おとぎ話は終わらない

灯乃

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4巻

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   第一章 養子縁組


「えぇい、待ちやがれ! こんの、へっぽこ皇女ーっっ!!」
「おーっほほほほ! 捕まえられるものなら、捕まえてごらんなさーい!」

 夏の盛りが過ぎ去ったある日。
 ギネヴィア皇国皇都にある豪奢ごうしゃな離宮の中庭を、巨大なホワイトタイガー――もとい、白い虎型の魔導具に騎乗した銀髪の少女が駆け抜ける。
 彼女はこの国の新米皇女、ヴィクトリア・セファイド・レイ・ギネヴィア。皇位継承権第三位にある。
 一方、すさまじい勢いで彼女を追うのは、明るい胡桃くるみいろの髪に、端整な顔立ちの少年だ。国立魔導具研究開発局附属全寮制ぜんりょうせい魔術まじゅつ専門学校、通称『楽園らくえん』の制服を身にまとっている。

「はっ!」

 少年――ランディ・シンは、力強く地面を蹴り、ヴィクトリアめがけてジャンプした。
 彼の手には、筒状に丸めた新聞紙がにぎられている。ランディはそれを振りかぶると、銀髪少女の後頭部に狙いを定めた。しかし――

「甘いのです!」

 新聞紙がヴィクトリアの頭に叩きつけられる寸前、虎型魔導具はそれをひらりとかわして宙に飛び上がった。

「てっめー! 卑怯ひきょうだぞ、ヴィッキー! 降りてこい!」

 愛称で呼ばれたヴィクトリアは、空中で静止する虎の上で不敵に笑った。

「ふはははは! わたしとて、いつまでもへっぽこ皇女のままではないのですよ! これでも日々精進を、ぉおおおーっ!?」

 わざとらしく胸を張ったとたん、ヴィクトリアはバランスを崩して頓狂とんきょうな悲鳴を上げる。
 彼女は、この新作虎型魔導具の扱いにまだ慣れていない。そのため数日前から、運用訓練にはげんでいた。
 努力の甲斐あって、基本的な操作はだいぶできるようになった。
 しかし、そうはいっても訓練をはじめたばかりの魔導具である。少しでも集中力が途切れれば、あっという間に制御不能になってしまう。ぐらりと虎型魔導具がバランスを崩す。

「ふみゃああああー! ぁ、れ……?」

 悲鳴を上げて落下するヴィクトリアの体を、誰かの腕がしっかりと受けとめた。

「……リア」

 呼ばれた愛称に、ヴィクトリアは静かに返事をする。

「……ハイ」

 ヴィクトリアを抱き留めてくれたのは、リージェス・メイア。
 彼は、『皇国軍の双璧の一』とうたわれるメイア伯爵家の長男である。
『楽園』を首席で卒業し、現在は皇族護衛騎士を務める、超エリートだ。
 ただし、護衛対象であるヴィクトリアがへっぽこ皇女なので、彼は皇族の護衛騎士らしからぬ苦労を、しょっちゅうしていた。
 あるじを抱えたリージェスが、冷え切った声で言う。

「訓練場以外で、武器系魔導具を起動させてはいけない――というのは、わざわざ言わなければならないことだったか?」

 ここイシュカ離宮は、ヴィクトリアがこの国で過ごす際の拠点として与えられたものだ。小規模ながら、優美な庭園と魔導具の屋外訓練場も備えている。
 お叱りモードに入ったリージェスの眼光は、あるじに向けるものとは思えないほどするどく、冷たい。
 しかし、かつて男装をして『楽園』にもぐりこんでいた間に、ヴィクトリアはそんな彼の視線に対する免疫めんえきをしっかりつけていた。彼女はきりっと片手を上げて反論する。

「リージェスさま。この『ティグリス』は武器系魔導具ではありません。わたし専用の飛行用魔導具兼、もふもふのいやし系アイテムです!」

 そう宣言した彼女の足元で、魔導具『ティグリス』はいつの間にか待機モードの仔虎形態になっていた。行儀よく『お座り』をして、長い尻尾をゆらりと振る。ついでに、なんとも愛らしい声で「ぴゃあ」と鳴いた。


