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3.異霊の暗翳
探偵擬き
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昼休み。
沙耶は、自作の弁当を持って特別棟の屋上に向かっていた。
結局あれから、沙耶は一言も詩依良と会話が出来なかった。
いくら沙耶への噂がデマだと詩依良が公言しても、それですぐに彼女に対する態度が激変する訳では無く。
周囲の目が沙耶を見る目は確かに変わりつつあるが、ただそれだけでは沙耶の状況が変わるのに不十分でもあったのだ。
詩依良の周囲が休み毎に人だかりの出来る状況なのは相変わらずであり、そこに沙耶が入っていく事はおいそれと出来ないのにも変わりは無かった。
結局あの視線から感じたメッセージを信じるしかなく、詩依良と落ち合う為に校舎内を歩いていた沙耶だが、それとは関係なく特別棟屋上での昼食は彼女にとって何も特別な事ではなかった。
普段から1人きりで過ごす沙耶は、昼休みにもそこで過ごす事が多かったのだ。
もし詩依良からのメッセージが勘違いであったとしても、沙耶は今日も特別棟屋上へ来ていただろう事に間違いは無かった。
屋上へ抜ける扉を開くと、沈殿しているかの様な特別棟内の空気を吹き飛ばす、気持ちの良い感覚が沙耶の体を吹き抜けた。
1歩扉の外へ踏み出すと、今日も春の盛りを感じさせる強めの日差しが眩い。
その光の中に―――彼女は居た。
手摺に背中を預け、両肘を掛け、何処を見るともなく空を仰いでいた。
吹き抜ける風が彼女の黒髪を攫い、後方へ引っ張る様に靡かせている。
「あ……」
彼女を見た瞬間、沙耶は動きを奪われてしまった。
そこに居るのは教室の一之宮詩依良ではなく、一目瞭然であの一之宮詩依良だった。
容姿に然したる変化はない。
別に、沙耶へと向けてあの妖しい光の宿る瞳を向けた訳では無い。
それなのに彼女は、今の詩依良が昨日の夕暮れに話した時の詩依良であると直感したのだ。
「おう、来たな」
そして、沙耶の考えは間違っていなかった。
沙耶に気付いた詩依良は、彼女を見てニヤリと笑った。
その笑顔は優雅さとは程遠いものだったが、しかし今の彼女にとても似合っている。
「……あ……うん。一之宮さん、早かったね」
話し掛けられた事で再起動を果たす事が出来た沙耶は、何とか平静を装ってそう答える事が出来た。
「まあな。でも、あれで良く分かったな」
その言葉には、彼女があの時の視線に沙耶にしか分からない、何らかの力を込めたのだと言う意味が含まれていた。
「う……うん、まあね」
それに対して、沙耶は曖昧に答えを返すしか出来なかった。
確かに彼女からのメッセージは受け取ったし、その内容も何故か理解出来たのだが、ただ確証はどうしても持てなかった。そしてそれを、彼女に確かめる事も出来なかったのだ。
結局の所、沙耶がここに来たのはいつも通りの行動であり、気まぐれでも特別な事でも、ましてや彼女から受け取ったメッセージを正確に把握しての結果ではなかったので、そんな返事となったのだ。
それなのに彼女から「よく分かったな」等と言われてしまうと、詩依良と何かが通じている様で嬉しくなる半面、何処か申し訳ない気持ちになってしまったのだった。
この話題がこれ以上続くようだと、とても沙耶には誤魔化し切る自信は無かった。
昼休み本来の目的と話題転換も図って、沙耶は彼女に話しかけた。
「あの、良かったら……」
「ああ、もう食ったよ」
『一緒にお昼食べない?』と言い終わる前に、詩依良から間髪入れず返答され、それを言いきる事が出来なかった。
「あれ……?」
それはまるで、沙耶が何を言うのか分かっているかのように、簡潔かつ的確な返答だった。
それにも増して沙耶が驚いたのは、彼女が昼食を済ませるのに掛かった時間だった。
沙耶は終業のチャイム後、出来るだけ早くと席を立ちこの特別棟屋上へ向かった。
教室を出る時には、まだ詩依良が教室に居た事を確認していたのだ。
沙耶は最短距離をやや早足でここまで来たつもりだったし、その間に詩依良が彼女を抜き去ったという事はなかった筈だった。
