信用銀行

甘夏蜜柑

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何野某の場合-1

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「申し訳ございませんでした!!」
 俺はコンクリの床に頭をこすりつけるが、
「…ふんっ。お前なぞもう信用できるか!」
 大事なお客様であらせられるこの親父は、そう言って部屋から出て行った。
「…何野、お前というやつは!!」
 一緒に土下座をしていた上司の叱責が狭い応接室に響き渡る。
 なぜこんなことになってしまったのだろうか…。

「いやいや、先輩が居眠りしていたからでしょう」
 一通り上司に絞られて、会社の屋上で黄昏れていた俺こと何野某なにのなにがしに、後輩が呆れたようにそう言った。
「めちゃめちゃ大型な案件が決まりかけていたんでしょう?
 なんでそんなときに寝ちゃいますかねぇ」
 まったくその通りで返す言葉もない俺は、フェンスにもたれかかってうなだれる。
 大型案件。商談準備も睡眠時間もばっちり。ここで決めて会社に貢献。目指せ昇給昇進!
 のはずだったのにあの親父、なかなか本題に入らずつまらない世間話をし続けるは、眠ーくなるような良い香りの香水を顔に似合わず漂わせるは、これじゃあ途中で居眠りしてしまうのもしょうがないよなぁ。
「なぁ、じゃないですよ。何野さん、どうするつもりですか」
 そうなのだ、どうしよう。
 上司からは何とか挽回して来いと言われているが、先方に電話すら取り次いでもらえず。
 社内連中からも白い目で見られて居場所もなし。
「帰るか」
 しばらく悩んだ俺は、そう呟いてさっさと会社を後にした。
「ってええぇ!先輩帰っちゃってどうするつもりですか!」
 後輩の嘆きが後ろから聞こえてくるが無視をする。
 下手の考え休むに似たり。
 部屋に帰って酒でも飲みながら、妙案が思いつくのを待ってみよう。

~~
「何も思いつかん」
 小汚いアパートで、5本目の缶ビールを空にしたところでそう言った。
「全くどうしたもんかねえ。どうやったらあの親父からの信用を取り戻せるものかしらっと」
 そう言いながら溜まっていた郵便物に目を通す。だんだん現実逃避モードになってきたが、
「うん??」
 郵便物を整理する手が止まった。
 雑多なチラシ類の中に入っていたのは、黄色地に黒のゴシックの安っぽいピラの広告。そこにこんなことが書いてあった。

「『信用銀行』
~信用を借りて、豊かな人生を送ってみませんか?~」

「なんだ、このふざけた広告は?」
 酔った頭でその広告を眺めてみる。
「まあ今回の件も、信用なんてもんが借りられりゃあ、万事上手くいくってもんなんだろうがなぁ」
 そういって広告の隅のほうに目を落とすと、
「おん?えらく近い場所にあるな。それに24時間営業だって」

 そして気づいた時には、路地裏の雑居ビルに来ていた。
「…いやいや、なんとなく来てはみたけど、俺は何をやってんだ」
 馬鹿々々しいと思いながらも、酔った勢いで来てしまった。
 このビルの3階にお目当ての店があるらしいが。
「しかし、こんなとこにビルなんてあったか?近所でも知らないもんだな」
 そう言いつつも千鳥足で階段を上がっていく。
「ここか?」
 目の前のドアには、表札に黒マジックで「信用銀行」と書かれていた。
「…ごめんくださぁい」
 そっとドアを開けてみる。
 8畳ほどのフローリング。その真ん中には事務机が置かれており、
「いらっしゃいませ」
 こんな路地裏のアパートには似つかわしくないような美人がそこに座り出迎えてくれた。

「本日はおいくら分の信用を借りられますか」
 美人が尋ねてきたが、
「えっと、いくら分っていうのは?」
 俺は質問で返した。
「失礼いたしました。初めてのご利用の方ですね」
 美人は柔らかく微笑むと、
「本行は、お客様からお金をお預かりしまして、それに相当する信用をお貸ししております」
 と説明した。
 …いやいや、どういうことかとも思ったが、酔った勢いと美人というのは恐ろしい。
「じゃあ、初めてなので、とりあえず5万円で」
 俺は財布から諭吉様を取り出して渡すと、
「かしこまりました」
 そう言って美人は机の引き出しから1枚の紙を取り出し、さらさらと何やら書き付けて、四角い印鑑でぐっと押印して、
「それではこちらが借用証書になります。利息と返済期限にご留意ください」
 と、複写用紙の1枚目をびっと切って俺に渡してきた。
 俺はそれをズボンのポケットに突っ込んでそこを後にした。
「信用にあふれた、素晴らしい日々をお過ごしください」
 部屋から出るとき、美人はそんな言葉で俺を見送った。

