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第8話 鮮烈の赤
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ユーフィリアは焦っていた。二度目のダウンを喫した後、かれこれ寝室に押し込まれて丸五日経っていた。流石に五日も休めば体も軽くなったが、アシュリーはそれでも部屋から出してくれなかった。ユーフィリアが幾ら訴えようがアシュリー率いる従女軍団の答えはNOである。
それでも強引に行こうとすると、今度は子供たちのお出ましだ。ルークとシャルロッテの二人に腰に抱き着かれると、ユーフィリアは身動きが取れなくなってしまう。どうにもならなくなったユーフィリアは泣く泣く部屋に戻される。
これでは復帰がいつになるか、ユーフィリアが途方に暮れた時であった。ドアが開いた音がしたので、誰か来たのかと視線を向けた瞬間、固まった。
「えっ?」
「あら、随分痩せたわね。こりゃ皆心配するわけよ」
ユーフィリアの前に現れたのはユーフィリアであった。同じ髪の色、同じ眼の色、同じ服を着ている。だがその顔はユーフィリアの良く知っている顔であった。
「リズベット……どうして……」
「水臭いじゃない。こっちは何時お呼びがかかるか、待ってたのにさ」
姿形こそ違っているが、五年ぶりのリズベットはかつてそうであったように、燃えるような熱を伴っていた。そしてリズベットの姿からユーフィリアは察した。ユーフィリア不在の間、彼女がユーフィリアになって回してくれていたのだと。
不思議な事にユーフィリアはそこに一切の不満もなかった。だが疑問は残る。どういった経緯でこのようになったのだろうと。ユーフィリア個人はともかくとして、周りはどう認めたのだろうか。ユーフィリアの疑問を察して、リズベットは経緯を話し始めた。
「あんた達二人が倒れたって聞いたからさ? 真っ直ぐに馬車で王都に向かって、乗っている最中にあんたっぽい感じの服に着替えて、仕上げにあんたっぽい髪のカツラも身につけて、そのまま王城に突撃した」
「んなぁ!?」
まさかの最速行動であった。
「んで対策会議の場に乗り込んで、ノーヴィック、っていうか今の宰相ってあいつなのね? びっくりしちゃった。それはそれとして、彼に指を突き刺して、私に任せるか、任せないか、どうする? って迫ったわけ。結果はご覧の通り」
強引にも程がある。
「あっははは、流石はリズベットね」
得意げな表情でポーズするリズベットに、ユーフィリアは盛大に笑ってしまった。ユーフィリアとリズベットは顔立ちも違うし、体格も違う。だがリズベットはありえないくらい堂々としていたのだろう。疑う事が無礼と思ってしまう程に。それでまんまと警備をかいくぐり、王宮の中にまで入ってしまった。
ただの平民である今のリズベットは、無許可で王城にいる事自体が罪だ。しかも王女の姿を装っている。こんなの極刑ものだ。にもかかわらずだ。リズベットは会議の場で堂々と己の名を名乗り、強い口調で言い放った。
「ユーフィリア王妃が復帰するまでの間、私、リズベットがユーフィリア王妃となり替わって立て直す! それが気に食わないのならこの場で私を斬り捨てよ!!」
会議に参加していた者達は絶句した。リズベットは命を懸けてこの場に来ていた。その尊い覚悟には一種の神々しさすらあった。やる事なす事全てにおいて前代未聞である。だが彼女を否定しようとする者は誰一人と表れなかった。
追放されたはずのリズベットがこうして王都に来る事が出来たのは、レナードの策略である。あの事件の後、リズベットは国から秘密裏に保護されていたのだ。
普通であれば例外なく一家断絶だ。王に次ぐ位を持つ公爵家を狙うという事はそういう事。だが処刑してしまうには、リズベットの存在はあまりにも惜しかった。彼女自身は罪を犯していなく、品行方正だからなおさらの事。だからといって彼女だけお咎めなしとはいかない。