いくら沙耶でも、そんな事があれば気付かない訳が無い。
一般棟から特別棟へは一階の渡り廊下でしか繋がっておらず、沙耶を追い抜かなければ、彼女より早くここへと辿り着く事は出来ない筈なのだ。
しかし現実に、彼女はすでにここへ来ており、更に昼食も済ませていると言ったのだ。
「あ、お前まだだったな。俺には気にせず食って良いぞ」
そして再び、詩依良はニヤリと笑った。
その笑顔は確かに美しいのだが、その仕草は……そう、どこか男らしいのだ。
再び沙耶から目を離し、詩依良は気持ちの良さそうに風を受けている。
今の彼女がどんな性格であっても、この光景は本当に絵になると思った沙耶だった。
「そ、それじゃあ……お言葉に甘えて」
彼女の言葉とその容貌に、沙耶の言葉は始終恐縮してしまっていた。
屋上には一脚のベンチがあり、沙耶はいつもそこに腰掛けて食事を取る事にしていた。
いつも通り持参弁当に箸をつける沙耶と詩依良の距離は、近いと言う程では無いが遠くも無い。
とても一緒に昼食を取っているとは言い難いが、それでも沙耶にしてみれば誰かが近くに居て昼食を取る事自体が随分と久しぶりだったので嬉しかった。
「あれ? でも……」
確かにここは、普段から人が来る事は少ない場所だが、それでも全く誰も来ないという事は無い。
実際何度か人が来た事もあったのだが、沙耶を見かけると早々に退散していくのだった。
しかし今は、詩依良が一緒に居る。
まさか彼女を探して木下グループ等がここへ来る事も無いだろうが、誰かがやって来て彼女と一緒の所を見られれば、また何を言われるか分かったものでは無い。
勿論、集中攻撃を受けるのが沙耶だけなのは、火を見るより明らかだった。
だが一之宮詩依良自身も、決して無傷と言う訳にはいかないだろう。
―――それに今は、いつもの一之宮詩依良ではない。
恐らく誰が彼女を見ても普段とはかけ離れていると分かる程に、今の詩依良は醸し出す雰囲気から大きく変貌して居る。
そんな姿を見られてしまっては、沙耶と一緒に居ると言う事実を無しにしても、彼女にとって都合が悪いのではないかと考えたのだ。
「ああ、今は誰も来ないよ」
『人が入って来たらまずいんじゃない?』と言おうとした沙耶の言葉を遮って、またしても彼女は即座に返答した。
沙耶にしてみれば、本当に頭の中を見透かされているかの様だった。
「でも、何故……」
「何故かは教えないし、知らない方が良い」
『何故そんな事が分かるの?』と問おうとした沙耶に、またしても即座の返答。
しかも、この話題はこれで終わりと言う意味が込められていた。
本当はそのカラクリを知りたい沙耶だったが、彼女がそう言うなら多分そうした方が良いと受け入れた。
「教えない」だけならまだしも「知らない方が良い」と彼女が言うのなら、きっとそれだけの理由があるに違いないのだ。
昨日1日の付き合いしか経ておらずとても親密とは言い難いが、何故か彼女は信じられると沙耶は確信していたのだった。
「まあそんな事より、お前に協力してもらうって話の内容なんだが……」
そう言って、詩依良は沙耶に近付いて来た。
右手をスカートのポケットに突っ込み、その中に用意されていた何かをスッと取り出した。
「3年2組、間宮悠人。こいつが霊障を受けている可能性がある」
そう言って詩依良は、ピッと右手の人差し指と中指に写真と紙を挟んで、沙耶の目の前に差し出し。
未だ食事中だった沙耶は、口をモゴモゴさせながら箸を加えてその写真を受け取った……のだが。
「チッ……」
と、その姿を見た彼女が舌打ちをする。その態度には、明らかな不快感が露呈していた。
瞬時にビクッと身を固めてしまう沙耶。
彼女には詩依良を不快にさせた覚えがなく、ソロッと彼女の表情を窺った。詩依良は冷たい、表情の無い目で沙耶を見下ろしていた。
「お前……行儀悪いな……」
そしてポツリ、とそう呟いたのだ。
それを聞いた沙耶の顔は、一瞬で真っ赤になった。アタフタと持って来ていたペットボトルのお茶で、僅かに口の中で残っていた物を一気に飲み下した。
「……ご、ごめんなさい……」
