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5、白虹 日を貫く

ソリスティアでは

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 カンダハル陥落の報せに、ソリスティアの街と総督府は沸いた。「厳しい」表情が服を着たみたいなゲルフィンですら、心なし頬が緩んでいるように見える。裏表のないアンジェリカに至っては、戦勝に浮かれるあまり、「昔から、こういうときは提灯ちょうちん行列と相場が決まっています!是非、提灯行列を!」と訳の分からないことをわざわざエンロンに言いに行って、ゲルフィンから余計な説教を喰らっていた。

 そんな中で一人、アデライードだけが正体のわからない不安に怯えている。
 初めは、慣れない一人寝が続くせいかと思っていた。だが戦勝の報せが相次ぐと、アデライードの不安は一層深くなるばかり。このままナキアを落とせば、アデライードもまた、カンダハルの港からナキアに入り、湖の中にある月神殿で認証式に臨む手筈になっている。

(女王になるのが怖いと思っているのかしら――)

 王城は巨大な三日月湖の畔にあり、その中州の島にナキアの月神殿はある。アデライードも母とナキアにいた時分に、何度か船で月神殿には詣で、大理石の美しいテラスから、湖の畔に聳える白亜の王城を眺めたことがある。女王になるのはアデライードの希望ではないが、それが逃れられぬ定めだと、とっくの昔に諦めている。いまさら恐れたとて、どうなるものでもない。

(そうじゃないわ。――殿下と、離れているのが不安で――辛くて寂しくて――)

 たとえどんな場所であれ、彼さえいれば何も恐れる必要はないと、アデライードは知っている。彼がアデライードを愛し、アデライードの中のつがいの魔法陣で彼と繋がっている限り、アデライードの魔力は均衡を保っていて、自身把握し切れていない、巨大な魔力を操ることができる。それなのに――。

(我儘を言わずにお待ちしなければ。……せめて殿下の妨げにならないように)

 戦勝の報せとともにことづけられた、恭親王からの走り書きの手紙を握り締め、アデライードは思う。癖のある文字、素っ気ない言葉。――だがその文面からは、彼の愛が溢れるように感じられた。彼に愛され、彼を愛しているからこそ、胸のうちを渦巻く不安にいてもたってもいられない。

(何も望まないから――早く、帰ってきて)

 手紙を胸元で両手で握りしめ、アデライードは金色の長い睫毛を伏せた。





 毎日、午後にはマニ僧都と二人、客室にゼクトを見舞って彼に魔力を付与し、〈キズ〉を塞ぐ魔法陣の調整をする。魔法陣というのは繊細なもので、同じ真言マントラを組み込んでも、配置によって効果の出方が異なったりする。マニ僧都が幾度も書き直した魔法陣をそのたびに試し、治療を施すのはアデライードの役目だ。

 あの後、〈瑕〉についてさらに細かく診察した結果、基本的には〈瑕〉は魔力による治癒術以外では塞がることはなく、体力のあるうちは数年小康を保つとしても、いったん大きく体調を崩すと綻びが広がるように弾けてしまうのではないかとの推測がなされた。龍種であれば、自己治癒術によって知らぬ間に〈瑕〉が塞がっていることもあるが、いかに魔力が強くとも貴種レベルの魔力では自己治癒は効かない。魔物と交接した貴種の聖騎士は、若い時は何事もなく過ごしていても、壮年になるころに突如体調を崩して死亡するのだと、メイローズが陰陽宮を通じて行った調査でも明らかになった。

「お母様は龍種で、自己治癒も使えましたのに」

 その報告を聞いてアデライードが不満そうに首を傾げるのに、ゼクトが穏やかに言った。

「恭親王殿下の異母兄の成郡王殿下も、魔力はそれほどではないが龍種でいらっしゃった。だが、魔力を吸われて弱ったところを酷い虐待を受けられて、瀕死の重傷を負われた。普段であれば、そこからゆっくりと回復することも可能であったかもしれないが、おそらく〈瑕〉から魔力が漏れてしまったのでしょう。殿下がどれだけ魔力を〈補給〉されても、その甲斐もなく亡くられました。ユウラ女王陛下もおそらくは同じだったのでしょう」

 ここ数日の治療ですでにいくつかの〈瑕〉は塞がって、ゼクトの容態は大幅に好転していた。

「今回のこの魔法陣で、たぶん決定版だよ。これで副作用もなく〈瑕〉を塞ぐことができるはずだ」

 マニ僧都が紙に綺麗に清書した魔法陣を示しながら言う。素人目にはどう違うのかさっぱりわからないけれど、マニ僧都に言わせれば発動の順序と魔力の分配が変わってくるのだそうだ。アデライードはその魔法陣の紙を受け取り、膝の上に置いてその中心に右手を載せ、|真言〈マントラ〉を唱えるとアデライードの足元に光の魔法陣が出現する。

「アデライード、威力はそんなに無くてもいい、もう少し絞れるか?」

 マニ僧都の声を受け、アデライードの魔法陣がすすっと収縮して小さくなる。――以前は苦手だった魔力の制御も、つがいの魔法陣のおかげでスムーズだ。アデライードは左手を伸ばしてゼクトの腕に触れ、魔法陣を発動する。寝台に横たわるゼクトの身体も薄っすらとした光に包まれ、魔力が作用しているのがわかる。二分ほど、そのまま作動して、アデライードは魔法陣を閉じる。ほっと息をついたアデライードの横から、マニ僧都が近づいてゼクトを診察する。

「気分が悪かったりは?魔力の流れは……回復しているね、成功だ!」

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