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山小屋①
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波の音が近づくにつれて、心臓の音が高鳴る。水面のきらめきを想像して好奇心を走らせるからではない。
生命が誕生する場所であり、生命の還る場所、そこに抱く感情は“恐怖”の他ならない。
きめの細かい砂浜で、波は白く泡立つと、紺碧の海へと還っていく。
この海が、愛しい人を飲み込んだ。
海の中に光が届くのは、水深1000メートルまでだという。音ならば、どうか。
人類は、世界でもっとも深い場所といわれる太平洋のグアム島沖にあるマリアナ海溝の音を拾い上げた。水深10900メートルの音を、地上で聞くことができた。
だったら、ここから泳いで、あなたが沈んだ場所まで行って、「愛してる」と言えたら。光の届かない場所にいるあなたに聞こえるだろうか。
そんなバカなことはしない。
久礼は、行きがけの花屋で買った紫色のライラックの花を一輪、波の上に投げた。白い波にもまれながら、ライラックがゆっくりと流されていくのを見送った。
千葉県沖ノ島の海岸、夕暮れ時。肌に潮風が張り付いて、しだいにべとついてくる。
そろそろ戻ろうか。
歩き出す前に、白いペイントの入ったデニムパンツのポケットからスマホを取り出し、メールやSNSの通知を確認する。一件、『ハイ!今日逝こう』にメールが届いている。差出人の名前は、ロキ。
『助けてください』
はて、死にたい人からのメッセージではないのか? 死にたいのに助けてくれとはどういうことか。
久礼はやや首をかしげたが、冷静に返事を打つ。
『こんにちは。初めまして、管理人のクレイと申します。当サイトは、死にたい方を楽にするための実験を行っています。助ける、という趣旨のものではございませんが、実験にご協力くださると解釈してよろしいでしょうか?』
返信してまもなく、ロキからメッセージが届いた。
『一人じゃ死ねないから。死にたいんです。実験に協力したら死ねるってことですよね?』
『実験は、死にたい方を楽にするためのものです。死ぬことを目的としたものではありません』
『何言ってんの? 意味わかんない!』
乱暴な返事がつきつけられた。これでロキとのやりとりは終わるかと思った。だが、予想に反して、ロキからメッセージが続けて送られてきた。
『わかった、一応リスク対策ってやつでしょ』
『あからさまに自殺を手伝いますなんて書いたら、なんかあったときに自殺ほう助? 殺人罪で捕まるかもしれないし』
『わかりました、実験に協力します。こう言えばいいんでしょ』
大変ケンカ腰である。しかし、久礼は動じない。希死観念がある人間は、感情の波が激しいことがほとんどだ。心の中にとどめておけないほどの怒り、悲しみ、絶望の宛先を探している。
久礼はロキに向けて淡々とメッセージを送った。
『では、お住いの都道府県と、希望日を教えてください』
『東京。明日でも明後日でもいいから、できるだけ早い日がいい』
『都内ですか。最寄り駅はどちらになりますか?』
『八王子』
……八王子、か。都心へのアクセスが良く、八王子駅周辺は大型ショッピングセンターが軒を連ねていて、移動や買い物の利便性が高い。一方で、全国的にも有名な高尾山があり、自然にも触れあえる。ファミリーに人気のエリアだ。
久礼はスマホで管理しているスケジュールを確認すると、返事を打った。
『では、明日17時に八王子駅に来てください。よろしくお願いします』
『わかった。絶対行くから、絶対来て。だましたりしたら、許さないから』
だますって、どういうことだ?
