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【番外編】繭の中
しりとりと蟹味噌
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さすがに数日後には話すことも底をつき、シウリンとアデライードは、繭の中で暇を持て余してしまう。
「もう元気になったし、外に出ちゃダメ?」
「まだ〈王気〉が弱いから、ダメです。もう、一日、我慢しましょう?……ほら、お蜜柑どうぞ?」
蜜柑に誤魔化され、シウリンは仕方なく外に出るのは諦める。が、暇でしょうがない。
「……しりとりでもしようか……」
「しりとりって何ですか?」
十年分の記憶が全て吹っ飛んだシウリンはもちろん忘れているが、アデライードは十年間、修道院では口をきかずに過ごしたのだ。しりとりなんてしたことはない。
「お互いの最後の言葉から、続く言葉を言っていく遊びだよ。例えば、アデライード、と言われたら、次の人は土砂降り、とか言うんだ」
「わかりました! わたしから行きますね! シウリン!」
「……アデライード、最後が〈ん〉のつく言葉はダメなんだよ。やっぱり僕から行くね?……アデライード」
「シウリン!」
「……根本的に意味が理解できていないみたいだね……」
シウリンはしりとりを諦め、別の話を持ちかける。
「好きな食べ物ですかぁ?うーん……」
「僕は豆腐と、蕎麦が好きなんだ。あと、冬瓜も好き」
アデライードは少し考えて、言う。
「トウガン……ああ、あの、半透明の味のしない野菜……。そう言えば、この夏、あれのスープがやたら出たのは、殿下がお好きな食べ物だからなのですね」
この夏、総督府の食堂は殿下が好きだと言う理由で大量の冬瓜を確保していて、それがやたらと出てきたが、肝心の殿下は不在だし、あの味のしない謎の野菜は、特にソリスティア出身の者からは、大変不評であった。
「アデライードは何が好きなの?」
「わたしは、蟹が好きです」
「蟹?」
海にも川にも近いレイノークス伯領では、魚介類が豊富である。貝類に海老、蟹、イカ、タコもよく食べる。
「新鮮な牡蠣に柑橘を搾って食べるのも好きで、でもそれはお兄様もお好きで、取り合いみたいになるんです。でもわたしは、特に茹でた蟹が好きでした」
修道院に入ってからは一度も食べられず、アデライードは懐かしそうに言う。
「食べている時は、みんな夢中になって、つい無口になっちゃうんです」
海から遠い僧院に育ったシウリンは、蟹と言えば、沢の石の下から出て来る、小さい奴等しか思いつかない。シウリンたちが捕まえて行くと、厨房で佃煮にしたり、素揚げにしたりした。――そんなに美味いものとは思えないのだが。
「特にあの、蟹味噌が好きで……でもちょっとしか入っていないんですよねー」
アデライードが顎に細い指を当て、首を傾げて残念そうに言う。シウリンも、少し大きなモズクガニを捕まえた時は、少しだけ「蟹味噌」を食べさせてもらったことを思い出す。
「あーあれねぇ。ちょっとしか食べてないから、味、憶えてないや」
「いっつも、残念で。何でちょっとしかないのかしらって。二番目のテオドール兄さまはとっても賢いから、理由を教えてくださったんです。何でだと思います?」
「ええ?」
翡翠色の瞳を煌めかせて尋ねるアデライードに、シウリンは困ったように首を傾げる。
「なぜって……まさか、蟹は頭が悪いから、脳みそが少ない、……とかじゃあ、ないよねえ?」
もちろん、あれは蟹の脳みそではない。だが、アデライードは、手を打って驚く。
「すごーい、シウリン! やっぱり賢いですね! でも惜しいです!正解は……、『捕まる蟹は、頭が悪い』です!」
「えっ……ちょ、ちょっと待ってよ、あれは……」
蟹味噌は断じて、蟹の脳みそではない。だが、アデライードはうっとりしながら言う。
「テオドールお兄様がね、人間なんかに捕まる蟹は間抜けだから、脳みそも少ないんだよって、教えてくださったの。でも海の底には、人間にはとうてい捕まえられないくらい、頭脳明晰で俊敏な蟹たちがいっぱいいるんだよって!」
(ず、頭脳明晰な、蟹?)
