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【番外編】叢林の盧墓
消えたシウリン
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施療所に辿り着いたフエルとルチアは、まっすぐジーノの部屋に向かう。今日はわりに体調がいいのか、ジーノも起き上がっていて、まず借りていた数珠と香を返し、礼拝してきたことを報告する。シシルとの一件を話すと、ジーノが落ちくぼんだ目を見開いた。
「正月にも、恭親王殿下に飛びかかったのだよ。あの時は胆が冷えた。殿下はああいう方だから、大事にはされなかったけれど――」
そんな話をしていると、副院長補佐のロド師が顔を出した。
「フエル殿、僧院を代表して改めてお詫びします。シシルの話によれば、十年前にシウリンを連れ去った男に、あなたが似ていたと――」
「十年前?……それは、ずいぶんな人違いですね。その頃僕はまだ三つかそこらだ」
ロドは廊下に重ねて積んである榻を持ち込んで、勝手にそれに座り、フエルとルチアに改めて尋ねた。
「俺は五年前にこの僧院に来たから、シウリンのことは知らないのだ。だが、あのシシルというおかしな奴が、前々からブツブツ言っているのは聞いていて、不思議に思っていた。シウリンについて知っていることを聞かせてもらえないか」
ルチアが困ったように金色に近い茶色の眉を顰め、ちらりとフエルとジーノを見る。
「……わしも十年前はここにいなかった故、正月に初めて名を聞いたくらいで、何も知らぬのです」
ジーノがロドに言う。ロドはジーノに頷いて、茶色い目をルチアに向けた。
「シウリンのことは、話しちゃいけないって――」
「それは知っている。実は、シウリンという僧呂の記録自体、この僧院には残ってない」
「どういうことです?」
思わず、フエルがロドに尋ねる。
「つまり、初めから、この僧院にシウリンなんて僧侶はいなかった。少なくとも、記録上はそうなっている」
ルチアもフエルも、はっと息を飲む。ジーノだけが年の功で、平然としていた。
「そんな馬鹿な――シウリンは、確かにいたよ? 俺の四つ年上で、孤児院で一緒に育った。俺の下のベッドだったんだ。すごく寝つきがよくて――」
「箝口令は布かれていたけれど、シウリンのことを憶えている僧はけっこういる。ものすごい、美少年だったらしいね。だから、俺も存在は疑っていない。――なぜ、存在が消されてしまったのか、それが気になるんだ」
ロドの言葉に、ルチアが言う。
「最後に会ったのは、十年前の十二月の頭。その日は寒くて、初雪が降ったよ。俺は森の向こうの尼僧院に手伝いに行く当番だったのに、風邪をひいて熱を出して、シウリンが代わりに行ってくれた。――そのまま、帰ってこなかった」
ロドが、ガッシリした両腕を組んで、少し意外そうに言った。
「尼僧院? 俺が以前に聞いた話と少し違うな。俺の聞いた話では、西の森の中にある、炭焼き小屋まで食糧を届けに行った帰りに、事故に遭って、墓も森の中にあると――」
「墓?――墓が、あるのですか?」
思わず、フエルが飛び上がるようにして尋ね、ロドが不思議そうに言う。
「え、ええ――炭焼き小屋にいる男が、墓の世話もしていると」
だがその言葉に、ルチアが食ってかかる。
「おかしいじゃん。シウリンが俺の代わりに出かけたのは、南の森の向こうの尼僧院で間違いない。炭焼き小屋とは方角が違う。だいたい、死んだら普通、聖堂の裏手の共同墓地に葬られるのに、なんで森の中にしか墓がないの! 葬式だってやってないよ!」
ロドはフエルとジーノを見て躊躇うが、声を落とした。
「その――炭焼き小屋の男が、シウリンを殺して埋めた、という噂もあるんだ」
それにはずっと平静だったジーノも驚いたように目を見開く。