「ふぐ……っ」

 いまだに丸めた新聞紙を持ったままのランディの口から、奇妙な声がこぼれる。どうやら、可愛いもの好きである彼の精神が、多大な衝撃を受けたらしい。
 ちなみに今日は、ギネヴィアのこよみで七日に一度の休息日。ランディは、朝からイシュカ離宮に遊びに来ていた。
 とはいえ、彼はこのところ、暇さえあればイシュカ離宮を訪れている。『楽園』の夏休みが終わったのは十日前だが、それ以来、放課後になるとほぼ毎日のようにやってくるのだ。
 ヴィクトリアを地面に下ろしたリージェスは、軽く眉をひそめ、再び彼女に問いかける。

「その魔導具が武器系魔導具ではないことはわかった。それはともかく、おまえはいつの間に飛行用魔導具をひとりで起動できるようになったんだ?」

 飛行用魔導具は扱うのがとても難しく、起動できる魔術師は、エリートが集まる皇国軍の中にもそう多くない。いまだに自分の魔力を完全に扱いきれていないヴィクトリアが、ほいほいとあやつれるものではないのだ。
 彼女は愛用のやりがた魔導具『ホワイトファング』ですら、ようやくひとりで起動できるようになったばかり。しかも、起動させられるといっても、実戦投入はまったく不可能なレベル――というより、起動させるだけで精一杯だった。
 一年近くも起動訓練をしている『ホワイトファング』でも、そんな状態なのである。
 なのになぜ、作ったばかりの飛行用魔導具を起動させ、あまつさえそれに騎乗できたのか――
 そんなリージェスの問いかけに、ヴィクトリアはけろりと答える。

「えっとですね。この子には、わたしの魔力の波長と反応速度を記憶させた上で、それに対応したオートバランス機構を組みこんであるんです。面倒な魔力操作に関しては、専用の演算システムが全部処理してくれます。ですから、起動時にわたしがしなければならないのは、とっても単純な操作だけなんです」

 ――運用するのが難しい魔導具ならば、それを大幅に補佐するシステムを組みこんでしまえばいいじゃない。
 そんな単純な発想で、皇国軍のエリートでも運用の難しい魔導具を、素人しろうとに毛が生えた程度の自分にも使えるようカスタマイズしてしまったヴィクトリアであった。
 なるほど、とうなずいたリージェスは、素朴な疑問を口にする。

「その演算システムは、『ホワイトファング』には組みこめないのか?」

 ヴィクトリアは、しょんぼりと肩を落とした。

「あれの製作者はわたしですが、術式は元々母さんが設計したものなのです。そこに思いつく限りのいろんな術式を組み込んだので、かなり複雑な作りになっていて……。わたしにも扱えるよう設定し直す場合、術式をたくさん取り除かなくてはいけません。そうすると今の性能の百分の一程度しか発揮できなくなってしまいます」

『ホワイトファング』は大変貴重な魔導具だ。昨年の冬、ヴィクトリアの父の祖国セレスティアと西国サフィス神国は、開戦寸前の状態にまでおちいった。それに「ちょっと待ったー!」をかけるために一役買ったのが『ホワイトファング』である。
 サフィスは今、沈黙を保っているものの、内情はかなり不安定な状況だ。
 彼らが開戦に踏み切る可能性がある以上、万が一の事態に備え、切り札ともいえる『ホワイトファング』の性能を落とすわけにはいかない。
 ヴィクトリアは、仔虎型の魔導具をひょいと持ち上げる。

「その点、この子は最初からわたしが使うことを前提に設計したので、とっても素直に言うことを聞いてくれるのです」
「ぴゃう」

 魔導具が再び可愛らしい声で鳴く。リージェスはその愛くるしさを、無表情のままスルーした。

「さっき、それから落ちたがな」
「そこは、今後の練習あるのみですね!」

『ティグリス』は今のところ、ヴィクトリアが制御に失敗して落ちたとしても死なない程度にしか、飛行高度も速度も出せない。
 とても戦闘行動に投入できるようなものではない。早い話が、ただのおもちゃである。
 小さく息をついたリージェスは、怜悧れいりな印象の眼鏡越しに、改めてヴィクトリアとランディを見た。

