4 / 83
民家④
しおりを挟む
曇り空の下、理真は善通寺駅の駅舎の前に立っていた。まもなく17時30分。『ハイ!今日逝こう』というサイトの管理人・クレイとの待ち合わせ時刻である。
古びた三角屋根の下の「善通寺駅」の文字が赤く光っている。もともと混雑するような駅ではないが、それにしても人気がない。
理真は、薄手のカーディガンを着てきたが、それでも少し寒いように感じた。このまま夜になれば、もっと気温が下がる。
もう秋、だもんね。ついこの間まで暑かったのに。
理真は、ミニスカートを履いてきたことを後悔した。足元はスニーカーである。厚手の靴下を履けばよかったかと考えていたとき、理真の目の前に一台の白いコンパクトカーが停まった。
助手席の窓が開き、運転席に座っている男の顔が見えた。黒く長い前髪で目元はよく見えないが、鼻筋の通った、細面の男。厚みのある唇が動いた。
「すみません、クレイと申しますが、タルタルチキンさんですか?」
理真はとっさにうなずいた。
「は、はい」
「隣に乗ってくれますか。さっそく行きましょう」
理真は促されるままに助手席のドアを開けた。理真が座ってシートベルトを装着すると、車は動き出した。
車内はきちんと清掃された状態で、ラジオ番組が流れている。久礼は深々とシートにもたれかかり、片手でハンドルをさばいている。その手は骨ばっているが、指が長く、きれいな形をしている。
白いロングTシャツに、黒のスウェットといった、シンプルな恰好。髪の隙間からシルバーピアスが見え隠れする。
「あ、あの……」
ただ車を走らせるだけで何も言ってこない久礼にしびれを切らし、理真から話しかけた。
「なんですか?」
久礼は前を向いたまま返事をした。
「あの、どこに向かっているんですか?」
「民家です」
「民家?」
「はい。今は誰も住んでいませんから、大丈夫ですよ」
……何が大丈夫なのだろう。
「え、ええと、その、そこで実験をするんですか?」
「そうです」
「実験って、つまり、何をするんですか?」
「行くだけです」
「え?」
「その、民家に行くだけですよ」
「はあ……?」
民家に行くだけの、実験? なにそれ。
今日、今から死ぬんだって思って、いろんなことから解放されるんだって期待してきたのに。楽になるって、そういうことじゃないの?
「あ、あの、私、これから死ぬんですよね?」
「そうなんですか?」
「そうなんですかって……、意味がわからないんですけど。私、死にたくて、楽になりたくて、ここに来ているんですよ」
理真がイライラしながら言うと、久礼はクスっと笑った。
「怒る元気があるじゃないですか」
「なっ」
「まだ生きる元気がありそうですけどね。死にたいんですよね」
「そうよ! 生きる元気なんかないよ。何言ってんのよ、私の何を知ってそんな言い方するのよ。
彼氏が自殺したんだよ! 放火して、逮捕される前に死んだの。私、さんざんあいつに貢いで、暴力振るわれても我慢して、いっぱい我慢して付き合っていたのに。独りぼっちにされたんだよ! あとのこと何にも考えないで、一人で勝手に死んで……。
私も死ぬしかないじゃん! もう何もかも嫌なの!」
理真の両目から自然と涙が溢れていた。久礼は相変わらず前だけを見て、淡々と言った。
「後ろの座席に、ティッシュありますよ」
人が泣いているのに、慰めの言葉ひとつもないんだ。
理真は嗚咽を漏らさないようにこらえながら、後部座席に腕を伸ばし、ティッシュケースを掴んだ。わざとおおげさな音を立てながら鼻をかみ、メイクが全部落ちないように気をつけながら涙を拭いた。
「不思議なんですよね」
唐突に、久礼が言った。
「え?」
「死にたい人は、けっこう話したがりなんですよ。自分の身に何があったのか。訊いてもいないのにペラペラしゃべる。自分が一番不幸な人間みたいに言う」
「な……、なによ、ダメなの!?」
「いいえ。話すと少し楽になる場合もありますけど、どうですか?」
「ぜんっぜん。何も変わんないよ!」
「そうですか」
理真は顔が熱くなっていた。こんなに他人にイライラすること、今までにあっただろうか。ひどく癪に障る。死にたいことが、何も特別なことではないように言う。
普通、死にたいって言ったら、「どうしたの、何があったの?」「話なら聞くよ」「簡単に死ぬなんて言ったらダメだよ」「死なないで」……とかって言うものじゃないの? この人、「そうですか」って……絶対ナメてる! 死にたいって、本気で言ってないと思ってる。
民家に行くだけなんて、絶対に嘘。自殺志願者を「楽にしてあげます」って言っているんだから、こうして何もしないようなふりして、私を殺すんでしょ。どうやって殺す気なのかわかんないけど、楽にするって言っているんだから、あまり苦しまないで死ねるようにするんだよね。
……ん?