いつかそんな、蟹味噌のぎっしり詰まった蟹を、お腹いっぱい食べてみたいと、見果てぬ夢を見るアデライードと裏腹に、シウリンの脳裏には、悪知恵の働く邪悪なサワガニたちが、海の底から人類への復讐を企て、次々と地上に溢れて侵略していく恐ろしい情景が……。
その夜の繭の中。
シウリンが悪夢に魘される横で、アデライードは夢も見ないでぐっすりと眠った。
「もう元気になったし、外に出ちゃダメ?」
「まだ〈王気〉が弱いから、ダメです。もう、一日、我慢しましょう?……ほら、お蜜柑どうぞ?」
蜜柑に誤魔化され、シウリンは仕方なく外に出るのは諦める。が、暇でしょうがない。
「……しりとりでもしようか……」
「しりとりって何ですか?」
十年分の記憶が全て吹っ飛んだシウリンはもちろん忘れているが、アデライードは十年間、修道院では口をきかずに過ごしたのだ。しりとりなんてしたことはない。
「お互いの最後の言葉から、続く言葉を言っていく遊びだよ。例えば、アデライード、と言われたら、次の人は土砂降り、とか言うんだ」
「わかりました! わたしから行きますね! シウリン!」
「……アデライード、最後が〈ん〉のつく言葉はダメなんだよ。やっぱり僕から行くね?……アデライード」
「シウリン!」
「……根本的に意味が理解できていないみたいだね……」
シウリンはしりとりを諦め、別の話を持ちかける。
「好きな食べ物ですかぁ?うーん……」
「僕は豆腐と、蕎麦が好きなんだ。あと、冬瓜も好き」
アデライードは少し考えて、言う。
「トウガン……ああ、あの、半透明の味のしない野菜……。そう言えば、この夏、あれのスープがやたら出たのは、殿下がお好きな食べ物だからなのですね」
この夏、総督府の食堂は殿下が好きだと言う理由で大量の冬瓜を確保していて、それがやたらと出てきたが、肝心の殿下は不在だし、あの味のしない謎の野菜は、特にソリスティア出身の者からは、大変不評であった。
「アデライードは何が好きなの?」
「わたしは、蟹が好きです」
「蟹?」
海にも川にも近いレイノークス伯領では、魚介類が豊富である。貝類に海老、蟹、イカ、タコもよく食べる。
「新鮮な牡蠣に柑橘を搾って食べるのも好きで、でもそれはお兄様もお好きで、取り合いみたいになるんです。でもわたしは、特に茹でた蟹が好きでした」
修道院に入ってからは一度も食べられず、アデライードは懐かしそうに言う。
「食べている時は、みんな夢中になって、つい無口になっちゃうんです」
海から遠い僧院に育ったシウリンは、蟹と言えば、沢の石の下から出て来る、小さい奴等しか思いつかない。シウリンたちが捕まえて行くと、厨房で佃煮にしたり、素揚げにしたりした。――そんなに美味いものとは思えないのだが。
「特にあの、蟹味噌が好きで……でもちょっとしか入っていないんですよねー」
アデライードが顎に細い指を当て、首を傾げて残念そうに言う。シウリンも、少し大きなモズクガニを捕まえた時は、少しだけ「蟹味噌」を食べさせてもらったことを思い出す。
「あーあれねぇ。ちょっとしか食べてないから、味、憶えてないや」
「いっつも、残念で。何でちょっとしかないのかしらって。二番目のテオドール兄さまはとっても賢いから、理由を教えてくださったんです。何でだと思います?」
「ええ?」
翡翠色の瞳を煌めかせて尋ねるアデライードに、シウリンは困ったように首を傾げる。
「なぜって……まさか、蟹は頭が悪いから、脳みそが少ない、……とかじゃあ、ないよねえ?」
もちろん、あれは蟹の脳みそではない。だが、アデライードは、手を打って驚く。
「すごーい、シウリン! やっぱり賢いですね! でも惜しいです!正解は……、『捕まる蟹は、頭が悪い』です!」
「えっ……ちょ、ちょっと待ってよ、あれは……」
蟹味噌は断じて、蟹の脳みそではない。だが、アデライードはうっとりしながら言う。
「テオドールお兄様がね、人間なんかに捕まる蟹は間抜けだから、脳みそも少ないんだよって、教えてくださったの。でも海の底には、人間にはとうてい捕まえられないくらい、頭脳明晰で俊敏な蟹たちがいっぱいいるんだよって!」
(ず、頭脳明晰な、蟹?)
いつかそんな、蟹味噌のぎっしり詰まった蟹を、お腹いっぱい食べてみたいと、見果てぬ夢を見るアデライードと裏腹に、シウリンの脳裏には、悪知恵の働く邪悪なサワガニたちが、海の底から人類への復讐を企て、次々と地上に溢れて侵略していく恐ろしい情景が……。
その夜の繭の中。
シウリンが悪夢に魘される横で、アデライードは夢も見ないでぐっすりと眠った。
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ありがとうございます!
本にする気が1ミリもなくて書いてるので、とにかく長いのですね…
要点絞れば半分以下になりそうですがwww
感想ありがとうございます!
そうです!昔に作った設定の名残りですね!
アデライード頑張ります!
感想ありがとうございます!
やっと!そしてアデライードがんばります!