「それで? おまえたちは、一体何を騒いでいたんだ?」

 ランディがぐっと言葉に詰まり、ヴィクトリアはあらぬ方向に視線を泳がせる。
 護衛騎士の無言の圧力に先に屈したのは、ヴィクトリアだった。

「えっと……ですね。以前、ユージェニーさんとおしゃべりしていたときに、ランディの恥ずかしい秘密をいくつか話したのがバレてしまいまして」

 ユージェニーは、ランディの双子の妹だ。彼女は幼い頃にランディと生き別れ、サフィスで戦闘訓練を受けながら暮らしていた。
 ユージェニーのことを知ったヴィクトリアたちは、この夏、彼女をひそかにギネヴィアに保護したのである。
 彼女は育った境遇からか、感情表現がとぼしく、当初はおしゃべりもしてくれなかった。だが、最近は少しずつ心を開きはじめてくれている。

「……なんだって?」

 ヴィクトリアの言葉に、リージェスがいぶかしげに眉根を寄せた。ランディはくわっと表情をけわしくし、口を開く。

「おれにとってユージェニーは、ようやく少しずつまともな会話ができるようになってきた、可愛い妹なんです! なのに顔を合わせるなり、『ヴィクトリア殿下から、あなたは胸の大きな女性が好みだと聞いた。最近の詰め物はよくできているから、素人しろうとの男の人が本物かどうか判断するのは難しいと思う。困ったときには、私に聞いて』と言われました! わかりますか? そのときの、おれの気持ち!」

 ランディの剣幕に、ヴィクトリアは少々申し訳ない気分になった。
 ユージェニーは現在、このイシュカ離宮に滞在している。
 おおやけにされていないが、ランディとユージェニーは、サフィス神国の国王の庶子だ。
 そして彼らは、その存在をの国で認められていない。サフィス神国が、厳格な一夫一婦制の国であるためだ。その国王が神の教えにそむき、王妃以外の女性と子どもを作ったというスキャンダルが世間に知られれば、とんでもない騒ぎになってしまう。
 つまりランディとユージェニーは、サフィスでは『禁忌きんきの子ども』なのだ。
 ランディたちの母親はまだ身重みおものとき、みずからの子を守るためにサフィスからギネヴィアへやって来た。幼い頃にユージェニーだけサフィスに連れ戻されてしまったが、ランディはこの国で生きてきたのである。
 サフィスにいたユージェニーを、紆余うよ曲折きょくせつの末に保護したものの――ギネヴィア皇室はいまだに、彼女の処遇を決められずにいる。
 何しろ、彼らの血筋が血筋だ。
 この秘密を知る者は多くはないが、人の口に戸は立てられない。いつかすべてが明らかにされるときが来たとしても、彼らの安全がおびやかされることがないよう、対処しておく必要がある。
 ランディはすでに、ヴィクトリアの祖父――ギネヴィア先帝であるエディアルドの後見を受けている。
 しかし、ずっとサフィス神国で暮らしていたユージェニーを、どこにどんな形で迎え入れるのが最善か――
 結論が出るまで、ユージェニーはヴィクトリアとともにイシュカ離宮でゆっくり過ごすよう、ギネヴィアの上層部から言われている。
 それはさておき、幼い頃から兵士として厳しく育てられてきたユージェニーは、感情を滅多めったに表に出さないばかりか、そもそも他人とまっとうなコミュニケーションを取ったことがない。
 そのせいか、ユージェニーの言動は予想がつかないところがある。
 事の経緯を聞いてなんとも言いがたい顔をしたリージェスは、少し考えてから口を開く。

