奇獲 ―あやとり― 【沙耶の章】

綾部 響

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1.青嵐の少女

後ろの正面

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 4限目は体育だった。
 当然体育着に着替えるのだが、再びそこでハプニングが起こった。

 ―――場所は女子更衣室。

 これもまた当然の事ながら詩依良もそこで着替えたのだが、彼女の着替える姿に他の女生徒達は目を奪われ、室内は騒然となったのだ。勿論、詩依良は何も気にした様子は無く、着々と着替えを済ませてしまった。
 しかし体操着姿の彼女に、吐息を漏らして見入る女生徒達の着替える速度は一向に進まず、結局集合時間が大幅に遅れる事態となったのだった。

 一之宮詩依良には華があった。

 教室での詩依良は、間違いなく才色兼備の女性だった。
 そしてグラウンドでの彼女は、高いレベルで何でもこなせるであろう、スポーツ万能な女性だったのだ。
 彼女が走り、飛び跳ねる度に、同じグラウンドで運動をしている女子生徒は勿論、離れた場所で運動している男子生徒は言わずもがな、その様子を見ていた校舎で授業を受けている生徒達までが目を奪われていた。
 汗をかき明るく笑うその姿は、5月の柔らかい陽射しの中でキラキラと眩しく輝いていたのだった。

 その容姿、雰囲気からいずれそうなる事は確定していたのだが、昼休みから始まり授業間の休憩毎に彼女の周りには人だかりが出来ていた。
 彼女がこの学校に来て、まだ1日も経っていない。
 しかし頭脳明晰、文武両道、容姿端麗、品行方正とくれば、クラス中のみならず学校中の人気を集めて然るべきであった。
 僅かな休み時間にも拘らず常に周囲へ集まってくるクラスメート達だが、詩依良は嫌な顔一つせずに対応していた。それどころか、笑顔を絶やす事さえ無かった。
 そして周囲の生徒達も、彼女と時間の共有が出来るだけで幸せな気持ちになれるのか、やはり常に笑顔だった。

 詩依良の周囲は常に笑顔で溢れていた。
 そんな光景を、武藤沙耶は気付かれない程度に眺めていた……いや、盗み見ていた。
 その光景を彼女は羨ましいと感じていた。許されるなら自分もその輪に加わりたいとも思っていたのだ。
 彼女も好きこのんで、1人きりで居る訳では無い。
 だが人生が変わってしまったあの事件から、彼女が人の輪に加わる事を許してくれる人は居なかった。
 別に禁止されている訳でも、命令されている訳でも無いのだ。あの笑顔の輪に、素知らぬ顔で近づいて加わる事だって出来ないでも無い。
 しかし彼女があの輪に加わった瞬間、笑顔は凝固し、砕け散り、霧散する。
 そうして、無言だが間違いの無い雰囲気が流れ出す。

 ―――何をしに来たの?

 ―――何で来たんだ?

 ―――早く向うに行きなさいよ。

 その他の、彼女を排斥しようとするあらゆる感情を含んだ空気がその場を支配するのだ。
 沙耶はもう、そんな気分は味わいたくないと思っていた。
 それに彼女……詩依良の笑顔まで曇らせる事を沙耶も望んでいなかった。
 遠目に見ているだけで、詩依良の放つ雰囲気が周囲を幸せにしている事が分かる。それを沙耶の出現でぶち壊しにする事など、彼女には出来そうになかったのだ。
 机に俯いた彼女は、一瞬だが悲しげな表情を浮かべた。
 年齢の割には幼く見える所謂童顔な彼女の表情は、本来とてもコロコロと変わり愛くるしいものでもあった。
 しかしこの10年近くは、少なくとも学校内では目まぐるしく表情を変化させるという事は無かった。

 いや、1つの表情しか作っていなかったと言っても良い。

 そんな彼女が数年ぶりに作った表情は、一瞬の悲壮を表したものだった。
 だがそれが刹那で済んだのは彼女がその様な事に慣れてしまっているからであり、いつもの事であった。すぐにそんな事も気にしなくなる。
 それが分かっているから、いつまでもそんな感情を引き摺る事は無いのだ。一瞬作った悲哀の表情も、次の瞬間にはいつもの無表情な顔に戻っていた。
 悔しいとか寂しいと言った感情も、何かを望み憧れる想いも、その表情と同じくすぐに消えて無くなる事を彼女は知っていたのだった。

