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1、傀儡の反逆
アルベラ危機一髪!
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ずっと座って踊りを見物するのも、さすがに飽きてきた。
さっきからチラチラと、二人の方を気にする女たちの姿も、見ないようにしてしっかり目の端に入れていた。何しろ、身なりも立ち居振る舞いも問題なく貴族的なのに、全くダンスをしていないわけだから、確かに怪しい。話しかけられでもしたら、かえって面倒なことになる。
「ずっと同じ場所にいるのはよくないな。河岸を変えるか」
詒郡王も同じことを感じていたらしく、二人は立ち上がり、広間を出た。続き部屋の一つが軽食を取れるようになっていて、ダンスの合間に軽く摘まめるような、焼き菓子や挟みパンなどが、テーブルの上の銀器にとりどりに並んでいる。各自、皿に取って立ったまま摘まんでもいいし、近くのテーブルで椅子に座って食べてもいいようになっていた。
「この酥美味いぞ」
幾重にも重なる脆脆の生地の中に、挽肉の餡が入っている一口サイズの酥を頬張りながら、恭親王が言う。
「こっちの変な麺の入った料理も美味い」
見ると、詒郡王は穴のあいた短い麺をクリームで煮たものが、小さな器ごと天火で焼かれた料理を食べていた。
「何でこれ、真ん中に穴が開いているんだろう?」
「それはソリスティアでも食べたことがあるぞ。長い麺を食べない代わりに、そういう短いのを食べるんだ」
一つには、西方のマナーでは食事時に大きな音を立てるのを嫌うらしい。汁蕎麦をズルズルと盛大に啜った時、アデライードがびっくりした顔でじっと見てきたのだ。あと、西方では箸はまだ庶民には普及しておらず、庶民の多くは匙と手づかみで食べている。汁蕎麦はもちろん、焼きそばであっても、手づかみで食べるのはかなり難しい。短い麺ならスプーンで食べられる。
「当たり前だが、米はないんだな」
「西は乾燥しているから、水田に向いていない。麦が中心だ。個人的には、発酵調味料がないのが気に入らん。塩だけでは一味足りんのだ」
「貧乏舌のくせして変なことにこだわるな、シウは」
恭親王と詒郡王が無駄話をしながら、並んだ料理をあれこれと摘まんでいると、ユリウスが二人を探しにきた。
「で……じゃなくて、〈シウ〉と〈ターシュ〉、ちょっと会ってほしい人がいるんだよ」
「会っても大丈夫なのか?」
「まあね、ナキアのアデライード派だから大丈夫だよ」
ユリウスが二人を連れて休憩室がたくさん並ぶ部屋の方へ向かうと、広間の方から赤い長衣の女と黒髪に赤い仮面の男が寄り添うように歩いてきた。
(……さっきの赤い髪の美眉だが……ゾラは振られたのか)
そんなことを考えながら、道を開けてすれ違う。赤い髪の女が仮面越しに驚愕したようじっと彼らを見つめる。不審に思い、女の顔を見る。仮面の奥の瞳が、翡翠色だった――。
アルベラは為すすべもなく、シルキオス伯爵に引きずらるように歩いている。
(どうしよう……テセウスか、シリルか。でも大声で助けを呼ぶわけにいかないし……)
ふと前方から、四人の男たちが歩いてくるのが目に入る。いずれもすらりとした長身の男たち。
うち二人の男はけぶるような金色の光を纏っていた。特に髪の黒い男の輝きは素晴らしく、近づくにつれて、その光が金色の龍の形をとって躍動するのがはっきりと視えた。
(〈王気〉――?金色の――?)
アルベラはその光から目を離すことができず、すれ違いながらも目で追ってしまう。黒髪に銀色の仮面をつけた男と、目が合う。仮面をつけていてもわかるほどの美貌。少し薄い唇に、細身だが均整の取れた身体つき。
(――まさか、どうして――?)