「……気の利く、妹君だな」
「おれは妹に、そんな気遣いは求めていないんですっっ!!」

 リージェスのフォローは、このところシスコンになりつつあるランディに、食い気味に叩きつぶされた。
 しかしリージェスには、幼馴染おさななじみのシャノン・ラングという、大変純度の高いシスコンを相手にしてきた経験がある。リージェスはランディの主張をさらりと流し、話を変える。いまだに丸めた新聞紙をにぎって肩をいからせている彼に淡々と告げた。

「ランディ。おまえは以前、ユージェニーを守ると言った。だが、今のおまえはなんの力も持っていない。おまえが彼女のためにできることは、何もない」
「……っ」

 唐突に突きつけられた現実に、ランディがぐっと奥歯をみしめる。
 ――事実、今の彼はなんの身分も持たない平民の子どもだ。誰かを守るどころか、まだまだ周囲の大人たちから守られるべき、無力な少年である。
 悔しげに顔をゆがめたランディに、リージェスはどこまでも静かに問いかけた。

「ひとつ聞きたい。――妹を守る力を手に入れるために、『ギネヴィア皇国軍の双璧の一』としての名を背負う覚悟が、おまえにあるか?」

 ――『ギネヴィア皇国軍の双璧』。
 それは、ヴィクトリアの後見をしているラング侯爵家、そしてリージェスの生家であるメイア伯爵家を指す名称だ。ラング家の者が皇国陸軍の元帥を、メイア家の者が皇国海軍の元帥を代々継いでいて、現在は両家ともに当主がになっている。
 ランディの顔が、強張こわばった。
 驚いたのは、ヴィクトリアも同じだ。
『ギネヴィア皇国軍の双璧の一』としての名を背負う。それは、ラング家かメイア家の一員として元帥の座を継ぐ、という意味だろう。
 ラング侯爵家の後継は、長男のシャノンに決まっている。
 おおらかで明るい性格をした彼は、少々猪突猛進ちょとつもうしんなところのある重度のシスコンだ。けれど、その実力も人柄も『皇国軍の双璧の一』の名を継ぐにふさわしい青年である。
 今後よほどのことがない限り、いずれ彼は陸軍元帥になるだろう。
 しかし、一方のメイア伯爵家は、少々複雑な状態にあった。
 それは、メイア家の立派な後継者として周囲の誰からも認められていたリージェスが、ヴィクトリアの護衛騎士となったことにたんはっする。
 ギネヴィアにおいて、騎士の位は皇族の近衛このえに与えられるものだ。ギネヴィア皇族は十五歳になると、生涯にわたって主従の契りちぎを交わす騎士を選ぶ。
 そして皇族の護衛騎士は、ほかの職と兼務できない。
 かつて陸軍元帥だったシャノンの祖父ヨシュアも、シャーロットの護衛騎士になるために元帥を辞めたらしい。ちなみに、シャノンの父セシルは当時入軍四年目で元帥の座にく準備が整っていなかったので、ヨシュアの後任は彼の弟が務めたそうだ。
 リージェスが護衛騎士になったということは、今後、『皇国軍の双璧の一』として立ち、シャノンと肩を並べることができなくなったということでもあった。
 そのためメイア伯爵家は、『皇国軍の双璧』の名を継げる者が、今年二歳になる次男――リージェスの弟、ユリシーズ・メイアだけという状況になっている。
 ユリシーズが今後『皇国軍の双璧』にふさわしい人間に成長する可能性は、充分にある。しかし、子どもの成長というのは未知数なものだ。
 何より彼が成長して大人になったとき、周囲が望むような人生を選んでくれるとは限らない。
 つまり――現状、メイア伯爵家には次代の『皇国軍の双璧』たりえる存在が、明確には存在していないのである。
 また、仮にユリシーズが軍人として生きる道を選んだとしても、彼が皇国軍入りするのは早くても十六年後。
 メイア伯爵であるイザーク・メイアは、現在四十五歳である。
 ギネヴィア皇国軍は六十歳で退役とされているため、彼は現役の間に後継者としてユリシーズを指導することができないのだ。
 そういった事情のため、リージェスがヴィクトリアの護衛騎士になって以来、メイア伯爵家には武門の貴族家から養子縁組の申し出が引きも切らないのだという。
 そんな今、リージェスがランディに『皇国軍の双璧の一』の名を継ぐ覚悟があるか、と問いかけるということは――