しかし普通に正規の手段で裁判となってしまったら、例外は認められず、リズベットの命は助からない。だからレナードは一計を案じた。公爵令嬢暗殺未遂事件の事を漏らさず、あえてパーティー会場の場で明らかにする。そして周りの動揺が収まらない間を利用し、王家の方でリズベットとシュタイン伯爵夫妻を捕らえる事にしたのだ。
その勢いのまま、王族が主導でシュタイン一族の処刑も行われ、リズベットは情状酌量の余地があるとして、己が身一つでの国外追放を命じた。裁判を通さずに決められた事に、司法長官が大きく反発したが、ハイブルク公爵家は長官の弱みを握っていた。裏金の存在である。
座から落とすには十分すぎる情報だった。こうして長官の汚職をチャラにし、あくまで勇退という事にするのと引き換えに、シュタイン伯爵家の国の独断による処罰は見逃された。
本当であればリズベットのため、シュタイン伯爵夫妻も命だけは助けたかったが、それは叶わぬ事。これといった実績がない二人には、許すだけの理由を作る事ができなかったのだ。
そしてリズベットに関しては国外追放になったわけだが、実際は違っていた。彼女の才能を外に出してしまうのはありえない。その優秀さを他国に利用されるわけにはいかないのだ。結果として彼女は貴族籍はく奪の後、辺境の地で軟禁される事となった。
これがレナードとユーフィリアが出来た精一杯の事であった。リズベットを生かす事はできたけれど、それ以上の事はできなかった。もう一生会う事もないのだと思っていた。
でもリズベットはここにいる。
ユーフィリアは感極まり、胸が詰まる。今はユーフィリアの格好をしているが、彼女自身がまとう情熱の赤は一層鮮やかで。ユーフィリアは衝動的に抱き着きたくなったが、その手がリズベットを掴む事はなかった。
「どうしたの? 難しそうな顔をして」
駆けつけてきてくれたのは嬉しい。だがユーフィリアにはリズベットから助けてもらう資格がない。シュタイン伯爵家を滅ぼしたのはハイブルグ公爵家なのだから。
「……私は卑怯な手を使って、あなたの家を、シュタイン家をどん底まで突き落としました」
「あれはうちが勝手に自滅しただけでしょ」
「でも原因は私達にあります」
譲らないユーフィリアにリズベットは一度思案した後、ゆっくりと語り始める。
「恨んでないと言ったら嘘になるわ。でも私が恨むのはハイブルク公爵家でも、愚かな事をした父でもない。ましてやあなたなんでとんでもない」
直後、突然感情を失ったリズベットにユーフィリアは息をのむ。このようなリズベットの無の表情を見るのは初めてだった。
「私が本当に恨むのはお爺様よ」
リズベットの予想外の答えにユーフィリアは言葉を失った。何故稀代の名領主をリズベットが嫌うのか。同じ優秀なリズベットなら、敬意を持っているのが普通だが一体何故?
「ユーフィリア、私はね。人は危機感によって動くと考えているの。本当の本気は危機感の中でしか生まれないわ。私とあなたがそうであったように」
「私達が……?」
「私達は才能があったわけじゃない。才能はむしろ他の婚約者候補たちの方があったわ。リッチモンド伯爵家のチェルシー嬢とか。私達が食べたかった名産品のイチゴを生み出したのは彼女だもの。政事とは関係ない部分ではあるけど、それでも新しい品種を生み出すのは素晴らしい才能よ。一つの道を究めた者は他の道にも通じるわ。彼女が本気であったらあるいは王妃は彼女だったかもしれない。でも彼女は平和の中で生きていた。だからこそ本気には至れない」
リズベットの言葉に反論できなかったのは、ユーフィリア自身実感していた事だからだ。リズベットとユーフィリアは総合力は高いが、個別の勝負では誰かに劣っていた。
「あなたは王と一番近いハイブルグ公爵家だからこそ、一見平和に見えるこの国の危うさを知っていた。私は絶頂から落ちる我がシュタイン領を見ていたから、恒久の平和はないと知っていた。国の危機を本気で感じ取っていたからこそ、死に物狂いで努力したわけ」