久礼はスマホをデニムパンツのポケットにしまった。
だますも何も、信じるか信じないかは依頼人の自由である。楽になれるかどうかも、あくまで実験なのだから、失敗することだってある。そういうリスクを背負うのも依頼人だ。
自分はただ、死に場所を探している。そこに依頼人を伴うのは、死を肌で感じるような体験をすれば、必ず何らかの変化が起きるから。その変化が、依頼人にとって救いになれば――。
「なんて、ただの偽善だよ」
……また、来るね。
その、「また会う場所」が同じ場所(ここ)になるかはわからないけど。
久礼は沈みかけの太陽を背にして、歩き出した。
生命が誕生する場所であり、生命の還る場所、そこに抱く感情は“恐怖”の他ならない。
きめの細かい砂浜で、波は白く泡立つと、紺碧の海へと還っていく。
この海が、愛しい人を飲み込んだ。
海の中に光が届くのは、水深1000メートルまでだという。音ならば、どうか。
人類は、世界でもっとも深い場所といわれる太平洋のグアム島沖にあるマリアナ海溝の音を拾い上げた。水深10900メートルの音を、地上で聞くことができた。
だったら、ここから泳いで、あなたが沈んだ場所まで行って、「愛してる」と言えたら。光の届かない場所にいるあなたに聞こえるだろうか。
そんなバカなことはしない。
久礼は、行きがけの花屋で買った紫色のライラックの花を一輪、波の上に投げた。白い波にもまれながら、ライラックがゆっくりと流されていくのを見送った。
千葉県沖ノ島の海岸、夕暮れ時。肌に潮風が張り付いて、しだいにべとついてくる。
そろそろ戻ろうか。
歩き出す前に、白いペイントの入ったデニムパンツのポケットからスマホを取り出し、メールやSNSの通知を確認する。一件、『ハイ!今日逝こう』にメールが届いている。差出人の名前は、ロキ。
『助けてください』
はて、死にたい人からのメッセージではないのか? 死にたいのに助けてくれとはどういうことか。
久礼はやや首をかしげたが、冷静に返事を打つ。
『こんにちは。初めまして、管理人のクレイと申します。当サイトは、死にたい方を楽にするための実験を行っています。助ける、という趣旨のものではございませんが、実験にご協力くださると解釈してよろしいでしょうか?』
返信してまもなく、ロキからメッセージが届いた。
『一人じゃ死ねないから。死にたいんです。実験に協力したら死ねるってことですよね?』
『実験は、死にたい方を楽にするためのものです。死ぬことを目的としたものではありません』
『何言ってんの? 意味わかんない!』
乱暴な返事がつきつけられた。これでロキとのやりとりは終わるかと思った。だが、予想に反して、ロキからメッセージが続けて送られてきた。
『わかった、一応リスク対策ってやつでしょ』
『あからさまに自殺を手伝いますなんて書いたら、なんかあったときに自殺ほう助? 殺人罪で捕まるかもしれないし』
『わかりました、実験に協力します。こう言えばいいんでしょ』
大変ケンカ腰である。しかし、久礼は動じない。希死観念がある人間は、感情の波が激しいことがほとんどだ。心の中にとどめておけないほどの怒り、悲しみ、絶望の宛先を探している。
久礼はロキに向けて淡々とメッセージを送った。
『では、お住いの都道府県と、希望日を教えてください』
『東京。明日でも明後日でもいいから、できるだけ早い日がいい』
『都内ですか。最寄り駅はどちらになりますか?』
『八王子』
……八王子、か。都心へのアクセスが良く、八王子駅周辺は大型ショッピングセンターが軒を連ねていて、移動や買い物の利便性が高い。一方で、全国的にも有名な高尾山があり、自然にも触れあえる。ファミリーに人気のエリアだ。
久礼はスマホで管理しているスケジュールを確認すると、返事を打った。
『では、明日17時に八王子駅に来てください。よろしくお願いします』
『わかった。絶対行くから、絶対来て。だましたりしたら、許さないから』
だますって、どういうことだ?
久礼はスマホをデニムパンツのポケットにしまった。
だますも何も、信じるか信じないかは依頼人の自由である。楽になれるかどうかも、あくまで実験なのだから、失敗することだってある。そういうリスクを背負うのも依頼人だ。
自分はただ、死に場所を探している。そこに依頼人を伴うのは、死を肌で感じるような体験をすれば、必ず何らかの変化が起きるから。その変化が、依頼人にとって救いになれば――。
「なんて、ただの偽善だよ」
……また、来るね。
その、「また会う場所」が同じ場所(ここ)になるかはわからないけど。
久礼は沈みかけの太陽を背にして、歩き出した。
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