死霊術士むーたんのしあわせごはん~カーバンクル妻は不器用夫に「むぐぐ」と言わせたい

マロンちゃん

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第24話 追憶のビーフシチュー③

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# 第24話 追憶のビーフシチュー③

 私は深呼吸をして、調理台に向き直った。

「マロン、あなた仕事とはいえ、52回も付き合ってくれるなんて、マッドサイエンティストにしては良心的ね」

 皮肉を込めて言うと、マロンは肩をすくめた。

「良心的? 違うよ。単に面白かったから」

 彼女は白衣のポケットに手を突っ込んだまま続ける。

「同じ人間が、記憶を消されても同じ行動を繰り返す。まるで完璧にプログラムされた実験動物みたい。科学者として、これほど興味深い観察対象はないよ」

「そう言いながら、23回目の時は徹夜で倒れそうな私に、こっそり栄養ドリンクくれたじゃない」

 私の言葉に、マロンの動きが一瞬止まった。

「...は? 何それ、覚えてないけど」

「私も完全には覚えてない。でも...」

 私は目を閉じて、霧の中にある記憶を手繰り寄せる。

「死霊術・記憶付与」

 黒い靄が私を包み込む。そして、床から次々とスケルトンが立ち上がった。1体、2体...最終的に52体のスケルトンが、調理室に整列する。

「なにこれ...」

 マロンが初めて驚いた表情を見せた。

「私の52回分の記憶よ。完全じゃないけど、断片的に残ってた記憶を死者に移した」

 各スケルトンが、エプロンを身に着け、調理器具を手に取る。その動きは機械的だが、どこか優しさが宿っている。

「1番から23番は野菜の下ごしらえ、24番から40番は肉の準備、41番から52番はソース担当」

 私の指示で、スケルトンたちが一斉に動き始めた。

 23番のスケルトンが玉ねぎを刻みながら、カタカタと顎を鳴らす。まるで何かを語りかけるように。

「あ...」

 私の中で、記憶の断片が繋がった。

「23回目の時、あなた『こんな夜中に来るなんて、お母さんみたい』って言った」

「言ってない」

「31回目、私が息子に会えなくて泣き崩れた時、あなた無言で肩に手を置いてくれた」

「記憶にない」

「45回目は『あんたの執念、嫌いじゃない』って」

「だから覚えてないって!」

 マロンが少し慌てたように否定する。でも、その頬がかすかに赤くなっているのを、私は見逃さなかった。

 調理が進むにつれて、不思議な現象が起き始めた。

 まず、香りが色となって見え始める。玉ねぎの甘い香りは金色の粒子となって宙を舞い、肉を焼く香ばしい匂いは琥珀色の帯となって天井に昇っていく。

「これは...」

 マロンが目を見開く。

「魔法と科学の融合...?」

 次に、時間の流れが部分的に変化し始めた。煮込み鍋の周りだけ時間が加速し、3時間かかるはずの工程が見る見るうちに進んでいく。一方で、繊細な味付けをする場所では時間が引き延ばされ、一秒が一分にも感じられる。

 52体のスケルトンが作業する光景は、まるでよく統制されたオーケストラのようだった。包丁の音、鍋の音、調味料を振る音...全てが完璧なハーモニーを奏でている。

 一つの巨大な鍋を中心に、それぞれのスケルトンが自分の持つ記憶を込めて作業していく。

 1番のスケルトンが塩を振る時、その手つきには初めて来た時の不安と決意が宿る。
 15番が胡椒を加える時、怒りと悲しみを押し殺した記憶が香辛料に移る。
 23番が火加減を調整する時、マロンに「お母さんみたい」と言われた優しい記憶が炎に宿る。
 31番がアクを取る時、絶望の中で感じた小さな温もりの記憶が動作に表れる。
 45番が肉を返す時、何度失敗しても諦めない執念の記憶が込められる。

「なんで...なんでこんなに複雑な香りなの?」

 マロンが呟く。

「同じビーフシチューのはずなのに、まるで52種類の料理が同時に存在してるみたい...」

「それはね」

 私は微笑んだ。

「52回分の、あなたとの思い出が全部入ってるから」

 マロンの表情が固まった。

「23回目の時、あなた本当に疲れてた。だから消化に良い優しい味を」

「31回目は、私の涙を見て動揺してた。だから、あなたも落ち着けるように」

「45回目は、あなたが珍しく私を励ましてくれた。だから、お礼の気持ちを込めて」

 巨大な鍋の中で、52回分の記憶と感情が渾然一体となって煮込まれていく。それは単なる料理ではなく、300年にわたる二人の歴史そのものだった。

「最後に...」

 私は鍋に向かった。

「これで完成」

 52体のスケルトンが最後の仕上げに入る。それぞれが少しずつ異なるタイミングで調味料を加え、火加減を調整し、かき混ぜていく。まるで52人の料理人が、一つの料理に全ての技術と想いを注ぎ込んでいるかのようだった。

 仕上げに、私は特別な調味料を加えた。

「これは?」

「300年物の塩」

 私は説明する。

「私が人間だった頃の涙を、魔法で結晶化させたもの。息子に会えない悲しみ、でもいつか会えるという希望...全てが詰まってる」

 最後の一振りを加えると、鍋から虹色の湯気が立ち上った。

 それは美しく、幻想的で、そして何より...愛おしい光景だった。

---

 深皿に盛り付けられたビーフシチューを前に、マロンは固まっていた。それは一見すると普通のビーフシチューだが、立ち上る湯気には虹色の輝きがあり、香りは刻一刻と変化していた。

「どうぞ」

 私が促すと、彼女はゆっくりとスプーンを手に取った。その手が、かすかに震えている。

 一口目。

 マロンの目が大きく見開かれた。

 二口目。

 彼女の表情が次々と変化する。驚き、懐かしさ、困惑、そして...

 三口目。

 透明な雫が、マロンの頬を伝った。

「なんで...」

 彼女の声が震える。

「なんで分かるの...」

 涙が止まらない。白衣の袖で拭っても、次から次へと溢れてくる。

「私、本当は...」

 マロンが嗚咽混じりに続ける。

「本当は、毎回楽しみだった。あなたが来るのが」

 彼女は泣きながら、ビーフシチューを食べ続ける。

「最初は実験動物としか思ってなかった。でも、10回、20回と重ねるうちに...」

 スプーンを持つ手が震えている。

「あなたは私を、モンスターとか、マッドサイエンティストとか呼ばなかった」

「ただ、息子に会いたい母親として、対等に接してくれた」

 マロンは顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃになった顔で、でも初めて見せる素直な笑顔で。

「私にとってあなたは...多分、初めてできた友達だった」

 私も涙が溢れそうになった。

「マロン...」

「だから、いつも失敗するとほっとしてた。また来てくれるって」

 彼女は自嘲的に笑う。

「最低でしょ? あなたの願いを踏みにじって、自分の寂しさを埋めてた」

「でも、この味は...」

 マロンは最後の一口を食べ終えた。

「52回分の『ありがとう』と、『これからもよろしく』...全部伝わった」

 彼女は立ち上がり、白衣の袖で涙を拭った。

「約束は約束」

 マロンが壁のパネルを操作する。

「息子さんに、会いに行こう」

---

 重い扉が、ゆっくりと開いていく。

 その向こうに、私が300年待ち続けた答えがある。

 でも、今はそれ以上に...

 52回の失敗が、実は52回の友情を育てていたことに、感謝していた。
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