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5、白虹 日を貫く
告発
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「親父!いったい何してんだよ! 自棄になって叛乱かよ!」
恭親王の後ろから走り込んだ廉郡王が父親を怒鳴りつけると、皇太子が唾を飛ばして怒鳴り返した。
「何を言うか! これもお前のためだ! わしが皇帝にならねば、お前も皇帝になれぬのだぞ!」
「ふっざけんなっ! 皇帝になんてなりたくねぇっつってるだろが! 謀叛に俺を巻き込むな!」
時ならぬ親子喧嘩を無視して、恭親王は真っ直ぐ異母兄を見つめて言った。
「兄上、兵を引いてください。太極殿でも多くの高官を殺し、今ここで、さらに罪を重ねるのですか」
異母弟の黒い瞳に射抜かれて、皇太子はギリと奥歯を噛みしめる。
「あいつらは、わしの廃嫡を唯々諾々と認めようとしたからだ。わしは正統なる皇后の子で、四十年近く皇太子の座にあったのだ! お前ごときにその座を奪われるなど、堪忍ならぬ!」
「次の皇太子が誰になるかはともかく、兄上はすでに皇太子位から廃嫡されております」
「いいや、あの詔は無効だ。司徒が読み上げる前に殺して詔勅は燃やしたから――」
「私が密勅を受けています。すでに璽書も押され、形式が整っている。――陛下は万一に備え、予備の密勅を太監経由で私のもとに寄こした」
皇太子の発言に被せるように恭親王が言うと、皇太子はぎょっとしたように異母弟を凝視した。
「何だと!そ、それを寄こせ!」
「そんな大事なものを人に渡すわけがないでしょう。それに、詔勅には必ず副本を作るものです。後嗣を定めるような、重大なものには特に。陛下が私に密勅を下したということは、兄上が叛く危険性を予見されていたのでしょう。私の密勅にも当然、副本があるはずです。廃嫡の詔を燃やしたところで、あなたの即位はすでに正当性がありません。陛下を弑し奉ったのですから。――それでも、お前たちはこの偽りの天子に命を捧げる覚悟があるか? 天と陰陽の加護もなく、〈混沌〉の闇に堕ちるとわかっていても?」
恭親王が静かに周囲の者たちに語りかければ、皇宮近衛騎士たちに動揺が走る。恭親王がそれを煽るように、さらに畳みかけた。
「兄上は西の、イフリート家の手の者を東宮に引き込んだ。あなたは至尊の位に相応しくない」
「うるさい! お前に何がわかる! 者ども、とっととこの忌々しい男を屠ってしまえ!」
皇太子が脇の騎士に向かい、異母弟を指差すが、騎士は皇子の威に撃たれ、茫然と立ち尽くす。皇太子が舌打ちして、なおも言い募った。
「気にすることはない! ユエリンのフリをしているが、こいつは贋物だ! 本物のユエリンは十年前に死んだ! こやつは太陽宮の沙弥(見習い僧侶)だったのだからな!」
皇太子の発言に、一座が固唾を飲む。それに対して、賢親王が叫んだ。
「戯言だ!」
「戯言じゃない! そやつはユエリンではない! ユエリンは十年も前に死んだのだ! お前だって皇帝の位には相応しくないくせに、この贋者が!」
予想外の展開に、皆、何となく矛を収め、不安げに状況を見守っている。恭親王は、一切表情を変えない。
「こやつは贋の皇子だ! 証拠もあるぞ! 贋者のくせに、わしから玉座を盗もうとした、不届き者だ!」
「証拠だと?! 愚かなことを!」
皇太子と賢親王の言い争いを、恭親王は無表情で聞き流していたが、だが次の瞬間、彼は薄く形の良い唇の端をわずかに上に向け、見惚れるような微笑を浮かべ、言った。
「証拠! 面白い。どんな証拠があると言うのです?」
「お前は太陽宮の〈清脩〉僧院の沙弥のシウリンだ! 十年前の十二月の初め、本物のユエリンが落馬して死んで、帝都に連れてこられた! ユエリンは右利きだったのに、お前は左利きだし、性格も違う!」
唾を飛ばしながら言う皇太子に、廉郡王が呆れたように言った。