四人の男のうちの一人が、長いダークブロンドをなびかせたレイノークス辺境伯ユリウスだと気づき、アルベラは確信した。
(総督――なんで、ナキアに――)
茫然と男たちを見送っていたアルベラは、そのままシルキオス伯爵に無人の休憩室に連れ込まれてしまう。
パタンと扉が閉まった音がして、アルベラははっとして振り返る。
「さ、お座りください、女王陛下」
こってりと甘い声音で、部屋の奥にあるソファを勧められても、アルベラは首を振った。
「……もう、疲れもとれたから、会場に戻ります。……連れが、探しているでしょうから」
「テセウス卿はマリアゲル伯爵家のヴェロニカ嬢と話があるようですよ? 邪魔をしては気の毒でしょう」
シルキオス伯爵はなおもアルベラにソファを勧め、アルベラは仕方なく腰を下ろす。シルキオス伯爵は仮面を外し、アルベラの前に跪いた。
「仮面を外して素顔を見せていただくことはできませんか、麗しき女王陛下」
「何のことがわかりませんわ。仮面を外すなんて、ルール違反でしょう?」
「またそんな堅いことを仰る。そういう堅いところも好きですがね……」
言いながら、長い腕を伸ばして、アルベラの仮面を外そうとしてくる。顔を避けてそれを拒みながら、アルベラが言った。
「やめて! シルキオス伯爵! 無礼だわ」
「ルキウスとお呼びください。陛下」
「……は?」
「そんな他人行儀な呼び名でなく、ルキウス、と」
「他人行儀も何も、他人じゃないの」
個人的にお近づきになる気など、もはや完全になくなっている。
「私は陛下に結婚を申し込みたいのです。……私は三十二、少し年上ですが、釣り合わないほどではないと思っています。現在、妻は三人いますが……あなたをこそ、大切にすると約束できます」
アルベラは仮面の下で眉を顰める。
女王の夫は執政長官としての政務に追われるから、どうしても領地のことなどを取り仕切る妻が必要になる。アルベラとてそれはわかっている。父のイフリート公爵ウルバヌスには都合七人の妻がいたし、ユウラ女王に傾倒していたギュスターブでさえ、妻は四人いた。
別に夫を独占したいとは思わない。なぜなら女王家の運命として、女の子しか産めないからだ。女王国の貴族が男系継承である以上、夫の家を継ぐ男児を生む、他の妻がどうしても必要だ。
それはわかっているから、そのことはどうでもいい。アルベラはどうしても、このねちっこい男を好きになれなかった。
「……奥様は三人かもしれないけれど、恋人が現在五人、いえ、六人でしたかしら?その方々とは結婚するつもりはなくて、わたしに結婚を申し込むなんて、あまりに不実ではありませんの?」
テセウスに命じた婿候補の調査でも、女関係のだらしなさが目につき、アルベラは速攻でこの男を候補から外していたのだ。
恋人の数まで正確に知られていると知り、シルキオス伯爵は目を丸くする。だがすぐに言った。
「あなたが振り向いてくださらないから、仮初の恋で心を慰めようとしたのですよ。高嶺の花への恋を諦めようと、私もいろいろやってみたのです。でも――もう、あなたへの想いを留めることはできないのです」
歯の浮くようなセリフにアルベラがうんざりする。何となく憎からず思う相手に囁かれれば嬉しい言葉かもしれないが、嫌いな男に言われても寒気が走るだけだ。
「……わたしの結婚は愛だ恋だで決めることのできないものですから。そんなことを言われても困ります」
「ですが私の想いはもう、あふれ出て止めることができないのです。この熱い思いを、どうしてわかってくださらないのですか?」
どうしてと言われても、答えようがない。嫌いだからだ、ってはっきり言ってしまおうかと思ったとき、シルキオス伯爵がアルベラに圧し掛かるようにして唇を奪おうとしてきた。
「――な!! 何なさるの!」
「ギュスターブのように、滾る思いのままにあなたを奪ってしまえば、私のものになる――」
