知らせないのか。不審と不安が募り、朱雀州からの帰路も、気もそぞろであった。

 だが、彼にとって全く無意味であった、皇帝と二人きりの対面が終わり退出すると、乾坤宮まで鴛鴦宮の宦官が迎えに来ていた。親孝行が最大の美徳であり、親不孝が最大の悪徳であるこの社会で、母への不義理は許されない。恭親王は全く愛情の感じられない母への挨拶のために、その夜は帰宅することを諦めた。

 鴛鴦宮では、皇后だけでなく、兄の賢親王も待っていた。母と二人、気づまりになるよりは、兄の存在は正直に言ってありがたかった。通り一片の帰還の挨拶と、戦勝への祝い、遠征への労いが述べられて、爆弾が落とされた。

「……死んだ?……レイナが……?どういうことです?」

 恭親王が切れ長の目を見開くのを、今度は賢親王が驚く。

「報せは伝わっていなかったのか?」

 皇后が気まずそうに目を伏せる。

「戦場にあるそなたに、余計な心労を与えるよりはと、わらわの判断で伏せておかせたのじゃ。その……事情が些か込み入っておってな」
「いつ……です?」

 滅多に動揺を見せない恭親王の声が震えた。

「この、正月じゃ」
「九か月も! 九か月も私に知らせずにいたというのですか!……叛乱討伐自体は二月にはほぼ終わっていたのです! それからはずっと事後処理で……知っていたらすぐに帰ったのに! あなたはいったい何の権利があって……!」
「ユエリン、落ち着け」

 激昂した恭親王を、兄の賢親王が宥める。

「何が、あったのです?……たしかに体調はあまりよくなかったが、死ぬようなものでもなかった。いったい……」
「ユリアが……妾としても、まさかユリアがそこまでするとは思わなんだ」
「ユリアが……?しかし、家宰のシュウに命じて……」

 ユリアの暴走を止める権利を家宰に与えており、最悪の事態は免れるはずだった。

「その、たまたまなのじゃ。たまたま家宰が体調を崩し、高熱で寝込んでいる日に、レイナの妊娠が発覚して、ユリアが暴走したのじゃ」
「妊娠ですって?!レイナが?!」

 あまりの衝撃の連続に、恭親王は思わずぐらついて肘掛椅子に倒れ込む。キリキリと胃が痛み初め、額に玉の汗が浮かんだ。

「誰ぞ……ユエリンに薬湯を!」

 宦官や侍女が走り回る中で、恭親王は辛うじて身を起こすと、蒼白な表情をさらに青くして言った。

「始めから話してください。何が、起きたのか」

 皇后が言い淀むのを、賢親王が受けるようにして、言った。

「わしが、知ることを話そう。もし足りない部分や間違いがあれば、陛下に訂正をお願いします。……どうやら事の起こりは、そのレイナの妊娠のようだ。レイナは妊娠に気づいたが、戦場のそなたに心配はかけまいと、そなたが帰還してから告げるつもりであったようだ。だが、そなたの帰還の目途もたたぬうちに、懐妊が側室のサウラに知れた。サウラが正室のユリアに告げたところ、辺境の子爵の娘風情が皇后腹の皇子の子を孕むはずがないと激昂し、その夜に子の父親を問い質すと言ってレイナを邸の北の納屋に閉じこめ、折檻を加えたらしい。折しも、家宰は高熱で寝込んでいて、だが小宦官があまりのことに家宰の部屋に駆けこんで事態を報せ、家宰が高熱を押してレイナを助け出した時にはもう……」

 賢親王の話に、恭親王は奈落の底に堕ちていくような絶望に襲われた。
 正月の寒い夜に、火の気のない納屋に妊婦を閉じ込め、折檻を加えるなど、人間のすることではない。

「レイナが不貞など、あるはずがない。たしかに辺境の子爵の娘で魔力はあまりないが、そういう例だってないわけでもないのでしょう? ただレイナの出身が低いからというだけで不貞を疑うなど、狂っているとしか思えない。なぜ、周囲は止めなかったのです?」