詩依良の呟いた先程の言葉に、沙耶はグウの音も出ないでいた。
確かに行儀が悪かったと、今思えば恥ずかしくなったのだ。
今の詩依良はこんな言葉づかいではあるが、行儀やマナー、礼儀と言った事に厳しいのかもしれない。
沙耶の取った態度は、常識の範囲で失礼に値した行為だったのだ。
いつも1人で行動していることが多い沙耶は、意外にマナーや礼儀等の一般常識に疎い一面があった。
本来は詩依良の様に誰かが指摘するべき事も、周囲にその誰かが居ない状況の続いていた沙耶にはそれについて気付く事も、改めようも無かったのだった。
「……まあ良い。それより間宮悠人を学校から家まで付けて、途中の動向を観察してくれ。彼の下校途中に立ち寄る場所、購入していた物、誰かと会ったり話したならそれにも注意してくれ。家の場所、彼の部屋が分かる様ならそこも確認しておく事。後で全て報告してもらうからな」
詩依良から告げられた協力とは、この間宮悠人を尾行すると言うものだった。
「へ……? 探偵……?」
沙耶は率直な感想を口にした。
確かにそれは、探偵の仕事と言った方が一番しっくりくる。
「まぁ……探偵の真似事……だな。こっちの紙には彼の住所が記載されている。念の為に持ってろ」
一緒に渡された紙には、確かに住所が記載されていた。
しかし彼女の言っている部分で、明らかにおかしな所が沙耶には引っ掛かった。
「あれ? 住所があるんでしょ? なら、家の場所ももう分かってるのよね?」
今の時代、住所さえ分かっているのなら、そこへ行きつく為の方法など幾らでもある。
例えばポピュラーな手段で、単純に交番で聞く。
書店で地図を購入する。
インターネットで調べれば詳細な地図が検索可能だ。
更に携帯端末でさえ地図情報にアクセス出来る。
等々……その方法は多岐に亘る。
沙耶に浮かんだこの疑問は、至極もっともな事だった。
ただしこれが、普通に尾行するだけならばなのだが。
「だから帰宅途中の動向にも注視しろっつってんだよ。視えるんだろ、お前?」
だが、ただ単に尾行するだけには留まらないのだ。
詩依良が口にする〝仕事〟とは、彼を監視するだけでは無い。〝怪異〟をも観察しなければならないのだ。
昨日は沙耶の能力など当てにしていないと言っていた詩依良だが一転、今日はその能力も使って尾行しろと言っているのだ。都合の良い物言いの様に聞こえなくも無いが、実は別に不思議な事では無い。
今回の協力を依頼するにあたって、怪異が視えるかどうかは副次的な事なのだ。
視えなくても問題ない。
確かに家の場所を確認するだけなら、住所と地図で事足りる。それならば、そもそもこんな話を、詩依良は沙耶に持ってきたりはしないだろう。
肝心なのは「間宮悠人」の下校時における行動、交友である。
また、住所を示されたのは万一見失った時に目的地を見失わない様にとも取れる。
更に彼女は、沙耶に「間宮悠人の部屋」の確認まで指示している。
そう考えると、必ずしも彼女の言葉がおかしなものでは無かったと言う事に、ようやく沙耶も気付いた。
そして詩依良の目論見通りなのかどうか、結果的に沙耶には「視える力」がある。
正式に協力する今となっては、沙耶がそう言う能力を持っているなら積極的に使った方が良いと言うだけの話なのだ。
間宮悠人は霊から障碍を受けようとしている、もしくはすでに受けていると言う。ならば沙耶の能力は、彼の異変を確認するには向いている能力なのであった。
「じゃあ彼の家に着いて、この人の部屋が分かったらどうするの?」
だが元々、尾行等と言う行為は勿論、他人の事を調べる為に行動を起こすなど沙耶にとっては全て初めての事だ。
そんな彼女が、まさか家の中にまで忍び込み彼の事を探るなど出来る訳が無い。
「今はまだ事実確認の段階だから、今日お前の報告を待って、今後の方針を決める事になるな。家までの尾行が済んだら、一旦この学校の裏門にまで戻って来い」
腕を組んで考えながら、詩依良は言葉を選んで口にした。
「だがあまりのんびりと時間も掛けられない。霊ってやつは、時間が経つと強力になっちまうんだ。良くも悪くも……な」
良くも悪くもと言う彼女の言葉に、沙耶は少し引っかかった。
