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4、カンダハルの海戦

ガレー船の戦い

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 ハーラ島に集結した帝国軍の軍艦を、やや小高い場所にある本陣から眺め、恭親王は大きく広げた海図に赤と青の凸形の駒を置いて陣形を試案する。赤が帝国軍、青が女王国の、カンダハル海軍の船に見立てている。
 
「数的には不利だな。それに、相手はこの辺りの水域を熟知している。我々――特に、南方辺境騎士団の船は、ようやく海の潮の流れに慣れてきたところ、座礁しやすい浅瀬に追い込まれでもすれば、なすすべがないな」
 
 恭親王がカンダハルの港を囲むように並べた赤と青の駒を見下ろして呟く。

「やっぱり先陣はソリスティア海軍と、シルルッサを中心とする海港都市の連合艦隊にお願いして、南方辺境騎士団の船は後方支援に回るべきだよね」
 
 郡王も長い指を顎に当て、あーでもない、こーでもないと船を進めては戻すを繰り返す。騎馬であればある程度は自由に操れるが、何分、船の動きは船長と漕ぎ手の水夫の熟練度次第だ。

「南方辺境騎士団の操船技術も、けして低いわけではありません。ただ、海域に不慣れですので」

 ゾーイが辺境騎士団を庇うように言えば、恭親王が微笑んだ。

「わかっている。流れの速いプーランタ河を遡って鍛えられただけあって、速力は随一だ。細かい操船はともかく、一気に漕ぎ進む、推進力をうまく使いたいところだ」
「カンダハルの奴ら、海戦に対しては絶対的な自信を持っているだろう。その鼻っ柱をへし折ってやろうぜ」
 
 詒郡王がやや軽薄そうに見える茶色い瞳をきらめかせる。海図を見下ろしていたユリウスが言った。

「でも、艦隊の数も練度もあちらが勝っているのだろう? 無理に海上戦に持ち込まなくても……」

 だが恭親王はゆるやかに首を振る。

「いや、カンダハル海軍が、海上戦でも我々に負けた、という事実が必要なんだ」
「俺は何をすんだよ? 船は苦手なんだ。乗ってるだけだったら、ここで寝てるぞ?」

 廉郡王は島の漁師たちから巻き上げた新鮮な栄螺さざえを七輪でつぼ焼きにし、昼間っから焼酎を飲んでご機嫌である。しかも本人には巻き上げた自覚はなくて、「散歩の途中で見かけて、美味そうだなと言ったら、くれた」などとのたまった。
 ここらの島の貧しい漁民は「暗黒三皇子」の噂にすっかり萎縮しているから、見上げるような偉丈夫の廉郡王に声をかけられて、震えあがって漁の成果を差し出したに違いないのだ。恭親王はその話を聞いて、慌ててゾラに命じて代金を払わせ、村長の家に葡萄酒の一樽も持って行かせたのである。――恭親王は友人の暢気さを羨ましく思う。

「何を言う。海戦は船同士のぶつかり合いと、乗り移っての白兵戦が中心だ。相手の船に乗り込んで、好き放題してもいいんだぞ?」
「ほんとか? それなら、船酔いしない程度に頑張って乗るかな~、いやあ、腕が鳴るぜ~」

 ほじくり出した栄螺の身を豪快に口の中に放り込み、ぺろりと唇を舌で舐めあげて廉郡王が不敵に笑った。





  
 五月の末の良く晴れた早朝、ハーラ島の基地を出撃した帝国軍は、カンダハル沖に港を囲むように陣形を整える。右翼がソリスティア海軍、左翼がシルルッサ以下の開港都市の連合艦隊、中央やや下がって、南方辺境騎士団の軍艦が並ぶ。対する、数に勝るカンダハルの海軍は港の城壁を守るように布陣する。
 
 天気は快晴。抜けるような青空の下、右翼のソリスティア軍のガレー船の甲板には、二頭の龍が絡みあう帝国の旌旗が翻る。戦闘の邪魔になる帆はすでに外され、旌旗の前には陣頭指揮を執る恭親王が黒いマントを靡かせて立っていた。その肩には黒い、小ぶりの鷹。左手には白い大鹿の毛で作られた麈尾 しゅびを持ち、「海の聖獣ケートス」と呼ばれるカンダハルの城壁を見据えている。
 その背後には見上げるほどの偉丈夫であるゾーイが、軍事権を象徴する旗の一種、節を持って控える。

 中軍に置かれた本陣には、廉郡王と詒郡王が詰め、左翼のシルルッサの軍艦の上にはユリウスが乗船している。準備が整ったという合図の太鼓の音が恭親王の耳に届くと、彼は背後のゾーイを振り返って、少しだけ微笑んだ。

