上 下
30 / 171
3、開戦に向けて

軍議

しおりを挟む
 その夜遅くーー。総督府の〈中奥〉の魔法陣のある部屋には、恭親王と正副の傅役ふやく、メイローズ、ジュルチ僧正そうじょう、そして太陰宮からは大神官長ルキニウスの副官であるゲルギオス神官が駆けつけた。急遽領地からソリスティア入りしたレイノークス辺境伯ユリウスと、顧問のマニ僧都が居並ぶ中、帝都の賢親王と魔法陣を繋ぐ。

「ユエリン、体調はもういいのか」
 
 突然の呼び出しにも関わらず、賢親王は異母弟の恭親王に親愛の籠った言葉をかけるが、しかし恭親王の返答は素っ気ないものだ。

「おかげさまで、もう問題ありません。――イフリートの〈黒影〉を尋問して、イフリート公爵の目的がわかりました。早急にナキアを攻略しなければなりませんので、禁軍(皇帝直属軍)の派遣を早めていただきたい」
「――例の、サウラの側付きに化けていた女か」
「はい。契約の魔術を解呪して、話を聞き出すことができました」

 解呪の具体的方法については不快なので口にせず、結論だけを淡々と語る。

「イフリート家が狙っているのは、イフリート家の王権と、結界の破壊です」

 事前にあらかたの話を聞いていたメイローズ以外の、女王国と〈禁苑〉の関係者が息を飲む。

「結界とは、始祖女王ディアーヌの張った、女王国全体を魔物から守る結界のことでしょうか」

 太陰宮のゲルギオス神官が眉を顰めて聞き返す。ゲルギオスは二十代の半ば、ナキアの貴種の出で、いずれは大神官長位に就くと目されている、銀髪青眼のいかにも貴族然とした男だ。恭親王は無言で頷くと、続けた。

おおやけにはされていませんが、女王の認証式というのは、要は始祖女王が張った女王国を守る結界に、新しい女王の〈王気〉を注ぎ、〈認証〉する儀式なのです。ここ二年近く続く女王空位によって、結界は放置されている状態です。イフリート公爵が推す王女アルベラには、ご承知のように〈王気〉がありません。彼女では、始祖女王の結界に〈王気〉を注ぐことはできない。アライア女王の王配として、当然この事実を知っているイフリート公爵が、なぜアルベラ姫の即位にこだわるのか、私は理解できないとずっと思っていました。……今回の暗部の尋問によれば、〈黒影〉の女が言うには、イフリート公の目的は〈混沌〉の再現だと。――つまり、太陽の龍騎士と月の精靈ディアーヌ以前の状態への回帰です」

 賢親王はあまりのことに切れ長の目を見開く。

「まさか……! にわかには信じられぬ。女王の結界とは、女王国を魔物から守るためのものだ。イフリート公爵は結界を破壊し、魔物を引き込んで〈混沌〉の世を招来せんと画策していると申すのか。仮にも西の、筆頭公爵家が」
「イフリート家は高い魔力を持ち、女王国唯一の公爵家として陰然たる勢力を誇っていますが、もともとは辺境出身で、本来は〈禁苑〉とは異なる信仰である、泉神殿の祭司でした。その紋章は泉を護る火蜥蜴サラマンダー――つまり、魔族です」
 
 イフリート家の紋章が火蜥蜴サラマンダーであることは西では周知の事実だが、しかしイフリート家そのものが魔族の流れを汲んでいると言われて、ユリウスもマニ僧都も目を見開く。

「……ちょっと待ってくれよ。たしかに、僕はその話を君にしたけれども、イフリート家そのものが魔族だとまでは言っていないし、さすがにあり得ないのでは……」
 
 成り上がりと侮られてはいても、イフリート家は西の女王国唯一の公爵家である。それが魔族だなんて、納得しろと言われても無理である。

「兄上は、以前、南方プーランタ河の南岸での廉郡王とチャーンバー旧王家の娘との話を憶えておいでですか?」
 
 恭親王が兄に問いかけると、横で聞いていたゲルがはっとして恭親王を見た。

「……つまり、偽のつがい……」

 その指摘を受けて、賢親王も三年前の南方異民族叛乱の際、魔蛇ヴリトラを信仰する旧王家の娘と恋仲になってしまった皇子のことを思い出す。

「イフリート家の者が初めて叙爵されたのは三百年前だと言われています。当時の女王の近辺に仕え、一説には、その愛人であったとも――」
「つまり、龍種の女王が火蜥蜴サラマンダーであるイフリート家の男を、偽のつがいと認識してしまい、身近に置いたと申すのか」
「本来、魔族と我々龍種とでは〈気〉が交わることはあり得ません。魔族は我々の〈王気〉を非常に好みますが、我々にとって、魔族の持つ〈気〉は異質で、不快なものです。ですが、ごくまれに、魔族を番と勘違いして睦み合ってしまう例があります。――甥の、廉郡王がそうでした。彼にとって、魔族の娘の〈気〉は不快でもなんでもなかった。龍と魔蛇の間に起きたことが、龍と火蜥蜴の間に起きても、不思議ではありますまい」