沙耶は幼い頃から霊が視えて来た。それも当たり前の様に。その中には同じ場所に居続けている霊も少なくなく、彼等は友好的とまではいかなくても、決して害がある様には見えなかったのだ。
そしてそんな彼等の大半は、沙耶が生まれる遥か以前からそうしている可能性もあるのだ。
詩依良の話が本当ならば、そう言った霊達も何かしらの影響を周囲に与えていると言う事なのではないかと思ったのだ。
「お前には疑問だらけかもしれんが、どんな風に周囲へ影響が出て来るのか、それは怪異になった時の目的や執着心にもよるんだよ」
そしてまた沙耶の考えを読んだかの様な、明確な答えが詩依良の口から話された。しかしそれで漸く沙耶にも理解出来た部分がある。
もし霊が長い年月を経て力を得ても、その力が自分の存在理由に合致しないものなら、その霊は無暗に力を使わないのだろう。
小学生の時に教室で見た落ち武者の霊は、その姿から死後数百年経っていてもおかしなものでは無かったが、その霊からは恐怖を感じなかった。むしろ、子供たちを見守る温かいものを感じた程だった。
そこが詩依良の言った〝霊によっての違い〟になるのだろう。
落ち武者の霊に誰かを害する想いが無いのなら、強力になった力を行使する事も、その機会も無い。
「合流したら俺も一度現場を見に行く。お前には案内を頼む事になる」
しかしその詩依良の言葉に、沙耶は幾度目かの僅かな疑問を感じた。
「あれ? 私はそのまま見張っておいて、現地で合流するんじゃダメなの?」
「……ダメなんだよ」
沙耶のもっともな問いかけに、詩依良は再び腕を組み、目を瞑ってユックリと答えた。その顔はどこか神妙であり、何か重要な理由があるに違いないと沙耶に思わせた。
「何故……」
「……分からないんだ」
『ダメなの?』と質問したかったが、彼女の言葉に被せられた詩依良の言葉は、沙耶を更に混乱させた。
「え……?」
だから沙耶の口から漏れ出たのは、その言葉の意味を求める呟きだった。
「……昔からそうなんだが、何故か住所とか地図だけじゃあ目的地に辿り着けないんだよ……俺は」
意外過ぎる衝撃的な理由に、沙耶は絶句したまま動きが止まってしまった。
沙耶は、自作の弁当を持って特別棟の屋上に向かっていた。
結局あれから、沙耶は一言も詩依良と会話が出来なかった。
いくら沙耶への噂がデマだと詩依良が公言しても、それですぐに彼女に対する態度が激変する訳では無く。
周囲の目が沙耶を見る目は確かに変わりつつあるが、ただそれだけでは沙耶の状況が変わるのに不十分でもあったのだ。
詩依良の周囲が休み毎に人だかりの出来る状況なのは相変わらずであり、そこに沙耶が入っていく事はおいそれと出来ないのにも変わりは無かった。
結局あの視線から感じたメッセージを信じるしかなく、詩依良と落ち合う為に校舎内を歩いていた沙耶だが、それとは関係なく特別棟屋上での昼食は彼女にとって何も特別な事ではなかった。
普段から1人きりで過ごす沙耶は、昼休みにもそこで過ごす事が多かったのだ。
もし詩依良からのメッセージが勘違いであったとしても、沙耶は今日も特別棟屋上へ来ていただろう事に間違いは無かった。
屋上へ抜ける扉を開くと、沈殿しているかの様な特別棟内の空気を吹き飛ばす、気持ちの良い感覚が沙耶の体を吹き抜けた。
1歩扉の外へ踏み出すと、今日も春の盛りを感じさせる強めの日差しが眩い。
その光の中に―――彼女は居た。
手摺に背中を預け、両肘を掛け、何処を見るともなく空を仰いでいた。
吹き抜ける風が彼女の黒髪を攫い、後方へ引っ張る様に靡かせている。
「あ……」
彼女を見た瞬間、沙耶は動きを奪われてしまった。
そこに居るのは教室の一之宮詩依良ではなく、一目瞭然であの一之宮詩依良だった。
容姿に然したる変化はない。
別に、沙耶へと向けてあの妖しい光の宿る瞳を向けた訳では無い。
それなのに彼女は、今の詩依良が昨日の夕暮れに話した時の詩依良であると直感したのだ。
「おう、来たな」
そして、沙耶の考えは間違っていなかった。
沙耶に気付いた詩依良は、彼女を見てニヤリと笑った。
その笑顔は優雅さとは程遠いものだったが、しかし今の彼女にとても似合っている。