そういえば、どうやって殺すつもりなんだろう。
車内に特別置いてあるものはない。カバンのひとつも見当たらない。久礼のスウェットのポケットに凶器が入っているようにも見えない。
……シンプルに、首を絞めてくるとか?
あ、今から行く民家に道具が置いてあるとか?
考え始めると、だんだん不安になってくる。昨夜は死にたい気持ちで、深く考えずに久礼にダイレクトメッセージを送った。今日も、ただぼんやりと、「今日死ぬんだ」ということだけで過ごしていた。
久礼と話して、脳が覚醒したみたいだ。急に、いろんなことを考え始めた。不安がこみ上げて来た。
ど、どうしよう。私、何をされるんだろう。
おそるおそる久礼の顔を見ても、何を考えているのかまったく読めない。ただ、横顔がきれいな男である。首も長い。
あたりが暗くなり、稲刈りの終わった田んぼの周りを囲う山々が黒くなったころ、久礼は一軒の民家の前で車を停めた。
「着きました」
古びた三角屋根の下の「善通寺駅」の文字が赤く光っている。もともと混雑するような駅ではないが、それにしても人気がない。
理真は、薄手のカーディガンを着てきたが、それでも少し寒いように感じた。このまま夜になれば、もっと気温が下がる。
もう秋、だもんね。ついこの間まで暑かったのに。
理真は、ミニスカートを履いてきたことを後悔した。足元はスニーカーである。厚手の靴下を履けばよかったかと考えていたとき、理真の目の前に一台の白いコンパクトカーが停まった。
助手席の窓が開き、運転席に座っている男の顔が見えた。黒く長い前髪で目元はよく見えないが、鼻筋の通った、細面の男。厚みのある唇が動いた。
「すみません、クレイと申しますが、タルタルチキンさんですか?」
理真はとっさにうなずいた。
「は、はい」
「隣に乗ってくれますか。さっそく行きましょう」
理真は促されるままに助手席のドアを開けた。理真が座ってシートベルトを装着すると、車は動き出した。
車内はきちんと清掃された状態で、ラジオ番組が流れている。久礼は深々とシートにもたれかかり、片手でハンドルをさばいている。その手は骨ばっているが、指が長く、きれいな形をしている。
白いロングTシャツに、黒のスウェットといった、シンプルな恰好。髪の隙間からシルバーピアスが見え隠れする。
「あ、あの……」
ただ車を走らせるだけで何も言ってこない久礼にしびれを切らし、理真から話しかけた。
「なんですか?」
久礼は前を向いたまま返事をした。
「あの、どこに向かっているんですか?」
「民家です」
「民家?」
「はい。今は誰も住んでいませんから、大丈夫ですよ」
……何が大丈夫なのだろう。
「え、ええと、その、そこで実験をするんですか?」
「そうです」
「実験って、つまり、何をするんですか?」
「行くだけです」
「え?」
「その、民家に行くだけですよ」
「はあ……?」
民家に行くだけの、実験? なにそれ。
今日、今から死ぬんだって思って、いろんなことから解放されるんだって期待してきたのに。楽になるって、そういうことじゃないの?
