奇獲 ―あやとり― 【沙耶の章】

綾部 響

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3.異霊の暗翳

悍ましき気配

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 間宮悠人は鈍重な動きで靴を履き替え玄関ホールを出ると、やはりゆっくりとした動きのまま下校を開始した。慌ててそれに続く沙耶。
 その精神状態のお蔭なのか、素人同然で巧妙とは言い難い沙耶の尾行に彼が気付く様子は無かった。
 フラフラとした足取りで移動を続ける悠人は、校門を出ると商店街の方へ足を向けた。

 彼はまず、商店街入り口付近にある書店へと入った。そこで何かの本を手に取り、中身を確認してすぐに棚へと本を戻す。
 そんな事を数回繰り返す悠人の様子を、同じ店内の少し離れた所で、本に目をやる事も無くしているのは沙耶だった。
 どう見ても彼女の行動は不審であったが、幸いそれも悠人に気付かれる事は無かった。
 沙耶から見ても彼の行動は本当にただの時間潰しをしているそれであり、何か目的があってこの本屋へと立ち寄ったのではないと直感していた。
 事実悠人は本を何も買わずに、30分ほどで店を出て行ったのだった。

 彼が次に向かったのは、本屋を出て数十メートル程先にあったコンビニエンスストア。流石にここまで一緒に入ってしまっては気付かれてしまうと感じた沙耶は、店外で悠人の様子を伺った。
 幸い、多くのコンビニは透明性の高いガラス張りを採用している店舗が多く、彼女が中まで付いて行かなくても彼の行動を把握する事が出来た。
 悠人はそのコンビニでいくつかの商品を買い、そのまま店を後にする。
 これまで沙耶が見ている限りでは、彼の行動は正に寄り道のそれだ。それは沙耶にも経験があるのですぐに分かった。

 帰りたくない、自宅に帰ってさえも居場所が無い、もしくはそこに留まる事が苦痛だと言う事が分かっていても、いずれは帰らなければならない。
 そんな状況を持った者が取る行動。それは「ほんの僅かでも家に帰りつく時間を遅らせる」しかなかった。
 もし、悠人が目的意識をハッキリ持って行動している場合、あの様に緩慢な動きとはならないし、用の無い店舗に立ち寄る事も無い。もう少し足取りもシッカリとしている筈だ。
 少なくとも最初に寄った本屋は、彼の意志で立ち寄ったのではなく〝何となく〟で間違いないだろうと沙耶は確信していた。

 商店街の中程までやって来た悠人は、そこで再び雑貨店に立ち寄った。
 しかしそこにも何か目的があって入った訳では無かったようで、グルリと店内を一周して今度は何も買わず早々に出て来たのだった。

 ―――そしてその間、あの黒く2本の尾を持つ猫は彼にピッタリと寄り添っていた。

 この雑貨店だけでは無い。最初の本屋にも、次のコンビニにも、その黒猫は物怖じする事も無く悠人にピッタリと付いて入店していたのだ。

 もしその猫に尾が2本無ければ、もしかすれば沙耶でさえその猫を怪異だとは思わなかっただろう。それぐらい、彼女の目に霊体は生きているものと変わらずに映ってしまう。
 それは人間霊だけでなく、動物霊も同様だった。
 勿論良く注意すれば、現世の者と死後の者で違う所は多々あり、いくら沙耶であったとしても気付くことが出来ただろう。
 悠人の後を付ける黒猫に至ってはその風貌も奇異だが、店内に入ったにも拘らず誰も咎める者が居ない……誰も眼をやる者が居ないと言う時点で、とても普通でない事がいくら沙耶でも分かった筈だった。
 だが彼女はその猫を見て、悠人に何か悪い事をしている元凶の様には感じなかった。
 例えば浮遊霊となった猫の霊が、波長の合う人間にジャレ付く事があるのを沙耶は経験から知っている。
 そしてその様な猫の霊はただ構って欲しいと言うだけで、その人に悪影響を及ぼす様な事はしないとも知っていた。
 だから沙耶は、今回見えているその黒猫もその手の類だろうと思っていたのだ。

 雑貨店を出て行動を再開した悠人は、商店街から脇道に逸れて歩いて行く。まだ帰るつもりは無いようだった。
 だが先程よりも足取りがしっかりとしており、明らかに何処かを目指していると言う雰囲気が沙耶にも感じ取れた。
 時刻も夕刻になり、日が傾き空を橙色と青色のコントラストに彩り始めた頃、悠人は小さなお社へと来ていた。