「……あ……うん。一之宮さん、早かったね」
話し掛けられた事で再起動を果たす事が出来た沙耶は、何とか平静を装ってそう答える事が出来た。
「まあな。でも、あれで良く分かったな」
その言葉には、彼女があの時の視線に沙耶にしか分からない、何らかの力を込めたのだと言う意味が含まれていた。
「う……うん、まあね」
それに対して、沙耶は曖昧に答えを返すしか出来なかった。
確かに彼女からのメッセージは受け取ったし、その内容も何故か理解出来たのだが、ただ確証はどうしても持てなかった。そしてそれを、彼女に確かめる事も出来なかったのだ。
結局の所、沙耶がここに来たのはいつも通りの行動であり、気まぐれでも特別な事でも、ましてや彼女から受け取ったメッセージを正確に把握しての結果ではなかったので、そんな返事となったのだ。
それなのに彼女から「よく分かったな」等と言われてしまうと、詩依良と何かが通じている様で嬉しくなる半面、何処か申し訳ない気持ちになってしまったのだった。
この話題がこれ以上続くようだと、とても沙耶には誤魔化し切る自信は無かった。
昼休み本来の目的と話題転換も図って、沙耶は彼女に話しかけた。
「あの、良かったら……」
「ああ、もう食ったよ」
『一緒にお昼食べない?』と言い終わる前に、詩依良から間髪入れず返答され、それを言いきる事が出来なかった。
「あれ……?」
それはまるで、沙耶が何を言うのか分かっているかのように、簡潔かつ的確な返答だった。
それにも増して沙耶が驚いたのは、彼女が昼食を済ませるのに掛かった時間だった。
沙耶は終業のチャイム後、出来るだけ早くと席を立ちこの特別棟屋上へ向かった。
教室を出る時には、まだ詩依良が教室に居た事を確認していたのだ。
沙耶は最短距離をやや早足でここまで来たつもりだったし、その間に詩依良が彼女を抜き去ったという事はなかった筈だった。
いくら沙耶でも、そんな事があれば気付かない訳が無い。
一般棟から特別棟へは一階の渡り廊下でしか繋がっておらず、沙耶を追い抜かなければ、彼女より早くここへと辿り着く事は出来ない筈なのだ。
しかし現実に、彼女はすでにここへ来ており、更に昼食も済ませていると言ったのだ。
「あ、お前まだだったな。俺には気にせず食って良いぞ」
そして再び、詩依良はニヤリと笑った。
その笑顔は確かに美しいのだが、その仕草は……そう、どこか男らしいのだ。
再び沙耶から目を離し、詩依良は気持ちの良さそうに風を受けている。
今の彼女がどんな性格であっても、この光景は本当に絵になると思った沙耶だった。
「そ、それじゃあ……お言葉に甘えて」
彼女の言葉とその容貌に、沙耶の言葉は始終恐縮してしまっていた。
屋上には一脚のベンチがあり、沙耶はいつもそこに腰掛けて食事を取る事にしていた。
いつも通り持参弁当に箸をつける沙耶と詩依良の距離は、近いと言う程では無いが遠くも無い。
とても一緒に昼食を取っているとは言い難いが、それでも沙耶にしてみれば誰かが近くに居て昼食を取る事自体が随分と久しぶりだったので嬉しかった。
「あれ? でも……」
確かにここは、普段から人が来る事は少ない場所だが、それでも全く誰も来ないという事は無い。
実際何度か人が来た事もあったのだが、沙耶を見かけると早々に退散していくのだった。
しかし今は、詩依良が一緒に居る。
まさか彼女を探して木下グループ等がここへ来る事も無いだろうが、誰かがやって来て彼女と一緒の所を見られれば、また何を言われるか分かったものでは無い。
勿論、集中攻撃を受けるのが沙耶だけなのは、火を見るより明らかだった。
だが一之宮詩依良自身も、決して無傷と言う訳にはいかないだろう。
―――それに今は、いつもの一之宮詩依良ではない。
恐らく誰が彼女を見ても普段とはかけ離れていると分かる程に、今の詩依良は醸し出す雰囲気から大きく変貌して居る。
そんな姿を見られてしまっては、沙耶と一緒に居ると言う事実を無しにしても、彼女にとって都合が悪いのではないかと考えたのだ。
「ああ、今は誰も来ないよ」
『人が入って来たらまずいんじゃない?』と言おうとした沙耶の言葉を遮って、またしても彼女は即座に返答した。
