思いはつづく

haco.

文字の大きさ
上 下
21 / 27

裏と表の自分

しおりを挟む


人はいろんなものを抱えて生きてる。




会社だったり、人間関係だったり


人には言えないこともたくさんある




なぜに、人はなかなかそういった自分を相手にはけないのか




そこには、表と裏の自分がいるから




裏にいる自分はほんとうはさみしがり屋で


つねにさみしさを感じている




なにかに不満を感じたり、


不愉快な心が裏にある。




でも表の自分というのはどういう風に自分をかっこよく見せるか


人にはこういう風に見られたい




周りにどう思われたいかが表の部分となる




ほんとうのことを言うならば


裏の自分も見られたい



でもそれがなかなか表に出ないものなので


それが恥ずかしさだったりする


言えない気持になる






裏に潜む、その恥ずかしさ




「本当はさみしい→でも人にいうのは恥ずかしい」


なにか不愉快な気持ちにさせるのでは・・・


と思い込む

 


心には二つの心理が働いており




その二つというのが表と裏




ただ、人間というのは不器用な生き物なので


それを同時に行うことができない




ただ、不器用なだけ




いい人間でいたいけど、でも心のどこかでは性根が腐ってる


とか、表と裏にわけているわけで




これは、漫画から参照ですが




好かれる人間という点で考えて


GTOという漫画で主人公の鬼塚英吉がいい例だと思う




ストーリー自体は、学校の生徒たちを公正させる話なのですが


なぜに、鬼塚先生は生徒に好かれるのか


あるいはなぜ、人気になれたのか




そこには、表と裏を同時に合わせて動かしてるからです




昔、暴走族だった頃の思い出も、自分を隠さない心を


彼は持っているから




生徒たちにも隠さず、エロい自分だったり、


あたりまえのように振る舞う姿こそ裏を表に出している証拠なのだ




鬼塚先生は裏の部分もうまく使い分けてるというわけである




それは、相手を笑わせたり、相手が楽しいと感じさせる行為でもあり


だからこそ、鬼塚先生をしたう生徒がたくさんいる




表と裏の部分の裏を表に変えてるということ




「表と表」




これをうまくつかいわけてこそ




いい自分になっていくのだと


私は思っている。
しおりを挟む

処理中です...