リズベットはユーフィリアに問う。
「私達と彼女達の差は何だと思う?」
ユーフィリアに答える事は出来なかった。それを認めてしまえば何かが壊れると思ったから。それでもリズベットは容赦をしない。残酷な現実をユーフィリアに突きつける。
「単に環境の差よ。危機に気づく環境にあったかそうでないか。もちろんそれだけじゃないのは分かっている。頑張ったのは私達自身なんだから。でもね? もし私がお父様だったらと考えると、お父様と同じく処刑されていたんじゃないかなと思うの」
「そんなことっ!!」
「いいえ、きっとされていたわ」
「……リズベットは何でそう言い切れるのですか?」
「だって私達は好きで努力してきたわけじゃないでしょ? やらないと死んじゃうから努力するに過ぎない。もし仮にすべて自由にしていい。おじいちゃんがすべて守ってあげるからと言われたら。そんな事が許されるのなら、私は喜んで堕落していたでしょう」
リズベットが誰の事を言っているか明白であった。
「あなたのお父様がそうだったんですね」
リズベットは黙って頷く。
「私のお父様はお爺様の見栄によって殺された。お爺様はお父様に貴族として生きる術を教えず、己が優しくて素晴らしい人間であると証明する事しか考えなかった。お父様がするべき仕事をすべて奪い、お父様を優しい世界の檻で包み込んで現実から離し続けた」
ユーフィリアは何不自由ない生活は悪いものと考えた事はなかった。それは現実に体験した事がなかったからなのだろう。実際に先代が治めたシュタイン領は当時の貴族たちから理想とされていた。我々が目指すべきはこれであると。
「最期まで養えるのであればそれも良いでしょう。でも途中にもかかわらず、勝手に満足して死ぬなんて身勝手だわ。こんなの死ねって言ってるのと同義よ」
しかし貴族たちの信じた理想は地獄でしかなかった。甘い甘い、底なしの地獄でしか。
「あなたにとってシュタイン伯爵は、汚い手を使う悪でしかないと思うけど、私にとってのシュタイン伯爵は優しい父だったの。頭が良くないのは確かだけど、決して悪い人じゃなかった。何も出来ないように育て上げられても、どうにかしようと必死に足掻いていた。結果が伴ってないどころか、マイナスだったけれども」
ユーフィリアは思う。確かにリズベットは両親を見捨てようとはしなかった。両親のしでかす事に怒りこそすれ、絶縁するような事は最後までしなかったのだ。
「だからお父様が処刑されたのはユーフィリアのせいじゃないわ。お父様の運命はとっくの昔に決まっていたのよ」
リズベットの言葉がユーフィリアの心に波を打つ。最後に聞かずにはいられなかった。
「……私は許されてもいいのかしら?」
「そもそも私は怒ってないわ」
その瞬間、ユーフィリアは声をあげて泣いた。リズベットは彼女の頭をそっと抱きしめる。
「私の命を助けてくれてありがとう。シュタイン領の領民を守ってくれてありがとう。あなたが頑張ってくれたおかげで私はこうして生きているわ」
かくして五年ぶりの二人の再会はなされた。
「ユーフィリア、責任感あるあなたの事だもの。何でも自分でどうにかしようとしてしまうのは分かる。でもその道はすでにシュタイン伯爵家が辿った道よ。決して間違えないでね」
「…………」
今までの事もあるしユーフィリアは簡単にはYESとは言えない。それでもユーフィリアはリズベットの言葉を心にしっかりと刻んだ。
「まずはゆっくり休みなさい。あなたが完全に回復するまでの時間くらい稼いで見せるわ」
「お言葉に、甘えてもいいでしょうか?」
「ええ! あ、でも一つだけお願いあるのよ」
「何でしょう?」
「かなり強引にやっちゃったからさ? 影としての王妃代理の正式な手続きをしてもらいたいなって」
「それはもちろん、すぐにやらせていただきます」