「おれに……メイア家の、養子になれってことですか? ユージェニーと、一緒に?」

 少し掠れかすた声で、ランディがリージェスに問い返す。
 リージェスは、あっさりとうなずいた。

「あぁ、そうだ。おまえの妹君については、生まれた直後にほかの家に養子に出されていた、という体裁で書類を整える。おまえは平民の出身だが、すでにその将来性を見込まれてエディアルドさまの後見を受けているからな。我が家の養子に入ることに、特に問題はないだろう。おまえがいずれ『皇国軍の双璧』として国内外に認められる存在となれば、もしおまえたちの素性すじょうが明るみに出ることがあっても、自分と妹を守る力くらいは得ているはずだ」

 うわぁ、とヴィクトリアとランディは同時に声をこぼした。

「なんすか、この外堀の埋められ具合」
「おじいさまの後見を受けた上に、メイア伯爵家への養子入りって……。わたしには、いずれ皇国軍に入ったあなたが、エリート育ちのおぼっちゃま方から、ねちねちとイジメられまくる未来しか見えません。がんばってくださいね、ランディ」

 そう言ったヴィクトリアに、ランディがくわっと向き直る。

他人ひとごとみたいに言ってんじゃねぇ! このへっぽこ皇女!」

 ヴィクトリアは、そんな彼に真顔で言った。

「お望みとあれば、ギネヴィア皇国皇位継承権第三位であるわたしから、皇国軍のみなさんに『わたしのお友達をイジメたら、ダメですよー』と、一言申し上げさせていただきますが」
「……それはカッコ悪すぎるから、マジでヤメテ」

 ランディが、がっくりと肩を落とす。
 彼は何度かこぶしにぎり直す仕草をしたあと、ぐっとリージェスに向けて顔を上げた。

「おれは、ユリシーズさまが成人されるまでの間、皇国軍でメイア伯爵の教えを受けて『皇国軍の双璧の一』の名を維持する。その見返りとして、妹を守る力を手に入れられる。……めちゃくちゃ、ありがたいお話だと思います。リージェスさま。つつしんで、受けさせていただきます」

 硬い声と表情で言うランディに、リージェスが「そうか」とうなずく。

「父には、すでに話を通してある。近いうちに、おまえたちと顔合わせの場を設けることになるだろう」
「はい」

 話はすんなりとまとまったらしい。
 もちろんそれに異論があるわけではないが、ヴィクトリアは思わず手を上げた。

「リージェスさま! そのときには、わたしもご一緒してはいけませんか? ランディはわたしの友達ですし、ユージェニーさんをギネヴィアに連れてきたのもわたしです。ふたりがお世話になるなら、わたしもメイア伯爵にご挨拶あいさつするのがすじだと思います!」

 そう言うと、リージェスが戸惑った顔になる。

「それは、構わんが……。オレの父は、メイア伯爵家の家門と名誉の存続にしか興味のない人間だ。今回の話は国の上層部からの打診だったらしいが、それを受けたのは、エディアルドさまの後見を受けているランディが、メイア伯爵家にとって役に立つと判断したからだろう。おまえが心配するようなことはないと思うぞ」

 ヴィクトリアは半目になった。
 彼女はひょいと右の手のひらを上に向け、ランディを示す。

「はい、リージェスさま。ご覧ください。こちらが今のリージェスさまのお言葉で、自分の将来に多大な不安を覚えてしまった、平民育ちの少年でございます」
「……む?」

 リージェスが不思議そうに首をかしげる。

「べっ、別に不安になんか……ちょっとしか、なってねーし!」

 若干じゃっかん青ざめて言うランディは、相変わらず正直な少年だった。
 ヴィクトリアは、厳かおごそにうなずく。

「リージェスさま。貴族の常識は、平民の非常識。わたしは今回の件に関しては、たとえ皇族の権限濫用らんようだと言われようとも、全力でランディとユージェニーさんのフォローに当たらせていただきます」
「ヴィッキー……!」