 椅子の肘掛を握りしめながら、恭親王が賢親王と皇后を睨みつけるように見据える。賢親王が苦虫を噛み潰したような表情で言った。

「……わしも常軌を逸しておると思う。だが、常軌を逸しているがゆえに、誰もそこまで予想できなかったのだ。邸内はそなたの不在でまともな判断のできる男どもが少なく、家宰は風邪で寝込んでいた。レイナはそれ以前から懐妊に気づいていたようだが、周囲に知られるのを恐れて医者にも見せていなかった。その日、サウラが妊娠に気づき、医者を寄こして確定したのだ」
 
 レイナが周囲に隠そうとしたのも、危害を加えられるのではと懼れたからで、実際、知られたその夜に害に遭ったのだ。

「……ユリアはどうしているのです?」
「自室で謹慎を命じてある。ほぼ、監禁状態だな。――夫が戦場にいる間に、正室が嫉妬に狂って身籠った側室を折檻死させるなど、そのような醜聞を表沙汰に出来ぬ故。そなたの帰還の後、離縁するか、神殿に入れるか――」
「人、一人殺して――いや、違う、あの女は私の子まで殺しているのですよ! それをただ離縁で済ますのですか!」

 恭親王は怒りで目の奥がチカチカするのを感じた。はらわたが煮える。身の内から焔が噴き出しそうだった。

「だが、罰するには罪を明らかにせねばなるまいが……」
「そのような醜聞、とんでもない! 征南大将軍として大功を立てたそなたの、妻がそのような……」

 皇后が甲高い声で叫ぶ。

「だからあんな女は嫌だと、私は何度も言ったのに! 以前にレイナの侍女を折檻しかけて未遂に終わった時に、離縁しておくべきだったのです! それを……マナシル家だか何だか、理由をつけてユリアを庇い、増長させたのは母上ではありませんか!」
 
 恭親王が怒りに任せて拳を脇の螺鈿の小卓に叩きつける。ばきん、と音がして、無意識に込められた彼の魔力が暴発し、小卓が崩壊する。息子の怒りに大きさに、皇后は目を見開いて硬直した。

「――皇帝陛下はこのことは?」
「大まかなことはご存知でいらせられる」

 賢親王が言うと、恭親王は端正な眉の間に深い皺を刻んだ。

「先ほどは何も仰せにならなかった……」
「家庭内の私事に、皇上は口を挟むのを控えられたのであろう。そなたの褒賞のための対面であったし」

 家長である恭親王の意志を尊重したということなのだと、賢親王は皇帝を庇った。
 しばし唇を噛んでいた恭親王は、背後に控えていた宦官に命ずる。

「皇上陛下に、火急の用件でもう一度、拝謁を賜うようにお願いする。至急だ」
「は」

 頭を下げて出ていく宦官を見て、皇后が言った。

「もう、夜も遅い。明日にしたらどうか」
「……今夜のうちにカタをつけます。九か月も放っておいて! もし、何事もなければ、今頃は子も生まれていたかもしれない。何も知らないまま逝かせてしまった。レイナも、子も。母上は九か月も、私がレイナを悼む時を奪ったのだ」

 凍てついた月のように冴え冴えとした美貌に怒りを滲ませて、恭親王は母と兄を睨みつける。

「私はもう、何も信じない。あなたがたに、私の希望が聞いてもらえることは期待しない。その代わり、私ももう二度と、あなたがたの期待には応えない。――心のない傀儡になるのはもう、たくさんだ!」
「ユエリン――!」
「もう二度と、その名で呼ばないでください!そんな名は私の名ではない!」

 言い捨てて立ち上がると、ちょうど、皇帝が拝謁に応じるという返事を宦官が持ってきたところだった。
 恭親王は後ろを振り返ることもなく、皇后の部屋を後にした。皇后が不安そうに背中を見送るが、賢親王は弟によく似た端正な眉を顰め、目を閉じた。

 折れたのだ――。
 強靱な鋼も折れる。
 いくら彼の心が強靭でも、我慢にも限界があるのだ――。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...