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エピローグ1
決別の夢
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―――沙耶はユックリと瞼を開けた。
目を覚ました筈だった……彼女の感覚では間違いなく。
だがすぐに、その自信は揺らいでしまった。……何故なら。
―――彼女の視界には、何も映らなかったからだ。
周囲は闇。一切の光が感じられない闇だ。
しかしそれも沙耶の感じたものであり、本当に闇が果てしなく広がっているのか、それともすぐ手前に壁があるにも拘らずただそれが見えないだけなのかも分からなかった。
沙耶が横たわっていたのは、どうやらベッドの上らしい。
そう彼女が考えたのは、彼女が背中で感じる独特の軋み音によるものだ。
ベッドに使用されているスプリングが沙耶の僅かな動きに反応し、小さな軋み音を上げて収縮した。
その音と手に触れる感覚だけで、彼女は自分が粗末なパイプベッドで、粗末な布団と薄いシーツがかけられているだけの状態だと判断した。
だが、その事に大した意味は無い。
彼女は上半身だけ起こして四方を見やり、何も確認出来ない事を再確認した。
普段の彼女ならば、それだけで恐怖感に襲われ泣き出していたかもしれない。
しかし今の沙耶は、不思議な平静の中に居た。
それが、余りにも非現実的な状況に直面した事に依るものなのか、それとも彼女が何故かこの闇には畏怖を抱かないからに依るものなのかは分からない。
彼女はもう1度首を左から右へ、おおよそ180度巡らせた。
やはり何も目には映らない。
ただ認識出来ないだけで、すぐ目の前には何かあるかもしれないと思ったが、このままここでジッとしていてはそれすらも把握しようがない。
特に〝意を決した〟と言う程の強い決意を持った訳では無いが、沙耶はそのベッドから抜け出す事にした。
するりとシーツを抜け出して、彼女は地面があると思しき場所へ足を下ろした。
足元も当然闇しかないのだが、どうやら立つ事は出来るらしかった。
ユックリと立ち上がった沙耶は、再度体を回して周囲を確認する。
やはり闇しか確認出来なかったが、彼女の寝ていたベッドの周囲には一切何もない様だと感じる事が出来た。
つまり途轍もなく広い部屋か、全く何も無い空間が広がっていると言う事かもしれない。
このままここに居るべきか、それとも闇雲に歩き出すべきか。
沙耶が思案に暮れていると、突然どこかから何者かの気配を感じた。
沙耶は別に人の気配を探る事が得意な訳では無い。むしろ、そんな事は今まで出来た事がない。
しかし何もない、誰もいない空間に自分とは違う気配が出現すれば嫌でも気づくものらしく、それは彼女とて例外では無かった。
発生した気配の方向に目を遣ると、先程は誰もいなかった場所……驚くほど近い所に「彼女」は立っていた。
一切の光を感じる事の無い暗闇の中では、他人の姿を認識するなど到底不可能な筈なのに、それでも「彼女」を知覚する事が出来たのは、「彼女」が自身を形作る輪郭に沿って照らされる事の無い光で縁取られていたからだ。
「あっ……」
思わず声を零す沙耶。その声には喜色が含まれている。
彼女がそこに見たのは。
―――黒く長く、美しい髪……。
―――芸術の様に絶妙なラインを描く輪郭……。
―――潤んだ小さな唇……。
―――スッと筋の通った美しい鼻……。
―――細く綺麗な眉……。
―――切れ長で鋭さすら感じさせるような目……。
―――そこにはめ込まれた宝石のような瞳……。
―――細く長い手足……。
―――非の打ち所がない完璧とも思えるボディライン……。
絶世の美少女と言う言葉がふさわしい彼女は、間違いなく一之宮詩依良だった。
何故そんな近くに居たと言うのに、先程は気付けなかったのか。
一体いつ現れたのか。
そんな当然の疑問も今の沙耶には浮かばない。
とにかくこの闇黒世界で知人に会えた事が、彼女を何よりも安堵させた。
「詩依……」
「……馴れ馴れしいんだよ」
詩依良の名前を呼ぼうとして、沙耶の言葉は彼女が発した言葉に遮られた。
そして同時に、沙耶は彼女に対して違和感を抱いた。
今、沙耶の眼前に居る詩依良は、先程まで一緒に居た詩依良ではない。
教室で見る、あの天使が如き才色兼備の一之宮詩依良だと思った。
その湛える笑顔も、纏う雰囲気も、真っ直ぐに立つ姿勢でさえ、怪異と戦っていた詩依良のそれでは無い。
沙耶が憧れ、クラスの皆が憧れる一之宮詩依良のそれだった。