 住宅街の真ん中に位置する小さな公園。

 その隣に、お稲荷さんが祀ってあるぐらいしか沙耶には分からなかったが、小さな鳥居をくぐった先に小さな社があった。
 街中に、窮屈そうに建てられたそのお社は、とても立派とは言えない。しかしその社の周辺には、結構な数の猫が思い思いの格好で寛いでいた。
 どうやらここは、この近辺で生活している猫達の休憩所の様であり、彼の最終目的地はここだった様だ。
 悠人が鳥居をくぐると、それまで動きの無かった猫達が途端に鳴き始め、まるで待って居たかの様に彼の足元へと集まって来る。
 彼はコンビニで購入し手に持っていたビニール袋から、猫用の餌やおやつ、ジャーキー等を取り出し与えだした。
 それを猫達は、特に警戒する様な素振りも見せず熱心に食べだしたのだ。どうやらここの猫達におやつを与える事が、彼の日課となっているらしかった。
 猫達が喧嘩しない様に上手く分け与え、一心不乱に食べる猫の姿を見る悠人の表情は優しかった。少なくとも、先程までの沈鬱な表情とは全く違って見える。
 きっと、あれが彼本来の表情なのだろうと沙耶は思った。

「じゃあ、またね」

 およそ30分そこで過ごした彼は猫達にそう告げ、再度移動を開始した。
 今度は先ほどよりも足取りが軽い。猫の癒し効果でリフレッシュ出来たのだろうか。
 社から出て来た悠人の足元には、そこに入れなかったのだろう黒い猫の霊が再度纏わり付いていた。

 神社やお寺など、神気の高い場所に霊は入れない。

 きっと、霊が嫌う様な雰囲気が醸し出されているのだろう程度にしか沙耶には分からないが、黒猫の霊が神社の中まで彼に付いて行かなかった事は、沙耶にとって不自然な事では無かった。
 それよりも、気まぐれなものが多い猫の霊にしては、彼がその社を出るまで待ち続けるなど寧ろ珍しい事だと沙耶は思ったのだった。

 猫は、生きているものでさえ気まぐれな性格をしている動物だ。まして死んでしまい霊となっては、その行動にも自由度が増す。
 そんな猫の霊を多く見て来た沙耶にとって、1人の人間に付き従う様な動きを見せるあの黒猫は、沙耶にとって初めて見る行動だった。

(そんなに彼の事が気に入ったのかな?)

 霊の気持ちなど流石に分かる筈もない沙耶には、そんな平凡な答えしか浮かばなかった。
 悠人は〝猫達の祠〟から再度商店街方面へと足を向け、そのまま商店街を横切り、反対側の住宅地へと向かっていた。
 どうやら彼の家はそちらにある様だ。電信柱にある住所表記も、詩依良からもらった彼の住所と一致しだしていた。

 住宅地を暫く歩くと、その内の1軒に悠人は入って行った。そこが、彼の自宅である事に間違いない様であった。
 不思議な事に、例の黒猫もそれに続いて彼の自宅へと入って行った。猫の霊がそこまで執着する事は、彼女の知る限り本当に珍しい現象である。
 だが沙耶が知らないだけで、そんな事は往々にしてある事なのかもしれないと、そんな思いから沙耶はそれ程深く考えていなかった。

(それよりも、後は……彼の部屋も分かれば良いって言ってたよね?)

 黒猫のよりも、今は詩依良との約束が優先事項だ。
 彼女は再度、悠人の自宅を眺めてみる。だが当然、家の外から彼の部屋を探り出す術など沙耶は持ち合わせていない。
 まさか家の中まで入って行く訳にもいかず、かと言って忍者の様に忍び込むなど、沙耶の持つスキルでは到底不可能だ。
 その時、パッと2階の角部屋に明かりが灯る。恐らくはそこが悠人の部屋なのだと彼女は思った。
 確信は無いが彼が帰宅した時間と一致するし、他に思い当たる事が無い以上沙耶にはそう判断するしかなかった。

 兎にも角にも一通り詩依良に言われた“任務”を遂行し終え、ホッと安堵した沙耶はすぐさま異常な気配に全身の毛穴が開く様な感覚に囚われた。
 殆ど条件反射で顔を上げ沙耶が見つめた先は、悠人の部屋と思しき2階角部屋。その部屋から、沙耶は何か得体の知れないものが染み出して来るように感じ取った。
 色で言うならば黒……しかしハッキリとした黒では無い。酷く透明なようでもあり、濁っている様でもある。
 だがそこから発散される気配は、沙耶が今まで感じた事の無い何か良からぬものを多く含んでいる様に思えた。

 ―――や……やだ……。

 その染み出して来た黒い何かは徐々に量が多くなり、悠人の部屋を……次いで彼の家全体を覆うまでになった。
 沙耶が見ている前でその黒い、禍々しい、恐ろしい何かは完全に悠人の家を覆い、何者も近づけない様な雰囲気を発している。

 ―――やだっ! 怖いっ!

 その瞬間、沙耶は猛然と駈け出していた。一目散に、詩依良との合流地点である裏門へと向かっていたのだ。
 後ろを振り返る事も出来ない程、沙耶は初めて見る怪異の恐ろしさを感じ、それから逃れる様に走ったのだった。
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