 今日1日、沙耶のクラスは一之宮詩依良一色に染まっていた。一之宮フィーバーと言っても良いだろう。
 ただ1人を除いて、フワフワと浮ついた空気が教室を支配しており、全員その空気を楽しんでいる感じであった。
 沙耶を除いたその雰囲気は、放課後まで波及するのではと言う勢いだったが、流石にそうはならなかった。





「それでは皆さん、さようなら」

 詩依良は今日の授業が全て終わり、ホームルームも終わった直後に席を立った。その彼女に、自然と教室中の視線が集まる。
 詩依良は、自身に向けられた視線全てに対して浅くお辞儀した。
 発せられた声は涼やかだが、不思議と反論や異論を認めない力があり。大きな声では無かったにも拘らず、その声は教室の隅々にまで響き渡ったのだ。
 ひょっとしたら木下グループ等は、彼女を誘って寄り道でもと考えていたかもしれない。
 しかしその機先を制して彼女から帰宅の挨拶を口にされてしまっては、そう言う訳にもいかなかった。

 それに今日は彼女が転校して来た初日でもある。
 もしかしたら家で色々と用事があるのかもしれないし、引っ越して来たばかりなのだから片づけ等も残っているだろうと。
 別に詩依良がそう言った説明をした訳では無いが、彼女の都合を優先するに際して各生徒がそれぞれその様な理由を頭の中で想像して、そう自分に言い聞かせていたのかも知れない。
 そして詩依良の言葉に異論を挟み難い力が籠っている以上、そう納得するしかなかったのは殆どの生徒が同じだった。

 挨拶を終えた詩依良は、顔を上げると滑る様に教室後方の扉へと歩き出す。
 詩依良の美しい所作に見とれていたクラスメート達だったが、彼女が動き出した事によって我を取り戻し、思い思いに別れの挨拶を投げ掛けた。
 全ての視線が彼女の後を追い、教室後方扉の前まで来た。
 しかしそれも、何故かそこで止まってしまう。
 それはまるで、扉の一番近くに座る沙耶が注目を浴びている様な状況になってしまったのだ。
 こちらに向いている教室中全ての視線が彼女を見ている訳では無い筈なのだが、その視線が沙耶に向いて止まっていては、流石に彼女もその違和感に居心地が悪くなる。
 しかしいつまでたっても扉が引かれる音がせず、教室中の視線も沙耶の方へと向いたまま、一向に動こうとしなかった。

 恐る恐る、沙耶は自分の背後を振り返った。

 その視線の先には、まるで女神の様に微笑む詩依良が佇み、沙耶を見つめている。ヒャッ! と肩を震わせ、彼女は思わず小声で悲鳴を上げてしまった。
 彼女は全く予想外の出来事に、たちまち挙動不審に陥ってしまったのだ。
 何故一之宮詩依良が沙耶の方を向いているのか、彼女には理由など分からなかった。
 余りの事に沙耶は、ひょっとしたら詩依良はただ単に此方の方を向いているだけで、別段自分を見ている訳では無いのではないかと思い至った程だった。
 だがその考えに反して、詩依良との視線がバッチリと合ってしまい、沙耶は即座に視線を逸らす事となる。
 彼女が自分に視線を向ける意図が、沙耶には全く思い当たらなかった。
 軽く錯乱状態に陥った沙耶は、もう一度詩依良が向ける視線の先を確認する為にその眼を見た。
 やはり変わらず、彼女は沙耶に優しい眼差しを向け続けていたのだった。
 まるで見えない糸に絡め取られてしまった様に、今度は数秒の間彼女との視線が交わる。ただそれだけにも拘らず、沙耶は顔を紅潮させてモジモジとしてしまっていた。

「貴女とはまだ挨拶を済ませていませんでしたね。初めまして、一之宮詩依良です。宜しくね」

 そんな彼女の状態を見て取ったからなのか、直後に詩依良の方から澄んだ美声が沙耶に向けて放たれた。
 その行動を瞳に映していた沙耶だったが、詩依良が口を動かして何かを言っている事しか把握出来ていなかった。

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