だがそんな詩依良の口から漏れ出た物言いは、沙耶だけが知っている詩依良のものだったのだ。
そこから齎されるギャップが、沙耶に違和感を覚えさせていたのだ。
「……俺と友達だなんて、図々しいにも程があるな」
自分の事を「俺」と言うのは、間違いなくあの詩依良の方だった。
だがあの詩依良ならば、あれほど優雅な笑みを湛えて発する事は無い筈だ。
彼女は少なくとも、教室での「一之宮詩依良」を演じる事に好感を抱いていない。
沙耶の前では、自ら進んで「一之宮詩依良」となる事を望むとは考えられなかった。
「え……? 詩依良ちゃん……なの……?」
だから沙耶もすぐに状況が呑み込めず、僅かに混乱してしまっていた。
詩依良から感じるギャップも、その彼女から告げられた言葉の意味も、沙耶には理解出来ないでいたのだ。
「だから……馴れ馴れしいっつってんだろ? 何が『詩依良ちゃん』だよ」
更に違和感が加速する。
再び発せられた言葉が、優しい笑みを一切崩さないあの「一之宮詩依良」から発せられているからだ。
それに沙耶の目の前にいる詩依良は表情を崩さず、それでいて紡がれる言葉は辛辣そのものだった。
「え? ……だってそれは……詩依良ちゃん?」
詩依良を「詩依良ちゃん」と呼ぶ事に、彼女も同意している筈だった。
それでも、目の前の詩依良はそれを否定している。
ますます状況が呑み込めない。
「本当に鈍いな、お前……もう、うんざりだよ。じゃあな」
そう言い放った目の前の詩依良は、優雅にお辞儀をしてこちらを向いたまま遠ざかって行く。
「ちょ、待って……待ってよ! 詩依良ちゃんっ!」
遠ざかる詩依良を追い、沙耶は駆けだした。
「うるせーな。付いてくんなよ」
こちらを向いたまま笑顔でそう告げる詩依良は、離れて行く速度を上げてみるみる遠ざかって行く。
必死で追う沙耶だが、到底追いつけそうにない。
「詩依良ちゃんっ! 詩依良ちゃんっ!」
沙耶の叫びに彼女は止まることなく、暗闇の彼方へと消えて見えなくなった。
いつの間にか沙耶の目からは、大粒の涙が零れだしていた。
すでに見えなくなった詩依良をそれでも追いかけて、泣きながら走り続けていたのだ。
「詩依良ちゃんっ! 詩依良ちゃんっ! 私、想ってるからっ! 友達だって想ってるからっ! 詩依良ちゃんの事、絶対に忘れないんだからっ!」
目を覚ました筈だった……彼女の感覚では間違いなく。
だがすぐに、その自信は揺らいでしまった。……何故なら。
―――彼女の視界には、何も映らなかったからだ。
周囲は闇。一切の光が感じられない闇だ。
しかしそれも沙耶の感じたものであり、本当に闇が果てしなく広がっているのか、それともすぐ手前に壁があるにも拘らずただそれが見えないだけなのかも分からなかった。
沙耶が横たわっていたのは、どうやらベッドの上らしい。
そう彼女が考えたのは、彼女が背中で感じる独特の軋み音によるものだ。
ベッドに使用されているスプリングが沙耶の僅かな動きに反応し、小さな軋み音を上げて収縮した。
その音と手に触れる感覚だけで、彼女は自分が粗末なパイプベッドで、粗末な布団と薄いシーツがかけられているだけの状態だと判断した。
だが、その事に大した意味は無い。
彼女は上半身だけ起こして四方を見やり、何も確認出来ない事を再確認した。
普段の彼女ならば、それだけで恐怖感に襲われ泣き出していたかもしれない。
しかし今の沙耶は、不思議な平静の中に居た。
それが、余りにも非現実的な状況に直面した事に依るものなのか、それとも彼女が何故かこの闇には畏怖を抱かないからに依るものなのかは分からない。
彼女はもう1度首を左から右へ、おおよそ180度巡らせた。
やはり何も目には映らない。
ただ認識出来ないだけで、すぐ目の前には何かあるかもしれないと思ったが、このままここでジッとしていてはそれすらも把握しようがない。
特に〝意を決した〟と言う程の強い決意を持った訳では無いが、沙耶はそのベッドから抜け出す事にした。
するりとシーツを抜け出して、彼女は地面があると思しき場所へ足を下ろした。
足元も当然闇しかないのだが、どうやら立つ事は出来るらしかった。
ユックリと立ち上がった沙耶は、再度体を回して周囲を確認する。
やはり闇しか確認出来なかったが、彼女の寝ていたベッドの周囲には一切何もない様だと感じる事が出来た。
つまり途轍もなく広い部屋か、全く何も無い空間が広がっていると言う事かもしれない。
このままここに居るべきか、それとも闇雲に歩き出すべきか。
