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序章 帝都の闇
忍び寄る闇
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その落ち着いた物言いも、弟を守ろうという責任感も、全てが父親にまるで似ていなかった。ついでに容姿も、どこか貧相な皇太子には似ず、むしろ眉目秀麗であった若き日の祖父、今上皇帝に似ているという――それがまた、皇太子の脆い精神を刺激するのであった。
アタナシオスは、正論であるがゆえに父親のさらなる怒りを買ってしまう皇子を、やや同情を持って眺める。
アタナシオスの見るところ、この帝国皇太子ロウリンは、歪んだ複合的劣等感が服を着ているような男であった。
まず、父帝に似ていないという自らの容姿と、皇太子の割に弱い〈王気〉に。そして自分に自信の持てない性格に。
皇太子位を巡ってのライバルであった、すぐ下の異母弟・賢親王エリン皇子と、父帝が溺愛する第十五皇子の恭親王ユエリン皇子は、どちらも父親似の、頬骨の高い精悍な顔だちの美形で、さらに強い〈王気〉を持っている。この二人に対する皇太子の劣等感は凄まじく、すでに憎しみの域に達している。
さらに、自らの跡取り息子である廉郡王グイン皇子は、異母弟たちと同じブライエ家の母を持ち、容姿も父帝に似て端麗――やや野性味が勝るところはあるが――であった。かつてはその美しい容姿と、立派な体格、豪放磊落な性格が自慢の息子であったのに、今やその自己肯定の塊のような息子に対してすら、劣等感を拗らせて側近くに寄せなくなってしまった。そのくせ跡取り息子の前ではいい顔を見せたい気が強く、とてもじゃないが精を提供しろなどと、言える間柄ではない。廉郡王の方も、何もかもが正反対で辛気臭い父親を嫌って、自ら近寄ろうとはせず、それがまた皇太子の苛立ちを煽っている。
数年前までは、まだしもその歪んだ劣等感を真綿でくるんで誤魔化す体力が残っていたが、〈王気〉の弱さを気にして得体の知れぬ怪しい精力剤に手を出し、一気に体調を崩し、みるみる〈王気〉を減退させてしまった。あれこれと伝手を辿って素性も定かでない方士アタナシオスを東宮内に引き入れて、彼の言うままに怪しい魔法水薬を調合させているけれど、〈王気〉の減退を留めることはできない。望気者であるアタナシオスの目には、皇太子の痩せた身体を取り巻く、今にも消えそうなかそけき金の光が視えるだけだ。今、この状況を皇帝近辺の望気者に見られたら、間違いなく皇帝位を継げる状態ではないと判定されるだろう。
(だが、もう少しは保ってもらわねばな。――あと、少し。陽の巨星が墜つるその日まで――)
小さく溜息をつくと、紫紺の瞳で皇子に微笑みかける。
「父上のご命令ですから――」
端麗な顔を蒼白にして唇を噛んだ皇子に、アタナシオスが大きな手を伸ばした。
帝国第七百三十二代皇帝シェンヤンの治世五十三年。
絶大な権力を誇り、陽の中心として長く君臨してきた皇帝の下、帝国は未曾有の繁栄を謳歌していた。
帝国の中枢部に腐敗の種が蒔かれ、内部から少しずつ、爛れて崩れはじめていることに、皇帝も三公九卿も、誰もまだ気づいていなかった――。
アタナシオスは、正論であるがゆえに父親のさらなる怒りを買ってしまう皇子を、やや同情を持って眺める。
アタナシオスの見るところ、この帝国皇太子ロウリンは、歪んだ複合的劣等感が服を着ているような男であった。
まず、父帝に似ていないという自らの容姿と、皇太子の割に弱い〈王気〉に。そして自分に自信の持てない性格に。
皇太子位を巡ってのライバルであった、すぐ下の異母弟・賢親王エリン皇子と、父帝が溺愛する第十五皇子の恭親王ユエリン皇子は、どちらも父親似の、頬骨の高い精悍な顔だちの美形で、さらに強い〈王気〉を持っている。この二人に対する皇太子の劣等感は凄まじく、すでに憎しみの域に達している。
さらに、自らの跡取り息子である廉郡王グイン皇子は、異母弟たちと同じブライエ家の母を持ち、容姿も父帝に似て端麗――やや野性味が勝るところはあるが――であった。かつてはその美しい容姿と、立派な体格、豪放磊落な性格が自慢の息子であったのに、今やその自己肯定の塊のような息子に対してすら、劣等感を拗らせて側近くに寄せなくなってしまった。そのくせ跡取り息子の前ではいい顔を見せたい気が強く、とてもじゃないが精を提供しろなどと、言える間柄ではない。廉郡王の方も、何もかもが正反対で辛気臭い父親を嫌って、自ら近寄ろうとはせず、それがまた皇太子の苛立ちを煽っている。
数年前までは、まだしもその歪んだ劣等感を真綿でくるんで誤魔化す体力が残っていたが、〈王気〉の弱さを気にして得体の知れぬ怪しい精力剤に手を出し、一気に体調を崩し、みるみる〈王気〉を減退させてしまった。あれこれと伝手を辿って素性も定かでない方士アタナシオスを東宮内に引き入れて、彼の言うままに怪しい魔法水薬を調合させているけれど、〈王気〉の減退を留めることはできない。望気者であるアタナシオスの目には、皇太子の痩せた身体を取り巻く、今にも消えそうなかそけき金の光が視えるだけだ。今、この状況を皇帝近辺の望気者に見られたら、間違いなく皇帝位を継げる状態ではないと判定されるだろう。
(だが、もう少しは保ってもらわねばな。――あと、少し。陽の巨星が墜つるその日まで――)
小さく溜息をつくと、紫紺の瞳で皇子に微笑みかける。
「父上のご命令ですから――」
端麗な顔を蒼白にして唇を噛んだ皇子に、アタナシオスが大きな手を伸ばした。
帝国第七百三十二代皇帝シェンヤンの治世五十三年。
絶大な権力を誇り、陽の中心として長く君臨してきた皇帝の下、帝国は未曾有の繁栄を謳歌していた。
帝国の中枢部に腐敗の種が蒔かれ、内部から少しずつ、爛れて崩れはじめていることに、皇帝も三公九卿も、誰もまだ気づいていなかった――。
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