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8、封じられた心
まどろみ
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「……殿下……寝ちゃったの……?」
アデライードは恭親王の腕の中で身じろぎすると身を起こし、夫の黒く長い睫毛が伏せられた顔を間近で見下ろす。
(綺麗な顔……シウリンも、生きていたら、こんな風だったのかしら……)
彼の周囲は金色の光に覆われ、時に金色の龍がちろちろと躍り、自分の銀色の龍と戯れ合っている。
あの聖地の森で、シウリンと出会った時と、同じように――。
森で彼女を助けたあの日から、シウリンは十年間、アデライードのただ一つの隠れ場所だった。
故郷への想いはあまりに大きすぎて、繰り返し思い出すには辛すぎる。一度出会っただけの、二度と会うことのないシウリンを思い続けることで、アデライードは故郷や母を思う気持ちから、目を背けていたのだ。
結局のところアデライードは、自分自身の心を封じ込めるために、シウリンを利用していたのだと、初めて自覚する。
声を棄て、ただシウリンとの思い出に逃げ込んだのも、彼を守るためと言いながら、実はアデライードの心を守るためだったにすぎないのだ。それなのに、自分がシウリンを守り切ったつもりになっていた。なんて、思い上がっていたのだろうか――。
シウリンの存在がなければ、とっくの昔に心の奥に渦巻く負の感情に呑み込まれて、魔力の暴走するままの、化け物になっていたに違いないのに――。
アデライードは、眠る恭親王の金龍の〈王気〉に甘えるように寄り添う、自分の銀色の龍を視る。
今日も、彼が側に居なければ、きっと大変なことになっていた。
恭親王がアデライードの荒れ狂う魔力を受け止め、その体内で還流させて純化してくれなければ、アデライードは凄まじい魔力は全て彼女自身に還り、おそらくはその苦痛に我を忘れ、滅茶苦茶に魔力を暴走させて、霊廟を吹っ飛ばすどころでは済まなかっただろう。
彼以外、誰もアデライードの膨大な魔力を受け止めることも、それを制御することもできないのだ。
暴走するアデライードの魔力を身体で受け止めながら、恭親王はずっと、彼女を抱きしめてくれていた。アデライード自身にとっても、あの時の負の感情に支配された魔力は、棘のように痛く、燃えるように熱く、そして凍えるように冷たかった。それでも暴走しているアデライードは、脳が麻痺したかのようになって、その苦痛をどこか遠いことのように感じていた。しかし、この人はあの凶悪な魔力をまともに浴びたのだ。
アデライードの中に封じ込められていた、負の感情。哀しみ、恐怖、嫌悪、そして憎しみ――。
彼女の中にも確かにある、両親と、かつての幸福な時間を奪った者に対する、明確な憎悪。
考えないようにしながら、ずっと考えていた。
家に帰りたい。母に会いたい。
アデライードとて知っていた。
自分が、なぜ、修道院に閉じこめられているのか。
母が、なぜ、望みもしない玉座に座らされているのか。
父が、なぜ、死んだのか。
あの子に、〈王気〉がないから――。
あの子に、〈王気〉がありさえすれば、自分は家族と暮らせたのに――。
あの美しい霊廟で、祖先の霊の前で命名式を行い、両親に囲まれて生きていくはずだったのに――。
あの子の、せい。
一度だけちらりと見た、ストロベリー・ブロンドの、従姉。
わたしの家族はあの子のおかげで滅茶苦茶になったのに、あの子は何も知らず、ナキアで家族と暮らしている。あの子が――。
その感情を直視すれば、心が乱され、魔力が暴れ出してしまう。
心の奥底に閉じこめ、何も感じないふりをするしかなかった。
霊廟は、彼女の封じられた故郷や家族への思いの、鍵だった。
春には真っ白い花が咲き乱れる、美しい場所。レイノークス家の者だけが入ることが許された、特別な場所。先祖の血と、家族と、美しい故郷の繋がる、大切な場所。
十年ぶりにあの場所に立って、アデライードは心にかけた鍵が開くのを止めることができなかった。
十年封じ込めたアデライードの負の感情は、どれだけの鋭い刃となって彼を責め苛んだだろうか。
アデライードは眠る夫の伏せられた長い睫毛と、その翳が落ちた頬骨の高い滑らかな頬をそっと、白い指で撫でた。
「……ごめんなさい……ありがとう……」
アデライードはそっと、恭親王の閉じた瞼に口づけた。彼の、〈王気〉が唇からアデライードに流れ込む。清新で、強い、熱い〈気〉。生命力の塊のような、激しい〈気〉。その〈王気〉が脆弱で儚いアデライードの〈王気〉を守る。
(……番……金と、銀の……龍種……)
守られる。抱きしめられる。口づけられる――愛される。
シウリンと、ユエリン――。アデライードの中で、二人の境界がどんどん曖昧になっていく。自分を守る、金の龍。この〈王気〉の側にいるだけで、アデライードの心は充され、不安から開放される。
この人のことが好きだし、側にいて欲しい。でも、これが愛なのか、アデライードにはまだわからない。わかっているのは、自分はこの人がいなければ不完全だということだけ――。