沙耶にしてみれば、本当に頭の中を見透かされているかの様だった。
「でも、何故……」
「何故かは教えないし、知らない方が良い」
『何故そんな事が分かるの?』と問おうとした沙耶に、またしても即座の返答。
しかも、この話題はこれで終わりと言う意味が込められていた。
本当はそのカラクリを知りたい沙耶だったが、彼女がそう言うなら多分そうした方が良いと受け入れた。
「教えない」だけならまだしも「知らない方が良い」と彼女が言うのなら、きっとそれだけの理由があるに違いないのだ。
昨日1日の付き合いしか経ておらずとても親密とは言い難いが、何故か彼女は信じられると沙耶は確信していたのだった。
「まあそんな事より、お前に協力してもらうって話の内容なんだが……」
そう言って、詩依良は沙耶に近付いて来た。
右手をスカートのポケットに突っ込み、その中に用意されていた何かをスッと取り出した。
「3年2組、間宮悠人。こいつが霊障を受けている可能性がある」
そう言って詩依良は、ピッと右手の人差し指と中指に写真と紙を挟んで、沙耶の目の前に差し出し。
未だ食事中だった沙耶は、口をモゴモゴさせながら箸を加えてその写真を受け取った……のだが。
「チッ……」
と、その姿を見た彼女が舌打ちをする。その態度には、明らかな不快感が露呈していた。
瞬時にビクッと身を固めてしまう沙耶。
彼女には詩依良を不快にさせた覚えがなく、ソロッと彼女の表情を窺った。詩依良は冷たい、表情の無い目で沙耶を見下ろしていた。
「お前……行儀悪いな……」
そしてポツリ、とそう呟いたのだ。
それを聞いた沙耶の顔は、一瞬で真っ赤になった。アタフタと持って来ていたペットボトルのお茶で、僅かに口の中で残っていた物を一気に飲み下した。
「……ご、ごめんなさい……」
詩依良の呟いた先程の言葉に、沙耶はグウの音も出ないでいた。
確かに行儀が悪かったと、今思えば恥ずかしくなったのだ。
今の詩依良はこんな言葉づかいではあるが、行儀やマナー、礼儀と言った事に厳しいのかもしれない。
沙耶の取った態度は、常識の範囲で失礼に値した行為だったのだ。
いつも1人で行動していることが多い沙耶は、意外にマナーや礼儀等の一般常識に疎い一面があった。
本来は詩依良の様に誰かが指摘するべき事も、周囲にその誰かが居ない状況の続いていた沙耶にはそれについて気付く事も、改めようも無かったのだった。
「……まあ良い。それより間宮悠人を学校から家まで付けて、途中の動向を観察してくれ。彼の下校途中に立ち寄る場所、購入していた物、誰かと会ったり話したならそれにも注意してくれ。家の場所、彼の部屋が分かる様ならそこも確認しておく事。後で全て報告してもらうからな」
詩依良から告げられた協力とは、この間宮悠人を尾行すると言うものだった。
「へ……? 探偵……?」
沙耶は率直な感想を口にした。
確かにそれは、探偵の仕事と言った方が一番しっくりくる。
「まぁ……探偵の真似事……だな。こっちの紙には彼の住所が記載されている。念の為に持ってろ」
一緒に渡された紙には、確かに住所が記載されていた。
しかし彼女の言っている部分で、明らかにおかしな所が沙耶には引っ掛かった。
「あれ? 住所があるんでしょ? なら、家の場所ももう分かってるのよね?」
今の時代、住所さえ分かっているのなら、そこへ行きつく為の方法など幾らでもある。
例えばポピュラーな手段で、単純に交番で聞く。
書店で地図を購入する。
インターネットで調べれば詳細な地図が検索可能だ。
更に携帯端末でさえ地図情報にアクセス出来る。
等々……その方法は多岐に亘る。
沙耶に浮かんだこの疑問は、至極もっともな事だった。
ただしこれが、普通に尾行するだけならばなのだが。
「だから帰宅途中の動向にも注視しろっつってんだよ。視えるんだろ、お前?」
だが、ただ単に尾行するだけには留まらないのだ。
詩依良が口にする〝仕事〟とは、彼を監視するだけでは無い。〝怪異〟をも観察しなければならないのだ。
昨日は沙耶の能力など当てにしていないと言っていた詩依良だが一転、今日はその能力も使って尾行しろと言っているのだ。都合の良い物言いの様に聞こえなくも無いが、実は別に不思議な事では無い。
