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【番外編】叢林の盧墓

騒乱の夏

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 その後の一月を、フエルは僧院で過ごすことになる。
 書道の腕を買われて写字室を手伝ったり、見習いの僧侶たちと一緒に、果樹園の収穫を手伝ったり。
 帝都の情勢は狂おしいほど気になるけれど、太陽宮の森の中の僧院は俗世と隔絶されていて、叛乱なんて夢じゃないかと思えるほど、普段と何も変わらない。

 夏至から十日後に、一度だけジュルチ僧正が僧院を訪れた。

 院長、副院長以下の役付きの僧侶たち、それから帝都に縁のある僧侶たちが、ジュルチの話を聞きに集まった。

 「〈禁苑〉は叛乱を起こした廃太子に破門を宣告したが、現在も皇宮はその支配下にある。第三皇子の賢親王殿下が太陽神殿に脱出されて、今、我々が得ている情報は、殿下から魔法陣を通じて伝えられるものがほとんどだ」
 「恭親王殿下の行方は――」

 フエルが手を上げて質問すると、ジュルチは首を振った。

 「暗部の者も探索に全力を挙げているというが、いまだどこにおられるかわからないそうだ」

 フエルは絶望的な気分になる。青い顔をしているフエルの手を、ルチアがそっと握った。その手の暖かさに、フエルは泣きそうになる。

 全体への説明が終わると、ジュルチはフエルとルチアに手招きして近くに呼び寄せた。

 「しばらく、帝都の方に行くことになった」
 「ジュルチ僧正様が?」

 ジュルチは黒い瞳に決意の光を湛え、頷く。

 「どうも、廃太子は西の魔術師と組んで、他者の〈王気〉を奪う魔術を使ったらしい。〈王気〉を奪われた皇子たちの中に、命の危うい者もいるという。魔力の流出を止める魔法陣を、マニが構築した。俺はその治療のためによばれたのだ」

 マニ僧都の魔法陣により、魔物に魔力を奪われていた廉郡王の正傅ゼクトは劇的に回復したという。賢親王はマニ僧都を呼びたかったようだが、彼は今、アデライード姫の元を離れるわけにいかない。

 フエルは急に、ソリスティアにいる初恋の姫君のことを思い出す。

 「姫君は……きっと不安でいらっしゃるでしょうに。こんな時に何もできないなんて」

 唇を噛んだフエルを、ルチアが心配そうに見る。
 
 「殿下は、きっと帝都の者たちが救い出す。今は迂闊に動いたりはせず、ここで英気を養うのだ。――すべて、無駄になることはない」

 わずか半日ほどの滞在で、ジュルチは慌ただしく、太陽神殿へと戻って行った。





 帝都の騒乱と、夏の耐え難い炎熱と。――もともと体調を崩しがちだったジーノは、一気に枕も上げられぬほど、重態に陥った。

 「あと数日、つかどうか。――最後に、あなたにお話があると、仰っています」

 施療所の僧侶に言われ、フエルは目を見開いた。まさか、ジーノを看取ることになるとは、太陽宮に入った時には想像もしていなかった。

 ジーノの部屋に顔を出すと、ルチアがジーノに『聖典』を読み聞かせていた。ジーノがやりかけの写本の続きを請け負ったり、ルチアはすっかり、ジーノに懐いていた。
 
 数日ですっかりやつれたジーノが、フエルを見て微笑む。

「どうしても、伝えねばならぬことがあると思い、呼び出してもらった。――幼いおぬしには残酷なことかもしれないが、今、おぬしがここにいるのも、天と陰陽の導きかもしれぬ」

 遠慮して席を外そうとするルチアに、ジーノが声をかける。

「すまんな。例のもの、頼んだ」
「もちろん、任せてよ。裁縫は得意なんだ」

 そんな会話をして、ルチアが出て行ったのを確かめてから、ジーノはフエルを見た。

「十年前の十二月、おそらくシウリンという見習い僧侶はこの僧院から連れ出された。おぬしの父デュクト殿と、ゲル殿によって。そして、帝都でユエリン皇子の身代わりに仕立て上げられる」

 改めてはっきり口にされれば、フエルの手が震えた。皇子の入れ替わり――その大それた詐術に、父が関わっている。だが、そうだとしたら、なぜ、殿下は姫君に嘘をついたのか――。

「ジーノさん、姫君はあの日、尼僧院から帰るシウリンに会っているのです。姫君は〈王気〉が視える。十年後にそっくりな〈王気〉を持つ殿下に出会って、シウリンではないのかと尋ねた――。でも、殿下はそれを否定したのです。シウリンは死んだ、と。どうして、嘘を吐く必要があるのです。姫君が十年ずっとシウリンを想い続けたことを、殿下だってご存知のはずなのに!」

 その問いに、ジーノはじっと、天井を見つめてい呟いた。

「十二年、僧侶となるべく育てられたシウリンが、突然名も奪われ、後宮に閉じこめられた。後宮で、皇子は閨房について学び、幾人もの秀女を侍らせ、やがては妻を娶り、子を生すことを要求される。――シウリンとして生き続けることなど、土台無理なこと」
「でも、殿下は姫君とご結婚なさった。――たしかに、破戒は強いられたかもしれませんが、それは過去のことではないのですか」
 
 ジーノは顔を動かしてフエルを見つめた。

「七年前の秋。わしは恭親王殿下ら五人の皇子殿下がたと、北方辺境騎士団に巡検に出かけ、親しく殿下のお側で過ごした。その時にわしは、恭親王殿下とその正傅デュクト殿の間に、何とも違和感を覚えたのじゃ」
「殿下と、父上の間に?」

 ジーノは落ちくぼんだ瞼を眇めるようにして、言った。

「もちろん、証拠のあることではないが、だが、ふとした二人の間の仕草や、デュクト殿の目線、そんなものから、わしはある疑いを抱いた。――殿下とデュクト殿の間には、主従ののりを越えたものがあると」

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