「ありがとう。あ、後王の方の代理役としてリングアベル連れてきてるからそっちの方もお願い。レナードもまだ本調子には程遠いんだよね」
「リズベットのお願いならいくらでも……はぁっ!!?」
不意打ち気味の爆弾発言にユーフィリアは頭が真っ白になる。
リングアベル、それは王位継承権を放棄したレナードの弟、かつての第二王子であった。
それでも強引に行こうとすると、今度は子供たちのお出ましだ。ルークとシャルロッテの二人に腰に抱き着かれると、ユーフィリアは身動きが取れなくなってしまう。どうにもならなくなったユーフィリアは泣く泣く部屋に戻される。
これでは復帰がいつになるか、ユーフィリアが途方に暮れた時であった。ドアが開いた音がしたので、誰か来たのかと視線を向けた瞬間、固まった。
「えっ?」
「あら、随分痩せたわね。こりゃ皆心配するわけよ」
ユーフィリアの前に現れたのはユーフィリアであった。同じ髪の色、同じ眼の色、同じ服を着ている。だがその顔はユーフィリアの良く知っている顔であった。
「リズベット……どうして……」
「水臭いじゃない。こっちは何時お呼びがかかるか、待ってたのにさ」
姿形こそ違っているが、五年ぶりのリズベットはかつてそうであったように、燃えるような熱を伴っていた。そしてリズベットの姿からユーフィリアは察した。ユーフィリア不在の間、彼女がユーフィリアになって回してくれていたのだと。
不思議な事にユーフィリアはそこに一切の不満もなかった。だが疑問は残る。どういった経緯でこのようになったのだろうと。ユーフィリア個人はともかくとして、周りはどう認めたのだろうか。ユーフィリアの疑問を察して、リズベットは経緯を話し始めた。
「あんた達二人が倒れたって聞いたからさ? 真っ直ぐに馬車で王都に向かって、乗っている最中にあんたっぽい感じの服に着替えて、仕上げにあんたっぽい髪のカツラも身につけて、そのまま王城に突撃した」
「んなぁ!?」
まさかの最速行動であった。
「んで対策会議の場に乗り込んで、ノーヴィック、っていうか今の宰相ってあいつなのね? びっくりしちゃった。それはそれとして、彼に指を突き刺して、私に任せるか、任せないか、どうする? って迫ったわけ。結果はご覧の通り」
強引にも程がある。
「あっははは、流石はリズベットね」
得意げな表情でポーズするリズベットに、ユーフィリアは盛大に笑ってしまった。ユーフィリアとリズベットは顔立ちも違うし、体格も違う。だがリズベットはありえないくらい堂々としていたのだろう。疑う事が無礼と思ってしまう程に。それでまんまと警備をかいくぐり、王宮の中にまで入ってしまった。
ただの平民である今のリズベットは、無許可で王城にいる事自体が罪だ。しかも王女の姿を装っている。こんなの極刑ものだ。にもかかわらずだ。リズベットは会議の場で堂々と己の名を名乗り、強い口調で言い放った。
「ユーフィリア王妃が復帰するまでの間、私、リズベットがユーフィリア王妃となり替わって立て直す! それが気に食わないのならこの場で私を斬り捨てよ!!」
会議に参加していた者達は絶句した。リズベットは命を懸けてこの場に来ていた。その尊い覚悟には一種の神々しさすらあった。やる事なす事全てにおいて前代未聞である。だが彼女を否定しようとする者は誰一人と表れなかった。
追放されたはずのリズベットがこうして王都に来る事が出来たのは、レナードの策略である。あの事件の後、リズベットは国から秘密裏に保護されていたのだ。
普通であれば例外なく一家断絶だ。王に次ぐ位を持つ公爵家を狙うという事はそういう事。だが処刑してしまうには、リズベットの存在はあまりにも惜しかった。彼女自身は罪を犯していなく、品行方正だからなおさらの事。だからといって彼女だけお咎めなしとはいかない。
しかし普通に正規の手段で裁判となってしまったら、例外は認められず、リズベットの命は助からない。だからレナードは一計を案じた。公爵令嬢暗殺未遂事件の事を漏らさず、あえてパーティー会場の場で明らかにする。そして周りの動揺が収まらない間を利用し、王家の方でリズベットとシュタイン伯爵夫妻を捕らえる事にしたのだ。