 彼女の宣言に、ランディが感極まった表情を浮かべる。ヴィクトリアは、にこりと彼にほほえみかけた。

「そういうわけで、ランディ。わたしがユージェニーさんに、あなたの恥ずかしい秘密をうっかり話してしまった件については、水に流していただけると嬉しいです」
「……ヴィッキー」

 ランディが、死んだ魚のような目になった。
 そんなふたりに、リージェスが小さく苦笑して口を開く。

「まぁ、ランディはともかく、ユージェニーについてはさほど心配する必要はないだろう。彼女は、レディ教育もしっかりほどこされているようだからな。おまえたちより、よほど貴族社会に馴染なじみやすいはずだ」
「……そうでした」

 一緒に食事をとるたび、ユージェニーの素晴らしく優雅な所作をの当たりにしているヴィクトリアは、どんよりと肩を落とした。
 ヴィクトリアとて、貴族社会の中に顔を出しても恥ずかしくない程度のマナーは、一応身につけている。しかし、常に笑顔を保ち、頭のてっぺんからつま先まで一瞬も気を抜くことのできない状態というのは、非常にストレスを感じるのだ。
 ユージェニーがレディにふさわしいマナーを日常的に実践していることについて、ストレスを覚えているのかどうかは、わからないのだが――

(少なくとも、いつでもどこでもマナーを守れるということは、それだけユージェニーさんがその状態に慣れているって意味ですよね。おまけに彼女は、武器系魔導具を持たせれば超一流の戦士に早変わりという万能っぷり……。あれ、わたしができるのって、それこそ『皇女殿下の一言』で周囲に脅しをかけるくらいですか?)

 あまり深く考えると、自分のへっぽこぶりが虚しむなくなってくるので、ヴィクトリアはそこで思考を止めた。
 たとえ、やたら高い身分と、おもちゃ系魔導具作りのスキルくらいしか持っていなくとも、彼女にはリージェスをはじめとする非常に頼りになる仲間たちがいる。いざというときには、彼らに相談すれば大抵のことはなんとかなるだろう。
 よしよし、とヴィクトリアは思いきり他力本願たりきほんがんなことを考える。
 そこへ、リージェスがさらりと爆弾を投下した。

「同意を得られれば、ユージェニーにはシャノンと婚約してもらうことになっている。次期ラング侯爵の妻となれば、彼女に危害を加えられる者などそういないだろう」
「……はい?」

 再び、ヴィクトリアとランディの声がシンクロした。
 目をまん丸にして絶句したふたりに、リージェスがいつもと同じ口調で言う。

「おまえたちは、本当に仲がいいな」
「……イエ、リージェスさま」
「……そーゆー話じゃ、ないっすよ」

 今の話を聞いたら、誰だって驚く。
 たしかに、貴族階級の人間が、政略的な事情で婚姻関係を結ぶのは珍しいことではない。むしろ、そちらのほうが圧倒的な多数派だ。
 そしてユージェニーがメイア伯爵家の養女になるということは、彼女がこの国の貴族階級の仲間入りをするということ。
 平民の娘が貴族の男性に見初みそめられてとつぐ際、体裁を整えるために一度ほかの貴族家の養女になるというのも、またありふれた話である。
 しかし――

「それは……。シャノンさま狙いのお嬢さま方から、ユージェニーさんがとんでもない嫉妬しっとうらみを買うことになるのでは……」

 ユージェニーは実際の血筋はどうあれ、対外的にはごく普通の平民の少女としてメイア伯爵家の養女となるのだ。そんな彼女が、ギネヴィアの少女たちから絶大な人気を誇るシャノンと、婚約などしようものなら――
 そこまで考え、ヴィクトリアは首をかしげた。

(ありゃ? あの百戦ひゃくせん錬磨れんまのユージェニーさんが、弱い者いじめをするようなお嬢さま方に囲まれて困ってしまうとか、傷ついてしくしく泣いてしまうなんて、まず絶対にありえない気がしてきましたよ?)


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