アデライードは夫の胸に頭を預ける。とくとくと規則正しく脈打つ、夫の心臓の鼓動を聞きながら、アデライードもまた、眠りに落ちた。
アデライードは恭親王の腕の中で身じろぎすると身を起こし、夫の黒く長い睫毛が伏せられた顔を間近で見下ろす。
(綺麗な顔……シウリンも、生きていたら、こんな風だったのかしら……)
彼の周囲は金色の光に覆われ、時に金色の龍がちろちろと躍り、自分の銀色の龍と戯れ合っている。
あの聖地の森で、シウリンと出会った時と、同じように――。
森で彼女を助けたあの日から、シウリンは十年間、アデライードのただ一つの隠れ場所だった。
故郷への想いはあまりに大きすぎて、繰り返し思い出すには辛すぎる。一度出会っただけの、二度と会うことのないシウリンを思い続けることで、アデライードは故郷や母を思う気持ちから、目を背けていたのだ。
結局のところアデライードは、自分自身の心を封じ込めるために、シウリンを利用していたのだと、初めて自覚する。
声を棄て、ただシウリンとの思い出に逃げ込んだのも、彼を守るためと言いながら、実はアデライードの心を守るためだったにすぎないのだ。それなのに、自分がシウリンを守り切ったつもりになっていた。なんて、思い上がっていたのだろうか――。
シウリンの存在がなければ、とっくの昔に心の奥に渦巻く負の感情に呑み込まれて、魔力の暴走するままの、化け物になっていたに違いないのに――。
アデライードは、眠る恭親王の金龍の〈王気〉に甘えるように寄り添う、自分の銀色の龍を視る。
今日も、彼が側に居なければ、きっと大変なことになっていた。
恭親王がアデライードの荒れ狂う魔力を受け止め、その体内で還流させて純化してくれなければ、アデライードは凄まじい魔力は全て彼女自身に還り、おそらくはその苦痛に我を忘れ、滅茶苦茶に魔力を暴走させて、霊廟を吹っ飛ばすどころでは済まなかっただろう。
彼以外、誰もアデライードの膨大な魔力を受け止めることも、それを制御することもできないのだ。
暴走するアデライードの魔力を身体で受け止めながら、恭親王はずっと、彼女を抱きしめてくれていた。アデライード自身にとっても、あの時の負の感情に支配された魔力は、棘のように痛く、燃えるように熱く、そして凍えるように冷たかった。それでも暴走しているアデライードは、脳が麻痺したかのようになって、その苦痛をどこか遠いことのように感じていた。しかし、この人はあの凶悪な魔力をまともに浴びたのだ。
アデライードの中に封じ込められていた、負の感情。哀しみ、恐怖、嫌悪、そして憎しみ――。
彼女の中にも確かにある、両親と、かつての幸福な時間を奪った者に対する、明確な憎悪。
考えないようにしながら、ずっと考えていた。
家に帰りたい。母に会いたい。
アデライードとて知っていた。
自分が、なぜ、修道院に閉じこめられているのか。
母が、なぜ、望みもしない玉座に座らされているのか。
父が、なぜ、死んだのか。
あの子に、〈王気〉がないから――。
あの子に、〈王気〉がありさえすれば、自分は家族と暮らせたのに――。
あの美しい霊廟で、祖先の霊の前で命名式を行い、両親に囲まれて生きていくはずだったのに――。
あの子の、せい。
一度だけちらりと見た、ストロベリー・ブロンドの、従姉。
わたしの家族はあの子のおかげで滅茶苦茶になったのに、あの子は何も知らず、ナキアで家族と暮らしている。あの子が――。
その感情を直視すれば、心が乱され、魔力が暴れ出してしまう。
心の奥底に閉じこめ、何も感じないふりをするしかなかった。
霊廟は、彼女の封じられた故郷や家族への思いの、鍵だった。
春には真っ白い花が咲き乱れる、美しい場所。レイノークス家の者だけが入ることが許された、特別な場所。先祖の血と、家族と、美しい故郷の繋がる、大切な場所。
十年ぶりにあの場所に立って、アデライードは心にかけた鍵が開くのを止めることができなかった。
十年封じ込めたアデライードの負の感情は、どれだけの鋭い刃となって彼を責め苛んだだろうか。
アデライードは眠る夫の伏せられた長い睫毛と、その翳が落ちた頬骨の高い滑らかな頬をそっと、白い指で撫でた。
「……ごめんなさい……ありがとう……」
アデライードはそっと、恭親王の閉じた瞼に口づけた。彼の、〈王気〉が唇からアデライードに流れ込む。清新で、強い、熱い〈気〉。生命力の塊のような、激しい〈気〉。その〈王気〉が脆弱で儚いアデライードの〈王気〉を守る。
(……番……金と、銀の……龍種……)
守られる。抱きしめられる。口づけられる――愛される。
シウリンと、ユエリン――。アデライードの中で、二人の境界がどんどん曖昧になっていく。自分を守る、金の龍。この〈王気〉の側にいるだけで、アデライードの心は充され、不安から開放される。
この人のことが好きだし、側にいて欲しい。でも、これが愛なのか、アデライードにはまだわからない。わかっているのは、自分はこの人がいなければ不完全だということだけ――。
アデライードは夫の胸に頭を預ける。とくとくと規則正しく脈打つ、夫の心臓の鼓動を聞きながら、アデライードもまた、眠りに落ちた。
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