その勢いのまま、王族が主導でシュタイン一族の処刑も行われ、リズベットは情状酌量の余地があるとして、己が身一つでの国外追放を命じた。裁判を通さずに決められた事に、司法長官が大きく反発したが、ハイブルク公爵家は長官の弱みを握っていた。裏金の存在である。
座から落とすには十分すぎる情報だった。こうして長官の汚職をチャラにし、あくまで勇退という事にするのと引き換えに、シュタイン伯爵家の国の独断による処罰は見逃された。
本当であればリズベットのため、シュタイン伯爵夫妻も命だけは助けたかったが、それは叶わぬ事。これといった実績がない二人には、許すだけの理由を作る事ができなかったのだ。
そしてリズベットに関しては国外追放になったわけだが、実際は違っていた。彼女の才能を外に出してしまうのはありえない。その優秀さを他国に利用されるわけにはいかないのだ。結果として彼女は貴族籍はく奪の後、辺境の地で軟禁される事となった。
これがレナードとユーフィリアが出来た精一杯の事であった。リズベットを生かす事はできたけれど、それ以上の事はできなかった。もう一生会う事もないのだと思っていた。
でもリズベットはここにいる。
ユーフィリアは感極まり、胸が詰まる。今はユーフィリアの格好をしているが、彼女自身がまとう情熱の赤は一層鮮やかで。ユーフィリアは衝動的に抱き着きたくなったが、その手がリズベットを掴む事はなかった。
「どうしたの? 難しそうな顔をして」
駆けつけてきてくれたのは嬉しい。だがユーフィリアにはリズベットから助けてもらう資格がない。シュタイン伯爵家を滅ぼしたのはハイブルグ公爵家なのだから。
「……私は卑怯な手を使って、あなたの家を、シュタイン家をどん底まで突き落としました」
「あれはうちが勝手に自滅しただけでしょ」
「でも原因は私達にあります」
譲らないユーフィリアにリズベットは一度思案した後、ゆっくりと語り始める。
「恨んでないと言ったら嘘になるわ。でも私が恨むのはハイブルク公爵家でも、愚かな事をした父でもない。ましてやあなたなんでとんでもない」
直後、突然感情を失ったリズベットにユーフィリアは息をのむ。このようなリズベットの無の表情を見るのは初めてだった。
「私が本当に恨むのはお爺様よ」
リズベットの予想外の答えにユーフィリアは言葉を失った。何故稀代の名領主をリズベットが嫌うのか。同じ優秀なリズベットなら、敬意を持っているのが普通だが一体何故?
「ユーフィリア、私はね。人は危機感によって動くと考えているの。本当の本気は危機感の中でしか生まれないわ。私とあなたがそうであったように」
「私達が……?」
「私達は才能があったわけじゃない。才能はむしろ他の婚約者候補たちの方があったわ。リッチモンド伯爵家のチェルシー嬢とか。私達が食べたかった名産品のイチゴを生み出したのは彼女だもの。政事とは関係ない部分ではあるけど、それでも新しい品種を生み出すのは素晴らしい才能よ。一つの道を究めた者は他の道にも通じるわ。彼女が本気であったらあるいは王妃は彼女だったかもしれない。でも彼女は平和の中で生きていた。だからこそ本気には至れない」
リズベットの言葉に反論できなかったのは、ユーフィリア自身実感していた事だからだ。リズベットとユーフィリアは総合力は高いが、個別の勝負では誰かに劣っていた。
「あなたは王と一番近いハイブルグ公爵家だからこそ、一見平和に見えるこの国の危うさを知っていた。私は絶頂から落ちる我がシュタイン領を見ていたから、恒久の平和はないと知っていた。国の危機を本気で感じ取っていたからこそ、死に物狂いで努力したわけ」
リズベットはユーフィリアに問う。
「私達と彼女達の差は何だと思う?」
ユーフィリアに答える事は出来なかった。それを認めてしまえば何かが壊れると思ったから。それでもリズベットは容赦をしない。残酷な現実をユーフィリアに突きつける。
