魔女見習いのロッテ

柴咲もも

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後日譚

元宰相と魔女の呪い③

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 ランベルト・ヴェルトナーが初めてロッテの元を訪れてから、ちょうどひと月が過ぎた。
 その日、彼は約束どおり昼過ぎにロッテの部屋を訪れた。いつものように窓際に置かれたカウチに掛けて、サンダルを脱いで。はじめは異様にも思えていたこの光景も、今ではすっかり見慣れてしまった。
 カウチの前に膝をつき、患部の様子を確認して、ロッテは顔を上げた。
「もう大丈夫そうですね」
 にっこりと笑ってみせると、ランベルト・ヴェルトナーは一瞬目を丸くしてそっぽを向いた。
 初回に処方した薬ではまったくと言って良いほど変化が見られなかった水虫も、ロッテの甲斐甲斐しい治療のおかげで見違えるように良くなった。腐った果実のように痛々しかった患部には綺麗に皮が張って、ひび割れていた踵も随分と滑らかになっている。
 通常の水虫ではあり得ない異常な治り方ではあるものの、ランベルト・ヴェルトナーがはじめに言ったとおり、この水虫は魔女リーゼロッテの呪いだったのだと考えれば説明はつく。結局、解呪の方法はわからず仕舞いだったけれど。
「魔女なんて、強かで悪知恵ばかり働くようなロクでもない連中だと思っていたが、お前のような物好きもいるんだな」
 不意な呟きに驚いてロッテが顔を上げると、ランベルト・ヴェルトナーの穏やかな表情が目に映った。それは微かではあるけれど、皮肉なものでも投げやりなものでもない、初めて目にする彼の笑顔で。こんなふうに笑うんだ、とロッテは思った。
「お役に立てたならよかったです」
「ああ、世話になったな」
「お大事に」
 サンダルを履いて席を立ち、ランベルト・ヴェルトナーが扉に向かう。ドアノブに掛けた手をピタリと止めると、彼は振り返らずに言った。
国境の地ローテンベルクに向かう前にファナの森に立ち寄る予定だが、あの女に伝えておくことはあるか?」

 ローテンベルクはフィオラントの北西に連なる山岳地帯の名称で、隣国との境界でもある土地だ。彼の新しい赴任先なのだろうけれど、地図に記された街道を見る限り、王都からファナの森を経由するとだいぶ遠回りになる。
 ——わざわざお師匠様のところに立ち寄るなんて、またおかしな呪いをかけられたりしないといいけれど。
 真っ先にそう考えて、ロッテは笑ってしまった。我ながらお節介が過ぎる。
 追放処分を撤回させてくれたお礼や近況報告、ゲオルグとのこと。リーゼロッテに伝えたいことはたくさんある。けれど、それらの大切なことはきちんと自分で伝えたい。
 ロッテがそう答えようとしたとき、不意に部屋の扉が開かれた。
「遠慮しておけ。大切なことは自分の口で伝えたほうがいいだろう」
 聴き慣れた低音が耳に響く。部屋に足を踏み入れた大きな人影を見て、ロッテは瞳を輝かせた。
「ゲオルグさん!」
 扉の向こうから現れたのはゲオルグだった。ちょっぴり不機嫌な表情でランベルト・ヴェルトナーを一瞥して、それからロッテに目を向けて、彼はほっと安堵したようだった。
 ランベルト・ヴェルトナーは珍しく呆気にとられた表情でゲオルグを見上げると、
「そうだな。そのほうが良い」
 ふっと笑ってそう告げて、最後にもう一度、ロッテを振り返って言った。
「あのときはすまなかった。ありがとう」


