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【番外編】繭の中

膝枕

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 繭の中で、シウリンは目を覚ます。
 いつも、隣には白金色の髪の美しい人が寝ているのだが、今日は一人だった。シウリンはキョロキョロと周囲を見回す。

(何処へ行ったのかな。また、ソリスティアにでも帰ったのかな……)

 見知らぬ場所に一人取り残されるのは、恐ろしいものだ。
 だが、彼女が自分を見捨てることはないとシウリンは思い直し、起き上がってうーんと伸びをする。

 この繭の中の生活も何日目なのか。

 どういう仕組みなのか、全体にうすぼんやりしているので、朝か夜かもよくわからないのだ。
 首をコキコキ回して、肩もグルグルと回してみる。うん、頭痛もしないし、魔力は循環している。ただ、まだ圧倒的に全体の魔力量が足りていないので、しばらく起き上がっていると、また頭が痛くなるだろうな、とシウリンは思う。

 シウリンはそれでも、黒い脚衣を穿いた長い脚を組んで胡坐あぐらをかき、毛布代わりにしている天鵞絨ビロードのマントを畳む。
 繭はちょうど、シウリンとアデライードがゆったり並んで横たわれるくらいの広さがあった。天井は意外に高く、シウリンが立ち上がって腕を伸ばせば届きそうである。迂闊に触れて壊れたら困るので、試してはいないが。

(もしかして、僕って結構、背が高いよね?)

 僧院では並よりも小柄であったシウリンだが、十年の間にニョキニョキと伸びたらしい。自分がデカいのだなと感じたのは、アデライードが着替えだと言って、シャツと脚衣を取り出した時だ。こんなデカイ服を着るのか、とびっくりしたが、着てみたらあつらえたようにピッタリだった。

『そりゃあ、誂えですもの。サイズの変動がないか、出入りの仕立屋が採寸に来ていますから。でも、少しお痩せになったかもしれませんね』

 アデライードが当たり前だと言うように答えたが、同時に渡された黒革の長靴は、細工が立派過ぎて履くのが勿体なくて、シウリンはずっと、裸足で過ごしている。

 シウリンが空腹を感じて、部屋の隅にまとめてある風呂敷から食べ物を漁ろうかと思い始めた時、繭の壁を通り抜けるようにして、アデライードが現れた。手には魔導ポットを抱えている。

「殿下! 起きていらっしゃったの!……ご気分は?」

 アデライードはいつもの薄水色の長衣を着ているから、ソリスティアに帰っていたわけではないらしい。

「下にね、泉があるんです。だから水を汲みに行ってたんです。この魔導ポットの中だと、冷たいままだから」

 もともとその魔導ポットは、ソリスティアから白粥を入れてきたものだ。白粥はあっと言う間にシウリンの腹に入ってしまい、あとは魔石は消耗品なので、魔石が切れたらただの蓋つきのバケツと変わらない。立派な装飾が入っているけれど、捨てて来ても構わないと言われているらしい。

 その話を聞いたとき、シウリンはとっても複雑な気分になった。
 この服といい、食事といい、十年後の自分は随分と贅沢な暮らしをしているんだなと。

 そんなシウリンの感慨には気づかず、アデライードはシウリンの側に魔導ポットを置くと、風呂敷包みの中から、数種類のパンと、ハム、チーズ、ピクルスの入った瓶、そして葡萄酒の瓶を持ってくる。アデライードは木のカップに葡萄酒を少し入れると、そこに魔導ポットに汲んできた水を注いで薄めた。薄めた葡萄酒は、僧院や修道院ではよく飲まれる。水よりはマシだし、酔っ払い過ぎないからだ。

「お湯が沸かせるといいんですけど、この中で火を焚くのは怖いし、鍋を持ってくるの忘れてしまったので」

 アデライードは申し訳なさそうに言うが、こんな密閉(?)空間で火を燃やしたら、確実に死ぬと知っているシウリンは首を振った。

「いや、薄めた葡萄酒や水で十分だから」

 アデライードはチーズとハムをナイフで薄く切って、切り込みを入れた丸いパンに挟み込み、シウリンに手渡してくれる。薄切りのハムもチーズも厚さがバラバラで、手つきも危なっかしく、シウリンはよっぽど自分でやった方が早いと思ったけれど、アデライードがいそいそと作ってくれるのが嬉しくて、それを有り難く食べた。瓶から胡瓜のピクルスを出して摘まみながら、簡単な食事をする。

「外は、安全なの?」

 シウリンが尋ねると、アデライードはにっこりと微笑む。

「ええ、外には誰もいないんです。廃墟になっているので」
「猛獣がいたりはしないの?」
 
 アデライードは首を傾げる。

「さあ。いたとしても、ここは崖の上ですから、ここまでは来ませんよ」

 アデライードの説明によれば、シウリンらのいる神殿の廃墟は崖の上にあり、つづら折りの階段が伸びて、崖下の泉まで続いているという。

「泉の向こうには森があって、エールライヒが無花果いちじくをとってきてくれたりするんです」
「エールライヒ?」
「殿下……いえ、シウリンの飼っている、鷹です。繭の中に入るのは嫌がるので、外で毎朝、餌をやっています」

 アデライードはまだ、シウリンと呼ぶのに慣れず、つい殿下と呼んでしまう。

「鷹なんか飼ってるんだ。皇子ってすごいな。僕も餌をやってみたいな」
 
 アデライードは微笑む。

「ええ、もう少し、回復されたら。昼間は少し暑いんですけど」

 ソリスティアよりかなり南になるので、日中の気温が高いのだと言う。

「その代わり、夜でも焚き火が必要ないくらい、暖かいので助かります」

 水で薄めた葡萄酒を飲んで、少し怠くなったシウリンは、身体を横たえようとした。すかさず、アデライードがやってきて、隣に座る。

「はい、こちらに頭をどうぞ」

 こうして、いつも膝枕して治癒術を施すのだ。最近は、自己治癒の効果を高めるために、魔力の循環を助けているだけだと、アデライードは言っているけれど。

 その、膝枕が滅茶苦茶気持ちがいいのだ。もう、天国。
 まず、高さがちょうどいい。高からず、低からず。
 そして柔らかい。いい匂いもする。触っただけで〈王気〉が流れ込んで、全身蕩けそう。

 問題は、必然的にアレが大きくなって、脚衣に天幕が張ったみたいになってしまうこと。
 身体を横に向けたり、膝を曲げたりして、何とかバレないようにするけど、とにかく恥ずかしい。
 それを必死に誤魔化して、シウリンは今日も膝枕を堪能する。

(はー、極楽だー。もうこのまま死んでもいい……)

 今まで、世の中で一番気持ちいいのは、羊の群れを放牧させている間、青い空の下、草の上に大の字に寝転んで昼寝することだ、と信じていた自分は、何だったのか。

 再会してから一年、結婚して半年だと言うが、その間、シウリンは何度、アデライードに膝枕してもらったのだろうか。

(それをすっかり忘れてるなんて! ムカツクな、十年後の僕め)

 膝枕どころではない無体を働いていたなんて、中身十二歳のシウリンには想像もできなかった。
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