ほとんど反射的に、アルベラは膝蹴りをかまして、それがどうやら股間にヒットしたらしい。声もなく蹲るシルキオス伯爵にさらに追い打ちの蹴りを入れてから、アルベラは逃げようとして扉に向かう。だが動顛していて、入ってきたのとは別の扉を開けてしまい、また同じような部屋に入ってしまった。間違えたと思うが、いつ後ろからシルキオス伯爵が追いかけてくるかと心が急いて、とにかく遠くに行こうと長衣の裾をからげて部屋を横切り、次の扉を開けて逃げ込む。が、そこでは黒髪の男が女をソファに押し倒して口説いている最中であった。
「きゃああああ!」
いきなり乱入してきたアルベラに驚いて、長衣の襟元もはだけかけた女が慌てて逃げて行ってしまう。アルベラはその悲鳴に目をぱちくりさせるが、ソファから押しのけられて、尻もちをついている男の顔を見て仰天した。
「テセウス?! 何やってるのよ!こんなところで!」
さっきからチラチラと、二人の方を気にする女たちの姿も、見ないようにしてしっかり目の端に入れていた。何しろ、身なりも立ち居振る舞いも問題なく貴族的なのに、全くダンスをしていないわけだから、確かに怪しい。話しかけられでもしたら、かえって面倒なことになる。
「ずっと同じ場所にいるのはよくないな。河岸を変えるか」
詒郡王も同じことを感じていたらしく、二人は立ち上がり、広間を出た。続き部屋の一つが軽食を取れるようになっていて、ダンスの合間に軽く摘まめるような、焼き菓子や挟みパンなどが、テーブルの上の銀器にとりどりに並んでいる。各自、皿に取って立ったまま摘まんでもいいし、近くのテーブルで椅子に座って食べてもいいようになっていた。
「この酥美味いぞ」
幾重にも重なる脆脆の生地の中に、挽肉の餡が入っている一口サイズの酥を頬張りながら、恭親王が言う。
「こっちの変な麺の入った料理も美味い」
見ると、詒郡王は穴のあいた短い麺をクリームで煮たものが、小さな器ごと天火で焼かれた料理を食べていた。
「何でこれ、真ん中に穴が開いているんだろう?」
「それはソリスティアでも食べたことがあるぞ。長い麺を食べない代わりに、そういう短いのを食べるんだ」
一つには、西方のマナーでは食事時に大きな音を立てるのを嫌うらしい。汁蕎麦をズルズルと盛大に啜った時、アデライードがびっくりした顔でじっと見てきたのだ。あと、西方では箸はまだ庶民には普及しておらず、庶民の多くは匙と手づかみで食べている。汁蕎麦はもちろん、焼きそばであっても、手づかみで食べるのはかなり難しい。短い麺ならスプーンで食べられる。
「当たり前だが、米はないんだな」
「西は乾燥しているから、水田に向いていない。麦が中心だ。個人的には、発酵調味料がないのが気に入らん。塩だけでは一味足りんのだ」
「貧乏舌のくせして変なことにこだわるな、シウは」
恭親王と詒郡王が無駄話をしながら、並んだ料理をあれこれと摘まんでいると、ユリウスが二人を探しにきた。
「で……じゃなくて、〈シウ〉と〈ターシュ〉、ちょっと会ってほしい人がいるんだよ」
「会っても大丈夫なのか?」
「まあね、ナキアのアデライード派だから大丈夫だよ」
ユリウスが二人を連れて休憩室がたくさん並ぶ部屋の方へ向かうと、広間の方から赤い長衣の女と黒髪に赤い仮面の男が寄り添うように歩いてきた。
(……さっきの赤い髪の美眉だが……ゾラは振られたのか)
そんなことを考えながら、道を開けてすれ違う。赤い髪の女が仮面越しに驚愕したようじっと彼らを見つめる。不審に思い、女の顔を見る。仮面の奥の瞳が、翡翠色だった――。
アルベラは為すすべもなく、シルキオス伯爵に引きずらるように歩いている。
(どうしよう……テセウスか、シリルか。でも大声で助けを呼ぶわけにいかないし……)
ふと前方から、四人の男たちが歩いてくるのが目に入る。いずれもすらりとした長身の男たち。
うち二人の男はけぶるような金色の光を纏っていた。特に髪の黒い男の輝きは素晴らしく、近づくにつれて、その光が金色の龍の形をとって躍動するのがはっきりと視えた。
(〈王気〉――?金色の――?)
アルベラはその光から目を離すことができず、すれ違いながらも目で追ってしまう。黒髪に銀色の仮面をつけた男と、目が合う。仮面をつけていてもわかるほどの美貌。少し薄い唇に、細身だが均整の取れた身体つき。
(――まさか、どうして――?)