~~
「…何やってんだ、俺は」
 翌朝目を覚まして、酔いの残る頭でがさごそしていると、昨日の借用証書が出てきてがっくりときた。
「まあいいや、仕事帰りにでももう一回行って、金を返してもらうかな」
 スーツに着替えた俺は、借用証書をカバンに突っ込んで仕事に向かった。

「まあ、昨日の今日で、何も変わらないわな」
 職場に行くと、相変わらず上司からはねちねちと昨日の件で責められ、同僚からは白い目で見られる。それにいたたまれなくなる。
 しかしながら仕事は仕事、俺は上司に言われ、昨日台無しになった商談の相手に詫びの電話をかけることになった。
「昨日は電話すら取り次いでもらえなかったけどなぁ」
 おまけに後で聞いた話では、商談相手の親父というのはとんでもない頑固者で、一度決めたことを曲げることはまずないないような人だという。
「もしもし」
 出てきた電話相手に、
「私、よくある商事の何野と申します。部長様はいらっしゃいますでしょうか」
 と伝える。
「少々お待ちください」
 と言われるが、どうせこの後は、「申し訳ございませんが、何野様とはお話しすることはないということでして」等と言われて切られるに決まっている。あーあ、なんとも無駄な時間だな。そんなことを考えていると、
「…はい」
 あの親父が出てきたので俺は椅子から転げ落ちそうになった。
 予想だにしなかった事態に一瞬慌てたが、そこはベテラン商社マン、このチャンスを逃がすものかと昨日の過ちを必死に弁明し、心からの謝罪を行った。相手は一通り俺の話を聞くと、
「何野さん」
 と喋りだした。
「…私はね、一度こうだと決めたことは譲らない人間だ。これは私の信念だ。そして、一度失った信用というのは取り戻せない。だから私はあなたと話すつもりなんてこれっぽっちもなかったのだよ」
 そう言って一拍置くと、こう続けた。
「だがね、これは全く不思議なことなのだが、今朝起きると私の中に、君を許そうかという気持ちがほんの僅か生まれていたのだ。あの若者を信用すべきではないかという気持ちがね」
 全く不思議なことだがね、と言いたいようであった。
「なので、とりあえず君の話を聞いてみた。しかし、どうにもまだ信用しきるまではいかないようでね…。すまないが今日のところはこれで失礼させてもらうが、また話があるようなら聞くだけ聞いてあげようじゃないか」
 それでは、と言って電話が切れた。

「え、話を聞いてもらえたんですか!」
 電話を切った後、後輩が駆け寄ってきてそう驚かれた。
「まあ、俺の誠意が伝わったってことかな」
 そう答えながらも俺は、カバンの中の借用証書のことを考えていた。

~~
「いらっしゃいませ」
 俺はまた信用銀行に来ていた。
「今日はこれだけ借りたいんだ」
 俺はカバンから茶封筒を取り出し、美人行員に渡した。
「確認させていただきます」
 恭しく封筒を受け取ると、俺の虎の子の貯金を手際よく数え始めた。
「…お待たせいたしました」
 数え終わった札束をトンッ揃えると、引き出しから借用証書を取り出してさらさらと書いていく。
「それでは、百万円分の信用をお貸しいたしますのでご確認ください」
 俺はそれを受け取ると、カバンの中に突っ込んだ。
 我ながら馬鹿げているとも思うが、しかしあの親父の態度の変化が偶然とも思えない。それにこの金額であれば、この商談が上手くいって、報奨、昇給となれば十分に取り戻せる金額だ。そう自分を納得させるように心の中で呟きながらそこを後にした。
「利息と返済期限にはご留意ください」
 そんな言葉がどこか遠くで聞こえた気がした。
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