「単に環境の差よ。危機に気づく環境にあったかそうでないか。もちろんそれだけじゃないのは分かっている。頑張ったのは私達自身なんだから。でもね? もし私がお父様だったらと考えると、お父様と同じく処刑されていたんじゃないかなと思うの」
「そんなことっ!!」
「いいえ、きっとされていたわ」
「……リズベットは何でそう言い切れるのですか?」
「だって私達は好きで努力してきたわけじゃないでしょ? やらないと死んじゃうから努力するに過ぎない。もし仮にすべて自由にしていい。おじいちゃんがすべて守ってあげるからと言われたら。そんな事が許されるのなら、私は喜んで堕落していたでしょう」
リズベットが誰の事を言っているか明白であった。
「あなたのお父様がそうだったんですね」
リズベットは黙って頷く。
「私のお父様はお爺様の見栄によって殺された。お爺様はお父様に貴族として生きる術を教えず、己が優しくて素晴らしい人間であると証明する事しか考えなかった。お父様がするべき仕事をすべて奪い、お父様を優しい世界の檻で包み込んで現実から離し続けた」
ユーフィリアは何不自由ない生活は悪いものと考えた事はなかった。それは現実に体験した事がなかったからなのだろう。実際に先代が治めたシュタイン領は当時の貴族たちから理想とされていた。我々が目指すべきはこれであると。
「最期まで養えるのであればそれも良いでしょう。でも途中にもかかわらず、勝手に満足して死ぬなんて身勝手だわ。こんなの死ねって言ってるのと同義よ」
しかし貴族たちの信じた理想は地獄でしかなかった。甘い甘い、底なしの地獄でしか。
「あなたにとってシュタイン伯爵は、汚い手を使う悪でしかないと思うけど、私にとってのシュタイン伯爵は優しい父だったの。頭が良くないのは確かだけど、決して悪い人じゃなかった。何も出来ないように育て上げられても、どうにかしようと必死に足掻いていた。結果が伴ってないどころか、マイナスだったけれども」
ユーフィリアは思う。確かにリズベットは両親を見捨てようとはしなかった。両親のしでかす事に怒りこそすれ、絶縁するような事は最後までしなかったのだ。
「だからお父様が処刑されたのはユーフィリアのせいじゃないわ。お父様の運命はとっくの昔に決まっていたのよ」
リズベットの言葉がユーフィリアの心に波を打つ。最後に聞かずにはいられなかった。
「……私は許されてもいいのかしら?」
「そもそも私は怒ってないわ」
その瞬間、ユーフィリアは声をあげて泣いた。リズベットは彼女の頭をそっと抱きしめる。
「私の命を助けてくれてありがとう。シュタイン領の領民を守ってくれてありがとう。あなたが頑張ってくれたおかげで私はこうして生きているわ」
かくして五年ぶりの二人の再会はなされた。
「ユーフィリア、責任感あるあなたの事だもの。何でも自分でどうにかしようとしてしまうのは分かる。でもその道はすでにシュタイン伯爵家が辿った道よ。決して間違えないでね」
「…………」
今までの事もあるしユーフィリアは簡単にはYESとは言えない。それでもユーフィリアはリズベットの言葉を心にしっかりと刻んだ。
「まずはゆっくり休みなさい。あなたが完全に回復するまでの時間くらい稼いで見せるわ」
「お言葉に、甘えてもいいでしょうか?」
「ええ! あ、でも一つだけお願いあるのよ」
「何でしょう?」
「かなり強引にやっちゃったからさ? 影としての王妃代理の正式な手続きをしてもらいたいなって」
「それはもちろん、すぐにやらせていただきます」
「ありがとう。あ、後王の方の代理役としてリングアベル連れてきてるからそっちの方もお願い。レナードもまだ本調子には程遠いんだよね」
「リズベットのお願いならいくらでも……はぁっ!!?」
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