「親父、いい加減にしろよ! 俺は落馬前のユエリンも、小侯院に復帰したときも知っている。皇子にそっくりでしかも〈王気〉のある沙弥とか、どっから見つけて来るんだよ! もうちょっとマシな嘘を考えろよ」
「うるさい! 本当だ! ユエリンは頸の骨を折ってたんだぞ! 命が助かったところで、手の指一本動かせなくなるはずだったんだ!」
「兄上、私が贋の皇子であるどんな証拠を掴んだかは存じませんが、私には本物の皇子たる証拠があります」
静かに、自信に満ちて宣言する恭親王に、皇太子はやや鼻白む。
「……な、なんだ?」
恭親王は左手の掌を上に向けて真っ直ぐ前に差し出す。
「私が正統なる〈聖婚〉の皇子である、紛うかたなき証拠です。御覧じろ!」
何もなかった左手に、次の瞬間長大な剣が握られていた。光が、刀身に添って流れ、聖剣が輝く。
「天と陰陽より賜ったこの剣こそ、私が正真正銘の龍種たる証。贋の皇子の〈聖婚〉を、天と陰陽が嘉し給うとでも?」
右肩に黒い鷹を止まらせ、輝く剣を持った立つ美貌の皇子に、その場の全員が雷に打たれたように動けない。恭親王がさらに言った。
「投降せよ! 天と陰陽の意に逆らうか!〈混沌の闇〉に落ちて永久に彷徨うか!」
恭親王の一喝に、その場の叛徒が戦意を喪失しかけたその時――。
乾坤宮の奥の、後宮側に繋がる廊下から現れた背の高い人物が、傾きかけた勢いを一気に反転させた。
「待たれよ。その話、もっときちんと聞いてみようではありませんか。――ユエリン皇子の入れ替わりの顛末について」
現れたのは黒いフードつきのマントで全身を覆った人物で、濃紺の長衣を着た細身の女を一人、引きずるように連れてきていた。どさり、と男が女を床に投げ捨てる。
「――母上!」
「陛下!」
黒衣の人物が床に引き倒したのは、他ならぬ皇后だった。床に叩きつけられ、皇后が苦痛に顔を歪めて呻く。
「皇后陛下に何という……」
「母上!」
将軍や親衛騎士たちが、皇后を助けようと一歩を踏み出すが、すかさず皇宮近衛騎士の一人が、血に塗れた抜き身の剣を皇后に突きつけた。
「近づいたらこの女狐の命はないぞ!」
恭親王の後ろから走り込んだ廉郡王が父親を怒鳴りつけると、皇太子が唾を飛ばして怒鳴り返した。
「何を言うか! これもお前のためだ! わしが皇帝にならねば、お前も皇帝になれぬのだぞ!」
「ふっざけんなっ! 皇帝になんてなりたくねぇっつってるだろが! 謀叛に俺を巻き込むな!」
時ならぬ親子喧嘩を無視して、恭親王は真っ直ぐ異母兄を見つめて言った。
「兄上、兵を引いてください。太極殿でも多くの高官を殺し、今ここで、さらに罪を重ねるのですか」
異母弟の黒い瞳に射抜かれて、皇太子はギリと奥歯を噛みしめる。
「あいつらは、わしの廃嫡を唯々諾々と認めようとしたからだ。わしは正統なる皇后の子で、四十年近く皇太子の座にあったのだ! お前ごときにその座を奪われるなど、堪忍ならぬ!」
「次の皇太子が誰になるかはともかく、兄上はすでに皇太子位から廃嫡されております」
「いいや、あの詔は無効だ。司徒が読み上げる前に殺して詔勅は燃やしたから――」
「私が密勅を受けています。すでに璽書も押され、形式が整っている。――陛下は万一に備え、予備の密勅を太監経由で私のもとに寄こした」
皇太子の発言に被せるように恭親王が言うと、皇太子はぎょっとしたように異母弟を凝視した。
「何だと!そ、それを寄こせ!」
「そんな大事なものを人に渡すわけがないでしょう。それに、詔勅には必ず副本を作るものです。後嗣を定めるような、重大なものには特に。陛下が私に密勅を下したということは、兄上が叛く危険性を予見されていたのでしょう。私の密勅にも当然、副本があるはずです。廃嫡の詔を燃やしたところで、あなたの即位はすでに正当性がありません。陛下を弑し奉ったのですから。――それでも、お前たちはこの偽りの天子に命を捧げる覚悟があるか? 天と陰陽の加護もなく、〈混沌〉の闇に堕ちるとわかっていても?」
