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豆大福の来襲

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早速次の日の昼休み、俺がまだ飯を
喰い終わっていないというのに、
いそいそと翔がやってきた。


「せんせい、こんなところではなんですから、
どこか個室でも」


「そんなわけにいくか。図書室にしよう、図書室だ」


今日日、生徒とふたりきりで個室で面談など
しようものなら、どんな落とし穴が待っているか
わからない。
どうせうちの学校の図書室など来る生徒は、いない。
静かなものだ。

去年初めての転勤で、この高校に赴任したときには、
驚くことばかりだったっけ。
初任で、のんびりした進学校で4年を過ごして、ここ、だ。


「慣例なんだけどね」


と、前任校の校長が言った。


「若いうちは必ず1度は困難校に
行ってもらうことになってるんだよ」


そんなものか。

困難校とはいえ、県立高校なわけだし、私立とは
困難の度合いが違うだろう。
と、俺は思っていて、転勤先が工業高校だったことにも
不安はなかった。
やつらは、卒業したら即就職、だ。
それを脅しに使うつもりはないが、やる気のない進学校よりは、
はるかにモチベーションが上げやすいはずだと踏んだ。
果たして、生徒たちはいたって真面目で、礼儀正しく、
このまま即採用!と思えるキビキビした子が多い。
困難なのは、むしろ教員のほうかもしれない。
校風というやつだろう。
1日のうち必ずどこかで怒号が聴こえる。
先生たちもみんな生徒と同じつなぎ姿か、ジャージで、
職員なのか、生徒なのか、業者なのか、わからない。

ネットの掲示板で、

「あの学校は校門でタバコを吸う生徒がいる!」

と書かれているのは、生徒ではなくて、教師なんだってばよ。
こういうのを風評被害と言うのだろう。

俺は、指導として生徒に声を荒らげるのは好まない。
暴言や暴力を問題解決の最終手段とすることを
生徒に教育するようなものだからだ。
それくらいの志は俺にも、ある。
でも、この学校の治安を維持しているのは、
きっとあの屈強なドーベルマンのような体育の先生たち
なのだろう。
いささか不本意だが、ありがたく思っておく。
無駄な生徒指導なしで、教科指導ができるのは、幸せなことだ。


翔は口の端に笑みを浮かべて、うれしそうに
後をついてくる。
子犬のようだ。


「翔くん、また工藤先生にからんでるの?」


職員室の出口で、マドンナに声をかけられた。
国語のアヤコ先生だ。育休明けの1児の母。
残念!


「ハイ、古代ローマ帝国崩壊の原因について
訊きたいことがあるのです」


「すごいわねえ」


文子先生がその美しい目を丸くした。


翔は、俺の顔を見て、どや顔でニヤリと笑った。

いやいや、キミもなかなかのウソツキだな。
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