奇獲 ―あやとり― 【沙耶の章】

綾部 響

文字の大きさ
34 / 36
エピローグ1

決別の夢

しおりを挟む
 ―――沙耶はユックリと瞼を開けた。

 目を覚ました筈だった……彼女の感覚では間違いなく。
 だがすぐに、その自信は揺らいでしまった。……何故なら。

 ―――彼女の視界には、何も映らなかったからだ。

 周囲は闇。一切の光が感じられない闇だ。
 しかしそれも沙耶の感じたものであり、本当に闇が果てしなく広がっているのか、それともすぐ手前に壁があるにも拘らずただそれが見えないだけなのかも分からなかった。
 沙耶が横たわっていたのは、どうやらベッドの上らしい。
 そう彼女が考えたのは、彼女が背中で感じる独特の軋み音によるものだ。
 ベッドに使用されているスプリングが沙耶の僅かな動きに反応し、小さな軋み音を上げて収縮した。
 その音と手に触れる感覚だけで、彼女は自分が粗末なパイプベッドで、粗末な布団と薄いシーツがかけられているだけの状態だと判断した。
 だが、その事に大した意味は無い。
 彼女は上半身だけ起こして四方を見やり、を再確認した。
 普段の彼女ならば、それだけで恐怖感に襲われ泣き出していたかもしれない。
 しかし今の沙耶は、不思議な平静の中に居た。
 それが、余りにも非現実的な状況に直面した事に依るものなのか、それとも彼女が何故かこの闇には畏怖を抱かないからに依るものなのかは分からない。

 彼女はもう1度首を左から右へ、おおよそ180度巡らせた。
 やはり何も目には映らない。
 ただ認識出来ないだけで、すぐ目の前には何かあるかもしれないと思ったが、このままここでジッとしていてはそれすらも把握しようがない。
 特に〝意を決した〟と言う程の強い決意を持った訳では無いが、沙耶はそのベッドから抜け出す事にした。
 するりとシーツを抜け出して、彼女は地面があると思しき場所へ足を下ろした。
 足元も当然闇しかないのだが、どうやら立つ事は出来るらしかった。
 ユックリと立ち上がった沙耶は、再度体を回して周囲を確認する。
 やはり闇しか確認出来なかったが、彼女の寝ていたベッドの周囲には一切何もない様だと感じる事が出来た。
 つまり途轍もなく広い部屋か、全く何も無い空間が広がっていると言う事かもしれない。
 このままここに居るべきか、それとも闇雲に歩き出すべきか。
 沙耶が思案に暮れていると、突然どこかから何者かの気配を感じた。
 沙耶は別に人の気配を探る事が得意な訳では無い。むしろ、そんな事は今まで出来た事がない。
 しかし何もない、誰もいない空間に自分とは違う気配が出現すれば嫌でも気づくものらしく、それは彼女とて例外では無かった。
 発生した気配の方向に目を遣ると、先程は誰もいなかった場所……驚くほど近い所に「彼女」は立っていた。
 一切の光を感じる事の無い暗闇の中では、他人の姿を認識するなど到底不可能な筈なのに、それでも「彼女」を知覚する事が出来たのは、「彼女」が自身を形作る輪郭に沿って照らされる事の無い光で縁取られていたからだ。

「あっ……」

 思わず声を零す沙耶。その声には喜色が含まれている。
 彼女がそこに見たのは。

 ―――黒く長く、美しい髪……。

 ―――芸術の様に絶妙なラインを描く輪郭……。

 ―――潤んだ小さな唇……。

 ―――スッと筋の通った美しい鼻……。

 ―――細く綺麗な眉……。

 ―――切れ長で鋭さすら感じさせるような目……。

 ―――そこにはめ込まれた宝石のような瞳……。

 ―――細く長い手足……。

 ―――非の打ち所がない完璧とも思えるボディライン……。

 絶世の美少女と言う言葉がふさわしい彼女は、間違いなく一之宮詩依良だった。
 何故そんな近くに居たと言うのに、先程は気付けなかったのか。
 一体いつ現れたのか。
 そんな当然の疑問も今の沙耶には浮かばない。
 とにかくこの闇黒世界で知人に会えた事が、彼女を何よりも安堵させた。

「詩依……」

「……馴れ馴れしいんだよ」

 詩依良の名前を呼ぼうとして、沙耶の言葉は彼女が発した言葉に遮られた。
 そして同時に、沙耶は彼女に対して違和感を抱いた。
 今、沙耶の眼前に居る詩依良は、一緒に居た詩依良ではない。
 教室で見る、あの天使が如き才色兼備の一之宮詩依良だと思った。
 その湛える笑顔も、纏う雰囲気も、真っ直ぐに立つ姿勢でさえ、怪異と戦っていた詩依良のそれでは無い。
 沙耶が憧れ、クラスの皆が憧れる一之宮詩依良のそれだった。
 だがそんな詩依良の口から漏れ出た物言いは、詩依良のものだったのだ。
 そこからもたらされるギャップが、沙耶に違和感を覚えさせていたのだ。

「……俺と友達だなんて、図々しいにも程があるな」

 自分の事を「俺」と言うのは、間違いなくの方だった。
 だがならば、あれほど優雅な笑みを湛えて発する事は無い筈だ。
 彼女は少なくとも、教室での「一之宮詩依良」を演じる事に好感を抱いていない。
 沙耶の前では、自ら進んで「一之宮詩依良」となる事を望むとは考えられなかった。

「え……? 詩依良ちゃん……なの……?」

 だから沙耶もすぐに状況が呑み込めず、僅かに混乱してしまっていた。
 詩依良から感じるギャップも、その彼女から告げられた言葉の意味も、沙耶には理解出来ないでいたのだ。

「だから……馴れ馴れしいっつってんだろ? 何が『詩依良ちゃん』だよ」

 更に違和感が加速する。
 再び発せられた言葉が、優しい笑みを一切崩さないあの「一之宮詩依良」から発せられているからだ。
 それに沙耶の目の前にいる詩依良は表情を崩さず、それでいて紡がれる言葉は辛辣そのものだった。

「え? ……だってそれは……詩依良ちゃん?」

 詩依良を「詩依良ちゃん」と呼ぶ事に、彼女も同意している筈だった。
 それでも、目の前の詩依良はそれを否定している。
 ますます状況が呑み込めない。

「本当に鈍いな、お前……もう、うんざりだよ。じゃあな」

 そう言い放った目の前の詩依良は、優雅にお辞儀をしてこちらを向いたまま遠ざかって行く。

「ちょ、待って……待ってよ! 詩依良ちゃんっ!」

 遠ざかる詩依良を追い、沙耶は駆けだした。

「うるせーな。付いてくんなよ」

 こちらを向いたまま笑顔でそう告げる詩依良は、離れて行く速度を上げてみるみる遠ざかって行く。
 必死で追う沙耶だが、到底追いつけそうにない。

「詩依良ちゃんっ! 詩依良ちゃんっ!」

 沙耶の叫びに彼女は止まることなく、暗闇の彼方へと消えて見えなくなった。
 いつの間にか沙耶の目からは、大粒の涙が零れだしていた。
 すでに見えなくなった詩依良をそれでも追いかけて、泣きながら走り続けていたのだ。

「詩依良ちゃんっ! 詩依良ちゃんっ! 私、想ってるからっ! 友達だって想ってるからっ! 詩依良ちゃんの事、絶対に忘れないんだからっ!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

処理中です...