今回の協力を依頼するにあたって、怪異が視えるかどうかは副次的な事なのだ。
視えなくても問題ない。
確かに家の場所を確認するだけなら、住所と地図で事足りる。それならば、そもそもこんな話を、詩依良は沙耶に持ってきたりはしないだろう。
肝心なのは「間宮悠人」の下校時における行動、交友である。
また、住所を示されたのは万一見失った時に目的地を見失わない様にとも取れる。
更に彼女は、沙耶に「間宮悠人の部屋」の確認まで指示している。
そう考えると、必ずしも彼女の言葉がおかしなものでは無かったと言う事に、ようやく沙耶も気付いた。
そして詩依良の目論見通りなのかどうか、結果的に沙耶には「視える力」がある。
正式に協力する今となっては、沙耶がそう言う能力を持っているなら積極的に使った方が良いと言うだけの話なのだ。
間宮悠人は霊から障碍を受けようとしている、もしくはすでに受けていると言う。ならば沙耶の能力は、彼の異変を確認するには向いている能力なのであった。
「じゃあ彼の家に着いて、この人の部屋が分かったらどうするの?」
だが元々、尾行等と言う行為は勿論、他人の事を調べる為に行動を起こすなど沙耶にとっては全て初めての事だ。
そんな彼女が、まさか家の中にまで忍び込み彼の事を探るなど出来る訳が無い。
「今はまだ事実確認の段階だから、今日お前の報告を待って、今後の方針を決める事になるな。家までの尾行が済んだら、一旦この学校の裏門にまで戻って来い」
腕を組んで考えながら、詩依良は言葉を選んで口にした。
「だがあまりのんびりと時間も掛けられない。霊ってやつは、時間が経つと強力になっちまうんだ。良くも悪くも……な」
良くも悪くもと言う彼女の言葉に、沙耶は少し引っかかった。
沙耶は幼い頃から霊が視えて来た。それも当たり前の様に。その中には同じ場所に居続けている霊も少なくなく、彼等は友好的とまではいかなくても、決して害がある様には見えなかったのだ。
そしてそんな彼等の大半は、沙耶が生まれる遥か以前からそうしている可能性もあるのだ。
詩依良の話が本当ならば、そう言った霊達も何かしらの影響を周囲に与えていると言う事なのではないかと思ったのだ。
「お前には疑問だらけかもしれんが、どんな風に周囲へ影響が出て来るのか、それは怪異になった時の目的や執着心にもよるんだよ」
そしてまた沙耶の考えを読んだかの様な、明確な答えが詩依良の口から話された。しかしそれで漸く沙耶にも理解出来た部分がある。
もし霊が長い年月を経て力を得ても、その力が自分の存在理由に合致しないものなら、その霊は無暗に力を使わないのだろう。
小学生の時に教室で見た落ち武者の霊は、その姿から死後数百年経っていてもおかしなものでは無かったが、その霊からは恐怖を感じなかった。むしろ、子供たちを見守る温かいものを感じた程だった。
そこが詩依良の言った〝霊によっての違い〟になるのだろう。
落ち武者の霊に誰かを害する想いが無いのなら、強力になった力を行使する事も、その機会も無い。
「合流したら俺も一度現場を見に行く。お前には案内を頼む事になる」
しかしその詩依良の言葉に、沙耶は幾度目かの僅かな疑問を感じた。
「あれ? 私はそのまま見張っておいて、現地で合流するんじゃダメなの?」
「……ダメなんだよ」
沙耶のもっともな問いかけに、詩依良は再び腕を組み、目を瞑ってユックリと答えた。その顔はどこか神妙であり、何か重要な理由があるに違いないと沙耶に思わせた。
「何故……」
「……分からないんだ」
『ダメなの?』と質問したかったが、彼女の言葉に被せられた詩依良の言葉は、沙耶を更に混乱させた。
「え……?」
だから沙耶の口から漏れ出たのは、その言葉の意味を求める呟きだった。
「……昔からそうなんだが、何故か住所とか地図だけじゃあ目的地に辿り着けないんだよ……俺は」
意外過ぎる衝撃的な理由に、沙耶は絶句したまま動きが止まってしまった。
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