沙耶が思案に暮れていると、突然どこかから何者かの気配を感じた。
沙耶は別に人の気配を探る事が得意な訳では無い。むしろ、そんな事は今まで出来た事がない。
しかし何もない、誰もいない空間に自分とは違う気配が出現すれば嫌でも気づくものらしく、それは彼女とて例外では無かった。
発生した気配の方向に目を遣ると、先程は誰もいなかった場所……驚くほど近い所に「彼女」は立っていた。
一切の光を感じる事の無い暗闇の中では、他人の姿を認識するなど到底不可能な筈なのに、それでも「彼女」を知覚する事が出来たのは、「彼女」が自身を形作る輪郭に沿って照らされる事の無い光で縁取られていたからだ。
「あっ……」
思わず声を零す沙耶。その声には喜色が含まれている。
彼女がそこに見たのは。
―――黒く長く、美しい髪……。
―――芸術の様に絶妙なラインを描く輪郭……。
―――潤んだ小さな唇……。
―――スッと筋の通った美しい鼻……。
―――細く綺麗な眉……。
―――切れ長で鋭さすら感じさせるような目……。
―――そこにはめ込まれた宝石のような瞳……。
―――細く長い手足……。
―――非の打ち所がない完璧とも思えるボディライン……。
絶世の美少女と言う言葉がふさわしい彼女は、間違いなく一之宮詩依良だった。
何故そんな近くに居たと言うのに、先程は気付けなかったのか。
一体いつ現れたのか。
そんな当然の疑問も今の沙耶には浮かばない。
とにかくこの闇黒世界で知人に会えた事が、彼女を何よりも安堵させた。
「詩依……」
「……馴れ馴れしいんだよ」
詩依良の名前を呼ぼうとして、沙耶の言葉は彼女が発した言葉に遮られた。
そして同時に、沙耶は彼女に対して違和感を抱いた。
今、沙耶の眼前に居る詩依良は、先程まで一緒に居た詩依良ではない。
教室で見る、あの天使が如き才色兼備の一之宮詩依良だと思った。
その湛える笑顔も、纏う雰囲気も、真っ直ぐに立つ姿勢でさえ、怪異と戦っていた詩依良のそれでは無い。
沙耶が憧れ、クラスの皆が憧れる一之宮詩依良のそれだった。
だがそんな詩依良の口から漏れ出た物言いは、沙耶だけが知っている詩依良のものだったのだ。
そこから齎されるギャップが、沙耶に違和感を覚えさせていたのだ。
「……俺と友達だなんて、図々しいにも程があるな」
自分の事を「俺」と言うのは、間違いなくあの詩依良の方だった。
だがあの詩依良ならば、あれほど優雅な笑みを湛えて発する事は無い筈だ。
彼女は少なくとも、教室での「一之宮詩依良」を演じる事に好感を抱いていない。
沙耶の前では、自ら進んで「一之宮詩依良」となる事を望むとは考えられなかった。
「え……? 詩依良ちゃん……なの……?」
だから沙耶もすぐに状況が呑み込めず、僅かに混乱してしまっていた。
詩依良から感じるギャップも、その彼女から告げられた言葉の意味も、沙耶には理解出来ないでいたのだ。
「だから……馴れ馴れしいっつってんだろ? 何が『詩依良ちゃん』だよ」
更に違和感が加速する。
再び発せられた言葉が、優しい笑みを一切崩さないあの「一之宮詩依良」から発せられているからだ。
それに沙耶の目の前にいる詩依良は表情を崩さず、それでいて紡がれる言葉は辛辣そのものだった。
「え? ……だってそれは……詩依良ちゃん?」
詩依良を「詩依良ちゃん」と呼ぶ事に、彼女も同意している筈だった。
それでも、目の前の詩依良はそれを否定している。
ますます状況が呑み込めない。
「本当に鈍いな、お前……もう、うんざりだよ。じゃあな」
そう言い放った目の前の詩依良は、優雅にお辞儀をしてこちらを向いたまま遠ざかって行く。
「ちょ、待って……待ってよ! 詩依良ちゃんっ!」
遠ざかる詩依良を追い、沙耶は駆けだした。
「うるせーな。付いてくんなよ」
こちらを向いたまま笑顔でそう告げる詩依良は、離れて行く速度を上げてみるみる遠ざかって行く。
必死で追う沙耶だが、到底追いつけそうにない。
「詩依良ちゃんっ! 詩依良ちゃんっ!」
沙耶の叫びに彼女は止まることなく、暗闇の彼方へと消えて見えなくなった。
いつの間にか沙耶の目からは、大粒の涙が零れだしていた。
すでに見えなくなった詩依良をそれでも追いかけて、泣きながら走り続けていたのだ。
「詩依良ちゃんっ! 詩依良ちゃんっ! 私、想ってるからっ! 友達だって想ってるからっ! 詩依良ちゃんの事、絶対に忘れないんだからっ!」
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