四人の男のうちの一人が、長いダークブロンドをなびかせたレイノークス辺境伯ユリウスだと気づき、アルベラは確信した。
(総督――なんで、ナキアに――)
茫然と男たちを見送っていたアルベラは、そのままシルキオス伯爵に無人の休憩室に連れ込まれてしまう。
パタンと扉が閉まった音がして、アルベラははっとして振り返る。
「さ、お座りください、女王陛下」
こってりと甘い声音で、部屋の奥にあるソファを勧められても、アルベラは首を振った。
「……もう、疲れもとれたから、会場に戻ります。……連れが、探しているでしょうから」
「テセウス卿はマリアゲル伯爵家のヴェロニカ嬢と話があるようですよ? 邪魔をしては気の毒でしょう」
シルキオス伯爵はなおもアルベラにソファを勧め、アルベラは仕方なく腰を下ろす。シルキオス伯爵は仮面を外し、アルベラの前に跪いた。
「仮面を外して素顔を見せていただくことはできませんか、麗しき女王陛下」
「何のことがわかりませんわ。仮面を外すなんて、ルール違反でしょう?」
「またそんな堅いことを仰る。そういう堅いところも好きですがね……」
言いながら、長い腕を伸ばして、アルベラの仮面を外そうとしてくる。顔を避けてそれを拒みながら、アルベラが言った。
「やめて! シルキオス伯爵! 無礼だわ」
「ルキウスとお呼びください。陛下」
「……は?」
「そんな他人行儀な呼び名でなく、ルキウス、と」
「他人行儀も何も、他人じゃないの」
個人的にお近づきになる気など、もはや完全になくなっている。
「私は陛下に結婚を申し込みたいのです。……私は三十二、少し年上ですが、釣り合わないほどではないと思っています。現在、妻は三人いますが……あなたをこそ、大切にすると約束できます」
アルベラは仮面の下で眉を顰める。
女王の夫は執政長官としての政務に追われるから、どうしても領地のことなどを取り仕切る妻が必要になる。アルベラとてそれはわかっている。父のイフリート公爵ウルバヌスには都合七人の妻がいたし、ユウラ女王に傾倒していたギュスターブでさえ、妻は四人いた。
別に夫を独占したいとは思わない。なぜなら女王家の運命として、女の子しか産めないからだ。女王国の貴族が男系継承である以上、夫の家を継ぐ男児を生む、他の妻がどうしても必要だ。
それはわかっているから、そのことはどうでもいい。アルベラはどうしても、このねちっこい男を好きになれなかった。
「……奥様は三人かもしれないけれど、恋人が現在五人、いえ、六人でしたかしら?その方々とは結婚するつもりはなくて、わたしに結婚を申し込むなんて、あまりに不実ではありませんの?」
テセウスに命じた婿候補の調査でも、女関係のだらしなさが目につき、アルベラは速攻でこの男を候補から外していたのだ。
恋人の数まで正確に知られていると知り、シルキオス伯爵は目を丸くする。だがすぐに言った。
「あなたが振り向いてくださらないから、仮初の恋で心を慰めようとしたのですよ。高嶺の花への恋を諦めようと、私もいろいろやってみたのです。でも――もう、あなたへの想いを留めることはできないのです」
歯の浮くようなセリフにアルベラがうんざりする。何となく憎からず思う相手に囁かれれば嬉しい言葉かもしれないが、嫌いな男に言われても寒気が走るだけだ。
「……わたしの結婚は愛だ恋だで決めることのできないものですから。そんなことを言われても困ります」
「ですが私の想いはもう、あふれ出て止めることができないのです。この熱い思いを、どうしてわかってくださらないのですか?」
どうしてと言われても、答えようがない。嫌いだからだ、ってはっきり言ってしまおうかと思ったとき、シルキオス伯爵がアルベラに圧し掛かるようにして唇を奪おうとしてきた。
「――な!! 何なさるの!」
「ギュスターブのように、滾る思いのままにあなたを奪ってしまえば、私のものになる――」
ほとんど反射的に、アルベラは膝蹴りをかまして、それがどうやら股間にヒットしたらしい。声もなく蹲るシルキオス伯爵にさらに追い打ちの蹴りを入れてから、アルベラは逃げようとして扉に向かう。だが動顛していて、入ってきたのとは別の扉を開けてしまい、また同じような部屋に入ってしまった。間違えたと思うが、いつ後ろからシルキオス伯爵が追いかけてくるかと心が急いて、とにかく遠くに行こうと長衣の裾をからげて部屋を横切り、次の扉を開けて逃げ込む。が、そこでは黒髪の男が女をソファに押し倒して口説いている最中であった。
「きゃああああ!」
いきなり乱入してきたアルベラに驚いて、長衣の襟元もはだけかけた女が慌てて逃げて行ってしまう。アルベラはその悲鳴に目をぱちくりさせるが、ソファから押しのけられて、尻もちをついている男の顔を見て仰天した。
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