「……殺す動機があるのかね?」
「痴情のもつれだと……。その炭焼き小屋の僧侶は、シウリンに相当、執着していたと。あくまで、噂ですよ?」
ロドの言葉に、フエルが苦い薬を飲んだような顔で言った。
「つまり……シウリンがその、炭焼き小屋の僧侶とデキてたってことですか?」
「そんな馬鹿な!」
ルチアがすぐに反論するが、ロドもまた、渋い顔で言う。
「そこまではね。……ただ、シウリンがいなくなった直後の、炭焼き小屋のゴルの様子はまともではなかったと。しかも、ゴルは森の中にシウリンの墓を作っている。シウリンを殺したのはゴルじゃないかと、まことしやかに囁かれているのですよ」
会話の流れを聞いていたジーノが、静かに言う。
「だが、シシルは十年前に、シウリンを連れて行った男を見たと言った。それは俗人で、おそらく黒い髪の男だった。――つまり、炭焼き小屋の僧侶ではあり得ない」
その指摘にロドも頷く。
「そうなのです。シシルの話が本当であれば、ゴルは無罪です。……墓まで作っている理由も、何が葬られているのかも、謎ですけれどね」
そこまで言うとロドは立ち上がり、三人に言った。
「お時間を取らせて申し訳ない。――今の話はあなた方の胸に留めておいてください」
一礼して、袈裟を捌いて部屋を出て行くロドを見送ってから、フエルはルチアに言う。
「シウリンの、墓に詣でることはできるかな」
「ゴル爺のかよ? 本物とは思えないけど」
やり取りを聞いていたジーノが、静かに尋ねる。
「フエルは、なぜシウリンの墓に詣でたいのだ?」
その問いかけに、ルチアが驚いてフエルを凝視する。フエルは二人の視線にさらされ、少し迷った挙句に頷いた。
「頼まれたのです。シウリンの――お墓を探して欲しいと」
「誰に?」
ほとんど反射的に尋ねるルチアに、フエルが言った。
「姫君――アデライード姫のお願いなんだ」
「ヒメギミ? ヒメギミって何?」
ルチアが素っ頓狂な声を出すのを遮って、ジーノが尋ねる。
「恭親王殿下の妃殿下であらせられる、西の女王国の、アデライード姫様のことか?」
フエルが、黒い睫毛を伏せるようにして頷いた。
「正月にも、恭親王殿下に飛びかかったのだよ。あの時は胆が冷えた。殿下はああいう方だから、大事にはされなかったけれど――」
そんな話をしていると、副院長補佐のロド師が顔を出した。
「フエル殿、僧院を代表して改めてお詫びします。シシルの話によれば、十年前にシウリンを連れ去った男に、あなたが似ていたと――」
「十年前?……それは、ずいぶんな人違いですね。その頃僕はまだ三つかそこらだ」
ロドは廊下に重ねて積んである榻を持ち込んで、勝手にそれに座り、フエルとルチアに改めて尋ねた。
「俺は五年前にこの僧院に来たから、シウリンのことは知らないのだ。だが、あのシシルというおかしな奴が、前々からブツブツ言っているのは聞いていて、不思議に思っていた。シウリンについて知っていることを聞かせてもらえないか」
ルチアが困ったように金色に近い茶色の眉を顰め、ちらりとフエルとジーノを見る。
「……わしも十年前はここにいなかった故、正月に初めて名を聞いたくらいで、何も知らぬのです」
ジーノがロドに言う。ロドはジーノに頷いて、茶色い目をルチアに向けた。
「シウリンのことは、話しちゃいけないって――」
「それは知っている。実は、シウリンという僧呂の記録自体、この僧院には残ってない」
「どういうことです?」
思わず、フエルがロドに尋ねる。
「つまり、初めから、この僧院にシウリンなんて僧侶はいなかった。少なくとも、記録上はそうなっている」
ルチアもフエルも、はっと息を飲む。ジーノだけが年の功で、平然としていた。
「そんな馬鹿な――シウリンは、確かにいたよ? 俺の四つ年上で、孤児院で一緒に育った。俺の下のベッドだったんだ。すごく寝つきがよくて――」