 恭親王が手にした白い麈尾を大きく振る。それを受けて、ゾーイが節を振り回した。

「出撃!」
 
 合図を受けて喇叭ラッパの音が鳴り響く。左翼と右翼の、帝国艦隊が一斉にカンダハルの海軍へと距離を詰めていく。対するカンダハル側でも派手な太鼓の音が鳴りわたり、女王国の、楯に絡みつく龍の紋章の旗を翻し、一斉に沖へ――つまり敵艦隊に向けて――漕ぎだした。

 この日は夜半が満潮で、早朝の現在は最も干潮に向かう時間で、潮は岸から沖へと流れている。その潮の流れに乗って、カンダルの艦隊は一気に帝国軍に襲いかかろうとする。

「なるほど、予想より船足が速い――しばらくは我慢の時間だな」
 
 敵艦隊の甲板が十分視認できるほど近づく。背後のゾーイに聞かせるでもなく呟くと、恭親王はさっと白い麈尾を頭上で振った。

「弓兵、構え!」
 
 よく通る声が海上に響く。喇叭ラッパが先ほどとは違う曲を吹き鳴らし、太鼓は異なるリズムを打ち鳴らす。十分に敵艦隊が近づいたと見て、恭親王は麈尾を大きく振り下ろす。
 
 「射よ!」

 ゾーイが背後で節を振り回す。喇叭の音が一際高くなり、太鼓のリズムが激しさを増した。帝国艦隊のガレー船は、スピードを緩めることなく敵艦隊に向かい、甲板から一斉に矢を放つ。ほぼ同時に、敵艦隊からも多くの矢が浴びせかけられる。海上を矢が飛び交い、甲板に矢が飛び込む。

「殿下、流れ矢に当たります。後ろにお下がりください」

 ゾーイが主を気遣うが、恭親王は微笑んで首を振った。

「大事ない。下手に後ろに下がると船酔いしそうだからね」

 波はそれほど荒くはなかったが、凄まじい速さで漕いでいるガレー船の上は、結構な揺れであった。
 矢を射かけあいながらさらに接近する。一隻、こちらに向かってぐんぐんとスピードを上げてくる船が見えた。

「体当たり攻撃をしかけるつもりです!」
「面倒くさい、当初の打ち合わせ通り、とりあえず避けろ」
 
 恭親王が操船の責任者であるソリスティアの水夫長に命令する。

「ほいさあ!」

 船長は日に焼けた顔でニヤリと笑い、水夫たちに指示を出す。

「左に十五度!」
 
 さすが熟練の水夫たちだけあって、易々を進路を変えて、攻撃を仕掛ける船から距離を取る。避けられたと思った敵船がなおも追おうとするが、今度は味方の舟が一隻、その船に対して突出する。敵船が攻撃を躱そうとやや無防備な横面を晒したところで、さらに矢を射かけ、接近した甲板から素焼きの壺を投げつける。

 ガシャーン、ドガーン!

 敵の船の側面に命中し、壺が割れ、中に入れた秘薬が弾けて発火し、鉄ビシが飛び散る。この火炎壺は周辺の海賊が編み出した一種の手榴弾で、ヴァンゲリスは火炎弾は提供したが、秘薬の配合は教えてくれなかった。恭親王はその独特の臭いから、松脂まつやに瀝青アスファルト、そして黒い水、硝石と硫黄などの混合物であろうと推測していた。中には魚油を入れて安く上げたものもあり、そちらは発火しないために後から火矢を射る必要がある。皇子のくせに財布の紐の固い恭親王は、その安い物をも取り混ぜて作成させ、とにかく数を用意したのである。
 
 火炎壺に動揺して制御を失う敵艦には火矢を射てやり過ごし、次なる敵艦に向かう。左翼の開港都市の連合艦隊でも同様に、火矢と火炎壺による攻撃を行い、中央の南方辺境騎士団の船団を温存する形で、敵艦隊に切り込んでいく。

 ガレー船は戦闘の邪魔になる帆を畳んでしまうから、その推進力は全て漕ぎ手の人力に頼っている。スピードも運動性も帆船に勝るが、最高スピードで長時間漕ぎ続けることはできない。漕ぎ手は交代で休息をとるが、動きは鈍くなる。一進一退を繰り返し、両軍入り乱れての小競り合いが続く。

 さすがカンダハルの艦隊の水夫は練度が高く、巧みに体当たり攻撃を仕掛けてきて、損傷を受ける船も出てきた。海域の状況を熟知しているし、何より潮の流れが彼らに味方している。

 カンダハルの艦隊の城壁に近い位置には、長官であるグレゴールの旗艦が陣取っていた。戦況はカンダハル側が有利に進めている。

「ほれ見ろ!レイモンドの腰抜けが。暗黒三皇子だが何だか知らんが、所詮、海には素人。口ほどにもないぜ!」

 グレゴールが満足気に髭を撫でている一方で、左翼で実際の陣頭指揮を執っている副長官のレイモンドは剣を振るって絶叫した。

「一気にカタをつけろ!潮の流れが変わらぬうちに勝負を決めるのだ!――あの、皇家の旌旗の翻る船を狙え!」

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