恭親王が静かに周囲の者たちに語りかければ、皇宮近衛騎士たちに動揺が走る。恭親王がそれを煽るように、さらに畳みかけた。
「兄上は西の、イフリート家の手の者を東宮に引き込んだ。あなたは至尊の位に相応しくない」
「うるさい! お前に何がわかる! 者ども、とっととこの忌々しい男を屠ってしまえ!」
皇太子が脇の騎士に向かい、異母弟を指差すが、騎士は皇子の威に撃たれ、茫然と立ち尽くす。皇太子が舌打ちして、なおも言い募った。
「気にすることはない! ユエリンのフリをしているが、こいつは贋物だ! 本物のユエリンは十年前に死んだ! こやつは太陽宮の沙弥(見習い僧侶)だったのだからな!」
皇太子の発言に、一座が固唾を飲む。それに対して、賢親王が叫んだ。
「戯言だ!」
「戯言じゃない! そやつはユエリンではない! ユエリンは十年も前に死んだのだ! お前だって皇帝の位には相応しくないくせに、この贋者が!」
予想外の展開に、皆、何となく矛を収め、不安げに状況を見守っている。恭親王は、一切表情を変えない。
「こやつは贋の皇子だ! 証拠もあるぞ! 贋者のくせに、わしから玉座を盗もうとした、不届き者だ!」
「証拠だと?! 愚かなことを!」
皇太子と賢親王の言い争いを、恭親王は無表情で聞き流していたが、だが次の瞬間、彼は薄く形の良い唇の端をわずかに上に向け、見惚れるような微笑を浮かべ、言った。
「証拠! 面白い。どんな証拠があると言うのです?」
「お前は太陽宮の〈清脩〉僧院の沙弥のシウリンだ! 十年前の十二月の初め、本物のユエリンが落馬して死んで、帝都に連れてこられた! ユエリンは右利きだったのに、お前は左利きだし、性格も違う!」
唾を飛ばしながら言う皇太子に、廉郡王が呆れたように言った。
「親父、いい加減にしろよ! 俺は落馬前のユエリンも、小侯院に復帰したときも知っている。皇子にそっくりでしかも〈王気〉のある沙弥とか、どっから見つけて来るんだよ! もうちょっとマシな嘘を考えろよ」
「うるさい! 本当だ! ユエリンは頸の骨を折ってたんだぞ! 命が助かったところで、手の指一本動かせなくなるはずだったんだ!」
「兄上、私が贋の皇子であるどんな証拠を掴んだかは存じませんが、私には本物の皇子たる証拠があります」
静かに、自信に満ちて宣言する恭親王に、皇太子はやや鼻白む。
「……な、なんだ?」
恭親王は左手の掌を上に向けて真っ直ぐ前に差し出す。
「私が正統なる〈聖婚〉の皇子である、紛うかたなき証拠です。御覧じろ!」
何もなかった左手に、次の瞬間長大な剣が握られていた。光が、刀身に添って流れ、聖剣が輝く。
「天と陰陽より賜ったこの剣こそ、私が正真正銘の龍種たる証。贋の皇子の〈聖婚〉を、天と陰陽が嘉し給うとでも?」
右肩に黒い鷹を止まらせ、輝く剣を持った立つ美貌の皇子に、その場の全員が雷に打たれたように動けない。恭親王がさらに言った。
「投降せよ! 天と陰陽の意に逆らうか!〈混沌の闇〉に落ちて永久に彷徨うか!」
恭親王の一喝に、その場の叛徒が戦意を喪失しかけたその時――。
乾坤宮の奥の、後宮側に繋がる廊下から現れた背の高い人物が、傾きかけた勢いを一気に反転させた。
「待たれよ。その話、もっときちんと聞いてみようではありませんか。――ユエリン皇子の入れ替わりの顛末について」
現れたのは黒いフードつきのマントで全身を覆った人物で、濃紺の長衣を着た細身の女を一人、引きずるように連れてきていた。どさり、と男が女を床に投げ捨てる。
「――母上!」
「陛下!」
黒衣の人物が床に引き倒したのは、他ならぬ皇后だった。床に叩きつけられ、皇后が苦痛に顔を歪めて呻く。
「皇后陛下に何という……」
「母上!」
将軍や親衛騎士たちが、皇后を助けようと一歩を踏み出すが、すかさず皇宮近衛騎士の一人が、血に塗れた抜き身の剣を皇后に突きつけた。
「近づいたらこの女狐の命はないぞ!」
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