***


「何故あいつがお前の部屋にいたんだ」
 扉を閉めると真っ先にゲオルグが言った。呆れてはいるようだが、嫉妬やそれに似た不機嫌な感情は見当たらない。ちょっぴり拍子抜けしたような、少しだけ寂しい気もするけれど、ロッテはとりあえず、これまでのいきさつをゲオルグに説明することにした。
「なんか、お師匠様がおかしな呪いをかけちゃったみたいで……」
 他人の——しかも以前に酷い仕打ちをしてきた相手の、よりにもよって水虫の治療なんて、と何度か顔を顰めてはいたものの、ロッテが説明を終えると、ゲオルグは妙な訳知り顔で「なるほどな」と含み笑った。
「なにか可笑しいですか?」
「……いや、リーゼロッテ様は存外に優しい魔法を使われる方だと思っただけだ」
 ゲオルグの言葉を聞いて、ロッテはぱちくりと目を瞬かせた。彼が言う「リーゼロッテの優しい魔法」とは一体何のことなのだろう。
「わからないのか?」
「はい。さっぱりです」
 ロッテが頷くと、ゲオルグは窓際のカウチに向かい、ゆったりと腰を落ち着けた。それから腕を組んでロッテを見上げ、言った。
「ただの水虫なのにお前にしか治せない。その話と先のあいつの様子を照らし合わせて考えれば、リーゼロッテ様があいつにかけた呪いは水虫そのものではないと想像がつく。おそらくだが、その呪いはお前に対する悪意が跳ね返って身体を蝕むものだ。この部屋を出て行ったときのあいつからは、お前に対する敵意など微塵も感じられなかった。リーゼロッテ様はこれから王宮ここで暮らしていくお前のために、あの男がお前の敵になる可能性の芽をあらかじめ摘んでおいたんだろう」
 確かに、最後に見たランベルト・ヴェルトナーの顔は、かつてロッテに敵意を抱いていた彼のものとは違っていた。本当にゲオルグの言うとおりなのかもしれない。
 ロッテがゲオルグの意外な分析能力に感心していると、ゲオルグは軽く肩を竦め、ロッテの顔をまじまじとみつめて口を開いた。
「しかし、お前もとんだお人好しだな。あんな奴、多少痛い目みさせて放っておけばよかっただろうに」
「だって、わたしのせいで苦しんでいたんですよ。なんだか嫌じゃないですか」
 ロッテだって好意的ではない相手を進んで助けたいと思うほどお人好しではない。けれど、困っているのを知ってしまったら放ってはおけないし、それが自分の所為ともなれば気になってしまう。
 ロッテが拗ねるようにゲオルグをみつめると、彼の大きな手がロッテの頭を優しく撫でた。
「お前のせいじゃないだろう」
「それはまあ、今回の件はお師匠様の悪戯みたいなものでしょうけど、それでも困ってたみたいだし、わたしが治してあげられるなら……」
 俯いてぽそぽそ呟くロッテのことを、ゲオルグは困ったようにみつめていた。ややあって、ふと不敵な笑みを浮かべると、彼はちょっぴり意地悪く言った。
「ところで、ついさっきそこの廊下ですれ違ったメイドに聞いたんだが、お前、俺との関係を訊かれたのに恋人だと言わなかったらしいな」
「そ、それは……わたしひとりの判断で公言しちゃっていいのかわからなかっただけで……」
「だろうな」
「え……?」
 顔を上げたロッテの唇を、ゲオルグの指がそっとなぞる。胸がとくんと高鳴って、頬がほんのりと熱を持った。
「さっき、帰って一番に俺の名前を呼んだだろう。あんな嬉しそうな顔で呼ばれたら、些細なことなどどうでもよくなる」
 蕩けるような笑顔でそう言うと、ゲオルグはロッテを軽く抱き寄せて、噛み付くようにキスをした。唇が離れ、彼がまた、にやりと笑う。
「言っておくが、騎士団の連中にはもう公言済みだからな」
「え……ええっ!?」
「父にも話はしておいた。宮中ここじゃ噂が広がるのなんて一瞬だからな、覚悟しておけよ」
「か、覚悟って……わたしはべつに、隠すつもりなんて……」
 慌てて言い返そうとはしたものの、すぐさま大きな手のひらがロッテの両頬を包み込んだ。鼻先が触れ合う距離で、黒曜石の穏やかな瞳がロッテの瞳を覗き込む。
「ハーブティーを淹れてくれ」
 強請るように彼があまく囁くから。ロッテは「はい」と微笑んで、頬に触れる彼の手をそっと手放した。

 お気に入りのポットに水を汲んで、簡易コンロに火を付ける。お湯が沸くのを待つあいだ、ゲオルグは窓際のカウチに座ったままロッテの後ろ姿をぼんやりと眺めているようだった。上着を脱ぐ衣擦れの音にロッテが耳を澄ませていると、ややあってごつごつと靴音が近付いてきて、背中から包み込むようにふわりと温もりが降りてきた。耳元を、吐息交じりの声が掠める。
「前々から思っていたんだが、調理台に向かう恋人の後ろ姿というのは、なんというか、その……そそるな」
「……なに馬鹿なこと言ってるんですか」
 くすりと笑って振り向けば、彼の顔が真近にあって。頬がまた、じんと熱を訴えた。
 久しぶりのゲオルグだ。任務を終えたその足でロッテに会いに来たのだろう、彼はまだ着替えも入浴も済ませていない。もしもこの場にディアナが居たら、薄汚いだの汗臭いだのと眉を顰めるだろうけれど、任務直後のゲオルグはいつもの数割り増しに漢らしくて格好良くて、独特の色気があると、ロッテは思う。
 背中から回された彼の腕が、ロッテをゆるく抱き寄せる。誘うように瞼を閉じると、ちょっぴりかさついた唇がそっと唇に押しあてられた。
 焦らすような優しいキスを、何度も何度も繰り返して。濡れた瞳でみつめあって。
 彼が、耳元で囁いた。
「……なあ、このままここで」
「だ、ダメですよ! ここでなんて、絶対ダメですからね!」

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感想 18

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みんなの感想(18件)

ひー
2019.01.19 ひー

投稿ありがとうございます‼

2019.01.19 柴咲もも

楽しんでいただければ幸いです(*´ω`*)

解除
お妙
2018.11.21 お妙

地味に嫌な呪い来た~~~!!
何気にロッテの株の上がる呪いじゃないですか~!!
さすが師匠、どこまでもロッテ想いですね。


そのまま腐ってしまえ、って思うけど、ロッテは助けるんだろうなぁ。
悔しいなぁ~~


続きが読みたかったんで嬉しいです

2018.11.21 柴咲もも

感想ありがとうございます!
続き読みたかったと言っていただけて嬉しいです(*´ω`*)

お師匠様はなんだかんだでロッテを可愛がっていますし、高慢で口は悪いけど何気に優しい魔女なんだって。
ロッテを読んでくれている読者さんにそんなふうに思っていただけるといいなと思いながら書いてます(笑)

解除
KCLA
2018.11.20 KCLA

後日談キター。宰相は一体何を企んでいるのか、楽しみですね。

2018.11.20 柴咲もも

宰相の要件は次回更新で明らかになるので肩透かし食らわないようにご注意ください‎_:(´ཀ`」 ∠):_

解除

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