69 / 170
8、封じられた心
まどろみ
「……殿下……寝ちゃったの……?」
アデライードは恭親王の腕の中で身じろぎすると身を起こし、夫の黒く長い睫毛が伏せられた顔を間近で見下ろす。
(綺麗な顔……シウリンも、生きていたら、こんな風だったのかしら……)
彼の周囲は金色の光に覆われ、時に金色の龍がちろちろと躍り、自分の銀色の龍と戯れ合っている。
あの聖地の森で、シウリンと出会った時と、同じように――。
森で彼女を助けたあの日から、シウリンは十年間、アデライードのただ一つの隠れ場所だった。
故郷への想いはあまりに大きすぎて、繰り返し思い出すには辛すぎる。一度出会っただけの、二度と会うことのないシウリンを思い続けることで、アデライードは故郷や母を思う気持ちから、目を背けていたのだ。
結局のところアデライードは、自分自身の心を封じ込めるために、シウリンを利用していたのだと、初めて自覚する。
声を棄て、ただシウリンとの思い出に逃げ込んだのも、彼を守るためと言いながら、実はアデライードの心を守るためだったにすぎないのだ。それなのに、自分がシウリンを守り切ったつもりになっていた。なんて、思い上がっていたのだろうか――。
シウリンの存在がなければ、とっくの昔に心の奥に渦巻く負の感情に呑み込まれて、魔力の暴走するままの、化け物になっていたに違いないのに――。
アデライードは、眠る恭親王の金龍の〈王気〉に甘えるように寄り添う、自分の銀色の龍を視る。
今日も、彼が側に居なければ、きっと大変なことになっていた。
恭親王がアデライードの荒れ狂う魔力を受け止め、その体内で還流させて純化してくれなければ、アデライードは凄まじい魔力は全て彼女自身に還り、おそらくはその苦痛に我を忘れ、滅茶苦茶に魔力を暴走させて、霊廟を吹っ飛ばすどころでは済まなかっただろう。
彼以外、誰もアデライードの膨大な魔力を受け止めることも、それを制御することもできないのだ。
暴走するアデライードの魔力を身体で受け止めながら、恭親王はずっと、彼女を抱きしめてくれていた。アデライード自身にとっても、あの時の負の感情に支配された魔力は、棘のように痛く、燃えるように熱く、そして凍えるように冷たかった。それでも暴走しているアデライードは、脳が麻痺したかのようになって、その苦痛をどこか遠いことのように感じていた。しかし、この人はあの凶悪な魔力をまともに浴びたのだ。
アデライードの中に封じ込められていた、負の感情。哀しみ、恐怖、嫌悪、そして憎しみ――。
彼女の中にも確かにある、両親と、かつての幸福な時間を奪った者に対する、明確な憎悪。
考えないようにしながら、ずっと考えていた。
家に帰りたい。母に会いたい。
アデライードとて知っていた。
自分が、なぜ、修道院に閉じこめられているのか。
母が、なぜ、望みもしない玉座に座らされているのか。
父が、なぜ、死んだのか。
あの子に、〈王気〉がないから――。
あの子に、〈王気〉がありさえすれば、自分は家族と暮らせたのに――。
あの美しい霊廟で、祖先の霊の前で命名式を行い、両親に囲まれて生きていくはずだったのに――。
あの子の、せい。
一度だけちらりと見た、ストロベリー・ブロンドの、従姉。
わたしの家族はあの子のおかげで滅茶苦茶になったのに、あの子は何も知らず、ナキアで家族と暮らしている。あの子が――。
その感情を直視すれば、心が乱され、魔力が暴れ出してしまう。
心の奥底に閉じこめ、何も感じないふりをするしかなかった。
霊廟は、彼女の封じられた故郷や家族への思いの、鍵だった。
春には真っ白い花が咲き乱れる、美しい場所。レイノークス家の者だけが入ることが許された、特別な場所。先祖の血と、家族と、美しい故郷の繋がる、大切な場所。
十年ぶりにあの場所に立って、アデライードは心にかけた鍵が開くのを止めることができなかった。
十年封じ込めたアデライードの負の感情は、どれだけの鋭い刃となって彼を責め苛んだだろうか。
アデライードは眠る夫の伏せられた長い睫毛と、その翳が落ちた頬骨の高い滑らかな頬をそっと、白い指で撫でた。
「……ごめんなさい……ありがとう……」
アデライードはそっと、恭親王の閉じた瞼に口づけた。彼の、〈王気〉が唇からアデライードに流れ込む。清新で、強い、熱い〈気〉。生命力の塊のような、激しい〈気〉。その〈王気〉が脆弱で儚いアデライードの〈王気〉を守る。
(……番……金と、銀の……龍種……)
守られる。抱きしめられる。口づけられる――愛される。
シウリンと、ユエリン――。アデライードの中で、二人の境界がどんどん曖昧になっていく。自分を守る、金の龍。この〈王気〉の側にいるだけで、アデライードの心は充され、不安から開放される。
この人のことが好きだし、側にいて欲しい。でも、これが愛なのか、アデライードにはまだわからない。わかっているのは、自分はこの人がいなければ不完全だということだけ――。
アデライードは夫の胸に頭を預ける。とくとくと規則正しく脈打つ、夫の心臓の鼓動を聞きながら、アデライードもまた、眠りに落ちた。
アデライードは恭親王の腕の中で身じろぎすると身を起こし、夫の黒く長い睫毛が伏せられた顔を間近で見下ろす。
(綺麗な顔……シウリンも、生きていたら、こんな風だったのかしら……)
彼の周囲は金色の光に覆われ、時に金色の龍がちろちろと躍り、自分の銀色の龍と戯れ合っている。
あの聖地の森で、シウリンと出会った時と、同じように――。
森で彼女を助けたあの日から、シウリンは十年間、アデライードのただ一つの隠れ場所だった。
故郷への想いはあまりに大きすぎて、繰り返し思い出すには辛すぎる。一度出会っただけの、二度と会うことのないシウリンを思い続けることで、アデライードは故郷や母を思う気持ちから、目を背けていたのだ。
結局のところアデライードは、自分自身の心を封じ込めるために、シウリンを利用していたのだと、初めて自覚する。