「箝口令は布かれていたけれど、シウリンのことを憶えている僧はけっこういる。ものすごい、美少年だったらしいね。だから、俺も存在は疑っていない。――なぜ、存在が消されてしまったのか、それが気になるんだ」
ロドの言葉に、ルチアが言う。
「最後に会ったのは、十年前の十二月の頭。その日は寒くて、初雪が降ったよ。俺は森の向こうの尼僧院に手伝いに行く当番だったのに、風邪をひいて熱を出して、シウリンが代わりに行ってくれた。――そのまま、帰ってこなかった」
ロドが、ガッシリした両腕を組んで、少し意外そうに言った。
「尼僧院? 俺が以前に聞いた話と少し違うな。俺の聞いた話では、西の森の中にある、炭焼き小屋まで食糧を届けに行った帰りに、事故に遭って、墓も森の中にあると――」
「墓?――墓が、あるのですか?」
思わず、フエルが飛び上がるようにして尋ね、ロドが不思議そうに言う。
「え、ええ――炭焼き小屋にいる男が、墓の世話もしていると」
だがその言葉に、ルチアが食ってかかる。
「おかしいじゃん。シウリンが俺の代わりに出かけたのは、南の森の向こうの尼僧院で間違いない。炭焼き小屋とは方角が違う。だいたい、死んだら普通、聖堂の裏手の共同墓地に葬られるのに、なんで森の中にしか墓がないの! 葬式だってやってないよ!」
ロドはフエルとジーノを見て躊躇うが、声を落とした。
「その――炭焼き小屋の男が、シウリンを殺して埋めた、という噂もあるんだ」
それにはずっと平静だったジーノも驚いたように目を見開く。
「……殺す動機があるのかね?」
「痴情のもつれだと……。その炭焼き小屋の僧侶は、シウリンに相当、執着していたと。あくまで、噂ですよ?」
ロドの言葉に、フエルが苦い薬を飲んだような顔で言った。
「つまり……シウリンがその、炭焼き小屋の僧侶とデキてたってことですか?」
「そんな馬鹿な!」
ルチアがすぐに反論するが、ロドもまた、渋い顔で言う。
「そこまではね。……ただ、シウリンがいなくなった直後の、炭焼き小屋のゴルの様子はまともではなかったと。しかも、ゴルは森の中にシウリンの墓を作っている。シウリンを殺したのはゴルじゃないかと、まことしやかに囁かれているのですよ」
会話の流れを聞いていたジーノが、静かに言う。
「だが、シシルは十年前に、シウリンを連れて行った男を見たと言った。それは俗人で、おそらく黒い髪の男だった。――つまり、炭焼き小屋の僧侶ではあり得ない」
その指摘にロドも頷く。
「そうなのです。シシルの話が本当であれば、ゴルは無罪です。……墓まで作っている理由も、何が葬られているのかも、謎ですけれどね」
そこまで言うとロドは立ち上がり、三人に言った。
「お時間を取らせて申し訳ない。――今の話はあなた方の胸に留めておいてください」
一礼して、袈裟を捌いて部屋を出て行くロドを見送ってから、フエルはルチアに言う。
「シウリンの、墓に詣でることはできるかな」
「ゴル爺のかよ? 本物とは思えないけど」
やり取りを聞いていたジーノが、静かに尋ねる。
「フエルは、なぜシウリンの墓に詣でたいのだ?」
その問いかけに、ルチアが驚いてフエルを凝視する。フエルは二人の視線にさらされ、少し迷った挙句に頷いた。
「頼まれたのです。シウリンの――お墓を探して欲しいと」
「誰に?」
ほとんど反射的に尋ねるルチアに、フエルが言った。
「姫君――アデライード姫のお願いなんだ」
「ヒメギミ? ヒメギミって何?」
ルチアが素っ頓狂な声を出すのを遮って、ジーノが尋ねる。
「恭親王殿下の妃殿下であらせられる、西の女王国の、アデライード姫様のことか?」
フエルが、黒い睫毛を伏せるようにして頷いた。
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