 ごくり、とユリウスが唾を飲み込む。

「その――僕が以前、指摘した、イフリート公爵を父に持つ王女はいないというのは……」
「偽のつがいというのは、交われば交わるほど互いの〈気〉を犯し、互いの命を損なうものだと聞いた。だが、本当に事例が少なくて、具体的にはどういう影響が出るのかわからないのだ。イフリート公爵を夫に持つ女王が流産を繰り返すのも、その影響だとすれば――その、ユウラ女王が最後まで、頑なにギュスターブを憎んだのも、夫である君の父親を殺されたせいだけではなくて――」
「ギュスターブが魔物の血を享けているから――?」
 
 ユリウスが蒼白な顔で恭親王に問いかける。

「魔物の眷属との交接は、一般には非常に不快なのだ。異種の〈気〉は交わることがないからな。暗部の女によれば、アルベラ王女に〈王気〉がないのも、龍種の〈王気〉とイフリート家の〈気〉が相殺された結果だと」

 恭親王の冷静な指摘に、ぐらりとマニ僧都が揺れ、顔を両手で覆ってしまう。

「まさかそんな――ユウラが、そんな――」

 片隅の僧侶の動きに眉を動かした賢親王に対し、恭親王がそっと付け加える。

「マニ僧都はヴェスタ侯爵家の出で――ユウラ女王の異母兄、アデライードの伯父にあたります」

 話を聞いて、それまで黙っていた太陽宮のジュルチ僧正が武芸者らしい、腹の底から響くような声で問いかけた。

「イフリート公爵は、世俗派として通ってきました。〈禁苑〉とは距離を置いてきたのも、宗教権威に依存しない世俗的な王権を確立し、合理主義に根差した政治を志向しているためだと、皆な信じています。……実は結界を破壊し、〈混沌〉の世の招来を目論んできたなどと……率直に、納得しかねるのですが」

 恭親王は頭部を青く剃り上げたジュルチ僧正の、精悍な顔を見ながら言った。

「私自身もそう思ってきた。しかし、実際、イフリート家のここ二百年の動きはいずれも、陰陽の龍種の〈聖婚〉を阻み、陰の龍種の力を弱める方向に働いていきた。その結果、陰の龍種はアデライードただ一人を残すのみになり、女王国の結界は二年近く放置されたまま。このまま〈認証〉を行わなければ、いずれ綻びから裂けて魔物が雪崩なだれ込むだろう」

 恭親王の言葉に、ゲルギオス神官は蒼白な表情で、口を挟む。

「イフリート公爵が〈禁苑〉と決別し、泉神殿を頂点とする新たな〈教会〉組織を立ち上げようとしている事実は、我々も掴んでおりました。ですが、いかにイフリート家自身が魔の眷属であるとしても、結界なき女王国を守り、また〈混沌〉に陥った世界を支配していくことはできないと思うのですが」
「思うに、〈混沌〉への考え方が〈禁苑〉の教えとは異なっているのだ。〈禁苑〉の教えでは、〈混沌〉は光も差さぬ暗闇で、魔物が跋扈ばっこする世界だが、本来、〈混沌〉とは陰陽が未分化の状態のことだ。人も魔物も交じり合い、共存する世界だと表現すれば、それはそれで理想郷に聞こえるだろう」

 その世界の中では、むしろ龍種こそが異分子だ。なぜならば、龍種は〈混沌〉に光をもたらすために、天界から降り立った者たちだからだ。
 
「つまり、イフリート公爵は、異界の真人カミの子孫である龍種と、その支配の宗教的根拠である陰陽の教えを否定し、かつての神世に戻ろうとしている――ということなのですか。そしてそれは、ヒトと魔が交じり合い、共存する理想郷であると」
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ランジェリーフェチの純情少年と純愛青春

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:269pt お気に入り:66

もしかして私ってヒロイン?ざまぁなんてごめんです

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:492

彼が恋した華の名は:2

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:46

サファヴィア秘話 ー闇に咲く花ー

BL / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:202

異世界で双子の弟に手篭めにされたけど薬師に救われる

BL / 連載中 24h.ポイント:831pt お気に入り:375

【R18】陰陽の聖婚 Ⅳ:永遠への回帰

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:163

戦争はただ冷酷に

歴史・時代 / 連載中 24h.ポイント:702pt お気に入り:2

魔女のなりそこない。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:5,326pt お気に入り:769

処理中です...