声を棄て、ただシウリンとの思い出に逃げ込んだのも、彼を守るためと言いながら、実はアデライードの心を守るためだったにすぎないのだ。それなのに、自分がシウリンを守り切ったつもりになっていた。なんて、思い上がっていたのだろうか――。
シウリンの存在がなければ、とっくの昔に心の奥に渦巻く負の感情に呑み込まれて、魔力の暴走するままの、化け物になっていたに違いないのに――。
アデライードは、眠る恭親王の金龍の〈王気〉に甘えるように寄り添う、自分の銀色の龍を視る。
今日も、彼が側に居なければ、きっと大変なことになっていた。
恭親王がアデライードの荒れ狂う魔力を受け止め、その体内で還流させて純化してくれなければ、アデライードは凄まじい魔力は全て彼女自身に還り、おそらくはその苦痛に我を忘れ、滅茶苦茶に魔力を暴走させて、霊廟を吹っ飛ばすどころでは済まなかっただろう。
彼以外、誰もアデライードの膨大な魔力を受け止めることも、それを制御することもできないのだ。
暴走するアデライードの魔力を身体で受け止めながら、恭親王はずっと、彼女を抱きしめてくれていた。アデライード自身にとっても、あの時の負の感情に支配された魔力は、棘のように痛く、燃えるように熱く、そして凍えるように冷たかった。それでも暴走しているアデライードは、脳が麻痺したかのようになって、その苦痛をどこか遠いことのように感じていた。しかし、この人はあの凶悪な魔力をまともに浴びたのだ。
アデライードの中に封じ込められていた、負の感情。哀しみ、恐怖、嫌悪、そして憎しみ――。
彼女の中にも確かにある、両親と、かつての幸福な時間を奪った者に対する、明確な憎悪。
考えないようにしながら、ずっと考えていた。
家に帰りたい。母に会いたい。
アデライードとて知っていた。
自分が、なぜ、修道院に閉じこめられているのか。
母が、なぜ、望みもしない玉座に座らされているのか。
父が、なぜ、死んだのか。
あの子に、〈王気〉がないから――。
あの子に、〈王気〉がありさえすれば、自分は家族と暮らせたのに――。
あの美しい霊廟で、祖先の霊の前で命名式を行い、両親に囲まれて生きていくはずだったのに――。
あの子の、せい。
一度だけちらりと見た、ストロベリー・ブロンドの、従姉。
わたしの家族はあの子のおかげで滅茶苦茶になったのに、あの子は何も知らず、ナキアで家族と暮らしている。あの子が――。
その感情を直視すれば、心が乱され、魔力が暴れ出してしまう。
心の奥底に閉じこめ、何も感じないふりをするしかなかった。
霊廟は、彼女の封じられた故郷や家族への思いの、鍵だった。
春には真っ白い花が咲き乱れる、美しい場所。レイノークス家の者だけが入ることが許された、特別な場所。先祖の血と、家族と、美しい故郷の繋がる、大切な場所。
十年ぶりにあの場所に立って、アデライードは心にかけた鍵が開くのを止めることができなかった。
十年封じ込めたアデライードの負の感情は、どれだけの鋭い刃となって彼を責め苛んだだろうか。
アデライードは眠る夫の伏せられた長い睫毛と、その翳が落ちた頬骨の高い滑らかな頬をそっと、白い指で撫でた。
「……ごめんなさい……ありがとう……」
アデライードはそっと、恭親王の閉じた瞼に口づけた。彼の、〈王気〉が唇からアデライードに流れ込む。清新で、強い、熱い〈気〉。生命力の塊のような、激しい〈気〉。その〈王気〉が脆弱で儚いアデライードの〈王気〉を守る。
(……番……金と、銀の……龍種……)
守られる。抱きしめられる。口づけられる――愛される。
シウリンと、ユエリン――。アデライードの中で、二人の境界がどんどん曖昧になっていく。自分を守る、金の龍。この〈王気〉の側にいるだけで、アデライードの心は充され、不安から開放される。
この人のことが好きだし、側にいて欲しい。でも、これが愛なのか、アデライードにはまだわからない。わかっているのは、自分はこの人がいなければ不完全だということだけ――。
アデライードは夫の胸に頭を預ける。とくとくと規則正しく脈打つ、夫の心臓の鼓動を聞きながら、アデライードもまた、眠りに落ちた。
あなたにおすすめの小説
ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。
言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。
喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。
12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。
====
●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。
前作では、二人との出会い~同居を描いています。
順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。
※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
『お前の針仕事など誰でもできる』——なら社交界のドレスの裏地を、めくってごらんなさい
歩人
ファンタジー
「地味な針仕事しかできない令嬢は要らない」——公爵家の嫡男にそう言い渡された伯爵令嬢ティナは、
裁縫道具だけを持って屋敷を出た。その翌週、社交界が凍りつく。王妃の夜会服も、公爵令嬢の舞踏会
ドレスも、第一王女の外交用ローブも——仕立てた職人が消えたのだ。しかもティナが十年かけて縫った
全てのドレスの裏地には、二重縫いで隠された署名が残されていて——。
辺境の小さな仕立て屋で穏やかに暮らすティナの元に、王都から使者がやってくる。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。