「あ、あの、私、これから死ぬんですよね?」
「そうなんですか?」
「そうなんですかって……、意味がわからないんですけど。私、死にたくて、楽になりたくて、ここに来ているんですよ」
理真がイライラしながら言うと、久礼はクスっと笑った。
「怒る元気があるじゃないですか」
「なっ」
「まだ生きる元気がありそうですけどね。死にたいんですよね」
「そうよ! 生きる元気なんかないよ。何言ってんのよ、私の何を知ってそんな言い方するのよ。
彼氏が自殺したんだよ! 放火して、逮捕される前に死んだの。私、さんざんあいつに貢いで、暴力振るわれても我慢して、いっぱい我慢して付き合っていたのに。独りぼっちにされたんだよ! あとのこと何にも考えないで、一人で勝手に死んで……。
私も死ぬしかないじゃん! もう何もかも嫌なの!」
理真の両目から自然と涙が溢れていた。久礼は相変わらず前だけを見て、淡々と言った。
「後ろの座席に、ティッシュありますよ」
人が泣いているのに、慰めの言葉ひとつもないんだ。
理真は嗚咽を漏らさないようにこらえながら、後部座席に腕を伸ばし、ティッシュケースを掴んだ。わざとおおげさな音を立てながら鼻をかみ、メイクが全部落ちないように気をつけながら涙を拭いた。
「不思議なんですよね」
唐突に、久礼が言った。
「え?」
「死にたい人は、けっこう話したがりなんですよ。自分の身に何があったのか。訊いてもいないのにペラペラしゃべる。自分が一番不幸な人間みたいに言う」
「な……、なによ、ダメなの!?」
「いいえ。話すと少し楽になる場合もありますけど、どうですか?」
「ぜんっぜん。何も変わんないよ!」
「そうですか」
理真は顔が熱くなっていた。こんなに他人にイライラすること、今までにあっただろうか。ひどく癪に障る。死にたいことが、何も特別なことではないように言う。
普通、死にたいって言ったら、「どうしたの、何があったの?」「話なら聞くよ」「簡単に死ぬなんて言ったらダメだよ」「死なないで」……とかって言うものじゃないの? この人、「そうですか」って……絶対ナメてる! 死にたいって、本気で言ってないと思ってる。
民家に行くだけなんて、絶対に嘘。自殺志願者を「楽にしてあげます」って言っているんだから、こうして何もしないようなふりして、私を殺すんでしょ。どうやって殺す気なのかわかんないけど、楽にするって言っているんだから、あまり苦しまないで死ねるようにするんだよね。
……ん?
そういえば、どうやって殺すつもりなんだろう。
車内に特別置いてあるものはない。カバンのひとつも見当たらない。久礼のスウェットのポケットに凶器が入っているようにも見えない。
……シンプルに、首を絞めてくるとか?
あ、今から行く民家に道具が置いてあるとか?
考え始めると、だんだん不安になってくる。昨夜は死にたい気持ちで、深く考えずに久礼にダイレクトメッセージを送った。今日も、ただぼんやりと、「今日死ぬんだ」ということだけで過ごしていた。
久礼と話して、脳が覚醒したみたいだ。急に、いろんなことを考え始めた。不安がこみ上げて来た。
ど、どうしよう。私、何をされるんだろう。
おそるおそる久礼の顔を見ても、何を考えているのかまったく読めない。ただ、横顔がきれいな男である。首も長い。
あたりが暗くなり、稲刈りの終わった田んぼの周りを囲う山々が黒くなったころ、久礼は一軒の民家の前で車を停めた。
「着きました」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
終焉列島:ゾンビに沈む国
ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。
最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。
会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
【1分読書】意味が分かると怖いおとぎばなし
響ぴあの
ホラー
【1分読書】
意味が分かるとこわいおとぎ話。
意外な事実や知らなかった裏話。
浦島太郎は神になった。桃太郎の闇。本当に怖いかちかち山。かぐや姫は宇宙人。白雪姫の王子の誤算。舌切りすずめは三角関係の話。早く人間になりたい人魚姫。本当は怖い眠り姫、シンデレラ、さるかに合戦、はなさかじいさん、犬の呪いなどなど面白い雑学と創作短編をお楽しみください。
どこから読んでも大丈夫です。1話完結ショートショート。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
私の居場所を見つけてください。
葉方萌生
ホラー
“「25」×モキュメンタリーホラー”
25周年アニバーサリーカップ参加作品です。
小学校教師をとしてはたらく25歳の藤島みよ子は、恋人に振られ、学年主任の先生からいびりのターゲットにされていることで心身ともに疲弊する日々を送っている。みよ子は心霊系YouTuber”ヤミコ”として動画配信をすることが唯一の趣味だった。
ある日、ヤミコの元へとある廃病院についてのお便りが寄せられる。
廃病院の名前は「清葉病院」。産婦人科として母の実家のある岩手県某市霜月町で開業していたが、25年前に閉鎖された。
みよ子は自分の生まれ故郷でもある霜月町にあった清葉病院に惹かれ、廃墟探索を試みる。
が、そこで怪異にさらされるとともに、自分の出生に関する秘密に気づいてしまい……。
25年前に閉業した病院、25年前の母親の日記、25歳のみよ子。
自分は何者なのか、自分は本当に存在する人間なのか、生きてきて当たり前だったはずの事実がじわりと歪んでいく。
アイデンティティを探る25日間の物語。
意味がわかると怖い話
邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き
基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。
※完結としますが、追加次第随時更新※
YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*)
お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕
https://youtube.com/@yuachanRio
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる